フリーパス付きアプリ 2025年度版 販売中!
BIG6 BLOG LEAGUE

早稲田大学
野球部ブログ

主将 小澤 周平
  • TOP
  • 【僕たちが歩んだ4年間】⑥~伊藤裕平~

【僕たちが歩んだ4年間】⑥~伊藤裕平~

6人目は、伊藤裕平(投・人間・水沢)です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こんにちは。岩手県立水沢高等学校出身で、投手をしております伊藤裕平です。
引退投稿の締め切りと卒業論文の第1締切日が被ってしまい、数々の思い出にしんみりと浸っている余裕はないですが、一旦卒論のことは忘れて、4年間の道のりと感謝の言葉を綴っていこうと思います。

私の4年間は、朝準備中に同期の依田くん(依田塁・4年・投・文・早大本庄)とマウンド上で拳を交わしたことから始まります。朝準備とは、1年生が1年間朝6時からグラウンドで練習の準備や清掃を行うものです。ちなみに私は楽職(楽な仕事の通称)とされていたバックネット裏の観覧席の環境整備を担当していました(楽だと思われていましたが、落ち葉を掃くだけで1時間かかります!全然楽じゃないです!)。そんな朝準備はいわゆる雑用で誰もがやりたいはずもなく、仕事の分担などでよくトラブルが発生してしまいます。ある日、いつもの通り観覧席の清掃を行っていると、マウンドの整備を担当していた依田からマウンド整備を手伝って欲しいとお願いされました。同じく観覧席を担当していた成瀬(成瀬かおり・4年・マネ・スポ・千種)に手伝いに行ってよいか確認をとっていたところ、依田から「楽職なんだから手伝うの当たり前だろ!」と強めの口調で言われました。それに怒りを覚えた私はムキになって反論してしまい、その後手伝いに行ったマウンド上で乱闘騒ぎに発展してしまいました。(載せることのできない数々の暴挙のため詳細は割愛させていただきます。また、依田くんのご親族の方が見ていましたら、その節は本当に申し訳ございませんでした。現在は仲良くやっており、2人の笑い話となっております。ご心配なさらないでください。)また、私自身の朝準備ミスで、2年生の先輩方を朝準備に出動させてしまうという大罪を犯してしまったこともあります。114期の先輩方、その節は大変申し訳ございませんでした。失敗をするたびに反省を繰り返しました。日々怒られ反省し、伝統の1年生ランなどもあり、体力的にも精神的にも非常に辛い毎日でした。そんな中、フレッシュトーナメントに登板させていただいたことが嬉しい記憶です。登板前のブルペンでは、緊張から1球もストライクが入りませんでした。しかし、いざマウンドに上がってバックスクリーン側を向いたときの神宮球場の景色は絶景で、こんなところで投げられるのかと緊張が吹き飛び、無失点で抑えることができました。早くAチームに上がり、絶対にリーグ戦での神宮のマウンドに上がりたいと心の底から思えた瞬間でした。
2年生の時も、プレーの場はフレッシュトーナメントでした。フレッシュトーナメントでアピールしてAチームに上がるため、練習もより一層質を上げて臨んでいました。しかし、制球を乱して降板し、結果を残すことができませんでした。Aチームには1年を通して上がることはできませんでした。Aチームに上がると意気込んでいただけに、本気で悔しかったです。期待して送り出してくださった高校の監督さんやコーチ、地元の友人の顔が思い浮かび、この頃から焦りを感じるようになりました。

3年生の春、2年時に全く結果を残せなかった自分ですが、2月の実戦で結果を残し、浦添キャンプのメンバーに選出していただきました。複数与えていただいた実戦の機会で安定して打者を抑えていましたが、最後の最後の実戦でまたも制球を乱し、Bチームへの降格を告げられてしまいました。この頃より、2年時から尾を引いていた制球難と戦うようになります。自分に残された時間が短くなるにつれて、さらに焦りが強くなりました。その焦りが自分自身を突き動かし、練習にさらに熱を入れ、課題を克服すべく試行錯誤を繰り返しました。しかし結局、最後まで制球難を克服できず、4年時もAチームにあげていただきましたが結果を残せず、リーグ戦での神宮球場のマウンドに上がることはできませんでした。
最後まで同じ課題を克服できず、目標を達成できなかった自分は非常に情けないと痛感しています。中学生の時に、地元の先輩が早慶戦に出場しているのを見て、神宮のマウンドを野球人生のゴールに置いて野球をしてきたからこそ、自分の道のりに後悔しかありません。今になって思うのは、与えられたチャンスを掴み取れる者と掴み取れない者では大きな差があります。自分の制球難は、ストライクを入れなければという弱気な心で実践に臨み、腕を振れていなかったことが最初の原因だったと思います。チャンスを掴み取った同期はそんな思いでやっていません。2年秋の早慶戦でいきなりレギュラーで出場し、ファインプレーを連発した田村(田村康介・4年・内・商・早大学院)は「初めてで失敗するのは当たり前なんだから、なんの気なくやってたよ」と平然と言っていました。ちょっと悪いことがあるとすぐに精神が滅入ってしまう田村でも、大観衆の中そんなメンタルでやっていたのです。無名の存在で、スポーツ推薦で入学した選手たちに食らい付いていかなければならない自分が弱気では、勝てるはずがありません。これから社会人になりますが、仕事などにおいても、ここぞのチャンスを掴まなければいけない勝負どころが必ずやってくると思います。そんな時に、早稲田での4年間を経験したからこそ、「アグレッシブな気持ちでチャンスを掴み取れた」と言えるような大人になっていきたいと思います。
悔しい経験の多い4年間で幕を閉じた野球人生ですが、なぜか悲しい気持ちだけではありません。それはたくさんの方々との「ご縁」に恵まれ、出会いと支えが自分の財産になったからだと思います。最高に嬉しい気持ちと最高に悔しい気持ちが入り混じった、ここでしか味わえない不思議な感情です。最後に、私の野球人生を支えてきてくださった方々への感謝の気持ちを綴ろうと思います。

投手陣のみんなへ
自分自身が成長できたのは、この投手陣だったからです。特に冨田(冨田大地・4年・学コ・スポ・日立一)は、選手を辞めて学生コーチになるという選択を引き受けてくれて非常に感謝しています。個性派揃いで幼稚な投手陣をまとめることができるのは冨田しかいなかったと思います。この投手陣のMVPです。本当にありがとう!

山口部屋のみんなへ
山口力樹(4年・内・スポ・早稲田佐賀)くんの部屋で長く時間を共にした者たち、ありがとう。基本的に暇な時間帯が一致するメンバーで、日常に彩りを与えてくれました。引退しても変わらない日常が待っていることが容易に想像できるので、感謝は短めに。これからもよろしく!


写真右回りに 伊藤裕、山口力、中澤凱(4年・投・社会・早大学院)梶田笙(4年・投・スポ・早稲田摂陵)渋谷泰生(4年・内・スポ・静岡)

写真左から 渋谷、伊藤裕、梶田、小澤周平(4年・内・スポ・健大高崎)伊藤樹(4年・投・スポ・仙台育英)

ネイチャーズ(自然を堪能したい会)のみんなへ
小澤主将、日々漏らしていたキャプテン業の悩みは、自然を堪能することで癒されたでしょうか。普段は不真面目が過ぎているけど、キャプテンになってからは、相談を受けるたびに、我慢して頑張っているんだなと役目の大変さを痛感させられていました。さらに相談が増えても構わないので、最後までキャプテン頼んだぞ!
あらゆる視点から、いじり、人間否定をしてくれた田村、吉田(吉田瑞樹・4年・捕・スポ・浦和学院)もありがとう。自然の中でも数々のことを言われ、癒される暇もなく精神的に強くなることができたと思います。たまに出る優しさがたまりませんでした。周良(飯島周良・4年・学トレ・教育・早大本庄)も癖の強い話に付き合ってくれてありがとう。2人にしか分からない会話は第2の故郷です。あと運転ありがとう。渋谷も一応ありがとう!!

写真左から 伊藤裕、吉田瑞、小澤

高校野球部の明志監督・遠藤部長・松本コーチ・清コーチ・千葉さんへ
高校時代から、ご支援いただき本当にありがとうございました。まず、明志監督、進路希望に1年生の頃から何気なく書いていた、早稲田大学という夢を後押ししてくださりありがとうございました。高校3年生の冬に「最高なのは神宮に出ることだけど、そうじゃなくても良い経験になるし、試合に出てる出てない関係なしの仲間が財産になる」とお話ししてくださいました。本当にその言葉通りになった、現在の自分がいます。水高出身として神宮に出場し、その姿を見せられなかったのは非常に悔しいです。4年間の経験を生かし、今後の活躍で必ず借りを返します。遠藤部長・松本コーチ・清コーチ、高校時代の熱いご指導や大学時に近況を気にしてくださり非常に励みになりました。本当にありがとうございました。大人になってからも母校の後輩に熱くなれる大人を目指して、自分自身を磨いていきたいと思います。そして千葉さん、いつも気にかけてくださりありがとうございます。高校時代、帰省の際の支えの数々は返しきれません。今後の人生で限りなく返せるように今後ともよろしくお願いいたします!

家族には字数の関係でお話しできなかったため、LINEにて伝えさせていただきます!

たくさんの貴重な経験、最高の出会いに恵まれ本当に幸せな野球人生でした。貴重な財産を胸に強く生き抜いていきたいと思います。
大変長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。卒業論文の方に移りたいと思います!