【僕たちが歩んだ4年間】①~飯島周良~
本日より、4年生36名が、早稲田大学野球部で過ごした4年間を振り返る「僕たちが歩んだ4年間」を投稿します。
1人目は、飯島周良(学トレ・教育・早大本庄)です。

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秋のリーグ戦が始まり、大学野球生活も残り2ヶ月ほどとなりました。4年間を振り返ると色々なことがあり、内容の濃すぎる4年間になりました。私の4年間の大学野球を表すのに最も適した言葉は「激動」だと思います。これから私の、選手の引退や怪我の連続の「激動」の4年間と、感謝の気持ちを書いていこうと思うので、拙い文書だと思いますが読んでいただけたら幸いです。
1年生
練習初日に安部球場に行くと、早速早稲田大学野球部の洗礼を浴びることになりました。自転車で球場に着くと、たまたま早大本庄の先輩がいたので自転車に跨ったまま挨拶しました。すると学生コーチの肥田さん(肥田尚弥・R6卒)が通りかかり、自転車を降りて挨拶をすることを教えてくださいました。ほとんど上下関係のない高校から来た私にとって、これが早稲田大学野球部の厳しさを知る最初の出来事です。プレー面では、シートノックを見てこの野球部のレベルの高さを目の当たりにしました。特に内野手の持ち替えの速さを見て、とんでもないところに来たと感じたのを覚えています。そんなレベルの高い集団の中で私はキャッチャーをしていましたが、肩が痛すぎて2塁送球がノーバンで届きませんでした。全員強肩の中、私だけワンバンでセカンドに投げていて、とても恥ずかしい気持ちになりました。入部1か月後にはドアを開けるのも痛いぐらいに右肩が限界を迎え、怪我人リスト入りすることになりました。復帰をしたのが11月頃なので、約半年野球をすることが出来ずやるせない気持ちでいました。
2年生
2年生になると肩の負担の少ないファーストに転向しました。しかし怪我から復帰して3ヶ月後には、ノック中にアンツーカーの切れ目に左足が刺さり、靭帯を損傷して再び怪我人生活が始まりました。この怪我は復帰に5ヶ月ほどかかり、下級生の頃はほとんど野球ができませんでした。当時、ファーストアンツーカーの整備担当だった森田(森田丈士・4年・内・人間・土佐塾)がめちゃくちゃ謝罪してくれましたが、自分の実力不足なので心配しないで欲しかったです。足の怪我から復帰すると、今度は送球イップスになりました。肘から先の感覚が全くなく、ファーストからのゲッツーでセンターに放ってしまうぐらい重症でした。この辺から、選手よりスタッフの方がチームに貢献できるのではないかと考え始めました。
3年生
3年生になり、怪我でチームに何も貢献出来ていないと感じて、学生トレーナーに転身することを決めました。トレーナーとしての活動を通じてチームへの貢献を実感し、今まで上に大学野球生活を楽しむことが出来ました。春秋連覇したチームに近くで携わることが出来て幸せでした。

写真中央から右回りに 成瀬かおり(4年・マネ・スポ・千種)、飯島、冨田大地(4年・学コ・スポ・日立一)、井上彩希(4年・マネ・スポ・金沢泉丘)、大西創志(4年・学コ・人間・城北)、北嶋晴輝(4年・マネ・スポ・早稲田佐賀)
4年生
最高学年となり、3連覇のかかるシーズンが始まりました。冬期間、浦添キャンプを乗り越えて春のリーグ戦で優勝することができ、3連覇を達成しました。私はリーグ戦中ベンチ裏にいるのですが、同期の頑張りを見ていたので、苦しんでいたタム(田村康介・4年・内・商・早大学院)や瑞樹(吉田瑞樹・4年・捕・スポ・浦和学院)がホームランを打った時にうるっと来たのはここだけの話です。リーグ戦を戦っていく中で成長していき、ほんとに頼もしいチームになったと思います。自分たちの代で優勝出来て、トレーナーになって本当に良かったと思いました。秋も優勝して4連覇しよう。

これまでの4年間は自分にとっては本当に「激動」なるものでした。ここに記したものは、そんな「激動」の一部で、ここには書ききれない程のみんなとの思い出があります。早稲田の洗礼を食らった1年生ラン、補助と朝準備で喧嘩した日も怒られた日も少なくありませんでした。練習後にご飯を食べに行ったことや、オフの日に遊びに行ったことキャンプなど、どんなささいなことでも自分にとって最高の宝物です。本当に4年間ありがとう!
これまで自分の思い出を書いてきましたが、これから感謝の気持ちを述べていこうと思います。
晴輝と風希へ
この4年間で特に自分が感謝しているのは晴輝と風希(黒嶋風希・4年・内・教育・佐賀西)です。2人は自分が部を辞めようと思うぐらい落ち込んでいた時、私の家まで来て慰めてくれました。晴輝はトレーナーになる時も相談に乗ってくれて、ほんとに頼りになる主務だと思います。風希は授業が全部一緒で、部活以外もたくさんの時間を共にしました。2人で買い物したりドライブしたりディズニーに行ったりするまで仲良くなれて、風希のおかげで楽しい大学生活を送ることが出来ました。2人とも本当にありがとう!

写真左から 黒嶋、飯島
4年生へ
他にも周平(小澤周平・4年・内・スポ・健大高崎)、瑞樹、健伸(前田健伸・4年・内・商・大阪桐蔭)、裕平(伊藤裕平・4年・投・人間・水沢)たちと釣りに行ったり、なかじ(中島稜太・4年・学コ・人間・桐朋)と2人でたなこん(田無紺碧寮)で語り合ったこともいい思い出です。同期のみんな本当にありがとう!大好きです!

写真左から 小澤、飯島、吉田、前田健
3年生へ
必ず4連覇するので、5連覇できるように頑張ってください。3年生は仲良くしてくれる人が多くて同期と同じぐらい大好きです。ありがとう。
両親へ
まず始めに小学校3年生から大学4年生までの期間、野球をやらせてくれてありがとうございます。寮生活を通じて2人の偉大さに気付くことが出来ました。少年野球の頃、お父さんはどんなに疲れていても、グローブを持って玄関で待ち構える私に付き合ってくれました。社会人になったら、お父さんのような寛大で包容力のある男になります。
お母さんはどんなに疲れていても家事を完璧にしてくれました。大学生になり、寮に帰って自分で洗濯や料理をするのは凄く面倒臭く感じましたが、それを当たり前にしていてほんとに偉大さを感じました。お母さんのような他人を思える優しくて強い男になります。
ここまで長々と書きましたが、読んでいただきありがとうございました。長い歴史を持ち、学生野球を引っ張る早稲田の野球部に入部し、早稲田の学生として、学生野球をする身分としてどうあるべきかを学ぶことができたこの4年間、そして「激動」の大学野球生活を共に過ごした115期のみんなを私は誇りに思います。
チームは東大戦を終え、これから勝負の立教戦が始まります。チームが4連覇をするために、自分の力を使い果たして貢献していきます。