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『僕の野球人生』vol.8 井之口 晃治 内野手

4年生特集『僕の野球人生』では、ラストシーズンを迎えた4年生に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。

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『僕の野球人生』vol.8 井之口 晃治 内野手(4年/ラ・サール)


 顔と性格以外似ているとはどういうことでしょうか。「げ」の愛称でみんなに愛される青貝(4年/内野手/攻玉社)から回ってきました。彼は3年間天空の城ラピュタで生活していたのでこの先どこでも生きていけるでしょう。

 九州愛が止まらない、佐賀県出身の井之口晃治です。


 野球と出会ったのは小学校1年生のときでした。非常に内気な性格で友達もできないことを心配した親が、スポーツをやってみてはどうかと提案しました。50人いた同級生のうち10人以上がサッカー部に入っていたため、自分もサッカー部に入りたいと思いました。

 しかし、サッカー部は週4回の練習があり、佐賀市内でも強豪チームだったため、親はついていけなくなることを心配し、代わりに「ちびっ子野球」を提案しました。

 ちびっ子野球は小学校の野球部の下部組織のような立ち位置で、練習は土曜日の午前中だけでとても緩いチームでした。親に半強制的に行かされた体験練習は本当につまらないものでした。その後もサッカーをやりたいのになと思いながら練習に連れて行かれました。

 しかし、嫌々練習に参加する中でもチームメイトと仲良くなったり、コーチに褒められたりするうちに野球が楽しくなり、のめり込んでいきました。テレビをつけるとよくホークス戦をやっていたことも要因の1つだったと思います。本多雄一選手が好きになってから左打ちにしたり、内野手に憧れるようになりました。3年生の秋には小学校の正規の野球部である勧興少年に入りました。このチームは決して強いチームではありませんでしたが、野球を基本からしっかり教えてくれるチームでした。またチームメイトは学年関係なくとても仲が良く、このチームだからこそ野球が好きになったのだと思います。このチームで野球ができたことは大きな財産であり、そのおかげで今も野球を続けられていると思います。


 中学はラ・サール中に進学することになりました。中3の最後の大会の前の日の練習で突然投げ方が分からなくなりました。少し早めのイップスとの出会いでした。


 高校もそのままラ・サール高校に進学しました。高2冬にはセンバツ出場が決まっていた鹿児島城西高校と合同練習させていただく機会があり、打撃も守備もそこそこ通用したことに自信を覚えたのと同時に彼らとの差を痛感しました。これを機に「自分は高いレベルの中でどのくらいやれるのだろうか」ということを考え始め、六大学でのプレーに憧れて東大野球部を意識し始めました。

 春になるとコロナで休校になり、夏の代替大会では鹿児島実業に0-9でコールド負けしました。チームとしても個人としても何もできず、あまりにも不完全燃焼でした。もっと上手くなって強豪校にリベンジする、東大野球部に入る、と決意を固めました。

 現役では合格できませんでしたが、浪人中も東大の応援歌を聞いたり、先輩の「ぼくじん」を読んだりして自らを奮い立たせながらなんとか合格しました。


 大学入学時は2年生でベンチ入りしている人があまりいなかったため、なんとなく3年でベンチ入り、4年でレギュラーを取れたらいいななんて考えていました。

 自分にとって東大野球部の環境は天国のようなものでした。みんなめちゃくちゃ野球が好きで練習するし、野球について色々なことを考えているしで、野球漬けのとても刺激的な日々でした。また球場近くで一人暮らしをしていたこともあり、同じく家が近かった臼井(4年/学生コーチ/静岡)工藤(4年/内野手/市川)とよく夜の室内練習場で練習していました。特に臼井は深夜までずっとバッティングをしていて(近所迷惑)、負けられないと思って一生懸命練習していた記憶があります。

 夏休みはAの遠軽合宿メンバー決めのシートBTに呼ばれることなくBの室蘭合宿に行きました。冷房のないだだっ広い1人部屋、球場まで40分歩いている間色んなテーマでやった山手線ゲーム、練習後砂浜に行ってビデオ検証までするほどガチで戦ったビーチフラッグ、最後の夜往復2時間半くらい歩いて見に行った室蘭の工場の夜景、すべてが楽しいものでした。もちろん野球の練習もしっかり行い、合宿後のオープン戦ではたくさんの経験を積ませていただきました。

 秋のフレッシュではレギュラー争いをすることができ、ショートのポジションを青貝と争っていました。上投げの渡辺(4年/投手/海城)からホームランを打つなどいいアピールはできていましたが、フレッシュ前最後のオープン戦でヒットを打てず、青貝がスタメンを取りました。初戦の慶應戦はボコボコに打ちまくるチームメイトをただベンチから感心しながら見るだけでした。3戦目の法政戦は経験を積ませるという趣旨のもとスタメン出場しました。結果を残すことはできませんでしたが、神宮でのプレーをイメージして冬の間練習に励むことができました。


 新チームではスタートからAチームに定着することができました。鹿児島合宿を経てリーグ戦ではベンチ入りを果たしました。想定より早いベンチ入りを素直に喜んでいた記憶もあります。

 リーグ戦が終わり、2年春のフレッシュがやってきました。9番セカンドでスタメン出場した明治戦、中山(4年/外野手/宇都宮)の3点タイムリー、渡辺の力投で終盤までリードしていました。しかし、ピンチでライナーを捕ることができず、引き分けてしまいました。タレント揃いの明治相手に勝てそうだった試合を自分がぶち壊してしまった、評価されていたはずの守備もこんなものか、悔しくてたまりませんでした。

 リーグ戦が終わったタイミングで守備固めとして試合に出ていた秀島さん(R6卒)が学生コーチになりました。同じ枠で自分より序列が高かったライバルが消えたことはチャンスであると同時に、自分が秀島さんが担っていた役割を全うしなければならないということを意味しており、身が引き締まりました。秀島さんから受け継いだ4番のユニフォームは自分にとっては重いものでした。

 夏の期間必死に守備練習をしました。遠軽でもノックを受けまくり、夏のオープン戦はノーエラーで完走できました。ショートをメインにセカンド、サードも守り、首脳陣の方々からも信頼されているように感じていました。サヨナラホームランを打ったり、七大戦でもホームランが出たりと打撃も特別悪いわけではなかったと思いますが、立ち位置としては青貝に代打が出た後のショート2枚目という状況でした。

 リーグ戦が開幕し、運良く全試合に出させていただきました。2年秋のシーズン、自分にとって非常に大きな経験をすることができました。法政2回戦では勝利を収め、ゲームセットの瞬間をグラウンドで迎えることができました。秋の神宮を照らすナイター照明、松岡さん(R6卒)の気迫の投球、1球、1アウトごとに大きくなっていく球場全体からの歓声、すべてが心を大きく揺さぶるものであり、この瞬間のために東大野球部に入ったんだ、と強く思える瞬間でした。再びこの興奮を味わうためにこれからも頑張ろうと心に誓いました。

 また最終戦の後、永田さん(R6卒)に「お前がいてくれて本当に助かった」とユーティリティプレーヤーとしてはこの上なく嬉しい言葉をかけていただきました。リーグ戦中は色々なポジションで準備することは容易なことではないと感じていましたが、この言葉でやりがいに感じることができ、また報われたような気がしました。

 フレッシュ直前にインフルエンザになり、最後のフレッシュはほとんど出ることができず悔しい思いもしましたが、早稲田に勝ったり、静岡のオータムフレッシュでは筑波大にサヨナラ勝ちしたりと全体的に見るといいシーズンだったように感じます。


 守備にはある程度自信を持てるようになり、あとは打てるようになればレギュラーをとれるのではないかと考え、打撃改造に着手しました。この頃からバットのヘッドがピッチャーを向くようになりました。2月にシートBTが始まりしばらくはヒットを量産していましたが、鹿児島合宿を経てだんだんいつものような成績に落ち着いてきました。結局3年春のリーグ戦はサード、ショートのバックアップという形で迎えました。

 開幕するとチームは守備に課題を抱えていました。そんな中最終節の立教戦でショートでスタメン起用されました。そのときは守備の状態が非常に良く、どこに来てもアウトにできる気がしていたし、どんな体勢からでもストライク送球を投げられる気がしていました。結局2試合通して守備では大きく貢献できたと思います。しかし打撃ではチャンスで凡退を重ね実力不足を痛感しました。

 いよいよ打撃力向上が目下の急務となりました。リーグ戦が終わってもスタメン起用は続きました。6月末の京都大学との双青戦ではチャンスで決勝タイムリーを打つことができ、いい調子で成長できていると感じていました。

 遠軽合宿が終わると名古屋での七大戦が待っていました。初戦の北大戦が暗闇への入り口となりました。チームとしても優勝して当然だと思っていた中でのコールド負け、個人としてもプレイボールの打球をエラーしてしまいました。ここからその後のオープン戦でもエラーを重ねてしまいました。ノックの本数を増やしても増やしても止まらないエラー、何が起きているか分かりませんでした。それでも打撃の方はそこまで悪くはなく、オープン戦でちょこちょこヒットも出ていました。

 3年秋のリーグ戦は開幕ショートスタメンで迎えました。まだ厳しい暑さが残る早稲田戦、守備も打撃も何もすることができず0-20、1-12の惨敗。絶望しかありませんでした。この先4カード勝利はおろかまともな戦いをできるのか、個人としても守備は相変わらず低調のままで調子のよかった打撃もすっかり元通り、光なんて全く見えませんでした。次週の明治戦のショートには小村(3年/内野手/私立武蔵)の名前がありました。情けないことに悔しさよりも先に安堵感を覚えました。先が見えないチーム状況の責任から解放されたとでも思っていたのでしょうか。秋のリーグ戦、残りの試合は全試合小村がスタメンで出ました。自分がどうしようもない状況のときにチームを救ってくれた小村には感謝しています。

 チームはシーズン2勝しました。もちろん嬉しかったです。しかし2年秋で味わった勝利とは感じ方が違っていました。この2勝に自分の力は一切絡んでいません。どこか蚊帳の外に置かれているような気分でした。そうこうしているうちに秋のリーグ戦が終わり、4年生が引退しました。


 最終学年になり、内野手長に就任しました。どのようなことを課題に感じているかを学年関係なくこまめに聞き、内野手全体として上達できるように毎日一生懸命取り組みました。冬の間様々な練習を経て多少は上手になっている気がしていました。

 諫早合宿に行き、オープン戦の日々が始まりました。KMGホールディングスとの試合で暴投しました。守っている時の落ち着かなさは3年夏秋と変わっていませんでした。

 3/7横浜高校との試合です。世間的にかなり注目された一戦で東大球場には見たこともないくらいお客さんが入っていました。この試合で数えきれないほどのミスを犯しました。投げるときにどこを狙えばいいかわからない、きちんと相手のもとにボールが行くイメージがつかないという状況でした。また、球場を埋め尽くすお客さんからの聞いたことのないほど大きなため息、試合後のミーティングで「お前のせいだ」と言わんばかりの哀れみ、蔑みの混じった視線、それらは自分をトラウマに陥れるには十分でした。(その名残で今でも試合前後のミーティングはあまりみんなの顔は見れません。)

 さすがに堪えました。野球なんてやめてしまいたいと思いました。そんな中、前年同じ背番号を背負っていた芳野さん(R7卒)からLINEが来ました。

「今チームどんな雰囲気なんかとかは知らんねんけど、とにかく井之口の背番号8がかっこよすぎたのと野球めっちゃしたくなったからそれ伝えたかった」

「ナイスヒット」

「結果はそりゃ出たほうがいいけど頑張ってるだけでめちゃくちゃ価値あるよ」

「野球頑張れよ楽しめよ」

 涙が止まりませんでした。立ち上がる勇気をくれました。

 でもすぐに上手くいくほど野球は簡単ではありませんでした。来る日も来る日も試合や練習に行ってはうまくいかず、ひたすら心をへし折られる毎日。朝球場に行って今日も頑張ろうというみんなの顔を見て吐きそうになってトイレに駆け込んだ日もありました。昔は常に練習していたいと思うほど大好きだった野球は、忌まわしくて仕方ないものになっていました。

 去年の夏から全く成長がない、打てない、守れない、走れない、こんな4年生がAチームの1枠、A戦の1枠を占めているのは無駄だ、そのくらいなら機会がなかなかなくAに上がれていなかった下級生の小田(2年/内野手/海城)孝太(荒井孝太/2年/内野手/西大和学園)らに道を譲った方が良いのではないか、そんなことも考えていました。

 次ダメだったらもうやめようと自分の中で決めました。そこからなんとか耐えながら毎日やっているうちに4年春のシーズンが開幕し、ベンチから戦況を見つめていました。空き週の横浜国立大学戦で考えられないようなミスをしました。打席でももう無理だと考えているうちに散々な結果で終わりました。

 試合が終わって石井(4年/学生コーチ/仙台二)の家に行き、学生コーチになろうと思っていることを打ち明けました。

 断られました。

 学生コーチとしてより、選手としての方がチームに貢献できる。それは間違いない。選手として頑張り続けるのは大変かもしれないけどまだ頑張ってほしい。

 2年生の頃学生コーチを決めるときに、まだ選手を続けたい、このままでは終われない、と打ち明けてくれた石井にそう言われました。自分はまだ選手として続けられている、さらにまだ戦力として考えてくれる人がいる、それは当たり前ではなくこの上なく幸せなことであるということにようやく気付きました。

 ゴールより出口を急いでいた自分の考えを改め、毎日置かれている環境に感謝しながら過ごそうと心がけました。そうすると不思議なことに打球はグラブに収まるようになり、ボールはバットの芯に当たるようになっていきました。

 法政1回戦の帰りのバスで急に翌日スタメンが決まりました。やってやろうと燃えました。1ヶ月前までの自分なら不安で押し潰されそうになっていたと思います。この時はとにかく起用してくれた首脳陣の方々の期待に応えようという気持ちでいっぱいでした。

 第1打席でヒットが出ました。ベンチもスタンドもみんなが喜んでくれました。こんなにも自分のことを応援してくれて、自分の活躍を喜んでくれる人がいるのかと気付かされました。あの光景は一生忘れないと思います。野球を諦めなくてよかったと心から思いました。

 リーグ戦が終わってからは毎週末のオープン戦に怯えながらもそこで結果を出そうと、最高の準備をしてきました。ヒットを打ったり守備でいいプレーをするたびに「ナイバッチ」「ナイスプレー」とみんながかけてくれるひとつひとつの言葉が嬉しくて、気がつけば大嫌いになっていた野球がまた好きになっていました。


 色々な経験をしてこのチームに立ち止まっている人なんていないと気付きました。みんなそれぞれ苦しい思いをすることはあるけど、それでも壁を打ち破ろうと努力している。ちょっとしたことで野球から逃げようとした自分は情けなかったなと思います。よく悩みを語り合っていたけど今では打ちまくる工藤(4年/内野手/市川)、怪我から復帰して元気に野球しているだけで泣けてくる榎本(4年/外野手/渋谷幕張)、不屈の精神でアピールを重ねる持永(4年/投手/駒場東邦)、どんな時も前を向いてチームを引っ張る最強のキャプテン杉浦(4年/捕手/湘南)、頼りになりすぎる中山、彼がいてくれたおかげで成長できた相棒・青貝、苦しい時間が続いても頑張り続ける堀部(3年/内野手/県立船橋)、攻守で躍動する小村、秋元(2年/内野手/市川)樋口(2年/内野手/海城)、声を出してチームを盛り上げてくれる門田(3年/内野手/松山東)横井(2年/内野手/市立向陽)、先日のA戦で輝いていた石川(3年/内野手/灘)、小田、千慈(阿部/1年/内野手/仙台二)、いずれベストナインをとると勝手に思っている亜斗夢(大沼亜斗夢/1年/内野手/日比谷)、書き出すとキリがありませんが、みんなの活躍が心の底から嬉しいです。尊敬できるみんなに囲まれて野球ができること自体が幸せだと感じています。そんなみんなに負けないように毎日ベストを尽くしてまだまだ上手くなれるように頑張ろうと思います。


 でもこのままでは野球人生終われません。

 最後にこの最高のメンバーで勝ち点を獲って最高の景色を見よう。



 今までの野球人生でたくさんの方に支えていただきました。感謝を伝えたいと思います。

両親へ
 何かとお金がかかる野球を何不自由なくやらせてくれてありがとう。「調子はどうね?」と聞かれても「ぼちぼち」しか返さない無愛想な息子だったけれど、両親の支え、応援がなければ大学生まで野球を続けることはできなかったと思います。感謝してもしきれません。初ヒットを2人の目の前で打てて嬉しかったです。もう少し活躍しているところを見せられるように頑張ります。

監督、助監督、西山さん
 ずっと期待していただきながら思わしい成績を残すことができず、申し訳ありません。1年冬、ノックで毎球監督からありがたい助言をいただいたことも記憶に新しいです。ありがとうございました。

荒井さん、栗山さん
 お二方には色々なことを教えていただきました。栗山さんとは他愛もない会話もしました。ありがとうございました。

応援部の皆さん
 応援席を見上げるたびに勇気が湧いてきます。また、どんな状況でも本気で勝利を信じて全力で応援してくれる皆さんのことを心から尊敬しています。ありがとうございます。一緒に勝ち点獲ろう。

先輩方へ
 たくさんお世話になりました。特に4年生になってからは神宮で毎回「応援してるから」と声をかけてくれたり、ご飯に誘ってくれたり、頑張る活力になっていました。頑張ります。

同期へ
 やっぱり同期の活躍が何よりも嬉しいです。今考えると1年生のときの強さはかなりのものだったと思います。この代で勝ち点獲ろう。

後輩へ
 情けない先輩だったかもしれないけど、慕ってくれて嬉しかったです。みんなリーグ戦で大活躍できると思うから、苦しいことがあっても諦めずに頑張れ!

高校・大学野球部OBの皆さん
 リーグ戦前とリーグ戦後に毎回ご飯に連れて行ってくださりありがとうございました。有馬さん(H17卒)超えという目標は大山(2年/捕手/ラ・サール)に達成してもらおうと思います。

MTX植松さん、ハバナトレーナーズルーム石原さん
 野球について全然分かっていませんでしたが、色々なことを教えていただいて練習する上で道標ができました。また、毎回お話するのも楽しくモチベーションが向上していました。ありがとうございました。

中溝監督はじめ勧興少年のコーチの方々
 野球が大好きな皆さんのおかげで大学まで野球を続けることができました。グラブを跨がないなど教えていただいた野球人としての姿勢は今でも守るようにしています。

日吉山王水谷監督、平嶋コーチ
 なかなか勝てなかったけど山王でやる野球も楽しかった記憶があります。平嶋コーチには息子さんが卒業した後も指導をしていただきとても感謝しています。

中学竹脇先生、黒岩先生
 期待されていながら大した活躍もできなくてすみませんでした。中学でキャプテンを任せていただき、色々な指導をしていただいたことが今も生きています。

高校西田先生、白澤先生
 1年から試合に出していただき様々な経験をすることができました。中3の頃西田先生に付き合っていただいた基礎練のおかげで守備の土台ができました。引退したら合宿などに顔を出そうと思います。


 他にもたくさんの方々に支えてもらいました。会うたびに「本当に応援してるから。頑張れ。」という声をかけてくださり、力になりました。


 次は榎本です。彼とバッティングをするといつも「先打っていいよ」と言って譲り合いになります。優しくてアツい我らが寮長エニーのぼくじんにご注目ください!


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次回は明日10/3(金)、榎本吉伸外野手を予定しております。

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