【野球人生を振り返って】奥田琉
35人目は奥田琉(副務・横浜緑ケ丘)です!

高校に入学してすぐ、野球部の先輩に誘われて、マネージャーを引き受けたことが私の野球人生の始まりでした。高校3年間は真っ黒に日焼けして、日暮れまで砂埃の舞うグラウンドを選手とともに駆けまわりました。甲子園を目指せるようなチームではありませんでしたが、信頼するチームメイトと先生方のもとで、ただひたすらに野球のことやチームのことを考える毎日が楽しかった。あの懐かしい日々から今日に至るまでの約7年間、私の野球人生はかけがえのない記憶に彩られた、まさに恵まれた時間でした。自分を信じて、好きなことに思いきり打ち込むことができて、本当に幸せでした。しかしそれは、常に私を励まし支えてくださった多くの人々の存在があったからこそ得られたのだと、今、改めて感じています。

高校時代、大学時代を一緒に過ごした同期のみんな。純粋で、繊細で、逞しいみんなを応援したことは何ものにも代えがたい経験となり、私を大きく成長させてくれました。本当にありがとう。絶望を乗り越える強さや、仲間を包む優しさに、たくさんのことを考えました。努力の先には何が待っているのか。私はそれを自分の目で確かめるため、これからもみんなに負けないように頑張り続けます。
諸先輩方、大変お世話になり、ありがとうございました。厳しくも温かい上級生に見守られ、私はいつものびのびと活動することができました。悩んだときや迷ったときに今でも変わらず話を聞いてくださり本当に心強いです。頼れる先輩がいてくださって、私はとても幸運です。
マネージャーのみんな。今までありがとう。
後輩マネージャーのみんな、過ぎてみれば学生時代は短いよ。楽しく全力で活動してね。
凜、あとよろしくね。

そして、大島監督・髙村助監督はじめ、金光部長・一ノ瀬副部長やコーチの皆さま、これまでご指導くださり本当にありがとうございました。加藤前監督にもお世話になりました、ありがとうございました。大学野球におけるマネージャー業務は、社会人として求められる素養を学ぶ貴重な経験の連続でした。引退まで残りわずかとなりましたが、最後まで気を緩めることなく自分の役割を全うし、後輩たちへしっかりと引き継いでまいります。
川﨑先生と田原先生、先生からの教えのおかげで野球も人生も謳歌しています。「気の持ちようの誤差」の力は偉大です、ありがとうございました。
それから、木下幸典先生。先生と巡り会えたご縁に私は深く感謝しています。高校3年の春、それまで決めていた進路は、先生のひと言であっけなく覆りました。自分の人生にも「野球に携わり続ける」という選択肢があるのだと知り、驚きと喜びで胸が高鳴った瞬間をつい昨日のことのように思い出します。木下先生、私やっぱり大学でも野球を続けて本当に良かったです。苦しくてもうダメだと思うことが何度もあったはずなのに、今は嬉しかったことしか思い浮かびません。野球人生の終わりを迎え、選んだ道は正しかったと胸を張って言えます。本当にありがとうございました。
最後に、お父さんお母さん、お姉ちゃん。どんなときも強力な味方でいてくれてありがとう。
私は、自分の青春を野球とともに精一杯過ごしたことを心から誇りに思います。そして、この野球人生を締めくくる場が法政大学野球部であることは何よりの喜びです。在籍中に未だ優勝を果たせず心残りではありますが(ラストシーズンで成し遂げます!)、それを遥かに上回るたくさんの素晴らしい出会いと経験がありました。これからは野球を通じて得た学びを、どこかで誰かと分かち合いながら、今度は私自身が誰かにとっての「恵み」になれるよう精進していきます。
私の野球人生に関わってくださった全ての皆さま、これまでいただいた数々のご支援に心より感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。

法政大学野球部はこの先も輝かしい歴史を築きます。
どうか引き続きご声援のほど、よろしくお願いいたします。