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主将 木本 圭一
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俺たちのラストシーズン──大川慈英(常総学院)

この学年で一番社会から愛された男、うえちゃん(4年・植田颯斗)からバトンを受け取りました。

ピッチャーリーダーという名のセミ幹部をやっている大川慈英です。

私はみんなのように文才がないので、短めにするので最後まで読んでいただければ幸いです。

この大学生活を振り返って、一番最初は高校の野球部を引退してからの半年間を筋トレに捧げた結果、ボールを思うように投げる事ができなくなっていたというところから始まります。その筋トレに全振りをした生活をしている時期は、毎日ジムで狂ったように筋肉に強い負荷をかけるため、ダンベルやバーベルをひたすら上げ続けました。そのときしていた野球に関連することと言えば、家から徒歩5分の砂浜で弟や父とキャッチボールをするか、1人でボールを投げて拾いにいくかのどちらかしかありませんでした。その時はすでにコロナは収まりつつありましたが、まだマスクを着用しなければいけないレベルで、ただでさえ友達の少ない私としてはかなり厳しい期間でした。なので、私が野球を練習しなかったのはコロナのせいということにします。

入学してからは、筋トレの弊害もあり2年生春まではボールを正常に投げるためにストレッチをしたり、アウターではなくインナーを沢山したりと全然楽しくなかったのを覚えています。

そして、迎えた2年春のフレッシュリーグでなんとマックスを一気に4キロも更新する152キロを投げる事が出来ました。少しここでまた野球が楽しくなってきました。

その後、Aチームでも練習試合を投げさせてもらい、2年生の秋にリーグ戦で初登板を果たしました。このリーグ戦では割と良い結果を残し、「俺のストレートは通用する」という風に思ったことを覚えています。この時の私は、このあと地獄を見るということを知る由もありませんでした。

ここで、大川慈英の大学2年間の振り返りは終わります。なぜ、こんなに2年生までの内容が薄いかというと、正直あんまり記憶がないからです。

ここからは地獄の3年生の振り返りになります。

まず、先述した「俺のストレートは通用する」という確信は見事に打ち砕かれることになります。

3年春のシーズンが始まる前に少しのコンディション不良でリーグ戦の入りが遅れることになりました。その時にトレーニングやこれまで行ってきたことなど、すべてしっかり取り組みました。しかし、いざリーグ戦に入ってみるとバッターに簡単に捉えられ、ベンチにもまともに入れず、というシーズンを過ごしました。

この時はまだ、コンディション不良で入りが遅れたから、しっかり準備して入ればちゃんと結果は出るはずだということを疑いもしませんでした。そこから、これまで通りしっかりとトレーニングして初めての高森キャンプも無事完走し完璧な準備をして、自信のある状態で秋のリーグ戦に挑みました。

結果を簡単に説明すると、東大戦はなんとか抑え、慶応戦で9回2アウトから同点ホームランを浴び、立教戦でイニングが減り、耐えて、早稲田戦で人生初となるイニング途中のノックアウトを食らい、法政戦でも引きずり2度目のノックアウト。

思い出したくもありません。防御率は8点台に突入、本気で野球をやめようと思いました。ここで絶望の一年間が幕を閉じます。

どうやって立ち直ったかは覚えていませんが、そこからは0から練習しました。練習量を倍近くにし、質にもこだわって、あんまり休んだ記憶がありません。その結果4年生の春は少しだけ自信を持って投げられました。「こんなに練習したんだからそりゃもちろん良い結果だったのでしょう?」と思いますよね。しかし、一番勝ち切りたいというところで勝ち切れず、最後には足の怪我をして手術までしました。また、野球をやめたいと真剣に思いました。軌道に乗ったと思いきや、一番下まで落とされました。

こんな絶望ばかりの私の大学野球人生はいかがだったでしょうか?

さてここからは、私が野球をどうにか辞めずに踏みとどまらせてくれた人達に感謝の言葉を送りたいと思います。

まず、同期のピッチャーから

仁(4年・井上仁)

一見見た目は普通ですが、考えていることはぶっ飛んでます。そんなこと普通できないだろってこともやっちゃいます。でも、そういうところが面白くて良いところだと思うので社会に揉まれても角はピンピンのままでいてください。ありがとう。

Leo.Go(郷原怜大)

Leo.Goは基本すごく良いやつです。たまにADHDが炸裂しますが、それ以外の欠点は2つのブラックホールくらいかなって思います。郷原が決めた進路は本当に勇気のいることだったと思います。心から応援してます。ありがとう。

たかす(4年・髙須大雅)

ちょっと性格の悪さが出るところもありますが、いつも俯瞰して物事をとらえられるところはすごいなと思います。ホームランバッターはこれからも継続してください。ありがとう。

ひさんてぃー(4年・久野悠斗)

人を馬鹿にすることが生きがいのようなところはありますが、実は人情深いところがあります。冬の間は一緒に走ってみたけど、どんなに頑張っても勝てませんでした。でも、足にしか栄養が行っていないので、ひさんてぃーは上半身に栄養を、俺は全身に栄養をいきわたらせられるように、お互い頑張りましょう。ありがとう。

かずくん(4年・菱川一輝)

気がつくと「どろん」していなくなってしまうところはありますが、その肝の据わり方はすごいと思います。メンヘラ製造機とホームランバッターの両立は難しいかもしれませんが、かずくんならできると思います。ありがとう。

毛利さん(4年・毛利海大)

自信があるのかないのか分からないところがありますが、そこまで自分の世界に入りこめるのは才能だと思います。ハイタッチ魔で、ありがとう魔で、ごめんね魔、素晴らしいことです。でも、私とすれ違う時、毎回、ジェイ!と名前を呼ぶのだけは辞めて下さい。実は結構困ってます。ありがとう。

この同期の6人は個性が強くて最初は絶対全員で仲良くなることは無理だと思ってました。しかし、今、こんなに仲良くなれたことは奇跡に近いと思ってます。私が絶望している中でどうにか頑張ってこられたのはこの6人がいてこそでした。本当にありがとう。これからもよろしく。

朗さん(R6卒・石田朗)

自分から頼んで同部屋にしてもらったことを今でも覚えています。朗さんと同部屋になり色々なことを学ばせていただきました。自分も朗さんのような人間性を持てるようになりたいと思っていますが、多分、一生無理そうです。社会人になってからもごはんなど連れて行ってくださりありがとうございます。次は自分がご馳走できるように頑張ります。ありがとうございます。

両親へ

大学生活では本当に心配をかけました。近況報告の習慣がないから、聞かれないと答えない、何か欲しいときだけ連絡をするような親不孝息子ですみません。そんな私に時にはしつこくコミュニケーションを取ってくれてありがとうございます。すごく嫌な顔をして聞いていることもありますが、メンタル面やトレーニング面でこんなに参考になる話ができるのは大川家だけだと思います。ここまで意識が高く野球を続けられたのも二人の影響であることは間違いありません。これからは与えてもらった分以上のものを返せるように親孝行をしていきます。これまでありがとう。

他にも感謝を伝えたい人はたくさんいますが、書いたら切りがないので大学野球の全てが終わった時に直接お礼を言いにいきたいと思っています。

最後に

私は先述した通り、まだ大学野球では絶望しかしていません。何一つ満足していません。これから迎える秋のシーズンで最後に大学野球をして良かったと思えるように、悔いの残らないように最後まで投げ抜きたいと思います。

次はチーム最年長、ベテランの雰囲気が出始めた岡本藍士くんです。キレキレの文章に乞うご期待。