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主将 小澤 周平
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【僕たちが歩んだ4年間】㉒〜中島稜太〜

22人目は、 中島稜太(学コ・人間・桐朋)です。

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中澤(中澤凱・4年・投・社会・早大学院)からバトンを受け取りました、中島稜太と申します。
「将来中島の運転には怖くて乗れない」と書かれたことについては「中澤にだけは言われたくない」と言ってやりたいところですが、いつも周りを明るくしてくれる中澤の、中澤らしい文章にとても心を動かされました。中澤!楽しい時間をいつもありがとう。
自分も4年間の思いの丈を一生懸命綴ったので、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

早稲田大学野球部に入部した当初のことは今でも鮮明に覚えています。浪人をして早稲田の野球部を目指した自分にとって、「目標の場所にやっと辿り着けた」と嬉しく思った一方で、とてつもない大学野球の厳しさに圧倒されました。球場に張り詰める緊張感、毎朝6時から始まる一年生の仕事、走っても走っても終わらない『1年生ラン』。自分の中でこれまでにない相当な覚悟を決めて飛び込んだつもりでしたが、肉体的にも精神的にも追い込まれ、しばらくの間は緊張や不安で押しつぶされてしまっていました。今となっては信じられませんが、誰1人として知っている顔がいなかった自分にとって、115期の同期のみんなも最初は怖く見えて、なかなかうまく話せなかった気もします。
そんな中、1番最初に話しかけてくれたのが渋谷(渋谷泰生・4年・内・スポ・静岡)でした。ある日の1年生ランが終わった後の昼休憩のとき、右も左もわからず不安そうな顔をしていた私のところに駆け寄り、持っていたカツサンドを半分分けてくれて、2人で一緒に食べたのを覚えています。あの時なんだか少し救われた気がしたよ。ありがとう。
厳しい練習に、朝から晩まで続く雑用に、肉体的にも精神的にも追い込まれて1年生がスタートしました。それでも、当時あれほどまでにキツかった1年生ランも朝準備も補助も、あの1年間をみんなで乗り越えたからこそ、同期みんなと仲良くなれたと思いますし、今となっては115期の仲が深まった大切な思い出です。
グラウンドにブルーシートを敷いてこいと先輩に怒られ、朝準備で同じ箇所を担当していた力樹(山口力樹・4年・内・スポ・早稲田佐賀)と一緒にグラウンドに向かったは良いものの、2人でおしゃべりに夢中になっているうちにシートを敷くことを忘れてそのまま何もせず帰ってきてしまい、また怒られるという事件もありました。今となってはそれも笑い話です。

また、大学野球の技術的なレベルの高さも痛感し、1・2年生の間はただただ練習についていくことに必死だった記憶があります。神宮の舞台に立ちたいという気持ちと裏腹に、何もできない自分が悔しく、全く先が見えない状況が続きました。

転機となったのは3年の8月の下旬頃。ある日の練習後、既に学生コーチをやってくれていた創志(大西創志・4年・学コ・人間・城北)から「話がしたい」と連絡をもらいました。早稲田の野球部は、3年生の11月、自分たちが新チームの最上級生になるタイミングで、選手の中から学生コーチを2人選出しなければいけないというルールがあります。何となく創志が言いにくそうにしている雰囲気も感じ取り、学生コーチの話だろうなと思って行ってみると、やっぱり勘は当たっていました。
正直、ずっと前から覚悟はできていました。高校2年の春に右膝の前十字靭帯を断裂し、大学に入ってからは、大学2年生の冬に2度目の手術を経験。なんとか復帰したものの、大学3年のシーズンはうまく走ることすらできずに、練習中に転倒を繰り返したこともありまし
た。選手として身体が限界なのはわかっていたし、結果も残せていなかった自分が学生コーチになった方がいいはずだという気持ちも心のどこかにあって、次第に選手を引退して、チームを支える側に回ることを意識するようになりました。3年生の1年間は「今日が野球人生最後の日になっても後悔ないように」と自分に言い聞かせながら毎日グラウンドに向かっていたのを思い出します。
しかし、いざ創志から「一緒に学生コーチをやってほしい」という言葉をもらうと、学生コーチを引き受けると即答することがどうしてもできませんでした。「野球を辞める」ということの重みが一気に現実として押し寄せてきて、前から覚悟は決めていたつもりだったのに、その現実を受け入れることができなかった。これまで続けてきた野球を辞めることがやっぱり怖かった。
野球を始めた時のこと、父と2人で練習したこと、母がどんな時も支えてくれたこと、そして早稲田のユニフォームで神宮に立つという夢が途絶えること、色々なことが頭をよぎる。
「野球を辞めたくない」
そんな気持ちが溢れた。そこからの数週間は自分の中で選手を辞める恐怖と向き合い、思い詰め、寮の部屋で泣いたこともありました。

それでも学生コーチをやろうと決心できたのは、「このまま終わりたくない」「この早稲田で何か存在意義を見出したい」という強い気持ちがあったから。そして、何より115期の同期みんながそばにいてくれたからだと思います。
想像を絶するプレッシャーの中神宮で戦っている同期がいる。Bチームで一緒に悔しい思いをしてきた同期がいる。1年生・2年生のときからスタッフとしてチームを支えてくれている同期がいる。
みんなそれぞれの立場で、それぞれの悔しさや悩みを抱えながら、必死に頑張っているはずだ。みんなそれぞれの不安と闘っているはずだ。だったら、自分だってこんな不安に負けているわけにはいかない。
そう思えば、自然と前に進むことができました。そして、いつも支えてくれる同期のみんなの為に、学生コーチを全力で全うしようと心に誓いました。

こうして私は学生コーチとして野球人生ラストイヤーをスタートさせました。
全ては4連覇を達成するため。学生コーチとしてこのことだけを必死に考えてここまでやってきました。
時の流れは本当に速く、冬の強化期間から春の浦添キャンプ、春のリーグ戦、夏の南魚沼キャンプまで、みんなと必死に進んでいくうちにあっという間に時間が流れていってしまいました。浦添キャンプのホテルで清宮(清宮福太郎・4年・外・社会・早稲田実)梶田(梶田笙・4年・投・スポ・早稲田摂陵)と3人で夜な夜な語り合ったことも、国際通りで同期みんなで飲んだことも、春リーグ優勝した日の夜に4年生で打ち上げしたことも、まるで昨日のことのようです。

ここで、これまでBチームで頑張ってきた同期にも自分の思いを伝えたいと思います。
自分が学生コーチになったとき、4連覇を達成することに全てを懸ける覚悟をしましたが、実はもう1つだけ心に決めていた目標がありました。それは115期「全員」が笑って大学野球を終えること。「全員」とわざわざ強調したのは、メンバーだけでなく、メンバー外であっても、これまで一緒に過ごしてきた同じ115期の仲間として最後まで一緒に闘って、一緒に喜び合いたいという思いがあったからです。
今みんながやってくれているみたいに、どんなに小さいことでもいいから自分なりのチームへの関わり方を見つけて、最後まで一緒に闘おう。全員が115期になくてはならないピースです。そして最後は「全員」で笑って終わろう。

そしてこうしてついに野球人生最後となる秋のリーグ戦が開幕しました。
ここまで本気で野球と向き合って、みんなと熱くなれるのも残り僅かです。
特にこの秋のリーグ戦、代打で打席に立った同期の打席に心が震えました。立教戦の将太(黒﨑将太・4年・捕・文・國學院久我山)のタイムリーに、法政戦の一輝(松江一輝・4年・内・人間・桐光学園)のタイムリー。これまでの4年間、散々悔しい思いを経験してきた2人の意地の1本だったと思う。選手だった時から学生コーチになった今でもよく一緒に練習をして、色んな話しをしてきた2人。当時の記憶も蘇って泣きそうになったし、自分のことのように嬉しかったよ。
そして、福(清宮)と椎名(椎名丈・4年・外・教育・早大学院)。これまでのリーグ戦では、悔しい思いをしたことも多かったかもしれないけど、残りの明治戦と早慶戦の2カード、必ず勝負所で回ってくるはずだから、自信持って打席に立ってきてほしい。福とは練習をするときもご飯を食べるときもいつも一緒に過ごし、楽しいこともしんどいこともたくさんの感情を共有してきました。そしてたくさん笑い合ってきました。本当に強くて優しい人間で、尊敬しています。いつもありがとう。椎名は、ノックを打ったりしたときはもちろん、日常のどんな些細なことでも必ず「ありがとう」と言ってくれるよね。学生コーチとしても大切な友人としても、その優しさに救われてるよ。いつもありがとう。
レギュラーとして早稲田の為に必死に闘ってくれている選手はもちろんのこと、代打・代走の切り札の選手も含めて、これからは総力戦です。そんな2人の神宮での1本も見られるよう、最後の最後までサポートしたいと思います。

明日からの明治戦、リーグ戦の山場となる大一番が始まります。
みんなと1日でも長く野球がしたい。明治戦、全員の力を合わせて絶対に2連勝しよう。早稲田が負けるはずがない。必ず4連覇を成し遂げてまたみんなで喜び合おう。

ここからは、これまで支えてくれたみんなに感謝の気持ちを伝えたいと思います。
<4年スタッフのみんな>
創志・畑(畑﨑一颯・4年・学コ・商・早大本庄)
この1年間はホントに色んなことがあったね。この3人じゃなければここまでやって来れなかったと思う。春優勝したり嬉しいこともたくさんあったけど、その分キツいこと、しんどいこと、理不尽なことだってたくさんあったよね。
それでもなんとかやってこれたのは、隣で一緒にノックを打ってる2人がいたからです。いつもありがとう。この1年間3人で色々必死に考えてやってきたことを、明治と慶應に全てぶつけよう。
4連覇して日本一になって終わるまで、あと少し頑張ろう。

野球でも2人での学生寮生活でも、いつも楽しい時間を一緒に過ごしてきた周良(飯島周良・4年・学トレ・教育・早大本庄)には感謝してもしきれません。いつもありがとう。
なにかと3人で集まってはご飯に行って、悩みを話したりお互い励まし合ってきた晴輝(北嶋晴輝・4年・マネ・スポ・早稲田佐賀)大地(冨田大地・4年・学コ・スポ・日立一)。必ず4連覇して今度こそは嬉しい乾杯をしようね。
深い話をたくさんした、優しくて明るいかおり(成瀬かおり・4年・マネ・スポ・千種)彩希(井上彩希・4年・マネ・スポ・金沢泉丘)。この学年がうまく回っているのはマネ室から支えてくれてる2人のおかげだよ。いつもありがとう。
あと少し、みんなで力を合わせて頑張ろう。

<主将の周平>(小澤周平・4年・内・スポ・健大高崎)
この1年間、プレッシャーや責任感から大変なことがたくさんあったと思うけど、ここまで早稲田を引っ張ってきてくれて本当にありがとう。周平の言葉に何度も救われました。
秋の東大戦が終わってチームがバラバラになりかけたとき、一緒に夜ご飯に行ったよね。あのとき本音をぶつけてくれてありがとう。4年生みんな周平のことが大好きです。最後までついていくから、4連覇・日本一で終わるまであと少し頑張ろう。

<115期のみんなへ>
ここまでの激動の4年間を、115期のみんなと歩んで来れて本当に幸せでした。
4年間を思い返すと、自分はいつもみんなに囲まれていて、どんなときも笑い声が絶えない本当に幸せな時間を過ごしたなと思います。
周平、スタッフ陣のほかにも感謝を伝えたい仲間がたくさんいます。
一緒に朝準備をやってきた瑞樹(吉田瑞樹・4年・捕・スポ・浦和学院)・力樹、3人で色んな所に行った梶田・渋谷、腹がちぎれるほど笑わせてくれた中澤・裕平(伊藤裕平・4年・投・人間・水沢)、シャワー室でくだらない笑い話をした千凱(今井千凱・4年・外・人間・長崎西)田村(田村康介・4年・内・商・早大学院)、寄り道ばかりしながら毎日一緒に帰った風希(黒嶋風希・4年・内・教育・佐賀西)、2人でたくさんの時間を過ごした椎名、新大久保で何度も乾杯した福・悠斗(飯塚悠斗・4年・内・社会・早大本庄)成輝(齋藤成輝・4年・投・文構・早大本庄)、一緒に練習して色んな話をした一輝・将太、そして厳しい練習を乗り越えてきたメンバーのみんな、楽しい時間をたくさんくれたクラハのみんな。名前を挙げたらキリがないですが、同期全員とそれぞれ大切な思い出があります。

写真左から 清宮、田村、今井、吉田瑞、中島、渋谷

4年間を振り返るとみんなのおかげで本当に幸せな毎日でした。巡り会えた全員に心の底から感謝を伝えたいです。本当に、本当にありがとう。これからの人生でもよろしくね。
先輩の皆さんも、後輩のみんなも、お世話になりました。みんなと出会えてよかったです。これからもよろしくお願いいたします。

そして、これまでの野球人生を一番近くで見守ってくれた家族に、この場をお借りして感謝を伝えたいです。
<両親へ>
小学校1年から大学4年まで、長い間好きな野球をやらせてくれて本当にありがとうございました。小さい頃から今の今まで、家族3人で過ごしてきた時間を振り返ると、決して良いことばかりではなかったけど、2人の温かさに何度も救われたことを思い出し、心から感謝の気持ちでいっぱいです。いつもありがとう。
早稲田の野球部に飛び込んで、本物の大切な仲間に出会えて、大切なことをたくさん学んだよ。
いつも優しくて温かい両親だけど、きっと2人のことだから、自分の見えないところでたくさんの心配や苦労をかけてしまっていたよね。
これからたくさん恩返しするから、いつまでも元気でいてね。

〜最後に〜
テーマを「彩り」としたのは、早稲田の野球部で過ごした4年間で、この仲間とたくさんの色の感情を経験し、自分の心の「彩り」がまた少し豊かになった気がしたからです。
また、自分たち115期も、それぞれ違った素敵な36色が混ざり合って、最高の「彩り」になりました。本当にありがとう。

次は、色で例えるなら鮮やかな黄色が似合う気がするかおりに回したいと思います!

最後まで読んでいただきありがとうございました。