【僕たちが歩んだ4年間】㉑~中澤凱~
21人目は、中澤凱(4年・投・社会・早大学院)です。

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こんにちは!中学時代から全国大会に出ること9回、全てメンバー外、スタンド応援のプロフェッショナルこと中澤凱です。
最近、引退が近づいてきて涙腺がおかしくなってきています。この間もカラオケに行った時に、ケツメイシの「友よ」という曲をみんなで歌ったのですが、気づいたら号泣していました。その時、裕平(伊藤裕平・4年・投・人間・水沢)と力樹(山口力樹・4年・内・スポ・早稲田佐賀)は泣いている自分の顔見て、爆笑していました。彼らには人の心があるのでしょうか。ただ、そこで笑ってくれるのも2人の良いところだと思います。115期みんな良い人で大好きです。同期といつまでも一緒にいたいなと本気で思います。
1年生の頃の思い出は朝準備です。遅くても6時、一番早い時は4時にグランドに集合しました。日々寝坊の恐怖を感じながらベットに入り、朝みんなで起こし合うという生活は思い出すだけでもクマが出来そうです。そんな生活を共にしていた東京ステイ(学生寮)のみんなには感謝しかありません。ほぼ全員の部屋で勝手に寝たことがあると思います。みんなのベットには自分の寝汗とよだれが染み込んでいます。本当にごめんなさい。
自分の朝準備の担当はクラブハウスの2階でした。同期から「楽職だ」と言われ続けました。しかし、そんなことは全くありません。部員が着替えたり、ご飯を食べたりするクラブハウスの治安を守ったのは自分であり、とても難しい仕事です。自分がいなかったら、クラブハウスの2階ではデモが起こったことでしょう。
特に部員が過ごしやすいようにクラブハウスの温度を調節するのが大変でした。「そんなのエアコンのボタンを押すだけだろ」という声が聞こえてきそうですが、そんなことありません。暖かくしすぎるのも、冷たくしすぎるのもダメです。この仕事は1年間温度管理をし続けた自分にしかできません。自分がいなかったら、クラブハウスの2階に氷河期が訪れ、クラブハウスは絶滅していたかもしれません。そう考えると自分はすごい事をしていたのだと思います。1年生の頃の自分を褒めたいです。
さて、肝心の野球の活動についてですが、1、2年生の頃は多くの登板機会をいただきました。左投手という以外、何の取柄もない自分をたくさん使っていただいた、投手コーチの藤原さん(藤原尚哉・R6卒)と石原さん(石原壮大・R7卒)には感謝しかないです。特に2年春のフレッシュトーナメントはすごく印象的です。憧れの神宮のマウンドで先発して、落ち着こうと思って後ろを振り返ると、高校から一緒に野球をしていた、田村(田村康介・4年・内・商・早大学院)と椎名(椎名丈・4年・外・教育・早大学院)がファーストとライトにいて、キャッチャーの瑞樹(吉田瑞樹・4年・捕・スポ・浦和学院)が、私が緊張しないようにすごい声をかけてくれて、いつも通りの2回2失点の投球でマウンドを降りました。お世辞にも良いピッチングとは言えなかったけれど、本当に楽しかったし、すごく良い経験ができたと思います。

2年生の夏には、怪我をした健伸(前田健伸・4年・内・商・大阪桐蔭)の代わりに南魚沼キャンプにも連れて行ってもらいました。1軍の練習に入るのも初めてだったので先輩にビビり、キャンプ中は粗相をしないように同部屋だった瑞樹とずっと一緒に行動しました。ご飯を食べる時もお風呂に入るときも離れませんでした。というより自分が瑞樹を離させませんでした。でも瑞樹も一緒にいたそうだった気がします。彼は「絶対にそんなことない」と否定してくると思います。しかし、自分だけは知っています。瑞樹のラインのプロフィールの背景画像が、今でもこの南魚沼キャンプで田村と渋谷(渋谷泰生・4年・内・スポ・静岡)と撮ったゴイゴイスー写真であることを。気づいたとき結構嬉しかったです。ちなみに、自分は画像が変わっていないか、1か月に1回くらい確認しています。
ここまで順調に行き過ぎていた自分の大学野球人生でしたが、この南魚沼キャンプ中からどん底まで落ちました。全く自分の思い通りの投球が出来なくなりました。キャンプ中の紅白戦の時に、投げる瞬間に力が入らなくなる感覚があり、球速が全く出ませんでした。この時はすぐ治るだろうと考えていましたが、キャンプから帰ってきても治りませんでした。むしろ悪化していくばかりで球速も20キロ遅くなりました。
自分は落ち込んでいる所を人に見せるのがダサいと思っている人間なので、みんなといる時は、気丈にふるまっていましたが、この頃は本当にきつかったです。ずっと好きでやっていた野球が嫌いになりました。投げることも嫌になりました。自分と一緒に2軍でプレーしていた同期がどんどん1軍の練習に参加していき、自分だけ取り残されたような感覚に陥る毎日でした。原因が全く分からず、投げ方を変えてみたり、投げない期間を作ってみたり、色々な方法を試してみましたがダメでした。こうなったらAIを頼るしかないと考え、寮の自分の部屋でChatGPTに聞いてみると「右投げに転向したらどうですか」ととんでもない答えが返ってきて、流石にスマホをベッドに投げつけたのを覚えています。多分この時のスマホの球速は165キロくらい出ていたと思います。
3、4年になっても状況は変わらず、今日は良いなと思っても、次の日はダメの繰り返しでした。そして今に至ってしまいます。こうなってしまったのは自分の精神的な弱さからきていると思います。振り返ると、もっとこうしていれば、あの時もう少し努力していれば自分はもっと活躍できていたのではないかと後悔することのほうが多いです。今、試合に出て活躍している同期達は自分自身をとことん追い込み抜きます。練習中だけでなく、自主練習の量も半端じゃないです。自分にはそれができませんでした。だからこそ、今試合に出ているメンバーは心の底から尊敬しているし、めちゃくちゃかっこいいです。みんなが活躍する姿が本当にうれしく、絶対に優勝したいし、優勝しないとおかしいと思います。こんなに凄くて最高な仲間と4年間野球を一緒にさせてもらって辛いことや楽しかったこと、様々な経験をさせてもらって自分の人生の大きな財産になりました。本当に野球部に入って本当に良かった!一生忘れることのない4年間をみんなありがとうね!BIG LOVE!
ここからはお世話になった人たちに感謝の気持ちを送ります。思い出や感謝をしたい人が多すぎて、とんでもない人数がここから登場すると思います。気合を入れて読んでください。
「同期のみんなへ」
心の底からみんなと同期でよかったです!みんな、めちゃくちゃ大好きです!愛してます!この4年間は、毎日野球部の誰かと過ごしました。みんなと一緒に居たすぎて、いろんな人の部屋に入り浸っていたら、いつの日からみんなの部屋に鍵がかかるようになっていました。しかし、自分の愛はそんな鍵1つじゃ止まりません。窓から侵入してみたり、寮母さんのふりをしてみたり、あの手この手で部屋に居座り続けました。本当にごめんなさい。
1年生の頃、誰かの部屋に集まったら平気で5時間くらい経っていたこと、東京ステイのみんなとお風呂で大合唱していたら、寮母さんに全裸で怒られたこと、ご飯を食べるお店を決めるのに1時間くらい毎回かかること、公園でチルしたこと、4年間のすべての記憶に自分の隣にはみんながいました。引退して、会えなくなった時のことを考えるとぞっとします。みんなと一緒にいるとすごく落ち着くし、なんだか居心地が良かったです。言葉で言い表すのは難しいですが、なんかずっとポカポカしています。お風呂に浸かっているみたいでした。面白くて良い人ばかりのみんなに出会えて、自分は本当に幸せ者です。色々理不尽な事、辛い事も多かったけど、この115期だから乗り越えることが出来たと思います。本当にみんなありがとう!絶対4連覇しようね!

写真左から 中澤、山口力、田村、伊藤裕、飯塚悠斗(4年・内・社会・早大本庄)

写真左から 依田塁(4年・投・文・早大本庄)、中澤、冨田大地(4年・学コ・スポ・日立一)
田村へ
初めて田村を見た時は、見た目が怖すぎて全身震えたけど、本当はめちゃくちゃ面白くて良いやつでギャップ萌えして、また震えました。田村と7年間も一緒に過ごせて、本当に良かったです。学院に入ってくれてありがとう。大好きです。これからもよろしく。ドタキャン癖だけは直してね。
椎名へ
椎名が隣の部屋にいないとなんだか落ち着きません。いつも聞こえていた重低音が恋しいです。椎名は表には出さないけど、人一倍熱い思いを持っているのを知っています。絶対神宮でヒット打ってね。多分泣きます。でも、茨城いじりはこれからもやめません。
真央へ(山口真央・4年・投・社会・早大学院)
真央は野球に対してすごく勉強熱心で努力家だと思います。めちゃくちゃ尊敬してます。いつも同じ左投手として意識してました。真央に負けないように頑張ろうと思えたよ。ありがとうね。また、高田馬場のスパゲッティ食べいこ。
力樹へ
りきとは4年間ほぼ毎日一緒にいた気がします。本当にどうしようもない奴だなと思う時がほとんどだけど、りきと一緒にいると辛いことも全部忘れられます。本当に毎日楽しかったよ。俺のことダルいなと感じることもいっぱいあったと思うけど、いつも色んな事に付き合ってくれてありがとう。大好きです。
渋谷へ
渋谷は多分ツンデレです。部屋に行くといつも嫌な顔されます。本当は、来てほしいくせに。君がぎっくり腰を患った時にドライヤーで髪を乾かしてあげたのは俺ですよ。渋谷の肩の力が抜けている無気力な感じ好きです。これからもいっぱいダル絡みします。
飯塚へ
飯塚とは、ずっと一緒にいたけど、何を考えているか本当に分かりません。何に使うか分からない物が、飯塚の部屋には沢山あります。でも、飯塚のおかげで多くのステイの思い出が出来ました。沢山スナチャ撮ったね。いつもありがとう。一生カメラロールに残します。

写真左から 今井千凱(4年・外・人間・長崎西)、山口力、中島、中澤
福太郎へ(清宮福太郎・4年・外・社会・早稲田実)
福太郎とは、ディズニーに行ったり、イルミネーションを見たり、ゴンチャを飲んだり、世の中のカップルがやりそうなことは大体やりました。思い出話は尽きることがありません。正直、福太郎が自分の話で笑ってくれると内心めちゃくちゃ嬉しいです。絶対顔には出さないけど。あと、君は絶対に男子校側の人間だよ。君の子供は学院においで。
裕平へ
裕平はすぐ尖ったことを言い出します。かなり棘があります。どんな脳内をしているのかすごく興味があります。でも、本当は優しい人で、裕平の笑った顔が大好きです。薔薇みたいな人間です。その笑顔を初対面の人たちに向けてあげたら、みんなと仲良くなれるとすごく思ってます。
千凱へ
千凱はポンコツすぎます。ポンコツエピソードありえないくらい話せます。ついこの間もオートロックの家なのに、鍵を持っていくのを忘れて、深夜2時に睡眠場所を求めて、助けを求めてきました。でも、誰にでも優しく、ラーメン二郎をおかわりするくらい大食いで最高な男です。自分が女の人だったら間違いなく惚れてます。ちょっとカッコつけ過ぎだけどね。今度、長崎連れてってね。
ふうきへ(黒嶋風希・4年・内・教育・佐賀西)
ふうきは口調はすごい穏やかなのに、すぐキレます。怒りの沸点がおかしいです。笑いのツボも変です。ふうきと一緒にいるとこっちも自然と笑顔になります。全部が面白くて大好きです。スマブラは俺より弱いけどね。
成輝へ(齋藤成輝・4年・投・文構・早大本庄)
成輝とはしょうもないことで沢山言い争いました。大体、成輝が叫び出して終わっていたと思います。あれは多分試合終了のゴングを表していたのでしょう。あの無駄な言い争いの時間好きなのでずっと続けましょう。
石郷岡へ(石郷岡大成・4年・外・社会・早稲田実)
毎週授業終わりに、高田馬場を歩いたのが懐かしいです。いつも、馬の話をしてきました。それは今も変わっていません。なんだか最近、リーグ戦で活躍しすぎて、遠い存在になってしまったと感じる時もあるけど、馬の話をしている石郷岡は何も変わっていなくて安心します。これからも色んな競馬場に行きましょう。
中島へ(中島稜太・4年・学コ・人間・桐朋)
中島が同期で本当に良かったと思います。誰よりも同期思いで、声を出して、ノックを打つ、そんな中島の姿は本当にかっこいいです。中島がいない115期は考えられません。本当にありがとう。でも、中島が運転する車には絶対乗りたくないです。自転車で電柱にぶつかる男なので。
梶田へ(梶田笙・4年・投・スポ・早稲田摂陵)
梶田は能天気な男です。何かを聞いたら「んー、なんでもいいんじゃなーい」と答えになってない返答が来ます。いつも困ってます。その気楽な感じが梶田の良さで、好きな所です。能天気な性格なのに、曇りの日に低気圧でやられちゃうのはやめてください。
瑞樹へ
瑞樹は私生活と野球の姿が真逆です。野球をしている時の姿は本当に頼れます。私生活だとあんなに大きい体がとんでもなく小さく見えます。それも瑞樹の良さです。でも、この前乃木坂のライブに一緒に行った時は、めちゃくちゃイキイキしていました。あんなに楽しそうな瑞樹は2度と見れないと思います。
冨田へ
本当に2年間投手コーチとして、投手陣をまとめてくれて本当にありがとう。冨田が投手コーチをしてくれなかったら、全くまとまりのない投手陣で終わっていたと思います。多くのストレスをおかけしたと思います。いつも自分のことを気にかけてくれていたけど、全く期待に応えられなくてごめん。怒っている時の冨田の顔はすぐに分かります。また、布団でぬくぬくしよう。
「家族へ」
自分は、生まれて22年間1度も大きな怪我や病気をしたことがありません。骨折はおろか、捻挫すらしたことがありません。こんなにも頑丈な体に育ったのは間違いなく、両親のおかげです。最後の2年間は、試合に出て活躍する姿を見せることが出来ず本当にごめんなさい。ただ、家族のおかげで幸せな野球人生を送ることが出来ました。本当にありがとう。
母はいつも朝早くから練習がある自分のために、何1つ文句も言わずお弁当やご飯を作ってくれました。野球のことは全然知らなかったはずなのに、自分の試合を毎試合見に来てくれているおかげでめちゃくちゃ詳しくなっていた気がします。いつも見に来てくれてありがとう。よくラインをしてくれるけどいつもそっけなく返事しちゃってごめんね。大体のラインの最初の文章が「生きてる?」から始まっているけど、お陰様で元気に生きてます。引退したら、一緒にフィギュアスケート見に行こうね。
父は練習の送迎や休日にはご飯を作ってくれました。父も野球は全く詳しくなく、野球のことで何か教わったり、怒られたことは一度もありません。陰から見守ってくれた父のおかげでのびのびと野球が出来ました。いつも自分の選択を尊重してくれ、自由にやらせてくれてありがとう。引退したら、料理教室おねがいします。
兄は、自分が幼い頃はよくキャッチボールをしてくれました。野球も兄の影響で始めました。性格が真逆で喧嘩することも少なくなかったけれど、何でもできちゃう兄を尊敬しています。結婚式は呼んでください。
最後になりますが、私は115期で本当に幸せでした。一生忘れることはないです。この「チーム小澤」で絶対優勝しよう。小澤をみんなで胴上げしよう。
とんでもなく長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。
次は、ドライヤーの音がする場所にこの男あり、中島に回します。