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俺たちのラストシーズン──明新大地(明大中野)

ミズノプロのかっこいいオーダーグラブに「農学部」と自分の所属学部の刺繍をいれていたのが印象的な久井さんからバトンをいただきました。

 

こんばんは。はじめまして。明新大地です。

冗談抜きで、入寮したのがつい最近のことのように感じているくらい、あっという間で、すごく濃密なこの大学生活では、非常に多くの方々にお世話になりました。

 

せっかくこのブログを書かせていただけるとのことなので、全て書ききれるとは思いませんが、お世話になった方々への感謝と、この4年間でできた思い出、学び得たいくつかの知見を記させていただきます。

 

左端

 

 

まず、この4年間は本っっっ当に楽しかったです。皆さまのおかげで、これまでの人生の中で最も充実した、異常なまでに楽しい毎日を過ごすことができた4年間でした。

 

明治大学野球部には、高校野球で名を上げた選手たちが集まり、大学野球界でもトップレベルの人たちがいます。グラウンドに出れば、そこら中に野球が上手くなる教科書がたくさんありました。そういう選手たちと一緒に野球をやらせてもるえることは、すごく刺激的で、僕にとっては楽しくて楽しくて仕方ありませんでした。

 

この環境にいると、もっと野球が上手くなりたいと毎日思います。1年生の頃から、どうしたらもっと上手くなれるか、どうしたらリーグ戦に出られるかを常に考えてきました。もちろん上手くいかなくて悩むこともたくさんありましたが、そういう時でさえ、この人たちとこの環境で大好きな野球ができる幸せさが上回っていました。課題や目標を明確にして、目的意識を持って取り組むことは大切なことです。ですがそれ以上に、そのプロセスを楽しんでやることが成長に繋がることを学んだ気がします。

 

前列中央

 

 

この4年間では多くの経験を積ませていただきました。2年生の頃からリーグ戦に出させていただき、入江さんや、公家さん(ともにR3年卒)の後ろを守らせていただきました。3年生の時には、竹田さん(R4年卒)が投げている後ろで、その年の個人目標であった、丸山さんと陶山さん(ともにR4年卒)と3人で外野を守るということに成功しました。野球ファンなら誰もが羨むであろう貴重な経験をさせていただきました。

 

1番の思い出といえば、僕の中では、4年の春のリーグ戦を優勝し、駿河台キャンパス周辺をパレードさせていただいたことです。神保町の交差点を一時封鎖して街を練り歩いたあの時は、幸せな気分でした。この秋、もう一度優勝して、今度は日本一になってパレードをしたいです。

 

また、僕の大学生活の思い出で欠かせないのが、練習後に毎日受けた外野ノックです。僕が外野手になったのは、大学2年になる前の冬からです。当時の学生コーチの小原さんと関根さん(ともにR3年卒)に毎日鍛えていただきました。1-3年の関係の中で毎日ノックをお願いしても、嫌な顔ひとつせずにノックを打ってくださって感謝してもしきれません。またお二人にはプライベートでもたくさんお世話になりました。ありがとうございました。(小原さんが5個あると言って実は6個あった、『良い選手の5か条』は今でもしっかり机に貼ってあります!)

 

3年生になってからは、長南と中村奎太と3人で毎日受けるようになりました。3人で切磋琢磨できたからこそ、2人よりも上手くなりたいと思って練習できたし、1人で受けるよりも確実に上達したと思うから2人にはすごく感謝しています。ありがとう。この年は、大橋さん、武藤さん、山田智希さん、上岡さん(全員R4年卒)にノックを打っていただきました。ありがとうございました。

 

右端

 

そして、4年生になってからは、今年の学生コーチの5人に打っていただきました。ありがとうございました。4年生になってから分かったことですが、皆さん就職活動ですごく忙しいのにその合間を縫って打ってくださっていたことに気がつきました。その当時は気づかずに無理なお願いをしていたのに、本当にありがとうございました。

 

毎日受けた外野ノックですが、最初は定位置のフライもまともに捕れなかったのに、毎日ノックを打っていただいたおかげで、今では神宮球場で守らせていただけるレベルまでなりました。外野ノックの場合自分ひとりで続けられることではありませんが、毎日続けることの大切さは外野ノックを通して学びました。

 

この野球部にいた4年間で学んだことはたくさんあります。野球はもちろんですが、私生活の面でも厳しく指導、教育していただいたおかげで少なからず入寮した時よりも人間的に成長させてもらったと思っています。だからこそ、ここで学んだことは今後の人生でも大切にしていきたいです。

 

 

 

 

突然ですが、自分自身の取り柄のひとつは生まれながらに運が良いことだと思っています。この大学生活でも素晴らしい出会いや出番に恵まれました。この運というものが、日々の整理整頓、掃除、ゴミ拾い、履き物を揃えるなどの行為を大切にすることで次第に身に付くことを寮生活を通して学びました。

 

もうひとつ学んだことは、自分がいる環境がいかに恵まれた環境であったかということです。この4年間を振り返った時、どの場面を切り取っても、決して自分だけでは成り立ちません。必ず誰かのおかげで成り立っているし、必ず誰かの支えがあったからこそ成り立っています。ここからは、感謝の気持ちを書かせていただきます。

 

まず、同期のみんな、お世話になりました。ひとりひとりに感謝しています。この代で優勝できたことが何より嬉しかったです。もう一回優勝したいです。

 

首脳陣はじめスタッフの方々、先輩、それから後輩、お世話になりました。たくさん野球を教えてくださって嬉しかったです。野球以外の面でも勉強になることばかりでした。どうもありがとうございました。

 

OBの皆さま、野球を教えてくださったり食事に連れて行ってくださったりと、ありがとうございました。

 

整骨院の先生方、トレーナーの皆さま、練習ばかりでケアを怠る自分のことをサポートしてくださってありがとうございました。3年の秋のリーグ戦時、両足首が骨折していた中で野球ができていたのはトレーナーの方々のおかげです。ありがとうございました。

 

僕と西山の体重を毎日管理して、毎日補食のおにぎりを用意してくださった堀地さん。僕の努力が足らず、堀地さんが掲げた目標には到底及ばない身体で卒業することになりそうですが、堀地さんのおかげで、神宮でホームランが打てました。感謝しています。ありがとうございました。(一緒に食トレを頑張ってきたこたろー(西山)へ、昨日プロテインチョコだと言って渡したチョコは、実は、間違って買ってしまったダイエット用のチョコでした。これでまた、70kg切っちゃうねどんまい^_^)

 

僕のグラブ、バット。最高の相棒たちのおかげでいい思いをさせてもらいました。ありがとう。また、彼らを心を込めて作ってくださった職人の皆さま、どうもありがとうございました。

 

付属校出身で名も無い自分にスポットライトを当てて下さった明大スポーツ新聞部の皆さま。素敵な記事を書いてくださりありがとうございました。あの記事を見て多くの人に知っていただくことができました。

 

応援団の皆さま。明治の応援が大好きです。明治の応援歌を流しながらバッティング練習したことも何度もあります。あの応援の中で野球がしたいという憧れはいつの間にか僕の活力になっていました。また、今年の春の立教1回戦で、大雨で試合が中断しているときも、リーダー台に立ち大きな雨粒に打たれながらも三塁側の立教スタンドをずっと睨んでいた方の姿は一生忘れません。ありがとうございました。

 

そして、明治大学を応援してくださっているファンの皆さま。神宮球場で大きな声援を送ってくださったり、かっこいいお写真を撮ってくださったり、個人的にメッセージを送ってくださったり、僕の体重減少を心配して高カロリーの食べ物を差し入れしてくださったりと、感謝してもしきれません。神宮のバッターボックスで感じた声援は一生忘れません。本当にありがとうございました。

 

 

僕は運が良いです。すごく恵まれています。大好きなメンバーと、大好きなユニフォームを着て、大好きな応援のもと、大好きなグラウンドで、大好きな野球ができています。

 

右端

 

ただ、何よりも僕が恵まれていたことは、明新家の一員として生まれて育ててもらったことでした。僕の家族は両親と姉とあおときいです。僕は家に居ずに、好きなことだけをやっているのに、みんなが僕のことを応援してくれます。年に二度の帰省をした時には、決まって僕の好きな料理がテーブルに並びます。

 

この4年間、自分なりに色んなことを考えながら野球をやってきたけど、1番は神宮でヒットを打つことで家族のみんなが喜んでくれるのが嬉しくて、それが見たくて練習してきました。好きに野球をやらせてくれてありがとう。応援してくれて本当にありがとう。大学野球はあと少しだけど、残りの試合も神宮球場に来てもらえると嬉しいです。

 

まだ親孝行のひとつもできてないけど、いつかお母さんのような優しい心と、お父さんのような寛大な心を持った親になるのが20歳を越えた頃に芽生えた人生の目標です。

 

 

拙い文章で長くなりました。高校の頃から国語(特に現代文)が苦手です。数学と英語がなければ明治大学に入学できなかったかもしれません。

お付き合い頂きありがとうございました。

 

左肩上、あお

 

 

次回は渡部翔太郎です。翔太郎との思い出は、元旦1月1日に、誰よりもこの1年を早く始動してやろうと思って寮に入ると、既にトレーニングルームで始動していたのが翔太郎でした。翔太郎のそのストイックなところをすごく尊敬しています。