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【野球人生を振り返って】中西悠陽

19人目は中西悠陽(外野手・八代)です!

入部したのがつい昨日のことのようですが、もう引退投稿を書く日が訪れてしまいました。多くの人にとって法政大学野球部の中西はもう1人を思い浮かべるかもしれませんが本日は「じゃない方の中西」の出番です。文才のない私ですが最後まで目を通していただけると幸いです。

私の野球人生は「太陽」だったと思います。しかし、大学野球では太陽の昇らない日々の方が圧倒的に多かった気がします。「八高の4番」という関東の人には誰にも分からないフレーズで自信満々に上京してきたのを今でも思い出し、恥ずかしい気持ちになります。高3の夏に急に高いレベルに挑戦してみたい、六大学で野球がやりたいと思い立ちました。そんな気持ちで入部してきた私にとって、法政大学野球部は完璧な場所でした。先輩や同級生のプレーの技術の高さ、パワー、スピード全てが自分の知らない世界でした。しかし、入部当初大きな勘違いをしていた私は自分も近いうちにレギュラーになって法政の4番として活躍しているのだろうなと本気で思っていました。ですが、現実は甘くありません。キャッチボールで右手の人差し指が腫れ、初めての紅白戦では1球もバットに当たらず三振、シートノックではもう1球お願いしますを連呼してしまい、私は人生で初めて野球が下手なんだなと気づかされました。そんな私にも数少ない話ではありますが大学野球で幾つか太陽が昇る出来事がありました。

まずは、フレッシュリーグで代打の1打席ではありますが神宮球場の打席に立てたことです。ゴロは取れない、フライは位置を見誤る私は守備を諦めバッティングに力を注ぎました。人のスイングを真似てみたり、ひたすらに体重を増やしてみたり試行錯誤を繰り返していました。その結果が身を結び、神宮の打席に立った時は本当に嬉しかったです。体が震えてしまうくらい緊張して記憶はほとんどありませんが、四球で出塁し、代走に内山が走ってきた時に贅沢な使い方をされてるなと思ったことは一生忘れません。

1番太陽が昇ったなと思う瞬間は、やはり同期のみんなと出会えたことです。下級生の頃は夜中まで草を抜いたり、オフの日に色んな所に遊びに行ったり本当に多くの時間をみんなと過ごしてきました。私の大学生活はみんな抜きでは語れません。こんなに楽しい時間を一緒に過ごしてくれて本当にありがとう。私たちの代はベンチに入る人数がとても少ないですが、ベンチに入る数人のことを本当にかっこいいなと思います。最後のリーグ戦は4年生みんなの分も背負って必ず優勝してください。最後は4年生みんなで笑おうね。

私は照れ臭くて普段は言えませんが感謝を伝えなければいけない人がいます。

まずは、私が野球を始めるきっかけとなった兄。兄と私の名前の1文字ずつを取った言葉が私の野球人生を表す太陽です。私の人生の初めてのライバルであり、常に兄を追い越したいという思いでこれまで生きてきました。法政大学野球部に入部したのも高校で野球を辞めた兄に勝ちたいという思いが1つのきっかけです。ここまで成長できたのも絶対に負けたくない相手である兄の存在のおかげです。本当にありがとう。まだまだ負けたなんて思ってないと思うから大きな背中を追い越せるように頑張るのでこれからも偉大な兄でいてください。私が兄を見てきたように弟も兄2人を追い越せるように頑張ってほしいなと思います。

次に祖父、2人の祖母です。野球を始めてから野球道具の支援を大学まで本当にありがとう。ここまで続けてこれたのも帰省する度に頑張れと言ってくれた3人がいたからです。これからも健康で長生きしてね。

最後に1番感謝を伝えなければいけない2人がいます。しかし、私の1番のファンである2人がこの投稿を見ていないはずがなく、長文を書くのは恥ずかしいので短くまとめさせていただきます。父、母へ。ここまで育ててくれてありがとう。2人の子供に生まれて息子は本当に幸せです。

私は3年生の終わり頃から野球で努力することをやめてしまいました。4年生の6月から再びグラウンドに顔を出すようになりましたが、あの期間は本当に周りが真っ暗で極夜を過ごしていたと思います。これから卒業して、まずは朝日を昇らせ、みんなを明るく照らす太陽のような存在になりたい思います。

最後になりますが、秋のリーグ戦でも部員全員で優勝を目指して頑張りますのでこれからも変わらぬ熱い声援をよろしくお願いします。