【野球人生を振り返って】藤森創立
38人目は藤森創立(主務・五所川原)です!

《紆余曲折》
4年間を1言で表現してほしいと言われた時に、素で出てきた言葉がこれでした。
もっといい表現があっただろうと今では後悔していますが、同期の皆んなが素をさらけ出し感動の文章を書いているので自分も今日は素に戻って書いてみようと思います。
拙い文になってしまうと思いますが自らの4年間を振り返りながら思う事を書いていきたいと思いますので、しばしお付き合いください。
まずは1年生。いやその前に、まずまず今、法政大学野球部のマネージャーをできている事。
それ自体が奇跡そのものです。
小•中•高は選手として順風満帆すぎるといっても過言ではないと個人的には思っています。
ただ五所川原高校(名門)で選手としてプレーしている中、同期が私学で活躍し華やかに夏大青森大会でプレーしている姿を見て決心できたのを今でも覚えています、自分にはその才能は無いし、でもこいつらに負けてられない。
そんな思いから高校大学の2級上の對馬さん(現筑波大学院)に相談にのっていただき、選手としての道を諦め、スタッフとして日本一の野球部に関わりたい、そう決断しました。
入部段階で書類審査やzoom面接を当時の加藤監督とさせていただいたことは今でも覚えています。
12月極寒の地元ですが滝汗を流しながら全力で受け、無事マネージャーに合格できたことは当時高校3年生の藤森創立に拍手を送りたいと思います。
そしてこの場をお借りし、こんな自分を推薦で法政に入れてくださった五所川原高校(超名門)、
後押ししてくださった對馬さんにこの場をお借りし改めまして感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
ようやく晴れてピカピカの1年生。
「過酷、多忙、青森帰りたい」、、、
様々いい思い出もありますがあえて3つフレーズを挙げるとするならばこの言葉になってしまいます。
寮住みなんか出来るわけも無く、日吉のアパートから毎日自転車をかっ飛ばし、守衛に見つからないようにグラウンドの裏門飛び越えて朝準備 、1番早く寮に来て玄関掃除、新聞監督室設置(綺麗に)、そしてブラックコーヒー一気飲み、日中はグラウンドと学校の往復をし、時には引っ越し屋さん、風邪人への食事配膳人、粗大ゴミ回収業者へと変身し、
夜はスケジュール掲示等をし、由井さん(ゆいさん元気にされてますか)にご飯を出して、遠征準備をし、最後は監督助監督の靴磨きに終わる。
大した仕事はしていないのに、毎日がしんどく、ただすごく刺激的でだからこそ頑張れたという思いも込め、4年間の1番の思い出の時間はと聞かれると即答で「1年男子マネ期」と回答します。
2年生
「上田主務の部屋子、人権復活」
2年生になると何かの巡り合わせで第一寮(スポーツ推薦寮)へ入寮でき、これまた新鮮な生活を送ることができました。
高校までは実家でぬくぬくと生活していた自分にとっては少しストレスはかかりましたが、将来野球界を引っ張っていくような方々と同じ屋根の生活を始められた事はとても嬉しかったのを覚えています。
上田主務(現トヨタレッドクルーザーズ地域貢献プランナー)の部屋子(※竹田チーフにも)としては申し分ない程、尽くし、尽くし、尽くしましたが、それでも御礼として連れて行ってくれたご飯と居酒屋で過ごした時間は本当に楽しかったです。
(上田さんに怒られて泣いて反抗していたのもいい思いです。笑)
本当にありがとうございました。
そして、少しは環境に慣れ、段々とチームに馴染むことができたのもこの2年生からかな、と思っています。
3年生
「バチバチ、邁進、責任」
この辺から藤森創立自覚芽生え始め、面倒臭い男となっていきます。
環境にも大分なれ、もしかしたら何を偉そうにしているんだと思っていた方も少なくなかったと思います。本当にすみませんでした。
ただ、この年から正直「主務」という役職を意識し始め、何か自分の存在意義をこの中間学年でアピールしなければ、絶対同期には負けたくない。
そんな思いと不安、葛藤で日々を過ごし、当時主務の夏希さん(同部屋の部屋長)にも泣いて相談してました。
同期のマネ4人もこの期間が1番揉めたかな、苦しかったな。笑
今でも後悔するとすればこの年、ただ自分を褒めるとするなら「1年男マネ期」の次に並ぶ2位にこの年をあげたいと思います。
そんな濃い1年の束の間とさせていただいた、夏希さんとの第一寮201居酒屋で語らせてもらった思い出は一生語り継げます。
将来、稼いで綺麗な奥さんと可愛い子供ができても、段ボール📦を机に白州飲みましょう、約束です。(夏希さんからの誕プレでまだチビチビと大事に飲んでます)
4年生
「重圧、覚悟、優勝」
目標としていた主務というポジションで生活する年でした。
ただ現状は苦しく、重圧、責任、上手くいかない自分への葛藤、孤独感、勝てない現実。
そんな全てを日々突きつけられる毎日でした。
ただ、今法政が低迷期にいる現状を打破しなければならない時、選んでいただいた責任感と覚悟で下のマネージャー、そして同期には相当な迷惑をかけながらもなんとか、変化を恐れず先頭に立って動けたと自負しています。
「現状打破、新しい事を始める事の意味と必要性」
「チームファーストの本当の意味」
「法政大学野球部マネージャーの在り方」
この3つだけでも後輩はあの暴走藤森が監督の下について色々うるさく言ってたな、と思い出してくれるだけで自分が主務になった意味があるのかなと思います。
マネージャーのみんな
俺が主務で腹立つことも辞めたくなる事も、沢山あったと思う。
でも結局はこの15人で最後まで最後の秋を終えられた事を1番嬉しく、誇りに思います。
苦しい思いさせたね、ごめんね。
みんなの活躍を引退後も近くから見守っています。
飲みならいつでも誘ってこいよ。
選手、現場のスタッフのみんな。
マネージャーはみんなが頑張れるように全力を尽くします。
朝早くからバットを振り、走り、練習メニューを組み、案外真面目なみんなを知っています。
秋いい景色見さしてほしいな、絶対よろしくね
長くなりましたが、この4年間様々な出会いがあり感謝を述べたい人がいるのでここに残すだけ残させていただきます。
まずは、4年生のマネージャーへ
本当に俺がこの代にいて申し訳ない。そう素直に思っています。
うるさくて、協調性なくて、決断力なくて、ただ謎の自信と行動力と元気だけで生きているような俺だったけど、同期として、主務として認めてくれて本当にありがとう。
いつも琉は叱ってくれて厳しくしてくれて、でも嫉妬するくらい仕事できて俺が不器用で上手くできない事をフォローしてくれて本当にありがとう。(引退したら少しは仲直りしような)
礼華、自分のやっていることが本当に正しいのかと葛藤する時、優しく慰めてくれて味方でいてくれて、本当に助かったな、本当ありがとう。
栁澤、1年生の初日の出勤、家に凸ってごめんな。
性格が正反対の俺と同期で、こんな俺の1番のライバルでいてくれてありがとう、俺にいつも合わせてくれてありがとう、そして俺の1番の相方でいてくれて本当にありがとう。
いつもは恥ずかしくて言えないけど、まあ機会もらったから一応書くと、自分はこの代でマネージャーが出来て幸せでした。
ありがとう。

宮本へ
3年間、こんな俺の元で沢山我慢させて本当ごめん。
沢山怒ってきたし、沢山嫌味言ったし、なにもお前の為にできなかった俺を一生恨んでください。
でも1つだけ言えるのは俺の1番の後輩はお前しかいないよ。
俺の1個下のマネージャーになってくれてありがとう。
引退までに、創立さん部屋のみしたいっすってまた言ってこいよな。笑
粋へ
小学校からのスーパースター藤森粋七丞がまた一緒にこうして野球部の一員として居られることを改めて奇跡だと思います。
この4年間粋がいなかったら本当に苦しかったと思う、俺の中では存在バカでかかったよ。
一緒に頑張ってくれて本当にありがとう
また地元4人で遊ぼうな。

監督へ
まず、4年間自分のことを育ててくださりありがとうございました。
一度、自分がもがいていて何も上手く行かない時期、捨て台詞のように「お前がやったことなんて俺が全部責任取るやん、なんでもいいからやってみ」と言っていただいた時は流石に泣き入りました。笑
時に厳しくご指導いたりだくこともありましたが、朝イチの挨拶は大島さんから始まることで辛い時、上手くいかない時でも今日の1日を頑張ろうと思うことができ、毎日が充実していて幸せでした。
大島さんの隣に藤森創立が常に立っている事も、残り少なくなってきました。
使えなく、まだまだ納得のいかない主務藤森かもしれませんが、最後は日本一の監督、日本一の主務として乾杯できることを楽しみにしております。
最後に家族へ
ここまで野球を続けさせてくれてありがとう。
こんな適当で自立もできていない俺を東京に出すことを許してくれて、仕送りとかも沢山してくれて本当にありがとう。
俺は小さい頃から心配しかかけてきてないけど、
これからは自立して藤森家の長男として恥じない男になります。
藤森家に生まれてこれて俺は幸せ者です。

末筆ですが、弊部へ温かいご声援を送ってくださるファンの皆様、そして応援団の皆様。
身近でサポートをしてくださるOB・OGの皆様、
そして、大学関係者の皆様。
平素より弊部への円滑運営ならびに優勝に向けてのご高配を賜り、弊部を代表し改めまして厚く御礼を申し上げます。
弊部は来る9/13(土)に初陣を迎えます。
必ずや法政ファミリーで、神宮はさることながら神楽坂、武蔵小杉をオレンジに染めるような大パレードを行うことができるよう、執念深い野球で戦ってまいります。
皆様是非神宮球場へお越しいただき、感動の瞬間を皆様と共に味わえることを楽しみにしております。
拙い文章ではございましたがご高覧いただきありがとうございました。
藤森創立