俺たちのラストシーズン──遠藤雄介(広島商)
私の天敵でもあり、共に1年間学生コーチとして切磋琢磨してきた「ダブルユウスケ」の相棒・八幡(4年・八幡優介)からバトンを受け取りました。学生コーチの遠藤雄介です。現在行われている2025年秋季リーグ戦は、大学野球での最後のリーグ戦であり、約12年間続けてきた野球人生に区切りをつけるシーズンでもあります。この「ラストシーズンブログ」では、これまで歩んできた野球人生を振り返りながら、大学4年間でお世話になった方々への感謝の気持ちを綴っていきたいと思います。
私は小学4年生の時に少年野球チームへ入団し、本格的に野球を始めました。野球を始めるきっかけとなったのは、全盛期の広島商業で1年生からレギュラーを務め、野球が大好きな祖父の存在でした。その影響で、私と祖父の「プロ野球選手になろう計画」がスタートしました。小学校から帰宅すると、ランニングをして、公園でキャッチボールとノックを受け、家に戻って素振りやティーバッティング。そんな練習を祖父とほとんど毎日欠かさず続けていました。おかげで小学6年生の頃には、エースで上位打線を打つほどチームの中心選手にまで成長することができました。今振り返ると、約12年間に及ぶ野球人生のピークは小学生時代だったのかもしれません。

中学生になった私は、硬式のシニアチームに入団しました。野球を始めてわずか3年。そんな早いタイミングで、人生初の大きな壁にぶち当たります。自信満々で臨んだ中学野球でしたが、入ってみるとチームの中では下のレベル。伸びきっていた鼻を一瞬で折られたことを、今でも鮮明に覚えています。それでも負けず嫌いの私は、現実を受け止め、必死に食らいつこうとしました。
しかし、結果はなかなか出ず、きつい練習や納得のいかない指導に嫌気が差し、次第に野球の練習が嫌いになりました。どうすれば練習を休めるかを考え、時には仮病まで使う日々__。何事にも挑戦し続ける「主人公」のつもりだった私は、人生で初めて「逃げる」ことを覚えました。
このまま中途半端な生活を続けてはいけない。そう強く思い、私はシニアチームを辞める決断をしました。最後の面談で「辞めないでくれ」と引き止めてくださった監督の優しさを押しのけ、涙ながらに自分の想いをすべて伝えて去ったあの瞬間は、今でも忘れられません。この経験から、相手が誰であっても自分の考えをはっきりと伝える力が身に着いたような気がします..。
その後、中学校の野球部に入り、またゼロから野球に取り組みました。そこで同じチームメイトになったのが、現在立教大学硬式野球部でプレーする北田大翔君です。勉強も運動も、さらには顔まで__全てが最強スペックの彼に負けまいと、必死に努力しました。結局、何ひとつ勝てなかったね(笑)大翔という、親友であり目標となる存在がいてくれたからこそ、シニアを辞めた後も全力で食らいついていけました。シニアを辞めたことへの後悔が無くなったのも大翔がいてくれたお陰です。本当にありがとう。

高校は、祖父の母校である広島商業に進学しました。理由はただひとつ、祖父と同じユニホームを着て、甲子園に出場したかったからです。
入学してすぐに待っていたのは、挨拶や返事、校歌の練習、そして、軍隊張りの集団行動。3年生が引退するまで硬式ボールを握ることはほとんどなく、久しぶりにボールを使って練習した時は「あ、俺たち野球部だったんだ」と思うほどでした。それでも耐え抜き、がむしゃらに努力を重ねた結果、2年秋には念願のベンチ入りを果たしました。しかし公式戦の出場機会は訪れず、秋季大会以降はBチームキャプテン、チームの5番手サード(多分)として走り抜けました。

野球の技術は劣っていたかもしれませんが、勉強だけは広商の中で得意な方でした。そんな私の前に現れたのが、人生を大きく変えてくださった「大櫃さん(R6卒・大櫃準也)」です。勉強と野球を両立し、広商から明治大学へ進学されたと聞いたとき、「こんなにかっこいい人がいるんだ」と心から憧れました。そこからは大櫃さんの背中を追いかけるように、野球も勉強も全力で取り組み、ついでに、生徒会長にもなりました。振り返れば、広商を選んで良かったと心から思える3年間でした。
大学に入ってからも、大櫃さんには大変お世話になりました。食事に連れていっていただき、要領が悪く真面目すぎる自分を、毎度のように叱ってくださったおかげで、少しは遊び心を持てるようになった気がします。大櫃さん、いつかぜひゴルフをご一緒させてください。そのときは手加減なしで、勝たせてもらいます!
さて、そろそろ僕の輝かしい(?)功績を聞くのも飽きてきた頃だと思いますので、ここからは大学編に入ります。
これまでの同期のラストシーズンブログでも少し触れられていましたが、私は当初、選手として明治大学硬式野球部に入ろうと考えていました。しかも“ピッチャー希望“で…。
高校3年間は野手としてプレーをし、私はあることに気付きます。「結局ピッチャーが試合の中で一番ボールに触れられて面白いよな」と。自分の投手としての能力を完全に無視し、ただ野球を純粋に楽しみたい一心で、「大学では投手で勝負する」と決めました。
しかし、高校の監督からの一言__「野手でいけ」。その瞬間、投手転向への道は閉ざされ、結果として私は内野手としてセレクションを受けることになりました。
そして、とんでもない逸話(植田くん(4年・植田颯斗)のブログに記載されてます)を残した末に、気づけば“学生コーチ”として入部することになっていました。
1年生から学生コーチを務めるという異例のスタート。正直、最初は何をすればいいのか全く分かりませんでしたが、4年生の学生コーチであった石保さん(R5卒・石保壮介)、雄大さん(R5卒・石川雄大)、島村さん(R5卒・島村遼太)、原さん(R5卒・原尚也)の優しいご指導のおかげで、少しずつ仕事を覚えていきました。
入部早々、朝練の進行を私一人に任されたり、夏の高森キャンプに帯同させていただいたりと、早い段階から貴重な経験を積ませていただきました。特に、高森キャンプ中のある日のこと。練習後、選手たちと一緒に着替えていた私に、石保さんが厳しく声をかけてくださいました。「選手たちは練習で疲れているんだから、その分、学生コーチが片付けや掃除を率先してやれ。」この言葉は、今でも心に深く残っています。それ以来、“チームのため、選手のため”という姿勢を大切に、頑張ってきました。
1年生の頃から多くの経験をさせていただき、何度も食事に連れて行ってもらいました。ありがとうございました。

2年生からは、新たに熱田さん(R6卒・熱田泰祐)、耕さん(R7卒・福嶋耕)、樂さん(R7卒・川越樂)、原しょうさん(R7卒・原將一郎)が加わり、学生コーチ5人体制で新チームがスタートします。
中でも、熱田さんの要領の良さには本当に頭が上がりません。指導者との連携を忠実に行い、何より選手からの信頼が厚い。そして、同学年の学生コーチが熱田さん一人という状況下で、1年間やり切った姿は本当に尊敬しています。学生コーチとしての在り方を、熱田さんの行動を通してたくさん学ばせていただきました。

また、私の趣味がゴルフだったこともあり、村田さん(R6卒・村田賢一)、慎之介さん(R6卒・渡部慎之介)、西川さん(R6卒・西川黎)、熱田さん、石﨑さん(R6卒・石﨑聖太郎)、きゅーとさん(R6卒・上田希由翔)__そうそうたる大御所の方々に、何度もコースに連れて行っていただきました。
2つ下の私が、こんなに偉大な先輩方と一緒に回っていいのかと恐縮しながらも、思い返せば本当に楽しい時間ばかりでした。スコアは結局、村田さんには一度も勝てませんでしたが、その他の先輩方には負けた記憶がありません(笑)いつでも、リベンジお待ちしております!


そして、私を同部屋に選んでくださった裕規さん(R6卒・森裕規)。2つ上の先輩と暮らしているとは思えないほど、自由に過ごさせていただいたのは、裕規さんの優しさそのものだと思います。
主務として膨大な仕事量を抱え、ベッドまでたどり着けないほど疲れ切っていた裕規さんを、毎晩2段ベッドの下から眺めていたあの頃が懐かしいです(2歳年下なら上から眺めるべきでしたね)。今でもお電話をくださり、気にかけてくださることが本当に嬉しく、励みになっています。これからも長いお付き合いになると思いますので、今後ともよろしくお願いします!

3年生からはAチームに帯同することになり、リーグ戦でもベンチ入りを果たしました。
リーグ戦独特の緊張感、応援の心強さ、そして選手と共に喜びを分かち合える瞬間__すべてが新鮮で、刺激的な経験でした。
春・秋ともに2位という悔しい結果に終わりましたが、「この悔しさを自分たちの代で晴らしたい」と強く思いました。
この1年間、苦楽を共にした学生コーチの耕さん、樂さん、原しょうさん。先輩方とは何度意見がぶつかったか分からないほど、本気で、本音で話し合いました。1つ下の生意気な後輩の意見に耳を傾け、正しい方向へと導いてくださったこと、本当に感謝しています。耕さんは、誰よりも責任感が強く、常にチームのことを考え、行動されていました。物事を俯瞰して捉え、自分の考えをしっかり持っている姿勢には、学ぶことばかりでした。樂さんは、業務を丁寧かつ確実にこなす頼れる先輩。独特の空気感とユーモアで、よく笑わせていただきました。そして原しょうさん__何をしていましたか?(笑)でも本当に、どんな時も選手を第一に考え、思い立ったら即行動するその姿勢には感服です。また4人で飲みに行って、ゆっくり語り合いたいです!

1年生の時、掃除場所が同じだったことをきっかけに仲良くなった江口さん(R7卒・江口陽太)。趣味が同じゴルフでたくさんご一緒させていただき、就活の相談にも何度も乗ってもらいました。おかげで、社会人になっても同じ会社で、江口さんの背中を追って働くことができます。ただ、最近はお仕事の“苦労話”ばかり聞くので、少し怖くなってます(笑)私が入社する頃には、ぜひ明るい話題で迎えてください!今後ともよろしくお願いします!
また、同じ県出身という縁もあり、練習相手としてお世話させていただきました宗山さん(R7卒・宗山塁)。私が高校2年の夏、決勝戦で見た宗山さんの華麗なプレーは今でも鮮明に覚えています。そんな方と同じチームで戦えたこと、本当に光栄でした。もしまた三次で自主トレをされるようでしたら、いつでも声をかけてください!
直井さん(R7卒・直井宏路)の優しさには、いつも心を打たれていました。野球をしている時とのギャップに驚きつつ、どんな時も気さくに声をかけてくださる直井さんが大好きです。またお会いできる機会を楽しみにしています。
そして、私と“謎のノリ”がある千葉さん(R7卒・千葉汐凱)。「今日は来ないのかな〜」と、部屋でいつも待っていました(笑)たくさんの笑いをありがとうございました!
この1年に全てを懸ける。どんな形であってもチームの勝利のために。そう心に誓い、僕たちのラストシーズンが始まりました。
新チームの発足に伴い、私は毎日2~3人の同期を集め、それぞれが感じているチームの現状や練習内容について意見を聞きました。そして、全員の意見をまとめ、指導者の方々に様々な提案を行いました。新たな試みが多かったこともあり、最初は反応もすこぶる悪かったですが、熱意が届いたのか、何とか受け入れていただけました。
私たちの意見を取り入れてくださった以上、示しがつくような行動をしなければならない。そう思った私は、時に厳しく指摘することもありました。
「注意すれば嫌われるんじゃないか」「仲が悪くなって生活しづらくなるんじゃないか」、そんな葛藤を抱えながらも、それでも言い続けました。すべては、「優勝する」ために。
一方で、これ以上誰にも嫌われたくないという気持ちから、自分の思いを押し殺し、他人に合わせていた時期もありました。でも、ある人の姿を見て、そんなことで悩む自分が馬鹿らしくなったんです。仮面をかぶった自分から卒業し、ありのままの自分で生きていいんだ、と。
「お前、変わってるな」と言われたことがある人もいると思います。でもそれは、他でもない“あなただけの長所”です。ひねくれた考えかもしれませんが、今の私は、そのくらい堂々と生きろ~!と思って生活しています。
春のリーグ戦は、自分を含め、本当に悔しい思いをしました。優勝決定戦で、みんなが必死に繋いだチャンスを自分のミスで台無しにしてしまったこと、本当に申し訳なく思っています。だからこそ、秋。なんとしてもリベンジさせてください。

ここからは、4年間大変お世話になった同期・後輩に、心から感謝を伝えたいと思います。
けーいち(4年・木本圭一)
キャプテンとしてチームを引っ張ること、1人の選手として結果を出さなければならないこと。両方を抱えて戦い抜いたこの1年間は、きっと辛いことも多かったと思います。
積極的に前に出て発言するタイプではないと分かってはいるものの、声を出してチームを引っ張ってくれたこと、本当に感謝しています。すれ違うたびに「うわっ、遠藤だ」と私と会うことを待ち望んでいたかのように嬉しそうにしている姿が、正直けっこう好きでした(笑)ありがとう。
衛藤(4年・衛藤晃太)
正直、自分も努力するのは得意な方だと思っていましたが、衛藤ほどストイックにやり続けられるのは無理です。練習後、必ず「ノックお願いします」と声をかけてくるその姿勢。様々な諸事情でお断りすることもあったけど、衛藤とのノックは本当に楽しかった。もうあの姿が見られなくなるのは寂しいけど、どんな所でも衛藤らしく努力し続けると信じています。ありがとう。
ちひろ(4年・瀨千皓)
私の人生で、こんなに面白い人に出会ったのは初めてでした。副キャプテンとして、ダメなことをダメと言えるちひろを尊敬しています。4年間、本当にたくさんバッティングピッチャーをしました。結果が出ず苦しんでいた姿を近くで見ていたからこそ、慶應戦でのあの逆転ホームランには全身鳥肌が立ちました。三塁コーチャーで泣きそうになるほど、自分のことのように嬉しかった。秋のリーグ戦も残り3カード。ちひろの一打で、また私を泣かせてください!ありがとう。
八幡
学生コーチに転身してくれて、本当にありがとう。そして、同じ立場で1年間頑張ってきたこと、心から感謝しています。私と性格は真逆で、上手くいかないことも多かったけど、俺にはない視点をたくさん持っていて、何度も助けられました。数少ない同期のゴルフ仲間として、これからも一緒にゴルフ行きましょう。ありがとう。

なかむー(4年・中村凌輔)
1年間、寮長として寮の規律を守り抜いてくれて本当にありがとう。自由な時間が制限されることも多かったと思うけど、嫌な顔ひとつせずやり遂げてくれた姿に感謝しています。また、「捕手の集い」の同期メンバーとして、行動を監視させてもらいましたが(笑)、素直に聞き入れてくれてありがとう。もうそろそろいい年だと思うから、お互いちゃんとした挨拶ができる大人になろうね。ありがとう。
久野(4年・久野悠斗)
いい加減、僕の悪口を言うのはやめてください(笑)怪我で悩むことが多かったと思うけど、1年生の頃の“化け物久野”にまた戻ってください。ありがとう。
毛利(4年・毛利海大)
マウンド上ではあれだけ闘争心むき出しなのに、普段は驚くほど繊細で気弱な毛利。そのギャップに驚きつつも、つい親のような気持ちで見守っていました。毛利さん、本当にかわいい奴です。これからもずっと抱きしめてあげます。
今の明治大学野球部に毛利なしで勝つのは難しい。そんなプレッシャーの中で結果を出せるのは本当にすごい。秋こそ、絶対に優勝しよう!そして、いつでも相談に乗るから連絡ちょうだいね。ありがとう。
宮田(4年・宮田知弥)
「まー、宮田だからな」。この一言でだいたいのことは片づく、それが宮田です。
同じ商学部として1年生の頃から一緒に過ごすことが多かったけど、「何だこいつ」と思ったことは数え切れません。それでも一緒にいたいと思えるのは、君がとんでもなく面白い人間だからです。社会人になっても、大好きなハイボールを飲みながら語りましょう。ありがとう。
植ちゃん
「うぃ〜」という奇声だけで会話が成立するのが植ちゃんです(笑)一緒にいると、なぜか自然と笑顔になってしまう、不思議な力を持っています。植ちゃんの遊び心を、私も少しは見習わなきゃと思ってます。辛い時は相談させてください。ありがとう。
いしけん(4年・石田健太朗)
この秋のリーグ戦のキーマン、データアナリスト・いしけん。どんな時も冷静で、客観的に物事を見られる頼もしすぎる存在でした。メンバー選考で悩んだ時は、とりあえずいしけんに電話…毎回的確なアドバイスをありがとう。
また、いしけんとは半年間同部屋だったけど、いつもイヤフォンを付けてたのは、俺の喋りがうるさかったからだよね(笑)ご迷惑をおかけしました。あと、久野と同じで、基本私を馬鹿にしていました。秋、必ず優勝して、直接感謝を伝えます!
ぞの(4年・中薗遼太郎)
1年生の時、コロナで短期間同部屋だったのが懐かしいね。ぞのも、いしけんと同じくスーパー頼れる男。データアナリスト1期生として、選手のために努力を重ね、今の体制を作り上げてくれたことを本当に尊敬しています。
社会人になっても“主務飯メンバー”で集まってご飯行こう!ありがとう。
大河(4年・小島大河)
来ました、大トリ。小島大河なしに、僕の大学生活は語れません。軽く3000文字は書けるけど、今回は我慢して端的に。
大河とは、お互い予定があるとき以外は基本一緒に居たような気がします。同期や後輩からは「カップル」と呼ばれるほどに。きっかけは覚えてないけど、たぶん同じ“陰キャ気質”で息が合ったからでしょう。
大河とは、関われば関わるほど、そのスケールの大きさに圧倒されました。こんなにかっこいい男、人生で初めて出会いました(※顔ではないです)。先程、お伝えした私の考え方を変えてくれた人物こそ、小島大河です。
「人間関係で悩めば悩むほど自分が追い込まれるだけ。人は3カ月で変わるから、ほっとけよ。」そんな言葉、普通は出てきません。大河はいい意味で「他人に関心がない」ので、この言葉も適当に言っただけかもしれません。基本、何を話しかけても返答は適当なので(笑)それでも、私にとっては人生の転機でした。
他にも様々なエピソードはありますが、ここまでにしておきます。
引退後はそれぞれ違う道へと進みますが、大河に負けないよう、ビジネスマンとして頑張っていくつもりです。飯は俺が奢ります。これからもよろしく。
あ、最後にひとつだけ。小島大河は基本クソガキです。大好物のプリンさえ与えておけば機嫌が良くなります。どうぞご参考に。

ここからは、後輩へ。
けーご(3年・岡田啓吾)
2年間同部屋として過ごした“お友達”のけーご。彼によく言われた言葉があります。
「遠藤さんと同部屋として生活できるのは、この野球部で俺しかいないよ。」本当にその通りだと思います。最初は、話しかけたこと全てに反応してくれたのに、気づけば無視されるように…それでも私は粘り強く、朝の「おはよう」からベッドに入る瞬間まで、毎日話しかけ続けました(笑)
けーご、私との同部屋生活は楽しかったですか?私は毎日が本当に楽しくて!忘れられない日々でした。けーごの努力は誰よりも近くで見てきたからこそ、リーグ戦でスタメンとして活躍してくれた時は本当に嬉しかった。この調子で、小島大河のようなスーパースターになってください。けーごのことを、いつまでも応援しています。本当に、ありがとう。

しゅーや(3年・友納周哉)
あんた、いつからそんな口のきき方をするようになったんかいね?最初は人見知りで物静かな子だと思っていたけど、まったくそんなことなかった(笑)いつもニコニコして駆け寄ってくるしゅーやの姿に、たくさん元気をもらいました。目標にしている「体重80キロ」、何としても早く達成して、プロ野球選手になってください。体重を増やしたい時は、ご馳走してあげるからいつでも連絡してね。ありがとう。

小島大地(3年)、田中(3年・田中陽貴)
2人は新チームの途中から学生コーチに転身してくれました。物覚えも早く、仕事のミスもない。おかげで、安心して引退を迎えられそうです。
小島は、自分軸がしっかりしていて、誰に対しても意見を明確に伝えられる素晴らしい力を持っています。私自身、何度助けられたことか。
田中は、選手の立場で物事を考え、丁寧に仕事をこなせる信頼できる存在です。特に指導者との連携をしっかり取れるので、安心して仕事を任せれました。
私たちが引退すれば、次は2人がチームを引っ張っていく番です。これまで以上に、ひとつひとつの言動や行動に責任が問われます。そのことをしっかりと自覚して、自分に厳しく行動してください。また、時には意見がぶつかることもあると思うけど、お互いを尊重する気持ちだけは絶対に忘れないように。2人で協力して頑張れば、必ずうまくいく。何かあれば、いつでも連絡してきてください。ありがとう。
捕手の集いへ
小島大河、中村凌輔、そして遠藤雄介の3人は、残り1か月ほどで引退します。
次に最高学年になる哲郎(3年・松本哲郎)、聖矢(3年・福原聖矢)、琉衣(3年・河原﨑琉衣)。あとは頼みました。最高学年として、これまで以上に「捕手の集い」を盛り上げてください。慎(2年・髙橋慎)、佐仲(2年・佐仲大輝)、愛也(2年・藤平愛也)、喜一(2年・豊田喜一)。2個下のくせに生意気だったけど、その生意気さが後輩らしくて、いろんな話をして楽しませてもらいました。中村優太(1年)、牧田(1年・牧田健吾)。来年にはさらに後輩が入ってくるので、後輩に優しく接しつつ、先輩として模範となる行動を!
みんなの成長と活躍を心から期待しています。ありがとう。

家族への感謝
両親へ
ここまでの22年間、支えてくれて本当にありがとう。
父さんに言われ続けた「東京に行け」という言葉の意味が、大学4年間を経てようやく分かりました。母さんから毎日届くLINEも、いつしか来ない日があると「今日はどうしたんだ」と少し気になったり。いつでも一番に気にかけてくれて、本当に心強かったです。俺は、ふたりを超えて、立派な社会人になることこそが一番の恩返しだと思っています。これからも温かく見守ってください。必ず、自慢の息子になります。
姉へ
「書いて」と言われたので、ちゃんと書きます(笑)璃子が東京に居てくれて、心強かったです。広島から上京してきたあの頃は、まだ野球部に入れるかどうかも分からず、大学生活への期待よりも不安の方が大きかった。その時は、璃子が俺の心の安定剤に…小さい頃は野球に全く興味がなかったのに、今ではリーグ戦のたびに応援に駆けつけてくれる弟思いの姉です。「璃子は変わってる」とよく言うけど、それは最大の褒め言葉。自慢の姉です。璃子の前で優勝できるように頑張ります。これからも応援よろしく。
長文になってしまいましたが、最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます。明日からは、優勝を手繰り寄せるための大一番・法政戦です!「一戦必勝」の気持ちで、1試合ずつ全力で戦い抜きます。引き続き、温かいご声援をよろしくお願いいたします!
次は、学生コーチの立場として、ずっと彼を推薦していました。チーム内の誰もが認める天才バッター。根はとっても優しい男、三輪拓未(4年)です!お楽しみに!
主将 


