【野球人生を振り返って】品川侑生
12人目は品川侑生(内野手・三重)です!

この代のファッション担当をしている品川侑生です。大学野球の成績は決しておしゃれではなく、リーグ戦で活躍することができず最後のシーズンに入ろうとしています。
思えば、野球を始めたのは小1の頃です。あの頃も「プロになる」と言っていた素直で前向きで優しくてかわいい少年も、気づけば大学4年です。結果が出ない日も、試合に出られない時期も、ネットでは構えからして打てる気配がしない、と書かれた事もありました。でも不思議なことに、どれだけ悔しい思いをしても、バットを置く気にはなれませんでした。結局のところ僕は、野球がめちゃくちゃ好きです。これまでの野球人生の中で大学野球が一番学び、考え、成長し、野球ってすごく難しいスポーツだと実感しました。
とっても濃かった大学野球を振り返ってみようと思います。入部する前は一年から試合にでてバリバリ活躍して神宮で輝く姿を思い描いていました。高校までずっと試合に出させてもらっていて、その延長戦上に、大学でも主力としてプレーする自分の姿が、当たり前のように見えていました。自信がなかったわけではないです。むしろ、根拠のない自信だけはたっぷりありました。だか、その憧れは今まで経験したことがなかった壁にぶつかり、僕を悩ませました。
いざ練習をしていくと、スピード感のある先輩たちのプレー、打球の速さ。同期には簡単にホームランを打つ歩叶がいたり、守備が上手い歩叶がいたり、足が速い歩叶がいたりと自分より上の人ばかりでした。でも少しずつ結果を出して2年の春リーグ戦の開幕でベンチ入りすることができました。しかし、チャンスをもらうが打てない。そしてベンチから外される。そのようなシーズンの繰り返しでした。その中で、「試合に出る選手」ではなく、「試合を支える選手」を経験しました。試合前はバッティングピッチャーや、練習補助の日々。スタンドからの応援。試合に出られない悔しさは、毎日のように胸を締めつけ、色んなことを考えさせられました。
でも、その「歯がゆさ」の中で、僕は学びました。チームには、グラウンドで活躍する人間だけでなく、外から支える人間も必要だということです。学ぶのが遅いかもしれませんが、目立たない役割にこそ、奥深さと責任があるというのを感じました。大学野球での4年間は、思っていた未来とは違いました。でも、その中で得た物は、高校までの自分では絶対に手にできなかったものでした。すべてが自分を成長させてくれました。

先輩方へ
今でも連絡をくれるズミさん。渡来武のご飯3杯行けるようになりました!僕と顔が似ている中津さん。また一緒に練習して一緒に寝たいです!
真鍋ファミリーのみなさん。一からマナーや礼儀を教えていただきありがとうございました!
たくさんの先輩方にお世話になりました!本当にありがとうございました!
後輩達へ
こんな僕の相手をしてくれてありがとう!

3B(3馬鹿)へ
出会いは入部前でした。和弥とは高校時代からお互い知っているということもあり、入学試験の時には東京駅で待ち合わせして一緒に行ったりしていました。空気感も合い、好きな事も似ていてすぐに仲良くなりました。そこで、当時飛び跳ねるような歩き方をして肩を揺らしていた惟音が来て、どやって仲良くなったのかわからないけど入寮して数日後には一緒に寝たりしていました。ずっと3人で行動していて、どっか遊ぶのも3人、やらかすのも3人、やらかして1番最初に疑われるのも3人でした。でも僕の人柄が良いのか僕は1番疑われませんでした。そんな事がたくさんあり先輩達から名付けられたのが「3B」でした。
和弥はああ見えて人見知りです。電車の乗り方も知らず、掛け算もできません。でも歴史はできます。僕がお風呂に入っていると毎回電気を消してきます。まーじのかまちょです。惟音は、ゾーン持ちで、定期的にゾーンに入ります。生パというと治ります。僕と和弥が遊んでいると嫉妬して拗ねます。でも毎回帰省後には静岡のお土産をくれる優しいやつです。惟音のベットに和弥と汗だくの後輩を入れるというやり取りは寮生活で1番面白かった!惟音はそうゆうのが好きなのでめちゃくちゃ喜んでいました。この2人がいなかったらと考えるとボーっとするわ!(ここで惟音がいや、ゾッとしろよ!と、ツッコミ、和弥がそれはおもろいと言って大爆笑していると思う)。
2人の面倒を見るのは大変だったけどめっちゃ楽しかったよ!出会ってくれてありがとう!仲良くしてくれてありがとう!そして、これからも、一生よろしく。
家族へ
じぃちゃん。ずっと僕の野球の結果を楽しみにしててくれてありがとう。いつでも電話かけてきてね!まだまだ長生きしてほしいから運転、お酒、たばこはほどほどにしてね。ボートーレース一緒に行こうね!
お兄ちゃん。これを書いてるの日がお兄ちゃんの誕生日です。誕生日おめでとう!お兄ちゃんの影響で野球を始めてここまで来ました。大きくなっていくにつれてあまり喋らなくなったけどたった1人の僕のお兄ちゃんだからこれからもよろしくね!

お父さん、お母さん。
誰よりも感謝したいです。
お父さん、まずここまで野球をやらしてくれてありがとう。小5ぐらいに海外の7.8年間の単身赴任が決まってバイバイした時めちゃくちゃ車で泣いて、帰ってくるまでにもっと野球上手くなって帰ってきた時にびっくりさせてやろうと思っていました。距離はだいぶ離れていてもLINEでアドバイスくれたり、プラスなことを言ってくれてありがとう。お父さんの人柄、優しさは見習うとこばかりだと思います。夢はもちろんプロ野球。だけど、お父さんみたいな人になりたいという夢にもなりつつあるよ。野球に出会わせてくれてありがとう。
お母さん、朝早くに当たり前のように弁当が出来てたり、汚い練習着が当たり前のように綺麗になってたり色んなことで本当に感謝してもしきれないです。お父さんが仕事で海外に行ってからは絶対に大変だったと思うけど、送り迎えを毎日してくれたり、練習が終わったら野球塾に連れて行ってくれたりして高校ではほぼ毎試合、福井から三重まで来てくれてありがとう。野球をここまで熱中させてくれてありがとう。おかけでいろんな人達に出会う事ができたし、人として成長できたよ。これまでの野球人生の裏には、お父さんとお母さんの見えない努力とかなりの愛情があったことを今改めて感じました。今日までありがとう。お父さんとお母さんが自慢できるような息子になるようこれからも頑張るね!
すべてが自分を強くしてくれた指導者、先輩、後輩これまで関わるすべての方々ありがとうございました。歯がゆさも、悔しさも、すべて成長に変えて、大学野球最後の瞬間まで、自分は走り続けます!