東京六大学野球の伝統あるユニフォームに袖を通し、神宮球場で白球を追う現役選手の皆さん。
私は神奈川の県立厚木高校から立教大学へ進学し、この素晴らしい世界に飛び込みました。初めて立教のユニフォームを着て神宮のマウンドに立った時の、あの体の底から湧き上がるような武者震いは、今でも忘れられません。背中に感じる歴史の重みや各校の応援団による地鳴りのような歓声。神宮球場とは選手を極限まで奮い立たせてくれる一方で、少しでも隙を見せると飲み込まれてしまいそうな、独特の厳しさとオーラがあります。
社会人野球やプロ野球、独立リーグ指導者を経験し、様々な球場を渡り歩いてきた今だからこそ、神宮球場と六大学野球へのリスペクトはより一層深くなっているように感じます。世代を超えて夢を託したくなるような、そんな不思議な魅力と格式が神宮球場にはあるのだと思います。
私は4年間で、ありがたいことに通算63試合に登板させていただきました。しかし決して良い思い出ばかりではありません。慢性的な腰痛に悩まされたり大学野球最後の登板となった試合では序盤で大量失点しノックアウトされたり、と本当に悔しい思いもたくさんしました。それでも栄光も挫折もすべてを歴史の一部として優しく包み込んでくれたのが神宮球場でした。
そんな特別な場所で今まさに戦っている皆さんにお伝えしたいことが二つあります。
一つ目は、「常に自分で考え工夫する力」を大切にしてほしいということです。私は高校時代、140キロに満たないストレートで上のレベルと戦うために当時の監督から「かまぼこの板を投げる練習」を薦められました。これでボールに純粋な縦回転をかける感覚を養ったのですが、実はこの練習が自分の投球スタイルを作り上げる大きなヒントになりました。自分の特徴を活かすには何が必要なのか、自分で考える力を養うことができました。この考える力があったからこそ、六大学の強打者たちともなんとか渡り合うことができたのだと思います。指導者から与えられたメニューをただこなすだけではなかなか壁を越えられないものです。「今の自分に何が必要で、どうすればもっと良くなるのか」を考え、ぜひ自分なりの正解を探し続けてみてください。
二つ目は、「入念な準備」を怠らないことです。プロ野球や独立リーグでの指導経験を通じて痛感したのは、勝負を分けるのは結局のところ「ミスの少なさ」であり、それを支えているのは「日々の準備」だということです。どんなに高い身体能力を持っていても準備が足りないとここぞという大舞台でほころびが出てしまいます。試合の日はそれまでの準備の「答え合わせ」をする日です。悔いのない大学野球生活を送るために地味で退屈に感じるかもしれない日々の準備をどうか大切にしてください。
おそらくこの二つはこれまでの野球人生で何度も言われ続けてきたことかもしれません。しかし、これらを「継続できる才能を持つこと」こそが本当に大切なんだ、といろいろな野球を経験してきた今、改めて実感しています。
皆さん一人ひとりには無限の可能性があります。どうかご自身の可能性を信じてください。先人たちが築き上げてきた六大学の伝統や、神宮球場へのリスペクトを胸に抱きながら自分で考え、しっかりと準備をして思い切り自分自身の野球を表現してほしいと願っています。聖地・神宮の杜で躍動する皆さんの姿をこれからも心から応援しています。
