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『僕の野球人生』vol.4 吉田 晃輝 投手

4年生特集『僕の野球人生』では、ラストシーズンを迎えた4年生に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。

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『僕の野球人生』vol.4 吉田 晃輝 投手(4年/明善)


 練習にいなくてもバレないが、オフの活動が活発すぎて怒られた東大野球部投手陣パーティー長、釣り部船長の山崎(4年/投手/渋谷幕張)からバトンを受け取りました。
 常に穏やかで怖い要素0の吉田晃輝です。

 小学4年生から始め、13年目になる野球生活をついに辞める時が来ました。学生生活の大半を費やした野球人生について頑張って書くので読んでいただけると幸いです。

 野球を始めたきっかけは実家が野球場の近くにあり、友達のほとんどが野球をしていたことでした。内川聖一選手に憧れて練習に励んだものの、残念なことに通算打率は2割を切り、アベレージヒッターにはなれませんでした。また、バントがひどく下手で、試合で失敗しまくった結果、後半はサインなしで自由にやった記憶しかありません。早くも上手くいかないことばかりでしたが、監督やコーチのご協力のもと、嫌にならずに練習を続けられたことが大学まで野球を続けるための土台になったと思います。

 中学に入り、野手じゃ通用しないと考え、投手転向を決意します。色々と考えた結果、森福投手の活躍に感化されてサイドスローにしました。早くも変則投手の爆誕です。転向後、試合を何度か壊してしまいましたが、監督が無理矢理にでも試合で投げ続けさせてくれたおかけでなんとかモノになりました。最後の夏の大会で、投げ勝ったこと、決勝で打たれて負けたこと、どちらも鮮明に覚えています。

 高校に進学すると、1年時からどんどん投げさせてもらいました。試合を重ねるごとに抑える機会が増えていき、成長を実感できてとても楽しかったです。
 ただ、コロナ禍に入り、しばらく部活ができなくなりました。半年ほど空白があり、公園でキャッチボールするだけの生活が続きました。この期間に部活が出来ていれば違う世界があったかもと思います。
 コロナによる部活動禁止期間が開けて、一個上の先輩達が引退した直後の練習試合初戦、右腕の感覚が消え去りました。すっぽ抜けた投球は右バッターのはるか背中を通りました。この時はやばい、くらいの感じでしたが、投げるに連れて右腕が出てこず、手先の制御も効かずにコントロールが死にました。抜けないように投げれば左打者の足元はるか手前でワンバンし、ストライクゾーンに真っ直ぐ向かって投げようとすると右打者の頭に抜けていく。練習ではたくさんブルペンに入って投げ込みましたが改善の見込みはなく、結局最後の夏もまともに投げられず野球人生は一度終わりました。
 1年時から試合でたくさん使っていただき、曲がりなりにも上手くいっていました。3年になったらもっとやれると思っていたのですが、何もできずに終わりました。監督、コーチの先生はなんとかしようとサポートしてくれていましたが、私は上手くいかない現状にだいぶ腐っていたと思います。面倒臭い人間ですみませんでした。

 3年夏に引退して、野球はもういいやと思い、勉強に専念しました。野球と違って才能があった勉強はたったの半年でグンと伸びて、良運もあり、東大に現役で合格しました。この期間は野球から合法的に離れていたので気楽だったなと思います。

 合格発表後に同期と久しぶりに公園でキャッチボールをする機会がありました。後ろにネットがない、暴投が許されない状況でしたが普通に投げられました。

 この時にまだやれると思ってしまいました。

 入学準備で東京に出向いた勢いでこの野球部に入部届を提出しました。
 練習合流した日、ブルペンで140km近いストレートを投げている先輩たちをみて圧倒されました。高校時代の最後に全く投手として全く活躍できなかった自分の球速は100km程度で、試合に出られるのだろうかと戦々恐々したのを覚えています。

 春はトレーニングをひたすらして体を強くするしかありませんでした。夏はB合宿にすら行けず、ずっとトレーニングをしていました。
 転機となったのは暑さのピークが過ぎ去った頃のブルペンです。スピードガンが120kmを記録しました。ようやく元の感覚を取り戻して歓喜したことを覚えています。その後、紅白戦などで多くのチャンスをいただくことができ、秋のフレッシュで神宮のマウンドに立つことができました。2年ぶりの公式戦ということで気が気ではなかったのですが、運良く無失点で切り抜けられてとても嬉しかったのを覚えています。高校の野球部OB会でも話題に上がり、遅くなってしまいましたが母校の野球部を盛り上げられたことは嬉しかったです。

 2年時は冬明けから運良くAチームにいたものの、伸び悩み、5月にBチームに落ちました。リーグ戦でもフレッシュでも全く活躍できず、何かを変えようと一念発起して野球の技術を学びに行くようになりました。投球に関して新しい知見をたくさん得た上に、自分よりも圧倒的な実力を持つ他5大学の選手たちに囲まれ、強い刺激を受けました。この人たちに練習量や知識で負けていたら試合じゃ絶対に勝てないと思い、練習に熱が入ったのを覚えています。

 2年秋はリーグ戦に擦りもしなかったのですが、フレッシュでは早稲田大学相手に勝ちを収めることができました。いつ逆転されてもおかしくない状況で持ち堪えて勝ち切れたのはいい経験でした。

 この喜びを噛み締めたまま冬に突入し、春先はAチームに戻ることができました。そのままの勢いで遂に3年春、リーグ戦デビューを果たしました。次行くかも、次行くかも、次行くかもと焦らされ続け、満塁のピンチでようやくマウンドに立ちました。無事1球で抑えて帰ってくることができ、安堵しました。たった1球しか投げていませんが、夢が叶って野球をやってきて良かったと心の底から思えた瞬間でした。両親や祖父母、友達はもちろんのこと、高校の野球部OB会も50年ぶりに卒業生が神宮の舞台に立ったということで盛り上がってくれました。多くの人が応援してくれていることを実感しました。

 ただビギナーズラックは続かず、次週の明治戦は歴代ワースト2位の記録を叩き出します。初回から明治の猛攻を受け、前回同様に次行くかも、次行くかも、次行くかも、次行くかもと焦らされながら準備し、行くぞとなった時に1イニング12失点しました。終わりです。打たれたヒットは全て単打で悉く内野の間を抜けていき、打ち取ったと思ったゴロは内野安打になり、打たれないようにと投げたら四球で地獄のような試合でした。この日を境にBチームに落ちました。

 だいぶ気持ちが沈んでいる中、林キャプテン(4年/学生コーチ/西大和学園)率いるチーム”Hobbious”で再び野球の楽しさを思い出しました。一度打たれた程度でダメな投手になったわけではない、同じように神宮を目指して努力する仲間に囲まれて夏を過ごしたおかげで夏と秋は本当に頑張れました。調子も少しずつ上向き、OP戦、紅白戦などチャンスを多くいただいて抑えられるようになっていきました。リーグ戦は出られませんでしたが、確実に成長できました。
 しかし、普通に投げられたのはこの時期が最後になってしまいました。

 冬に春合宿のメンバー選考のための実戦が始まった時、3年ぶりに懐かしくも忌まわしい感覚が再起しました。右半身が重い、腕が出てこない。球速は110kmの表示でした。秋から球速が20km以上も低下しました。冬練はしっかりと取り組んで体も鍛えたのに、、、。
 なんとかストライクは入っていたので寒いから動きにくかったのかなという希望を抱いていましたが、長崎でのキャッチボールでそんな楽なものではないことが確定しました。合宿初日の練習で見事なほど立て続けに暴投しました。
 そこからは正直試合の記憶は全くないです。監督や助監督は最後まで手を差し伸べて多くの登板機会を頂いたのですが、暴投を繰り返し大量失点。より一層投球に関して敏感に情報を集めて改善を進めていきましたが良くなることはありませんでした。昨年秋に絶対活躍してやると誓った4年春のリーグ戦は、何もできずにいつの間にか終わっていました。

 夏に入り、選手として練習するだけでなく、コーチを兼任してサポートする立場に回りました。
 実績のない先輩にアドバイスされるのは癪かもしれないと思いながらもコーチ業に励んでいましたが、素直に聞き入れて実践し、さらにアドバイスを求めてくれた後輩たち、本当にありがとう。新たな存在価値を見つけてだいぶ気楽になれました。
 昼は後輩投手の成長を見るために練習に参加し、可愛い後輩がたくさんできました。みんな間違いなくいい投手です。怪我だけはしないように、これからの練習では毎日全体のコンディショニングを入れるので順調に成長して行こうね。ようやくキャッチボールは暴投なしでできるようになったのでたくさんキャッチボールしよう。
 夜はロビーで持永(4年/投手/駒場東邦)黒武者(4年/外野手/渋谷幕張)の”いつメン”で語り合いつつ、持永を揉みました。持永、全てを託します。

 以上が野球人生の振り返りです。
 高校3年時と大学4年時、最も期待をかけられ、最も頑張りたい時期に、投手として何もできなかったこと、勝てる投手になれなかったことは、非常に悔しく、一生の心残りになると思います。本当の野球人生の終わりはそれも野球と割り切れる日が来た時だと思います。
 上手く行かないことだらけでしたが私を支えてくれた指導者の方々、キャッチボールに付き合ってくれた人たちには本当に感謝しかありません。野球をやめるタイミングはたくさんありました。その時に頑張りを支えてくれる方々がいなかったら、ここまで野球を続けることはできなかったと思います。
 この野球人生におけるすべての経験が私を成長させてくれました。支えてくれた全ての方々に感謝し、これからもその思いを胸に歩んでいきます。本当にありがとうございました。

 ここからはメッセージパートとなります。

同期へ

KM(増田/4年/投手/城北)
 投手長ありがとう。大変なこともあったけどチームが回っているのはあなたのおかげです。1年の頃からなんだかんだ1番一緒に練習した時間が長い気がします。Hobbious組としてラスト大活躍してください!

持永
 元々肩が強くて、1年の冬に投手転向してからの付き合いですが、スローテンポな会話は慣れるまで苦労しました。投手会の積極的開催に尽力してくれてありがとう。怪我が多くて苦しい期間が長かった分、最後に眩しく輝いてくれ!ロビーのいつメンとして応援しています。

やみーさん (山崎/4年/投手/渋谷幕張)
 大事な時に怪我で離脱することが多く苦労しただろうけど、この春先に腕を下げて一気にリリーフエースに飛躍したのは衝撃的でした。このチームが勝つときはドラゴンが神宮で火を吹くこと間違いなしです!引退してもメジャスピやろうな。

渡辺(4年/投手/海城)
 1年の時からすごいプレッシャーの中戦い続けて、エースとしてチームを牽引している背中は小さいけれどとても頼もしいです。神宮でもっと勝とう!

大越(R6卒)
 T1の時はありがとう。あなたの作詞の才は本物です。定期的に代表曲である”明日の風に乗って”を聞いて励ましてもらいました。また投手会をしましょう。

吉田班の後輩たちへ
 中々芽が出なくて苦しんでいる人ばかりだけど、みんなそれぞれ投手として武器となる個性を持っています。自分の個性、強みを日々の練習で磨いていってください!あと少しの期間だけどコーチとして伴走します。神宮で活躍することを目指して頑張っていこう!引退しても応援し続けます!

垣田(3年/投手/高卒認定試験)花村(3年/投手/開成)
 怪我で中々元気に投げ続けられないし、投げられるようになったとしても思うように行かずに苦しんでいる最中だと思う。2人とも持っているポテンシャルは随一だと思う。周りの人間もそう確信している。だからどんなに上手く行かなくてもその可能性を信じ切って踏ん張って頑張ってほしい。あと1年で想像もできないほどに大化けしてください!なんか困ったことがあったらいつでも連絡してきてください。ご飯行こう!

岡林(3年/外野手/土佐)
 2年間同じ寮で過ごして、夕飯の時はよくアニメの話をして盛り上がったな。ちゃんと朝食は食べるようにしてください。夜更かしも控えてしっかり寝ましょう。これからも定例会は開くので、選手として成長したという報告を楽しみにしています。神宮で鋭いパンチを炸裂させてスタンドにたくさん放り込んでください!

最後に両親、祖父母へ
 13年間支えてくれてありがとう。平日は仕事、土日は野球と休む暇がなかったと思うけど常に応援してくれて本当にありがとう。野球は本当にお金がかかるスポーツで、道具などたくさん必要なものを不自由がないようにと揃えてくれてありがとう。結局活躍しているところを見せられなくてごめん。でも、この野球人生は決して悪いものじゃなかったからこの道を選んだことは後悔していません。すべての選択を後押ししてくれてありがとう。おかげでいろんなことに迷わず挑戦してこられました。
 勉強しに東大に行ったかと思ったら野球しかしていませんでした。ストレートで卒業できそうなので許してください。

 最後まで読んでいただきありがとうございました。

 次回は、インターネット上ではゴリゴリ陽キャ、少年心を忘れない、我々のエース渡辺くんが書いてくれます。彼の文才にネットがざわつくことでしょう。乞うご期待!!!


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次回は明日9/29(月)、渡辺向輝投手を予定しております。