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JINGU ROKKEI

神宮六景

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TOKYOROCKS2026 春季号外 第1週 2026年4月15日掲載

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私に早大野球部に入るきっかけを与えてくれたのは、都立国分寺高校の1学年上の先輩、船山信吾さんだ。母校の野球部から早大野球部に進んだ大型外野手の船山さんは憧れの存在で、高校野球をやりきった達成感を得られなかった私は、神宮球場でのプレーを夢見た。1浪で合格し、思い切って相談すると「やる気さえあれば、誰でも入れる」。そんな言葉に背中を押され、野球部の門をたたいた。

入部して東伏見で練習に加わると、予想以上に周りのレベルは高く、体力差を痛感した。1年上の矢口健一さん、杉本武則さんは恵まれた体格から、打球を左翼後方の馬小屋(馬術部)へ届きそうなほど飛ばしていた。二塁手の2年先輩、峯岡格さんの捕球から送球までの一連の動きは、まねしがたいほど素早かった。
下級生のころはフリー打撃中の打撃投手・打撃捕手が主な持ち場だった。打者に気持ちよく打たせるのが打撃投手。この時間を送球の向上に生かそうと、一塁手が捕りやすい、きれいな縦回転で垂れない球を投げることに集中した。全体練習の昼休みのひととき、バットを握った当時の佐藤清監督に頼まれて打撃投手を務め、柵越えを連発されたのも懐かしい。
打撃練習中の守備は貴重な実戦的練習と考え、常に全力送球をしていた。ある日、三塁線のゴロを捕って振り向きざまに一塁へ投げると、送球が打撃投手をしていた2年上の関英明さんのこめかみ付近をかすめた。リーグ戦でも登板していた先輩に危うく大けがをさせるところで、背筋が凍りそうだった。謝罪に向かうと「熱心に練習している人間に怒ることは一つもない。気にせず頑張れよ」とニッコリ笑ってくれた。選手間の技量差はあったけれど、真摯に野球と向き合う個々の姿勢と努力を認める文化があったように思う。

早大は1925年秋に東京六大学野球連盟が結成されて初のリーグ戦を制し、最多優勝回数を持つ。だが、在学中に優勝を経験できず、4年時には大学ワーストの9連敗を喫するなど、私たちの学年は苦しんだ。神宮で戦う松瀬大主将や西牧幸成副将と、試合に出られない私たち同期との間に温度差があり、一体感に欠けていたのかもしれない。
福元亮・新人監督の呼びかけで寮に集合した4年生だけのミーティングでは「やる気がないなら部を去れ」と檄も飛び、思いの丈をぶつけ合った。長時間の議論を経て、自分がチームに貢献できる役割は何かを見つめ直し、最後の秋まで打撃投手として腕を振った。うまくいかず、苦悩のほうが多かった4年間。描いていたキャリアを歩めないときに腐らず、どう行動して組織に必要な人材になるか。今にもつながる考え方を学ばせてもらったと考えている。

2010年から続く、TOKYOROCKS号外 名物コーナーのひとつ。
野球部OBや関係者からのメッセージをお届けしています。