【野球人生を振りかえって】袴田涼太
30人目は袴田涼太(外野手・法政二)です!

小学生から続けてきた野球も今年で一旦終止符を打ちます。振り返ってみると、心から楽しかった思い出よりも、辛く、苦しく、嫌だと感じた時間の方がはるかに多いです。思えば中学生の時、湘南ボーイズで硬式野球に挑戦すると自分で決めた事が、ここまで辛く、険しい野球人生の道のりを作ってしまったように思います。毎日のトレーニングや、猛暑、極寒の中での練習、朝早くからの自主練、チームメイトや先輩との人間関係、本当に全てが嫌になった時もありました。それでも、中学も、高校も、結果的に最後までやりきって、大学でもここまで来ることが出来たのは、応援してくれた人達の存在があったからだと思います。常に身近で支え、いつでも応援してくれた両親に今日は感謝を伝えたいです。

小学生の時、毎週土日の練習や試合のために早起きして弁当を作ってくれた母、試合会場までの送り迎えや、練習に付き合ってくれた父。汚くなったユニフォームも次の日の朝には綺麗になっている当たり前が、今考えると凄くありがたい事でした。
中学生の時、毎日夜遅くまで自主練し、帰ってくるのが遅くなっても、夕食の準備や洗濯を必ずしてくれました。打撃不調で朝も自主練習したいと言った時には、朝5時、6時に10km離れたクラブまで送り迎えしてくれました。毎週末には、県外の遠い遠征場所でも応援に来てくれて、本当にありがとう。
高校生の時、Bチームの試合でも揃って応援に来てくれました。ずっと不甲斐ない結果しか出せず、活躍出来なかったけれど、最後の最後に等々力で1桁の背番号が見せれて本当に良かったです。
そして大学生でも硬式野球を続けたいと言った時、高い部費、一人暮らしの費用、大きな負担をかけるにも関わらず、応援してくれたこと。大学生活を振り返ると、きっと期待には応えられて居ないと思います。「野球人生の中で、大学4年間は無駄だった。」そう思っているかもしれません。ただ、六大学野球を経験出来たこと、プロになるような選手と同じグランドで練習できたこと、就職活動を含めて、これから無駄では無い4年間だったと思えるように頑張ります。
こうして野球人生を振り返ると、成功した経験以上に、上手く行かず、辛く悔しかった経験が多くあります。まさに「艱難辛苦」の道のりだったと思います。ですが、「艱難汝を玉にす」というように、困難を乗り越えて人は強くなるという経験を野球から学ぶ事が出来ました。両親には、自分以上に大変な思いをさせた事もあったかもしれません。本当に今まで全ての野球人生を支えてくれた事に感謝しています。ありがとう。

ー指定校の皆にー
大学生活では、思うような結果が出せず、補助やサポートばかりで、全くモチベーションの上がらない練習が続いた人も居たと思います。時には、補助が悪くて試合に負けたと暴論を言われる事もありました。理不尽に外出禁止になったこともありました。就職活動が始まると、そっちがメインになり、どうせ練習に出ても補助か室内練習ばかり、それなら練習に出たくないと思い、実際に出ないことも増え、かつての先輩のように幽霊部員化した、そんな自分のような人も居たことでしょう。一野球部員としてチームには、大きな迷惑をかけてしまったと思っています。まずはチームメイトに、マネージャーに、その事を謝りたいです。すみませんでした。
ですが、縁下の力持ちとなって様々なサポートをしてきたこと。補助という役回りだけれども、チームのために動いてきたこと。学生コーチやアナライザーになってチームの練習をサポートをしていること。指定校組の皆が色んな立場で野球部を支えているという事実も存在します。指定校の皆には、野球部である前に法政大学の学生である事に誇りを持って、卒業後も様々な企業で活躍してほしいです。
