【僕たちが歩んだ4年間】⑰~椎名丈~
17人目は、椎名丈(外・教育・早大学院)です。

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「早稲田は学生野球のリーダーだ。普通の学生に許されることが選手であるがために許されない。それを光栄と思わなければいけない」
この歴史と伝統を重んじて過ごした4年間。
誇りを持って駆け抜けてきた早稲田大学野球部での生活も、残りわずかとなり、寂しい気持ちでいっぱいです。それと同時に、私の野球人生も幕を閉じようとしています。
まだ終わりたくないというのが正直な気持ちですが、感謝の思いを込めて大学での野球人生を振り返りたいと思います。最後まで読んでいただけると嬉しいです。
~1年生~
1番の思い出は、「チーム神宮」としてリーグ戦メンバーに寄り添って補助をしたことです。私と石郷岡(石郷岡大成・4年・外・社会・早稲田実)、渋谷(渋谷泰生・4年・内・スポ・静岡)、康介(田村康介・4年・内・商・早大学院)の4人で活動していました。リーグ戦前日の夜に安部寮へ行き、リーグ戦で必要な荷物を準備するのですが、予定通りに始まることも終わることもなく、ダラダラ具合が度を超えていて、先輩マネージャーから「明日出発早いから、いい加減終わらせて!」と毎回怒られていました。今となっては良い思い出です。入部して間もないにも関わらず、誰一人として早く終わらせようとせず、マイペースな4人。115期の仲の良さが良くも悪くも当時から発揮されていたのだと思います。リーグ戦当日は、朝準備に行かなくていいという特権があり、私が担当していたボールの仕分け(いわゆる“楽な仕事”)は全て周良(飯島周良・4年・学トレ・教育・早大本庄)に任せていました。國光(國光廣太・4年・外・教育・早稲田実)も?(笑)周良、軽々しくお願いしてごめんね。本当に助かりました。
神宮球場での作業はメンバーの一部始終を観察することができ、非常に良い経験になりました。25人の「氣」の集団。4年間のうちに私もこの一員になることができるのだろうかと、1年生ランや朝準備で困憊していた私に不安な気持ちがさらに膨らんだことを、今でも鮮明に覚えています。
日々心身ともに疲れ切った私の癒しの場所は、当時住んでいた学生寮『東京STAY』でした。学年の約半分の選手が住んでおり、「毎日が修学旅行」をモットーに楽しく過ごしていました。みんなの存在がすごく心強かったです。ありがとう。
~2年生~
1年生の冬に、地元・茨城で開催された全早慶野球戦で、少ないチャンスをものにしたことがきっかけで、2年春から念願のAチームに昇格することができました。よく気にかけてくださった、学生コーチの肥田さん(肥田尚弥・R6卒)には本当に感謝しています。
2年シーズンは、私にとって中身の濃い大切な1年となりました。2年春で神宮デビューを果たし、聖地神宮球場に立って聞いた「都の西北」はたまらなく感動しました。こんなにも早くリーグ戦に出場できるとは、入部当初は想像もしていませんでした。本当に嬉しかったです。同じセンターを守る雄大(尾瀬雄大・4年・外・スポ・帝京)も喜んでくれて、シートノック時に「この先、引退までずっと一緒に守り続けようぜ」と、緊張していた私に掛けてくれた一言。忘れることはありません。ありがとう!2年春から不動の1番打者である男はこんなにも余裕があるのかと感心するばかりです。100安打達成してね。
1番思い出に残っている試合は、秋の立教1回戦。4点差をひっくり返し、劇的なサヨナラ勝ちを収めました。この試合は、高校からの先輩である篠原さん(篠原優・R6卒)との約束を果たした試合なのです。私がAチームに昇格した日に「俺が代打で打って、椎名が代走でホームを踏む。いつか実現させよう」と言ってくださり、その約束を神宮の舞台で叶えることができました。夢の実現が、サヨナラのホームを踏み、チームの勝利に直結するという最高の瞬間でした。ちなみに、この時使用していた走塁手袋は、同点のホームを踏んだ一輝(松江一輝・4年・内・人間・桐光学園)のものです。バスの座席はいつも隣で、試合中も終盤になると、2人でそわそわしていたのが懐かしいね。2年経った今、試合終盤での勝負強さに磨きがかかっていて大尊敬です。残り少ないけど、一輝らしく副将の役目も頼んだよ。
2年シーズンは憧れの早慶戦にも出場でき、充実した日々を送ることができました。

~3・4年生~
上級生としての思い出をひとまとめにしたのは、2年シーズンとは裏腹にリーグ戦での出場機会が減ってしまったからです。2年春から続いていたベンチ入りの記録も途絶え、ベンチに入ったり入らなかったりという日々が続きました。この2年間、リーグ戦前日の夜に全体LINEで発表されるメンバー連絡を、チームの誰よりも緊張しながら待っていたと思います。そんな思い通りにいかない日々の中で、支えになったことが2つあります。1つ目は、3年春から始まった3連覇の達成です。チームが勝つことが何よりも嬉しく、同期の活躍に悔しい気持ちを抱くこともありましたが、それ以上に励みになりました。早稲田で野球ができて本当に良かったと常々思います。
2つ目は、キャプテン周平(小澤周平・4年・内・スポ・健大高崎)からもらった言葉です。今年の春の明治との優勝決定戦の前日に、「椎名の練習での姿を見て、優勝確信したわ。明日、絶対倒してくる。」と言ってくれました。この瞬間、全てが報われた気がしました。周平、大好きです。チーム小澤の一員になれて、本当に幸せです。最後までついていきます!

写真左 椎名、小澤
この4年間で、早稲田大学野球部という大きな組織に属していなければ決して味わえない経験を、数え切れないほどさせていただきました。
最後の1年間は、目標だった安部寮に入ることができ、キャンプにも6度参加し、長い時間をみんなと寝食をともにしました。早稲田大学野球部は、間違いなく私の人生に彩りを与えてくれた場所です。
115期の同期には、感謝してもしきれません。全員、大好きです。私の自慢であり、誇りです。これから先の人生のほうが長いから、これからもよろしくね。みんなの結婚式、すごく楽しみです。
そして同期だけでなく、縦のつながりも大所帯だからこその強みだと思います。たくさん指導してくださった先輩方、同期かと疑うくらい生意気だけどそれが憎めない可愛い後輩たち、私にとってかけがえのない出会いです。本当にありがとうございます。

写真左から 清宮福太郎(4年・外・社会・早稲田実)、中島稜太(4年・学コ・人間・桐朋)、松江、椎名
最後に、特に感謝の気持ちを伝えたい人に捧げます。
家族のみんなには、いちばん感謝しています。書きたいことは山ほどあるけど、ここに記すのは少し恥ずかしいので、引退したら、それぞれに手紙を渡したいと思います。楽しみに待っててね。
相原雅也さん
小学4年生から下手だった私にご指導してくださり、本当にありがとうございました。相原さんに良い報告がしたい一心で野球に取り組んできましたが、2人で思い描いた目標を叶えられず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。これから先も人生の大先輩であることに変わりはないので、今後ともよろしくお願いいたします。
将希さん(中村将希・R6卒)
私にとって、ずっと憧れの早稲田マンです。こんなにも優しい先輩は他にいません。将希さんが現役の時はもちろん、今も変わらず可愛がってくださり、本当にありがとうございます。最後の最後までやり抜くので、見守っていてください。これからもずっと最高なお兄ちゃんでいてください!
康介
高校から7年間、切磋琢磨してくれてありがとう。大学では必ず超えてやる!と意気込んだけど、その上をいくね君は。2年秋の法政戦で鮮烈なデビューを果たした時は、自分のことのように、というより自分のことよりも嬉しくて感動したよ。不敗神話(前日に一緒にバッティングした次の日はヒットが出る)ルーティン最後まで貫くぞ!これからもよろしく。
なかじ
なかじなしでは大学生活を語ることはできないです。学生コーチとして野球部を支えてくれたのはもちろん、プライベートでも多くの時間を共にしたね。一番落ち着く時間だったと、自信を持って言えます。これからもよろしく!
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉を胸に、早稲田大学野球部で培った謙虚さをこれからの人生でも大切にし、立派な社会人になれるよう精進してまいります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
ラストシーズン、170人で4連覇・日本一を掴み取ります。
地元がたくさんあって、誰にでも優しい!友達が数えきれないほどいる、野球センス抜群の渋谷にバトンを回します!