【野球人生を振り返って】栁澤諄
17人目は栁澤諄(マネージャー・磐城)です!

私は「縁」に恵まれた野球人生だったと思います。
振り返ってみると、私は元々野球が嫌いでした。小さい時、父にしつこく野球をやれと言われ嫌な気持ちになっていたことを思い出します。野球を始めるきっかけは小学校4年生時にクラスメイトから一緒に野球を始めてみようと言われたことです。最初は何も楽しくありませんでしたが、少年野球チームの監督、コーチのお陰で野球の楽しさを実感することが出来ました。当時の監督、コーチがいなければここまで野球を続けていなかったと思います。
その後、地元の市立中学に進学し、軟式野球部に入部しました。ここでは、私を築き上げてくださった野球部監督の恩師と、私に色々な経験を積ませてくださった担任の先生と野球部のコーチに出会いました。私は、今以上にわがままでだらしない性格でした。そんな私を毎日叱ってくださり、人として当たり前のこと、今後の人生において必ず必要になるスキルを叩き込んでいただきました。当時は、とても不貞腐れた態度をとり、早く3年間が終われとしか思っていませんでしたが、今思うと感謝でしかありません。また、この中学校生活で生徒会長も務めました。これを勧めてくださったのが当時の担任の先生と野球部のコーチです。最初は否定されましたが、結果的にはとても応援してくださりました。今、大人数の人前で話せるようになったのは、この経験があったからだと思っています。
高校は磐城高等学校に入学しました。入学式前まではとても楽しい部活動でしたが入学後、恐ろしい指導期間というものが待ち受けておりました。入る学校・部活動を間違えてしまったと思いながらも、同級生を助け合いながらなんとかその期間を乗り切ることが出来ました。辞めずに3年間部活動に取り組めたため、ここでも様々な出会いがありました。私が2年生の時に21世紀枠で甲子園に出場しましたが、コロナで中止になってしまいました。当時の監督は選抜で指揮をとられてから異動でしたが、中止かつコロナ渦で何も出来ないまま異動されてしまいました。この先生は自主性を重んじており自分で考えることの難しさや厳しさを教えていただきました。4月から赴任された先生は、とてもパワフルな先生で野球の楽しさを改めて感じさせてくださいました。
また、2年時に打てない私を代打でずっと使っていただきました。その結果、夏に行われた選抜の代替大会で最後のバッターにはなってしまいましたが出場することが出来ました。タイプが異なる監督でしたがそれぞれで良い経験をさせていただきました。部活動引退後、大学進学について考える時期になりました。最初は評定も足らず学力も上がらなかったため、現時点で進学可能な指定校推薦の大学に進学しようとしておりました。しかし、当時の担任であり野球部長でもある先生がその考えを止めてくださいました。「もう少し頑張って六大学に行った方がいいのでは。」と勧めていただいたことを今でも覚えております。その言葉を信じて残りの期間、がむしゃらに勉強や学校生活に取り組みました。その結果、評定も上がり指定校推薦で法政大学に進学することが出来ました。そして、今に至ります。
法政大学では、今まで以上の人に出会いました。山中顧問、小早川会長をはじめとするOBの方々、加藤前監督、大島監督、髙村助監督。さらに法政大学野球部を応援してくださっている法政大学OBの方や各組織の方。そして、法政大学学校関係者の方や小杉地区の皆様。最後に野球部の仲間。ここに収まりきらないくらいの出会いが大学生活ではありました。今回は学んだことを振り返るのではなく感謝を伝えたいと思います。
法政大学野球部同期の皆
4年間ありがとう!ここまで個性豊かでクセの強い学年はなかなか無いと思います。それを物語っているのは「外禁」です。合計半月以上の外禁生活。先輩の目を見ながら緊張感ある生活を約半月も行っていたとは凄いことかなと個人的には思います。
個人的にも沢山の思い出があります。2年時、野崎、赤間、帯川と行った平井大の江の島での弾き語り。一時、ほぼ毎週中華料理天龍に松下と通ったこと…。多すぎて書ききれません。
ここから最後のシーズンを迎えます。まだ引退していないため、振り返りと感謝はこの辺で終わります。最後に、
チーム松下最後のシーズン、悔いの残らぬようがむしゃらに野球に取り組み、天皇杯奪還しましょう!

先輩方
いつもありがたいイジリ、ありがとうございました。マネージャー業務で疲れている時、「大丈夫?頑張ってな!」と励ましてくださり、本当にやる気が出ました。ここまでマネージャーを続けることができたのは先輩方の優しさのお陰でもあります。本当にありがとうございました。
マネージャーの先輩方、特に男子マネージャーの先輩3名。3名の先輩方には沢山ご指導いただきました。正直、指導されている時「そんな細かいところ、見逃してくれてもいいじゃん、なんで叱られているのだろう。」とほぼ毎回思っておりました。しかし、4年生になった今、先輩方にご指導いただいたことの大切さを感じております。大学卒業後も野球関係の仕事に携わる予定ですが、この3名の先輩方がいなかったらこの仕事に興味を持っておりませんでした。感謝しきれません。

後輩たち
しつこく接してしまい、すみませんでした。あまり尊敬されているとは感じたことはありません。しかし、慕ってくれてとても嬉しかったです。
そして特に、中西と康淳!3年間ありがとう。この2人は後輩が出来て初めてご飯に行った2人です。どちらも関西出身で生意気ですが一番可愛い後輩の2人です。2人は恐らく、来年のチームを引っ張る存在になると思いますので、今まで以上に頑張ってほしいです!
マネージャーの後輩たちにも頑張ってほしいです。今、様々な取り組みをしている最中です。上手くいかないことの方が多いと思いますが、投げやりにせずしっかり物事に向き合い取り組んでください。
六大学マネ同期の皆
4年間ありがとうございました。最初、人間関係は上手くいくのか、頭が良すぎて話についていけないのではないかという心配をしておりました。しかし、とても優しい同期がいたため、そんな不安は一瞬でなくなりました。残り1シーズン、六大学盛り上げましょう。
(勝野へww)
1年生の時から一緒にご飯に行ったり、銭湯行ったり、プラ~っとカラオケ行ったりと一番遊んだと思います。とても面白く、人間性が良く、カッコいい??です!大学JAPAN優勝マネ。やっぱり凄いなと思います。これからもよろしくね!

家族の皆
両親には、直接感謝の気持ちを伝えたことは一度もありませんが、本当に感謝しています。22年間ここまで成長できたのは両親のお陰が1番です。今、尊敬している人を聞かれたら迷わず必ず「両親」と答えると思います。今でもしつこく連絡をしてきたり、よく分からないことで怒られたりします。もう少しちゃんと自立します。自分が大学に行き、今まで以上に旅行していると感じます。毎回、家族のグループに色んな所に行った写真が送られてきます。楽しそうで何よりです。これからもよろしく。そして、健康第一で。
じいちゃんとばあちゃん、ここまで健康な身体に育ててくれてありがとう。両親が共働きの為、小さい時はほぼじいちゃんとばあちゃんに育てられました。怪我も少なく病気もなくここまで成長できたのは美味しいご飯を常に食べさせてくれたじいちゃんとばあちゃんがいたからだと思っております。これからも孫として沢山甘えますので、よろしくお願いします。そして長生きしてください!
最後になりますが、日頃よりご支援、ご声援、誠にありがとうございます。応援してくださっている皆様に優勝奉公が出来るよう、チーム一丸となり日々の練習に励み、リーグ戦に臨みます。最後、笑って終われるよう残り約3か月、がむしゃらにマネージャー業務を全うします。
今後とも、何卒よろしくお願いいたします。