【僕たちが歩んだ4年間】⑮~黒嶋風希~
15人目は、黒嶋風希(内・教育・佐賀西)です。

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こんにちは!黒嶋風希です。
最近、みんなと毎日会える日常がもう少しで終わってしまう、と寂しい気持ちになることがあります。普段自分はあんまり真面目になることはないというみんなの認識があるかもしれないけど、せっかくの引退投稿なので恥ずかしいですが、思っていたこと、思い出、感謝の気持ちを正直に綴っていこうと思います。読んでいただけたら嬉しいです。
「4年間」
1年生、入部して初めて聞こえてきたのは「1年生ライトポール集合」。この集合の合図とともに1年生ランが始まりました。私は2つ上の兄が同じ野球部にいたので、1年生ランのことは聞いていましたが、いざ練習が始まると想像を絶するきつさでお昼ご飯はのどを通らないし、足は動かないまでに疲弊する毎日が続きました。それに加えて、朝準備では雄大(尾瀬雄大・4年・外・スポ・帝京)と共にサードアンツーカーを担当しました。アンツーカーはいわゆるキツ職です。はじめの頃はなにも感じていませんでしたが、他の人の仕事内容を知るようになってからは「なんでアンツーカーになったんだよ!!」と楽職の人たちを毎日睨んでいましたよ。特に雨の日は最悪で、ブルーシートを張っていたはずのアンツーカーはびしょびしょ、本当に役に立たないブルーシートでした。全然働かない雄大と一緒に、あまり泥だらけにならないよう整備をし、「もうこんな感じでよくね?」と整備を終わらせる日々がすごく懐かしいです。もちろんたくさん怒られました。一方野球に関しては、ほとんどの期間を怪我人として過ごしました。怪我人は、練習では補助に回らないといけないので、実践練習などで活躍する同期を見ていると、置いていかれているような気持ちが大きかったです。
2年生になると、補助・朝準備も無くなり、自主練習ができる時間が増えました。しかし、自分の思ったようなプレーができない期間が多く、成長できたとは言えない1年間になってしまいました。
3年生になって、ウェイトトレーニングに力を入れるようになりました。ボディビルダーになるのかってくらいムキムキな周良(飯島周良・4年・学トレ・教育・早大本庄)に教えてもらいながら、徐々に肉体を改造していきました。夏に入ると力樹(山口力樹・4年・内・スポ・早稲田佐賀)と千凱(今井千凱・4年・外・人間・長崎西)も加わり、練習後に4人で2時間ほどトレーニングをする毎日が続きました。きついトレーニングも4人で声を掛け合ったり、励まし合ったりして、とても楽しい時間になりました。ありがとう!選手としても大きく成長することができた、1年になりました。
新チームになると、目標にしていたAチームに昇格することができました。同時に、メインポジションをずっと守っていたサードからファーストに変えることになりました。ファーストは自分にとっては難しく、自主練習を重ねましたが、思ったような守備をすることができず苦しい日々が続きました。レベルの高いAチームのみんなのプレーを見ながら、自分のプレーと比較し「なんでこんなに下手なんだ」と頭の中で自問自答を繰り返していました。結局、リーグ戦のメンバーに入ることなく、Bチームに降格し、今に至ります。
この4年間の野球を通じて振り返ると、怪我も多く、思い描いていた選手の道とは程遠かったです。この競争が激しい環境の中で、初めはみんながいいプレーをするのが嫌で、他の人が打席に入っているときに「打つな打つな」と考えることもありました。でもそれは、自分の結果じゃなく他人の結果に影響されるような自分の弱い部分だったと思います。今では、みんなが活躍する姿がとてもうれしく、絶対に全員で4連覇したい!苦しくも楽しくもあったこの4年間は自分を成長させてくれました。野球部に入って良かったです!


写真左から 黒嶋、松江一輝(4年・内・人間・桐光学園)、中澤凱(4年・投・社会・早大学院)、中島稜太(4年・学トレ・人間・桐朋)、今井
野球をする中で、感謝を伝えたい人がたくさんいます。今回は文字数に限りがあるので、すべての人には言えませんが、この場を借りて伝えたいです。
「同期のみんな」
いつも腹がちぎれるくらい笑わせてくれてありがとう。おかげで毎日楽しく過ごせてます。1番長い時間を過ごしたのは、周良だと思います。周良の投稿でも書いていましたが、授業が全部一緒で、2人で遊びに行くことも多かったです。大学では周良のおかけで単位をいっぱいとることができました。ほんとに感謝。
なかじ(中島)とはよく美容室に一緒に行っています。誘ってくるくせに、美容師さんには「誘われた」と謎の嘘をつき、無駄にかっこつけてました。やめましょう。
そして、山口部屋のみんな、自分はあのメンバーでいる空間がとっても好きです。練習後もゲームするときも飲みに行くのもいつも一緒でした。力樹の部屋に行くといつも誰かがいるので、集合をかけなくても自然と集まってしまいます。これからもお世話になると思うのでよろしくお願いいたします。
大学生活のほとんどを野球部のみんなと過ごしてきましたが、それぞれ野球に対する思いが強く、刺激になりました。本当にみんな尊敬してます。このメンバーで野球をすることができて幸せでした。ありがとう!

写真左から 今井、黒嶋、中島

「家族」
まずは両親から。これまで野球人生を支えてくれて本当にありがとう。小学3年生で始めた野球ですが、始めた当初は身体能力が高いだけでセンスの欠片もないような野球少年でした。そんな自分に失望することなく、負けず嫌いな自分の為に多くの時間を割き、練習に付き合ってくれました。バッティング・守備どちらも険悪な雰囲気になりながら一生懸命教えてくれたことを鮮明に覚えています。野球経験の無い両親ですが教えてもらった次の日には、なぜか打ててしまう。大きなパワーを感じていました。両親に支えられた努力で今の自分の実力は作られたと思っていますし、全国大会や選抜チームに選ばれたりした経験も全部両親のおかげです。小学生の頃は、父に怒られるのが嫌で、試合中に父がいるかどうかを守備の途中に見たりしてました。でも叱ってくれる父がいたからこそ、今に繋がっていると思います。今ではもう、両親から教わることはなくなりましたが、感謝の気持ちでいっぱいです。大学野球では、2人が期待していたような活躍を見せることができなくてごめんなさい。でも、大きく成長することができたし、二人のおかげで幸せな野球生活を送ることができました。お父さん、お母さん、今までありがとう!!
兄。自分は兄の影響で野球を始めました。野球が好きだから始めたというよりは、兄が野球をしているのを見て自分もする運命なんだと感じました。自分とは違い、センスがある兄。兄のようになりたくて、努力をしました。(まー野球人生の実績の中では俺の方が勝ってる部分もあると思うけど。)大学では、ポジションは違うけど一緒に野球ができて良かったです。苦しい思いをしながらも、最後の早慶戦でもベンチ入りを果たしていた兄を見たことが、モチベーションにもなりました。背中を追わせてくれてありがとう。
弟。小さい頃から野球の試合などに連れ回したりしてごめんね。テニスを始めると言ったときはびっくりしたよ。高校も終わり、大学でもテニスを続けるみたいなので、悔いの残らないよう頑張れ!
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。引っ越しも多かった人生なので、今まで8チームくらいに所属しましたが、そこで出会った監督やコーチ、チームメイト、すべての人に感謝しています。この出会いがあったからこそ、これまで野球を続けることができました。どのチームを振り返っても、自分は人に恵まれてるなとつくづく思います。もう少しで自分の野球人生は終わりますが、これからも人として成長できるよう頑張っていこうと思います。野球は自分の人生の「宝物」です。ありがとうございました!
それでは、山口部屋キンクル使いの齋藤成輝君に回します!
主将 


