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【僕たちが歩んだ4年間】⑪~梶田笙~

11人目は、梶田笙(投・スポ・早稲田摂陵)です。

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こんにちは。4年の梶田笙です。
自分の引退投稿で泣かせてやると同期に意気込んでしまった手前もう後には引けないのですが、恥ずかしさを捨てて、これまで過ごした4年間を振り返ろうと思います。
普段真面目な文章をあまり書かないので拙く、読むのに苦労するかもしれませんが、読んでいただけると嬉しいです。

私の4年間は、東京ステイという学生寮に入寮したことから始まります。友達や知り合いが1人もいない不安を抱えて迎えた初日、冨田(冨田大地・4年学コ・スポ・日立一)千凱(4年・今井千凱・外・人間・長崎西)に出会いました。身長が高く体格も良い、それだけでも圧倒されていたところにトドメのイケメン。自分なんかがやっていけるのか、という不安でいっぱいになったことを今でも鮮明に覚えています。幸いなことにその不安は1年生ランや朝準備の忙しさでいつの間にか消えていて、今考えると最初に2人と出会えたことで身が引き締まったので逆に良かったのかもしれません。今考えるとですが。
引き続き1年時を振り返っていきたいのですが、先ほどの朝準備の忙しさという言い方で少し怒られるかもしれないので、先に投手陣へ謝罪を述べたいと思います。ボール全然磨かなくてごめん。フェンス無駄に何往復もして時間稼いでごめん。私の朝準備の仕事は、お世辞にも忙しいとは言えない仕事でした。各仕事が終わり次第それぞれがキャッチボール用のボールを消しゴムで磨くのですが、私の分まで依田(依田塁・4年・投・文・早大本庄)田和(田和廉・4年・投・教育・早稲田実)が多く磨いてくれました。特に田和は、毎朝向かいの部屋の私を起こしにきてくれました。本当にありがとう。でも熱を出しながらも起こしに来た時は少し怖かったです。

謝罪と感謝もできたところで、次は私の選手としての思い出を話そうと思います。
1番印象に残っていることは3年生の春、初めてリーグ戦のメンバーに選ばれたことです。これは私が高校の時から掲げていた目標であり、それが叶った瞬間でした。何より周りの優秀な選手たちと一緒にプレーできることが、私にとっては一番嬉しいことでした。ちなみに、私がベンチ入りした試合は負けなしです!と言っても私は何もせず、樹(伊藤樹・4年・投・スポ・仙台育英)のことをブルペンから応援していただけなのですが。それでも先輩方や同期の上手な選手たちと一緒に練習や試合ができたことは、これから先もずっと私の誇りです。
そしてもう1つ選手としての思い出があります。それは9月上旬に行った最後の紅白戦です。Bチームにいる4年生が最後の登板をした試合なのですが、私はそこでコテンパンに打たれました。3年の冬から傷みが増した肩が限界だったこともあり、ボールは思い通りには投げられませんでしたが、悔しさはあっても楽しく投げられた最後の登板でした。私は1年生から4年生になるまで、AチームとBチーム、キャンプや遠征、リーグ戦と様々な経験をさせていただきました。この経験は単に野球だけでなく1人の人間として、大きく成長させてくれるものばかりでした。残りの期間、その培った力をより身につけられるよう、チームのために活かせるように過ごしていきたいと思います。

私の話はこれくらいにして、ここからはメッセージを送りたいと思います。私の4年間を表す言葉として「出逢い」を選んだ理由にも繋がるのですが、野球部で得たもので最も大きなものが同期はもちろん、先輩や後輩を含めた野球部のみんなです。募る思いを恥じらいなく綴ったので、ぜひハンカチを用意して読んでください。

「115期のみんなへ」
心の底からこの代で良かったです。大学生活のほとんど時間を一緒に過ごしたと思います。練習はもちろん、遊びも授業もどの場面を切り取ってもみんながいます。4年間ありがとう。これから先もずっとよろしく。

「ピッチャー陣へ」
個性派揃いだけど居心地の良い場所でした。先輩や後輩関係なく仲が良く、AチームとBチームの隔たりも感じない程でした。自分の1つ上の先輩と同期と後輩たちは、まとめて最高です。特に後輩には気を使わせないように接したいと思っていたのですが、元から気なんて使っていないような関わり方をしてくれて、本当に感謝しています。今は同期や1個下だけでなく、それよりも下の学年の後輩も関わってくれる子がいて嬉しい限りです。

写真左から 越井颯一郎(3年・投・スポ・木更津総合)、伊藤樹、田和、梶田、宮城誇南(3年・投・スポ・浦和学院)大倉啓輔(4年・投・教育・早稲田実)森山陽一朗(3年・投・スポ・広陵)

「東京ステイメンツへ」
朝準備や1年生ランがしんどかったり、たくさん怒られたりもした1年生を過ごしましたが、思い返した時に全てが楽しい思い出なったのはみんなのおかげです。ほとんど毎日一緒にご飯を食べて風呂に入って、誰かの部屋に集まって。どれだけ疲れていても、楽しさが勝っていました。2年生になってからも隣の部屋の悠斗(飯塚悠斗・4年・内・社会・早大本庄)と起こし合いをしたり、力樹(4年・内・スポ・早稲田佐賀)に用事で部屋に行くと何故か中澤(中澤凱・4年・投・社会・早大学院)が寝ていたり、廊下に出ると裸の田村(4年・内・商・早大学院)がいたりと、本当に毎日が修学旅行のようで、充実した寮生活でした。

「オフを一緒に過ごしてくれた人たちへ」
麻雀仲間は時間でいうと圧倒的に長い時間卓を囲んだと思います。不憫が重なると時々、機嫌が悪くなる人が出てしまう瞬間がありますが、それがたまらなく面白いです。あの空間では何も考えずに発言しているので、訳がわからなくても優しくしてください。社会人になったら集まるのは大変かもですが、まだまだやりましょう。
スマブラ仲間はみんなハマるのが遅すぎですが、短い期間でもとても濃い時間でした。特に裕平(伊藤裕平・4年・投・人間・水沢)風希(黒嶋風希・4年・内・教育・佐賀西)成輝(齋藤成輝・4年・投・文構・早大本庄)のハマり方は尋常じゃないと思います。今、ほとんど自分が勝っていますが、これからも負ける気はさらさらありませんので、いつでもやりましょう。
渋谷(渋谷泰生・4年・内・スポ・静岡)中島(中島稜太・4年・学コ・人間・桐朋)は何か決まったことをするわけではないですが、多くのオフを一緒に過ごしました。波長が合うのか2人といる時はとてもリラックスできます。優柔不断すぎて何を食べに行くか決まらないのにも関わらず、決めようともしていない。その緩さが大好きです。これからも、緩くまったりいきましょう。けど旅行の予定くらいは早めに立てよう。
他にも一緒に過ごした人はいますが、書くとキリがないのでこのくらいにしておきます。

写真左から 梶田、渋谷、中島

「家族へ」
ありがとうの一言では足りないほど感謝の気持ちでいっぱいです。父は野球に携わっていますが、小さい頃から一度も野球をやれと言われた事はありません。好きなことをやっていいと言われて野球に辿り着いたからこそ、ずっと好きなまま続けられたと思います。色んな習い事をを経験させてもらえたこと、小さい頃のわがままな自分の意思を尊重してくれたこと。本当にありがとうございます。今は同じ話題で話ができたり、近くのコンビニまでドライブしたり、何気ないことができて内心嬉しいです。東京で会ったときにくれる小遣いで実は結構助かっています。いつもありがとう!
母は少し天然なところも含めて理想の母です。いつでも子供優先で、時々心配になるくらいです。毎日の弁当、グラウンドまでの送り迎え、家の掃除など、数え始めたらキリがありません。一人暮らしをしてから、それらの大変さと何食わぬ顔でやる凄さを改めて気付かされました。親孝行をすると言えば、「健康でいてくれたらいい」と言われることは目に見えていますが、どんな形になるかは分からないけど、もう親孝行とおばあちゃん孝行することは決めたから、諦めて受け取ってね。過度な運動は程々に!
姉は、今ではほとんど喧嘩しませんが、些細なことで喧嘩になっていた記憶があります。ただ当時から、習い事など様々なところで背中を追っていたし、自慢の姉でした。もちろん今も変わりません。でも印象深いのは、何度も言われた「そーゆー男はモテないよ」という言葉です。毎度鍛えてくれてありがとうございます。帰省の時はまたよろしく!

ここまで読んでくれた方、長くなりましたが読んでいただきありがとうございました。赤裸々に書いたことを少し後悔するほど今、恥ずかしいですが、ハンカチの使い所はあったでしょうか。初めに軽く書きましたが、私が啖呵を切って泣かせてやると言った同期は中島と清宮(清宮福太郎・4年・外・社会・早稲田実)です。2人に、梶田では泣かないと言われましたが、今泣いているでしょうか。
少し期待を込めて、ちょっと涙腺が緩んだであろう清宮にバトンを渡します。