【僕たちが歩んだ4年間】⑭~黒﨑将太~
14人目は、黒﨑将太(捕・文・國學院久我山)です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
法政戦も3日間、たくさんの応援本当にありがとうございました。背番号26番黒﨑将太です。野球人生の最後にこのような機会を頂けたことに感謝しています。自分なりに頑張って文章にしたので最後まで読んでいただけると嬉しいです。
野球は高校で辞めると決めていましたが、甲子園が決まる試合で最後のバッターになった瞬間に、大学で野球を続けることを決意しました。家に帰り、両親に伝えると泣きながら喜んでくれたのを覚えています。こうして、早稲田の野球部に入部しました。
1年生の頃は毎日4時に起きて始発に乗って、石田(石田将基・4年・投・法・早大本庄)と東伏見駅で起こし合い、グラウンドに着くと1日中ランニングとトレーニングをしながらAチームの補助で怒られるという、人生で1番辛い時間を過ごしました。福太郎(清宮福太郎・4年・外・社会・早稲田実)と、仕事を終えた後に喋りすぎて終電ギリギリで帰り、朝グラウンドに来るとさっきまでここにいたよなと感じたことも、今では懐かしい思い出です。
キャッチャーにはスポーツ推薦で入部してきた選手が多く、3年間リーグ戦のベンチに入ることすらできませんでした。小さい時から、両親や周囲の人を喜ばせる手段としてしか野球をしたことがない自分にとって、プレーする姿を見せることさえできない3年間は本当に辛くて、入部したことを何度も後悔しました。そもそも小学生の時から楽しいと感じたこともなく、好きでもない野球をなぜ続けているのか、何のために野球をやっているのか分からなくなりました。4年生になり、ベンチ入りを果たしたのに肉離れなどで痛みに耐えながらプレーする日々が続き、本気で野球を辞めようと創志(大西創志・4年・学コ・人間・城北)に伝えたこともありました。それでも自分の人生で出会えた人は本当に良い人ばかりで、自分を応援してくれる人達の顔が何度も浮かび、踏ん張りました。
こうしてたくさんの人に支えられて、立教戦で初ヒットを打つことができました。一塁ベース上からベンチを見ると、自分のヒットを本気で喜んでくれる仲間がいて、スタンドからは大きな歓声が聞こえました。ブルペンに向かい、スタンドにいる同期や後輩みんなに声をかけられている際に、中島(中島稜太・4年・学コ・人間・桐朋)と目が合った時は泣きそうで危なかったです。この野球部でこのメンバーと出会えて一緒に野球ができて本当に良かったと心から思いました。

野球を早く辞めたいとずっと思っていましたが、今はこのチームでみんなと少しでも長く野球がしたいです。いろんなものを背負って戦っているみんなの努力が報われてほしいです。メンバー外でも腐らずに頑張っているみんなの喜んでいる顔が見たいです。辛いことしかない1年生に少しでも良い思いをさせてあげたいです。そして何より、周平(小澤周平・4年・内・スポ・健大高崎)が苦労して作り上げた115期のこのチームが日本一だってことを証明したいです。そのために、どんな形でもチームに貢献できるようにあと少しだけ全力で頑張ります。

写真上段左から 黒﨑、尾形樹人(2年・捕・スポ・仙台育英)、飯島周良(4年・学トレ・教育・早大本庄)、吉田瑞樹(4年・捕・スポ・浦和学院)
自分の人生で出会えた素敵すぎる人達に、少しだけ感謝を伝えさせてください。
福太郎
高校時代にお互いキャプテンとして2回も対戦した福太郎。あの頃は、こうしてグラウンドに一緒に通ったり、4年間キャッチボールの相手になったりするなんて思ってもいませんでした。2人して4年になるまでベンチに入れなくて、悔しい思いばかりしていて電車ではいつも励まし合っていたのに、今では2人で右の代打として待機できていることがすごくすごく嬉しいです。練習後はいつも残って打撃練習をして、試合中はチームのために誰よりも声を出している。そんな福太郎の神宮初ヒットを他の誰よりも願っています。
石田
石田とは、朝の電車では何も話さないほどの関係になりました。口下手な石田はピッチングのことになると饒舌になるので、バッテリーを組むことがとても楽しかったです。言ったことはないけど、福太郎と一緒に通い組3人でベンチに入ることが自分の目標でした。自分じゃないキャッチャーと組んでいたら今頃Aチームにいたのかなといつも後悔しています。力になれなくて本当にごめん。
この2人がいてくれたから、寂しい思いをせずにグラウンドまで通えたと思います。本当にありがとう。
田和
とてつもないスライダーを投げていた田和(田和廉・4年・投・教育・早稲田実)、強打者だと勘違いしながら高校時代に対戦していた石郷岡(石郷岡大成・4年・外・社会・早稲田実)、福太郎を含め早稲田に入ればこの3人と野球ができるというのも、早稲田を選ぶ大きなきっかけになりました。田和の、野球に対しては真面目に真摯に取り組んでいる姿勢をいつも尊敬しています。今ではベンチでいつも隣で声を出していて、オール早慶戦ではバッテリーを組むことができました。本当に嬉しいです。この先もずっとずっと応援してます。

写真左から 田和、田村康介(4年・内・商・早大学院)、黒﨑

写真左から 伊藤樹(4年・投・スポ・仙台育英)、黒﨑、田和、大倉啓輔(4年・投・教育・早稲田実)、椎名丈(4年・外・教育・早大学院)
創志・冨田
野球人生で忘れもしない、12点差を大逆転されて負けた相手のキャプテンである創志と、今では同じユニフォームで戦えていることに運命を感じます。学生コーチという難しい立場でいつも頑張ってくれている創志には感謝しかありません。自分はキャッチャーという立場なので、投手コーチの難しさもいつもすごく伝わってきます。自分を犠牲にしながら癖の強すぎる投手陣をまとめてくれている、優しすぎる性格の冨田(冨田大地・4年・学コ・スポ・日立一)は間違いなくこのチームに必要不可欠な存在です。絶対優勝して笑って終わろう。
お父さんお母さん
小さい時は毎日泣きながらだったけど練習に付き合ってくれて送り迎えしてくれたお父さん、お弁当を作ってくれたりたくさん支えてくれたりしたお母さんには、もうありがとうを何回言っても足りないくらい感謝しています。立教戦で迎えた初打席、お父さんのいる場所は分かっていたけど、見ると涙が出てきそうで見ずに打席に向かいました。タイムリーヒットの後に号泣してる姿が見えた時に、辛いことしかなかった野球を続けてきて本当に良かったなと思いました。絵文字が多すぎて喜んでくれているのがすごく伝わってきたお母さんのLINE、とても嬉しかったです。自分は、家では黙ってる時間が一瞬もないほどおしゃべりで仲の良い黒﨑家が大好きで、親ガチャ大当たりだなと毎日思っています。たくさん迷惑をかけた分これからたくさん恩返しします。
妹様
普通の家に生まれていたら土日は家族で出かけたりできたのに、小さい時から野球中心の生活にしちゃって本当にごめん。そんなことより、家にあるグミいつも勝手に食べてごめんなさい。これからいっぱいグミ買います。
じいじばあば
ほぼ毎日のように家に行って、その日あったことを話して、おしゃべりなばあばの話を聞いて、自称人気者じいじのデイサービスの話を聞く。そんな時間が大好きです。足が悪くて車椅子生活になっても毎日歩けるように頑張っているじいじを見て、肉離れしてたって頑張ろうって何回も思っていました。雪見だいふくが好きって言ったら冷凍庫いっぱいに買ってくれる、優しいばあばが大好きです。2人の自慢の孫を目指してこれからも頑張ります。長生きしてね。
じいちゃんばあちゃん
福島からいつも応援してくれて、年末の孫達とのトランプの賞金のために貯金してるばあちゃんが可愛くて大好きです。引退したらいっぱい遊びに行くから、健康に気をつけて長生きしてね。天国から見守ってくれるじいちゃんがいてくれるから、自分の人生は運に恵まれています。じいちゃんみたいな、人のために行動できる人を目指して頑張るからこれからも見ててね。
最後まで読んでいただきありがとうございました。法政戦は勝ち点を落としてしまいましたが、誰も優勝を諦めていません。最後の最後まで応援よろしくお願いします。