俺たちのラストシーズン──岡本藍士(西南学院)
みなさんこんにちは、あるいはこんばんは。将来の日本球界を担うスーパーピッチャー大川君(4年・大川慈英)がバトンを渡そうとしてきましたが、3回ほど無視してやりました。はい、冗談です。しっかり受け取りました。明治大学野球部を日ごろから応援してくださっているファンの方々、初めまして。府中体育大学改め、明治大学体育会硬式野球部4年の岡本藍士と申します。毎年、先輩方のラストブログを見るたびに引退してしまうんだなと悲しい気持ちになっていましたが、今年は引退が近づくにつれてウキウキしています。失礼しました。悲しい気持ちでいっぱいです。ラストシーズンブログを書くにあたり、何を書こうかとすごく迷いましたが、今私が思っていることや考えていることを正直に書いてみようと思い、ここに記したいと思います。拙い文章になるかもしれませんが、冗談半分で読んでみてください。
私の大学野球人生は、3年前の4月5日から始まりました。廊下を歩く先輩全員が怖すぎてビビり散らかしていたのを覚えています。誰が先輩で誰が同級生かもわからないので、とりあえずすれ違う全ての人に挨拶していたのもいい思い出です。最初の同部屋は衛藤君(4年・衛藤晃太)でした。同じ九州出身ということもあり、意外とすぐに仲良くなり、ことあるごとに部屋の中で爆笑していました。そんな衛藤君は段ボールの中に入ってみては、「ここ居心地良いわ」と言ってみたり、部屋の角によじ登ってスパイダーマンになってみたりと、意味不明な行動ばかりをしていました。かわいいですね。1年生の皆さん、今では副主将になってしまった衛藤君ですが、こんな時代もあったんですよ。最初の同部屋が衛藤で良かったと今振り返ってみて思います。ありがとう。
余談ですが、吉田(4年・吉田匠吾)と僕と衛藤の3人で電車を待っていた時、衛藤がふざけて吉田のバッグで遊んでいたら、バッグが線路に落ちて多磨霊園で特急を止めたという伝説がありますが、信じるか信じないかはあなた次第です。




写真:多磨霊園で特急を止めた衛藤
そんな楽しい日々もつかの間、野球では周りの人が上手すぎて自分が入る隙はありませんでした。下級生の頃は、B戦に行くことすらままならず、自分の存在はチームに必要なのかどうかも分からなくなった、そんな時期でした。それでも諦めの悪い性格からか、毎日上手くなるために練習しました。毎日の練習メニューが来るたびに自分がどのチームにいるのかを見るのが怖くて、メニューを見るだけなのに緊張する日々もありました。三部(4年・三部大智)と一緒に毎日のようにA戦のアシストをして、毎日のように審判をしていたせいか一塁審だけめちゃくちゃ上手くなりました。私の一塁審のモットーは、ハーフスイングと牽制はアウトを取らないことです。それはなぜか。普通によくわからないからです。私が1番嫌なのは、足の速いバッターが打ち損じたぼてぼての内野ゴロ。あれは何度やってもとても緊張します。ここで1つ豆知識。自分のジャッジで球場全体がどよめいたらそれは誤審です。どよめきを感じたらすぐに後ろを振り向いて、誰とも目を合わせないようにしましょう。誤審をぶちかました時の唯一の策です。

そんなことをしていたら、気づいたらフレッシュリーグでした。こんな私を出場させてくれた当時の学生コーチ原さん(R7卒・原將一郎)と樂さん(R7卒・川越樂)には感謝しかありません。おかげで優勝も経験できましたし、優勝の輪にも参加できました。

3年生になっても野球をすることは好きでした。もとし(4年・福岡元翔)と宮崎(4年・宮崎雄太)と夜中まで室内でバッティングしたり、トレル―で教えてもらったりしたのは今でも鮮明に覚えています。最近もとしは2年生の和田(2年・和田壮生)を新たな弟子としてバッティングを教えているそうです。和田が化けるのも時間の問題ですね。
そんなこんなで自分の代が始まり、気づいたらラストシーズンのブログを書いています。振り返ってみると一瞬です。意外にすぐ終わってしまいましたが、これからは私の周りの人への感謝を述べていきたいと思います。
<指導者の方々>
田中前監督、戸塚監督を始め、松岡コーチ、文雄コーチ、西島コーチ、田中さん、山口さん、織原さん、4年間ありがとうございました。また、小学校、中学校、高校と私を指導してくださった方々、本当にありがとうございます。おかげさまで私の人生観は野球というスポーツから構成されました。野球を始めて、このような指導者の方々に出会えて私は幸せ者です。心から感謝申し上げます。
<先輩方>
鶴飼さん(R7卒・鶴飼晃太)
1年間同部屋ありがとうございました。ゆったりとした性格の鶴飼さんは一緒に過ごしていてとても居心地が良かったです。なぜか鶴会?のメンバーが今、そのまま僕の部屋に流れ込んでいます。まあ楽しいのでOKです。また、ご飯連れてってください。お願いします!
飯森さん(R7卒・飯森太慈)
た~くさんご飯に連れて行ってもらいました。ありがとうございます。飯森さんは持ち前の空元気でぺらぺらと喋りかけてくれるのでこっちまで元気になります。こないだ行った美容院の人が飯森さんはネットフリックスの『オフラインラブ』に出てくるアツシさんに似ていると言っていました。その場では「あ~、確かに」と言いましたが、全く似ていません。さすがに買い被りすぎです。文句があるのであれば、お酒でも飲みながら聞いてあげます。いつでも誘ってください!
<同期>
府中体育大学野球部主将、Cチーム名誉会長(三部)
明治大学体育会硬式野球部木本世代はこの男抜きでは語れません。町田を語るにもこの男抜きでは語れません。すべての物事の重要人物が三部大智です。今ではサブグラウンドで覇権を握っている彼ですが、共に過ごした下級生時代は濃いものがあります。三部とはいつでも語り合えそうです。社会人になっても三部の積もる話を宮崎と共に期待しています。余談ですが、ついこの間1年生の髙橋(1年・髙橋勇翔)に「体ごついね」と言ったら、「三部さんになりたいんで」と言っていました。やめといたほうがいいです。憧れるのは身体だけにしておきましょう。

師匠もとし
宮崎と和田の師匠のもとしです。彼は明治大学に蓬莱スイングを初めて伝来させた人物です。キリスト教のザビエル、蓬莱のもとしとも言われています。時代が違ったら教科書に載るほどの重要人物です。あらゆる指導者からのスイング矯正の道をかいくぐり、今なお蓬莱スイングは健在です。最近は卒業後海外に行くとかなんとか言っていますが、答えは彼のみぞ知る、です。みんなで彼の動向を追いましょう。
宮崎君
人をとてもイラつかせることがありますが、最近は三部の右腕として躍動しております。「高校時代、後輩からの挨拶を返さず不満を抱かれていた件をまとめろ」という声をいただいていますが、特に意外性がないため取り上げません。また竜泉寺と山岡家行きましょう。今度は僕が連れていきます。
三輪君(4年・三輪拓未)
日中起きてください。寝すぎです。
世界一ギャグセンが高い男、面白すぎる男、彼の周りは常に大爆笑(4年・八幡優介)
八幡君はガキンチョすぎる所がたまにありますが、気の合う仲のいいやつです。自分たちの代が始まる直前、彼は学生コーチという立場を選択しました。私は戸塚監督から2回学生コーチの打診を受け、八幡本人からも誘いを受けましたが、選手を続けた身です。一度打診を受けた者として彼の決断はものすごい大きく、重いものだったと感じます。共に学生コーチの道を考えたこともありましたが、野球を選手としてプレーする楽しさを捨てることはできませんでした。ごめん。あの時、八幡が学生コーチを務めることを決断してくれたから、今の木本世代は円滑に、いやそれ以上に回っていると思います。試合、練習での立場は違いますが、心から応援しています。また飲み行こう。

失言大臣本岡(4年・本岡里空)
嘘に嘘を重ねることでこれまでの人生の壁を打ち破ってきた彼ですが、大学ではさすがに通用しなかった模様です。「まじでどうでもいい」が彼の口癖ですが、これはただの強がりでした。あらゆる大人の敵を作ってきた彼は、団塊世代キラーとの呼び声も高いですが、Z世代からは愛されています。最近、みんなのいじられキャラになり過ぎていて少し心配しています。もう少し、プライドを持って生きていきましょう。また実家に泊まりに行きます。
しょうご(4年・吉田匠吾)
植田(4年・植田颯斗)と衛藤と匠吾の4人で笹塚の焼鳥屋に飲みに行ったことを今でも思い出します。4人中4人が後日、胃腸炎を患いました。あの焼き鳥屋、訴えましょう。下級生時代は、1000円チャレンジと題して明大前をうろついていた彼ですが、今ではチームの主力になっています。彼のバッティングはMTXというバッティングアカデミーで構成されていますが、私はMTXで“未来の人”というパワーポジションを授かったと同時にバッティングが崩れました。人それぞれですね。特に興味のない話は「なるほどね」という返しで終わらせる彼ですが、持ち前のバトルフェイスでリーグ戦での活躍を期待しています。ガンバレ!
こじま(4年・小島大河)
入寮当初、「教職の授業を取りたい人は食堂に集まってください」というLINEが来て、食堂で先輩と話していた時、急に30代のおっさんが話に入ってきたと思ったら、それが小島でした。めっちゃ痩せましたねあなた。人生で初めての大学への通学も小島と一緒に行ったのを覚えています。1年生の時、月曜日のリーグ戦が終わるとそこから教職の6限の授業を受けに来るような意識の高さでしたが、気づけば教職をやめていました。継続力がないね君は。周りの噂によると球界を代表する選手になるかもしれないとのことでしたが、私にはボケーっとしている小島しか知らないのであまり実感がわきません。まあ、適当に頑張ってください。期待しています。

木本(4年・木本圭一)
木本はいい意味でキャプテンらしくありません。下級生時代と全く変わらない感じでキャプテンをやっていますが、心のうちは熱いものが宿っています。俺がもっと野球が上手だったらもっと仲良くなっていた気がしますが、今も仲いいと勝手に思っているので許容範囲です。今では練習ですら一緒に野球をすることはなくなりましたが、木本のこれからの活躍を心から応援しています。木本世代で良かったと思ってます。ありがと。
中村君(4年・中村凌輔)
彼は浪人生ですWWWWWWWWW
<商学部>
ひさんてぃー(4年・久野悠斗)
入寮日、久野に時間割を教えてもらわなかったら、私は大学1年生を迎えられていません。本当に感謝しています。ありがとう。こばゼミで躍動しちゃってください。
植ちゃんさん
この人は僕の部屋に来たり、101号室にいたり、さっきは中村の部屋で爆睡かましていました。寮の中で居候しています。部屋の前に自分の風呂道具を置いて、マーキングしたりもしています。巷では「植田が住み着いた部屋は崩壊する」という噂で持ち切りですが、今のところ自分の部屋は何とか保っています。自分の部屋で寝ましょう。自分の部屋でくつろぎましょう。
バケモノの子宮田(4年・宮田知弥)
名前の通り、バケモノみたいな行動を平気でするこの男。周囲からは嫌われがちですが、意外と自分は大丈夫でした。「行くっしょ~」「やるっしょ~」しか言わないので、楽と言えば楽なのかもしれません。野球は上手ですが、Cチームの様な考え方を頻繁にするので逆にこっちが心配になります。あなたは“こっち側の人”ですね。秋季リーグ戦、その先の社会人でも頑張ってください。おいしい居酒屋紹介してください。一緒に行こう。
一般人遠藤(4年・遠藤雄介)
後輩からはどんな印象なのでしょうか。彼はその名の通り、ただの一般人です。商学部が大好きで、暑苦しい時もありますが、かわいい時もあります。1年生から学生コーチを務めてくれた彼は、つらいことが数えきれないほどあったと思いますが、彼は顔に出しません。そこだけはすごいなと思います。ただ真面目過ぎることがあるので、もう少し植田みたいな人間を見習った方が楽に生きれると思います。植田に人生観を聞いてみてください。きっと何も出てきません。それが植田です。
同じクラス加藤(4年・加藤珠海)
1年生の時、まさか同じクラスに野球部がいるとは思いませんでした。クラスの最初の授業で「野球部が100人以上いる高校から来ました!」とかなんとか言っていて、マネージャーだったのかと思ったら、帰宅部でした。私がコロナウイルスにかかり、中国語のテストを遅れて受けなければならない時、先に受けていた彼女に「どんな感じの問題が出たの?」と聞くと「なんで教えないといけないの?」という4年生の大エース郷原(4年・郷原怜大)のストレートばりの剛速球を投げつけられ、衝撃で動けなくなったのを今でも覚えています。“芯”がある彼女はこれからどこに行っても活躍できると私は思います。これからもいい具合に頑張ってほしいです。


<後輩のみんな>
228号室の部屋長、怪獣、シン・ゴジラ(3年・檜村圭吾)
なにかと部屋の雰囲気を左右させる能力を持つ彼は、周りの気を遣わせることも多々あります。3か月ほど前から哲郎(3年・松本哲郎)が部屋に出入りしすぎて、一触即発の状況が続いています。島岡寮初の冷戦状態突入です。もちろん両者ともに核は保有しておりません。最近では部屋に遊びに来た人が忘れていった“モノ”を彼が勝手に使うことが国際問題にまで発展しかけています。危ないですね。そんな彼ですが、たま~に甘えてきますし、ちゃんと後輩ムーブをかましてくることもあります。かわいいです。これからもたくさんご飯に連れていきたいところですが、部屋に遊びに来る様々な後輩がひょこひょことついてきそうなので、水面下での打ち合わせが必要不可欠になることが予想されます。檜村のスマホに保存されている“美味しそうな店”にたくさん行きましょう。今後ともよろしく。
228号室界隈
りゅーい(3年・河原﨑琉衣)
今河原﨑君は私の部屋でわけのわからない青春ドラマを見ています。先ほど檜村が毎日使用しているヘアバンドが顔に落ちてきたとき、「ねぇニキビ移るからやめて」と衝撃発言をしていましたが、不覚にもこのわたくし、爆笑してしまいました。そんな彼は私のことを「じぃじ~」という意味不明な呼び名で呼んでくる顔デカバケモノですが、最近は瘦せているようです。いつもありがとう。またキンクイいこうぜ。
哲郎
私の部屋の長である檜村の機嫌のカギを握っているのがこの哲郎です。「哲郎こないで!」と毎日のように檜村に言われている彼ですが、毎日のように寮内のゴシップネタを持ってきてみんなに話してくれます。さすがっす。えぐいっす。けど、八方美人、愛想笑いだけはやめてください。愛想笑いは瀨(4年・瀨千皓)の前だけにしといてね。あ。やっべ笑
冗談は置いといて、哲郎が部屋にいてくれるおかげでいつも楽しい寮生活になります。いじられてくれてありがとう。哲郎はちゃんと物事を考えられる人だから浅〜い人間にならずに、深く根を張って、ビックな男になることを期待しています。ありがとう!
こくう(3年・三浦心空)
彼は“準備の檜村”、“暴走モード”、“135”、“ペテン師番場”など数々の名前を編み出してきた優秀な人材です。本日、彼は芸能事務所からスカウトされたと満面の笑みで私に話してきたところ、横にいた植田が「俺もいけるな」と言っていました。こればっかりはノーコメントです。そんなことはさておき、こくうは昔から気が合うなーと勝手に感じていました。同期だったらだいぶ仲良しだったかもしれません。私の勘違いですかね。でも学年が違えど、毎日楽しく会話をしてくるこくうが私は大好きです。ありがとう!
うつみ(3年・内海優太)
彼も気が合うな~と勝手に思っている後輩の一人です。一方通行ですみません。彼はどこか大人びていて、自分の中に芯がある人間だと私は思います。強いです。かっこいいです。彼は野球センスが飛びぬけていて注目されやすいですが、本当の彼の素晴らしさは野球以外にあると思います。野球の上手い下手に関わらず、誰とでも仲良く接することができる内海は、野球人としても一人の人間としても尊敬しています。注目されやすいあなたはこれから良いことも悪いこともたくさん言われるかもしれませんが、そんな時、常に”自分“という存在を大事にして戦ってください。内海ならどこまででもやれる気がします。今までありがとう。
BAMBA(3年・番場大翔)
1年生の頃、猛ダッシュで室内のガラスの壁に顔面を衝突させた彼ですが、その衝撃による遺伝子の突然変異により、番場は天才になりました。彼のエピソードトークは嘘か本当かわからないのが醍醐味ですが、それが凶と出て心空から“ペテン師番場”という異名を授かっています。番場は誰もが認める異端児であり、私も彼ならこれからどこに行っても“番場節”で数々の壁を跳ね除けていくと確信しています。これからの番場の活躍に、番場の人生に大いに期待しています。何事にも番場らしく頑張って!ありがとう!
何度も言うようですが、彼らは自室のように毎日私の部屋に訪れています。部屋長であるシン・ゴジラこと檜村の機嫌を損ねることも多々ありますが、彼らの友情は機嫌でどうこうなるレベルではないようです。おかげで私も楽しい寮生活を送ることができています。感謝感謝!です。今度哲郎がいつものようにアレを予約してくれるようなので、私の練習に付き合ってください。先輩命令です。もちろん哲郎が全部払います。



1、2年生のみんなへ
一緒に練習した1、2年生は特に思い入れがあります。たくさん練習しているのに、なかなか上がることができない選手もたくさんいます。意味の分からないことを言われたり、意味の分からない考えでチームを落とされたりした経験がある人も少なくはないでしょう。私もどちらかと言えばそういう経験が多かったので気持ちは痛いほどよくわかります。ですがそこで大事なのは、それでも練習することだと思います。その練習が功を奏して結果が出るとは限りません。ただ、そんな最悪な状態でも自分がやるべきことをすることが本当の強い人間なんだと思います。
これからたくさん理不尽なことや納得のいかないことがあるでしょう。でも、そこで負けてはいけません。その時の自分の考え、意見に正直に従ってください。それが間違っているとか正解とかは関係ありません。自分の意見をはっきり言うこと。それは間違っているんじゃないかと発言すること。悔しいと思って練習すること。それができなければ、みんなは組織という大きな集団に埋もれてしまいます。大きな組織の中で自分を保つことは簡単なことではありませんが、自分を消してまでみんなに合わせることほど面白くないものはありません。先輩の戯言だと思って頭の片隅にでも置いておいてください。きっと役に立つ時が来ると思います。みんなが4年生になって自分の大学野球を振り返った時、ここにきて良かったなと思えるような大学人生になることを心から祈っています。
進藤(2年・進藤正太郎)
彼とはよく一緒に練習したような気がします。特に進藤がいるノックは格別に面白いです。持ち味を存分に発揮して大学野球を走り切ってほしいです。走り方は自由。自分の思うように頑張ってください。頑張らなくてもいいです。進藤という人間がこの野球部に在籍していることそのものが大事だと感じます。楽しい毎日をありがとう。これからも毎日を楽しんで!
田家(2年・田家天太朗)
田家は苦労人です。ただ真面目ですごく良い奴な気がします。普段はおとなしいですが、心の中では常に熱い男だと私の眼にはそう見えています。田家の今までの努力、そしてこれからの努力が報われることを心から祈っています。もちろん、報われなくて思うように結果が出ない日々が続いても何も心配いりません。田家の存在はもうすでにこのチームに欠かせないものとなっています。これからも自分の信じる道を突き進んでください。髙橋(2年・髙橋慎)も個人的に大好きなので彼の世話も忘れずにね。
和田
最近もとし道場に入った和田はスイングが波を打ち始めました。和田もとてもまじめでいい選手ですが、ノック中の和田の声掛けを月山(1年・月山隼平)が馬鹿にしています。やばいよね。俺は何も言ってないけどね。うん。
そんなことは置いておいて、これからも和田らしく頑張ってください。めっちゃ上からだけどものすごい上手くなっていると思います。応援しています。ガンバレ!
鶴飼(2年・鶴飼恵大)
鶴飼は私と顔が似ているという話だけで島岡寮の話題を総取りしようとしていましたが失敗に終わっていました。どんまい。彼は私と似ていて意地の悪いお笑いが大好きです。余談ですが、この野球部において、人の揚げ足を取ってこそこそ笑っているという俗にいう“終わってるやつ”は満場一致で豊田喜一君(2年)です。さすがにこのレベルになってくるとさすがの私も驚くことばかりです。いい加減にしてください。
冗談はさておき、鶴飼にも期待しています。ここで言う期待とは野球はもちろん、一人の人間として深い男になってほしいです。兄貴を超しちゃってください。お前ならできる!気がする!
学生コーチ田中(3年・田中陽貴)、小島(3年・小島大地)
この間まで二人とも自分と一緒に練習していたのに、今ではベンチに入ったりBチームの監督をしたりとチームに欠かせない存在になっていますね。すごいです。学生コーチの立場上、文句を言われることが毎日のようにあると思います。それなのに、チームが勝利すればその勝利は出ている選手たちのおかげだと思ってしまう人が多数です。本当に難しい立場だと思います。そんな学生コーチをするという選択をした二人を私は心から尊敬します。私はできませんでした。ですが、4年間選手として野球を続けた私から2人に言っておきたいことがあります。これから2人は今まで以上に選手を評価しなければならない立場になると思うし、選手を選んでいかなくてはならない状況に直面すると思います。そんな時、「自分が選ばれる、評価される立場だったら」という考え方を忘れないでください。2人も入部した時は大学野球で活躍したいという強い想いがあったと思います。あなたたちの後輩、そして同期の選手たちは今もなお、その想いを強く持ち、きつい時も練習し、いつか輝けるその時を信じて戦っています。そんな選手たちの想いを踏みにじらないでください。これは同情で選手をひいきしろと言っているのではありません。技術的指導やメンタルのケア、2人にできることはただ選手を評価することだけではないと思います。学生コーチならではの視点からたくさんのアドバイスをしてあげてください。2人にはそれができると思います。あと最後に。自分の行動、発言に責任を持ってください。選手はなにもチームを強くする道具ではありません。1人1人が想いを持った人間です。できる限り選手たちに寄り添いながら、新しい組織を作ってほしいと心から願います。長くなりましたが、期待しています。選手のみんなも2人の学生コーチという決断に感謝を忘れずに頑張ってほしいです。
小薗(1年・小薗卓也)、ダブル髙橋(1年・髙橋駿太、勇翔)、藤﨑(1年・藤﨑理央)、吉田(1年・吉田海渡)、藤原(1年・藤原啓)、長谷川(1年・長谷川翔人)、藤澤(1年・藤澤陸)、牧田(1年・牧田健吾)、二坂(1年・二坂青凰)、髙岡(1年・髙岡珀人)らへんも一緒に練習してくれてありがとう。みんな能力が高いし、まだまだ上に行けると思います。お世辞ではありません。きつい時も意味わからないと思う時もたくさんあると思うけど、それでもガンバレ!絶対成長するから。
石島(1年・石島健)も最近はサブグラウンドばっかでつらい思いがあると勝手に思っています。大学野球は短いと言われがちだけど、1日1日を大切にすればものすごく濃くなるし、成長できると思います。持ち前のベビーフェイスでリーグ戦で大暴れする石島を期待しています。仲良し3人組の吉田(1年・吉田翔輝)と若林(1年・若林佑真)と試合出れたらいいな!応援してる!
芦硲(1年・芦硲晃太)もたまにめちゃくちゃ笑顔の中村(1年・中村優太)もにやにやしながら挨拶してくる月山も若林も他の一年生もみんな大好きです。今までありがとう!
<両親>
私が野球を始めた時、大学までやると思っていたでしょうか。気づけば大学までやってしまっていました。思い返せば小学1年生の頃。両親に連れられ、当時通っていた小学校の野球部に見学に行った際「楽しそう」と母に言ったところ、入部が決まりました。実はあの時、本当は楽しそうなどとは全く思わず、「両親がわざわざ俺を連れてきたんだし、これは楽しそうとか言っといたほうがいいな~」と小学1年生とは思えないマセガキを発揮し「楽しそう」と言ったんです。そんな軽~い感じで始めた野球でしたが、お2人のおかげでこれまで何とかやってこれました。心から感謝申し上げます。ありがとうございました。ただこれまでやってきた野球もあと数か月で終わります。これからは野球で培ったたくさんのこととお2人から学んだことを十分に活かして自分の人生を歩んでいきます。基本的に家族間での会話は多くないと認識していますが、それは言葉を言い換えれば順調ということです。これからも静かに見守ってください。
最近、縁や運命は本当にあるのかを考えることにはまっていてずっと考えています。今のところ私の結論は「そんなものはない」です。自分の人生はすべて自分の行いから発生していると考えます。自分の選択、決断も全て自分の考えのもと実行されます。もしそれが本当なのであれば、私の人生における最初で最高の選択は、岡本家に生を受けようと選択したことです。これは22年間生きた今でも間違いではなかったと自信を持って言えますし、生涯覆ることはないでしょう。もう一度生まれ変わってもお2人のもとに生まれたいと心から思います。
まだまだ私の人生は続きます。これからもよろしくお願いします。
<最後に>
これまで長いこと語ってきました。4年間特にこれといった活躍はできませんでしたが、大学野球生活で学んだこと、考え方を正直に述べたつもりです。誰かの心に少しでも残ってくれたら幸いです。
改めてにはなりますが、16年間の野球人生、そして大学野球生活での4年間において私と関わってくださった全ての方に感謝申し上げます。全員は書ききれませんでしたが、私と出会ってくれた全ての先輩、同期、後輩の皆さんは私の人生にかけがえのない思い出を与えてくれました。本当にありがとうございました。
しんみりしちゃいましたが、切り替えていきましょう!
次は「あいつがマウンドに上がる前までに25点は取っておけ」でおなじみの郷原君です。つい最近、暴露系ユーチューバーのガーシーさんが「郷原がこれまで出した四死球の数は星の数を超える」と言っていました。聞き捨てなりませんね。まだまだ暴露があるらしいですが、「またタイミング見て出します」と言っていたので次の暴露はまだ先になりそうです。この機会に有料会員にでもなろうかなと思います。
この間、彼は自己最速の149キロを記録したと嬉しそうに私に報告してきましたが、正直、知りません。彼にデッドボールを当てられた数多くの選手がこれを機に委員会を設立し、法的措置を取るという噂がXを筆頭に昨今のSNSを騒がせています。さすがの私もチームメイトとして「郷原を守ろうの会」を設立しようとしましたが、面倒くさいのでやめました。
冗談はともかく、道を自ら切り開いた彼はこれからも郷原らしくやってくれると思います。きっとラストブログも激やばスーパー面白エピソードが満載でしょう。大エース郷原!お願いします!!