【野球人生を振り返って】浜岡陸
33人目は浜岡陸(外野手・花咲徳栄)です!

はじめに私事ではありますが、中学時代にお世話になった神戸須磨クラブの専用球場が先日放火の被害に遭いました。我々が必死な思いで勝ち取った優勝旗や表彰状、約40年前の先輩から受け継がれている団旗、クラブハウスや専用バスなど沢山の思い出がなくなりました。現在目の当たりにしている後輩たちの事を思うと心が苦しくて仕方ありません。その中でも野球を愛している後輩たちは毎日必死に頑張っていると聞いています。どうか皆さまの力をお貸しいただけないでしょうか。神戸須磨クラブへの温かいご支援を心よりお願い申し上げます。
さて、大学野球の4年間も残り3ヶ月を切ってしまい引退の日が少しずつ近づいて来ました。高校野球の3年間よりも1年長いはずがそれよりも短く感じています。本当にあっという間でした。怪我も多くあり、順風満帆ではなく満身創痍の大学野球でしたが、それでもこの法政大学野球部で経験した全てに価値があり人生の「財産」となりました。
大学野球の4年間はうまくいかない事が多くありました。1年の冬にAチームに上がったと思えば怪我をしてしまい、2年の秋にスタメンで出たと思えば東大に負けてしまい、3年からスタメンで頑張ろうと意気込んだ鹿児島遠征では入院生活の大怪我をしてしまい、この春のリーグ戦ではなかなか結果が出ず苦しみました。それでもタイムリーを打った時や試合に勝った時は言葉に表せないぐらい嬉しくて、野球の醍醐味をいつも感じされられていました。挫折が多く悔しい思いを沢山してきましたが、その経験はどれを取っても自分の成長に繋がり、良い経験だったと胸を張って言う事ができます。本当に私は周りに恵まれていました。ここまで頑張って来れたのは周りの方々のおかげです。この場をお借りし感謝を述べさせていただきます。

同期へ
帰省前清掃や学年会や外禁期間、色んな事を共にできて良かった。シートノックで外野から帰ってくる俺をいつもナイスボール!って迎えてくれてありがとう。思い返せばふざけてばっかいたけど、アップの時や休憩中のベンチで毎日みんなと会話するのが楽しくて最高の時間やった。しょーもねーとかくだらねーって言いながら爆笑した日々は忘れられません。みんなのおかげで今年の夏の暑さには倒れずにすみそうです。なかなかうまくいかない事もあったけど最後にみんなで笑いたいから絶対優勝して終わろ!

後輩へ
先輩をいじる事が日課で敬語を知らない3年。俺が引退したら誰をからかって過ごすん?って聞いたらあー藤森藤森と答える同じく先輩をいじる事が日課で敬語を知らない2年。からかってる2年を見て最近俺らもいけるなって思い始めて爆笑してる1年。こんな親しき仲にも礼儀ありからかけ離れた後輩しかおらんけど、かわいくて仕方ないし応援したくなるし毎日めちゃくちゃ努力してるし一切憎めない。煽りかガチか何も分からないけど、弟たちと交わしたコミュニケーション1つ1つが最高に楽しい時間やった。寂しいから引退しても「飯行こ」の3文字だけでいいから送ってな。頑張りすぎんなよ!
最後に親へ
お母さんを突き飛ばしたりTVのリモコンをぶん投げたり学校に呼び出されたり。今考えるとありえない反抗期を送ってたかな。それでも沢山の溢れる愛と優しさでここまで育ててくれて、自分が選択する人生を一度も否定する事なく歩ませてくれた事、本当にありがとう。15歳から寮暮らしで、なかなか成長する姿を近くで見せられない事に少し後悔してるけど、上京したことで家族のありがたさや当たり前ではない生活に気づき少し成長する事ができたと思う。寮暮らしは7年目に入っているのに、地元にいる家族を思い浮かべて感謝を述べようとすると涙が出てきます。続けさせてくれた野球を何歳までできるか分からないけど、最後までやり切りたいと思います。
心も体も大きな人になって欲しいと願い、陸という名前を親から授かりました。名前に込められた親の思いに近づけたのか、成長できたのかは分かりませんが、人生を共にしてきた野球で大きくなった陸の姿を見せたいと思います。
今がいっちばん楽しいで。野球って最高やで。
お母さんお父さん、最高の学生生活を送らせてくれてありがとう。野球をやらせてくれてありがとう。いつもほんまにありがとう。自慢の親で日本一の親です!大好き!!

最後になりますが、4年間で1度も優勝を経験しないまま引退できません。勝つ為に全身全霊をかけてラストシーズンを戦い抜きます。こんな私に携わってくれた全ての方々、本当にありがとうございました。
皆さまが待ちに待ちに待ちに待った黄金期を迎える法政大学野球部をこれからもどうぞよろしくお願いいたします。
ラストシーズンにかける1球への思い、本気の試合を見にぜひ神宮球場へ足を運んでください!
拙い文章でしたが最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。