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【僕たちが歩んだ4年間】⑫~清宮福太郎~

12人目は、清宮福太郎(外・社会・早稲田実)です。

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こんにちは!チームで1番のサボり魔梶田からバトンを受け継ぎました、小学校から早稲田一筋16年、清宮福太郎です。

早稲田一筋でやってきた学生生活も今年で終了です。とても悲しいですが、元気よく大学4年間を振り返っていきたいと思います。当初、マネージャーから2000字以内で書いてくれと言われていたのですが、書き終わると2000字には全く収まりませんでした。自分の野球部愛、同期愛が溢れた結果だと思います。少し長いですが最後までお付き合いください!!

まず私が野球部に入部して驚いたことは、1年生には様々なルールや伝統が存在していたことです。これらは、自分達にたくさんの思い出を授けてくれました。

まず思い出すのは、「学帽をかぶってキャンパスに登校する」という春学期限定のルールです。最初は、学帽をかぶって登校することは非常に恥ずかしく、特に私のような内部生はキャンパス内に高校時代の友人がいるので、できるだけ会わないように細心の注意を払っていました。ある程度時間が経って、学帽に慣れてきてもやっぱり恥ずかしくて、1人で登校することができずに無理やり同期と登校していました。最後は、恥ずかしかった学帽にも愛着が湧き「別にルール関係なく学帽をかぶって登校する!!」と言い出す特異な同期も出る程でした。

そして1番の思い出は「朝準備」です。私は道具係を担当し、マシンや置きティーを並べる仕事に加えてベンチ掃除も任されていました。このベンチ掃除が特に大変で、汚れを見逃しては、学生コーチの肥田さん(肥田尚弥・R6卒)に厳しく叱られたことを鮮明に覚えています。同じ道具係だった渋谷(渋谷泰生・4年・内・スポ・静岡)とは、「どっちの仕事の方が大変か」という論争を1年間ずっと繰り広げていました。朝準備のときも、お互いに「そっちの方が楽だろ」と罵り合いながら作業していて、今思えば黙って仕事をすればよかったのかもしれませんが、そんなやり取りも楽しく、良い思い出になっています。

しかし、まだこの論争は決着をしていません。卒業後も決着が着くまで自分の正当性を主張していきたいと思っています。覚悟しておけ、渋谷。

このように、1年生の時期は厳しさと楽しさが入り混じった日々であり、振り返れば刺激に満ちた忘れがたい時間でした。

2年生になり肝心の野球の方はというと、大学に入ってから自分の思うようなバッティングができずに苦しみました。今まで自信を持ってやってきたバッティングでの挫折は、今までの野球に対する姿勢や練習での心構えなど、様々な点を見直すきっかけになりました。

2年生の私は、野球の技術はもちろんのこと精神面でもかなり未熟なところがありました。例えば、実戦形式の練習で打てないとひどく落ち込んでしまうことです。あまりにも落ち込んでしまうので、通い組で帰り道が一緒だった黒﨑(黒﨑将太・4年・捕・文・國學院久我山)に電車の中でずっと励ましてもらっていました。

黒﨑、あの時期は本当にご迷惑をお掛けしました。

3年生になっても自分のチーム内での立ち位置はさほど変わらず、チーム自体は春秋連覇という偉業を成し遂げましたが、どこか他人事のような感覚が強く、そんな感覚を持ってしまっている自分が非常に情けないと思っていました。

4年生になり、ようやく私にもベンチ入りのチャンスが巡ってきました。新チームが始動した時、「とにかくメンバーに残り続けよう」と強く決意したことを覚えています。そこで、プレーだけでなく、4年生の自分だからこそできることを意識し、練習中も試合中もチームで一番声を出そうと心がけました。今このブログを書いている時点でも、声の出し過ぎで喉が完全に枯れてしまっています。

そして念願の浦添キャンプにも参加することができました。このキャンプ期間中は、ちょうど4年生に就活の波が押し寄せており、宿舎のロビーにある「就活部屋」では、普段はなかなか見られない同期たちの真剣な顔を目にすることができました。あまりにも就活が行き詰まってしまい、深夜に中島(中島稜太・4年・学コ・人間・桐朋)梶田(梶田笙・4年・投・スポ・早稲田摂陵)と3人でこれからの人生について熱く語り合ったこともありました。

また、途中で力尽きてロビーで寝落ちする4年生の姿もあり、ノートパソコンを抱きしめながら倒れているその姿は、まるで何かの怪物のようで、思わずゾッとした記憶があります。

写真左から 清宮、梶田、中島

最近のことも少し書きたいと思います。最近は「学生最後」「4年生」「引退」というワードに涙腺が異常に反応してしまいます。同期の引退ブログを読んでいる時、そして今書いている時、常に泣きそうになってしまいます。映画やドラマでは絶対に涙を流すことがないので、私の心が冷めきっているのではないかと心配していましたがそんなことはないようです、安心しました。

ここからは様々な人に感謝の気持ちを述べたいと思います。

<同期のみんなへ>

自分は、本当に本当に本当に心の底から、同期がみんなで良かったと思ってます。毎日がみんなのおかげで楽しくて、この大学4年間は自分のとっても大切な財産です。色々大変なことや納得いかないこともあったと思うけど、みんなとだったからこそ乗り越えることができたと思うし、春もリーグ優勝できたと思う。秋も優勝して絶対4連覇しよう。卒業しても1年に1回くらいは集まろうね。

<学生コーチ、幹部のみんなへ>

学生コーチ、幹部には非常に感謝しています。チームを取りまとめるという大変な仕事を引き受けてくれました。

大西(大西創志・4年・学コ・人間・城北)は首脳陣の大人たちと、文句の多い自分たち選手の間に挟まれながらもできるだけ選手に寄り添ってくれました。

畑(畑﨑一颯・4年・学コ・商・早大本庄)は、上級生のメンバーだけでなくメンバー外の下級生の自主練のノックにも、嫌な顔一つせずグラウンドに残って練習に付き合ってくれていました。

中島は一番の同期思いです。実戦形式の練習で4年生が打つと「よっしゃー」という声が聞こえてきました。4年生はみんな聞こえてます。嬉しかったです。

ちから(飯島周良・4年・学トレ・教育・早大本庄)はトレーナーとしてトレーニングを見てくれました。時には一緒にふざけつつも、なかなか真面目にやらない選手たちに根気強く向き合ってくれました。

周平(小澤周平・4年・内・スポ・健大高崎)は、早稲田大学の主将として圧倒的な存在感でチームを引っ張ってくれました。ありがとう。新チームになった時に「走塁に力を入れよう」と言い出してくれたことで、チーム全体の方向性がひとつにまとまったのも本当に良かったと思います。もともと走塁にあまり意識が向いていなかった自分も、周平が導入した毎日の走塁練習のおかげで、気づけば一塁への帰塁がかなり上達したんじゃないかなと感じています。今度、こっそり確認してね。

瑞樹(吉田瑞樹・4年・捕・スポ・浦和学院)は、私生活においては声が小さいし頼りがいが全くありません。ですが、ひとたび試合になると、普段の姿が嘘のように頼もしく、チームをしっかりと支えてくれる存在です。本当に良い副将だと思います。ただ1つだけ言わせてもらうと、瑞樹が好きな乃木坂の話をする時に見せる、あのにやけ顔さえ封印できれば、私生活でももう少し頼りがいが出てくるはずです。ぜひ意識してみてください。

健伸(前田健伸・4年・内・商・大阪桐蔭)には、1年生の頃からよくお腹を触らせてもらっていました。健伸のお腹には触るだけで癒される特性があるからです。卒業しても触らせてね。

松江(松江一輝・4年・内・人間・桐光学園)は試合中、ベンチで共に過ごした時間が多く、今年の春のリーグ戦は一戦一戦が松江との思い出です。先日の立教戦で黒﨑がタイムリーを打った時、2人して涙ぐんでしまいましたね。最後も、もう一度一緒に嬉し涙を流そう。

<よく構ってくれたみんなへ>

中澤(中澤凱・4年・投・社会・早大学院)とは、入学してすぐに仲良くなりました。常にふざけていて、一緒にいると本当に楽しい時間を過ごすことができました。1年生のクリスマスを二人で過ごし、街にあふれるカップルたちの幸せそうな様子を横目に、「イルミネーションのコンセントを抜いてやろう」と本気で画策していたのも、とても楽しい思い出です。ただ、中澤と一緒に過ごしていて、将来自分の子供は、男子校には絶対に入れないようにしようと思いました。

石郷岡(石郷岡大成・4年・外・社会・早稲田実)とは高校時代からの仲で、気づけば7年間、さまざまなことを一緒に乗り越えてきました。彼はよく自分に意味不明な絡み方をしてきますが、私は心が広いので、その度にきちんと反応してあげています。その様子を高校・大学どちらの同期からも白い目で見られることは少なくありませんでしたが、私はやっぱり心が広いので気にしていません。これからも2人だけの世界を構築していこう。

飯塚(飯塚悠斗・4年・内・社会・早大本庄)は本当にミステリアスな男です。オフの前日や当日に遊びに誘っても、ほとんどの場合「予定がある」と断られます。そして詳細を聞くと、決まって答えは「ウィンドウショッピング」。21歳の大学野球部員が、オフの日に一人でウィンドウショッピングをするでしょうか。非常に怪しいです。

なるき(齋藤成輝・4年・投・文構・早大本庄)とは、これまで本当にたくさんの野球観戦を一緒にしてきました。それ以外にも、いろいろなことを一緒に楽しみました。中でも印象的なのは、夜の高田馬場駅前で男女の2人組を見つけては、「あの二人が付き合ってるかどうか」を当てるという、なんともくだらないゲームをよくやっていたことです。今思えば、あの無駄とも言える時間も、なるきとだからこそ楽しかったのだと思います。これからも無駄な時間をいっぱい過ごそう。

<家族へ>

両親へ。

私が今、何不自由なく野球を続けられているのは、間違いなく2人のおかげです。本当にありがとうございます。小さい頃から送迎をはじめ、洗濯、食事、練習の付き合いなど、挙げればきりがないほどのサポートをしてくれました。普段、面と向かって感謝の気持ちを伝える機会はなかなかありませんが、この場を借りて伝えられることを嬉しく思います。

これから2人にはたくさんの恩返しをしていく所存ですが、まずは「4連覇」という形で感謝を届けたいと思います。これからも、どうかよろしく!

兄へ。

兄は、野球の実力はもちろんのこと、人としても優しく、自慢の兄です。そんな兄の存在は、私の野球人生を語るうえで欠かすことのできない存在です。私は常に兄と比較されながら野球を続けてきました。結局、兄の背中を追い続けたまま野球人生を終えようとしています。「清宮幸太郎の弟」として野球をすることが少しも大変ではなかったと言えば嘘になります。「もう少し目立たない苗字だったらな」なんて思ったこともありました。ですが兄がいたからこそ、野球を続けられました。兄がいたからこそ、どんな困難にも諦めずに挑む姿勢を持てたのだと思います。神宮球場で私の名前がアナウンスされるたび、観客が少しざわめくのも兄のおかげです。

そして、「清宮幸太郎の弟」として野球をやりきったこの経験は、誰にも真似できない、私だけの大切な宝物です。憧れであり続けてくれて、本当にありがとう。これからもずっと、自慢の兄でいてください。私も野球というステージは離れても、少しでも兄に近づけるよう努力を続けていきます。

普段全然連絡取らないけど、これからも仲良くしてね。タイトル取れよ!!

長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました!!

早稲田ファンの皆様に4連覇をお見せできるように、死に物狂いで頑張りますので、最後まで応援よろしくお願いいたします!!