【僕たちが歩んだ4年間】㉟~大西創志~
35人目は、大西創志(学コ・人間・城北)です。

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平素より野球部への多大なるご支援・ご声援をいただき、誠にありがとうございます。
背番号50・今年度新人監督を務めております大西創志です。
私の選手時代のキャッチボールの相棒であり、今では早稲田の主務として大活躍の晴輝(北嶋晴輝・4年・マネ・スポ・早稲田佐賀)からバトンを受け継ぎました。いつマネ室を見ても彼の姿があり、本当にいつ寝ているのか心配になりますが、引退して時間ができたら少しゆっくりしてほしいと思います。キャッチボールもしよう!
野球人生の最後にこのような機会をいただけたので、私自身についてと、私に「居場所」をくれた仲間たちに向けて拙いながらも精一杯綴りました。ご一読いただけますと幸いです。
まず私が早稲田大学を志した理由と、これまでの野球人生を少し振り返りたいと思います。
これまでの野球人生、総じて逃げてばかりでした。小中学生の時、当時はまだ年齢にしては体が大きく野球に自信があったものの、選抜チームや強豪シニアのセレクションは落ちたら恥ずかしいと思い受けず、高校の進学も「俺は勉強でいくから」と理由を付け野球での進学を辞めました。怪我も理由の1つでしたが、何より通用しなかった時・うまくいかなかった時が怖かったからです。しかし高校3年時、大学進学について考えた時に、それまでの幾つかあった野球人生における上のレベルへの挑戦の機会を、取るに足らないプライドで断念してきたことへの後悔から、挑戦することを決意しました。そして野球推薦でなくとも入部することができる最高峰の大学である、早稲田を選びました。ただ小中学校時代に対戦経験のある数名、そして忘れもしない、高校時代に秋季大会で対戦した将太(黒﨑将太・4年・捕・文・國學院久我山)と再会し、高校の同級生である増田滉生(東京大学4年)とは神宮の舞台で再会するのですから、縁とは不思議なものです。
こうして早稲田大学野球部に入部し、石郷岡(石郷岡大成・4年・外・社会・早稲田実)と朝準備中にかける音楽で毎日争い、時には高所のネットを補修するため肩車をしながら仕事をする毎日が始まります。1年生ランや補助が体力的に辛いものである上に、Bチームの練習でも圧倒されるような緊張感で、早稲田の野球部がどのような場所かを痛感したことを鮮明に覚えています。2年生になっても選手として頭角を表すことができず、加えて中学時代からの腰痛に苦しみ、故障者リスト入りを繰り返しました。特に2年生の夏は本当に寝るのもやっとで、苦しかったことを覚えています。
この時期に野球人生の最大の転機が訪れました。早稲田では2年生の秋、新チームの発足のタイミングで野手と投手で1人ずつ選手を引退し、その時選出された野手の学生コーチは、最高学年になるタイミングで「新人監督」として幹部になります。上記のように1年後に新人監督となる学生コーチを決めるミーティングが始まったのが、2年生の夏でした。最初は推薦という形で同期全員が推薦者とその理由を書いて集め、17人の票が自分に集まった記憶があります。全員分読みました。特にそれまでの自分の取り組みの姿勢を評価してもらい、嬉しい気持ちもありました。ただ、それ以上に「学生コーチになる=選手としての野球が終わる」というシンプルな言葉とは裏腹に、十数年間続けてきた野球をあと3ヶ月で辞めなければならないという差し迫った現実とのギャップに対して、途方も無いような気持ちも同時に抱きました。そんな想いを抱えたままいたある日の練習後、なかじ(中島稜太・4年・学コ・人間・桐朋)と自主練をしていた時、「学生コーチの話どう?」となかじが聞いてくれ、自分の中にあった誰にも言ってこなかったものが不思議と溢れ出てきて、室内練習場で置きティーをしながら涙が止まらなくなりました。自分の選手としての可能性やそこに懸ける想いと、115期のみんなとリーグ戦で優勝するために自分に何ができるのか。それを天秤にかけ、自分の持てる力を認めてくれた同期のために還元したいと本気で思い、優勝するために学生コーチとしてこの野球部を支え、その責任を担うことこそが自分の役割だと信じ、なかじと話したその夜に学生コーチになる決心をしました。本当になかじは不思議な人です。なぜかするする自分の中にしまっていたものが出てきました。あの時は本当にありがとう。
そして野球選手としての最後の試合となった秋のフレッシュトーナメントの東京大学戦。後に十字架を背負うことになる試合ですが、怪我の治りが悪く直前の2ヶ月しか練習に参加できず、さして結果も出ていなかった私をベンチ入りさせ、打席に立たせようとしてくださった学生コーチの川内さん(川内脩平・R7卒)には感謝しかありません。また、ボールボーイを買って出てくれた同期、スタンドで見てくれていた先輩方含め部員の皆さん、本当にありがとうございました。こうして選手としての野球人生が終わり、試合後にそのままノックバットを買いに行き、その足で球場に戻り、ボールの箱が全て空になるまでノックの練習をしました。
ここからの1年間はあっという間で、主にBチームの練習作りをしながらAチームの練習を観察し、分からないことは齋藤コーチをはじめ印出さん(印出太一・R7卒)や川内さんら先輩に聞きながら、とにかく学ぶことを自分に課しました。そして自分たちの代になったらどんな野球ができるだろうか、そのためにはどんな練習をしたらいいのか、毎日一緒に練習しているBチームの選手の中から誰をAチームに上げられるかどうか、Bチームで頑張っている選手たちの中で1人でも多く神宮で活躍するためにどんな練習をして何を伝えればいいのか、下級生の教育はできているか、常に自問しながらあっという間に1年が過ぎました。
特に渋谷(渋谷泰生・4年・内・スポ・静岡)に対しては絶対頑張ってもらわねば、と考え半ば強制的にノックを受けさせてしまったのもそのためです。オフの日も練習後もたくさん電話してごめんね。あと何と言っても、力樹(山口力樹・4年・内・スポ・早稲田佐賀)には手を焼きました。悩みの種でした。でもなぜか放っておけない、そんな力樹のことが大好きです。また、そんな力樹をはじめとするBチームの選手たちと、この2年秋から3年秋にかけての一年間で、何度2時間かけて実籾まで行って、日本大学とオープン戦をしたか分かりません。でもたくさんオープン戦に一緒に行った選手、他にもBチームで頑張ってきた選手たちが、今年はAチームに食い込んで頑張っていること、いまBチームにいる選手も来年はさらに頑張ってくれるであろうことを、とても嬉しく思います。

そして3年秋から主将・小澤周平(4年・内・スポ・健大高崎)のもと新チームが始まりました。最初はみんな、小澤が主将に任命されたことに驚いていましたが、私はおそらく1人だけ、ずっと周平に主将をやってほしいと思っていたので、むしろ高揚感・期待感と共に新チームがスタートしました。ただ、たくさん悩みぶつかりました。周平と愚痴を言いながら2人で飲みにも行きました。副将を含め意見が合わなかったこともありました。冬の厳しい練習を選手に課し、ノックを打つ側の人間として、選手からは文句を言われたり嫌われたりもしたかもしれません。ただ、連覇を成し遂げた先輩方のチームを超えて優勝するには何か変えていかなければと常に考え、本気で意見をぶつけ合い、自分自身もみんなに支えながら冬を越え、あっという間にリーグ戦を迎え、無我夢中で一日一日を過ごした結果、優勝という夢のような景色を見ることができました。最後のアウトを取った後、福(清宮福太郎・4年・外・社会・早稲田実)とぶつかりながら一目散にマウンドに向かってみんなで右手を掲げたものの、未だ半信半疑だったような気がします。整列して応援席を見た瞬間に初めて優勝したことを実感し、ここが自分の「居場所」なんだと思えました。あの景色は一生忘れることのないものだと確信しています。
さて、チームは優勝が無くなり、チーム小澤で戦える試合は今週末の早慶戦だけとなりました。「秋は4年生のリーグ戦」とはよく言ったもので、どの大学もここぞという場面で4年生の力をひしひしと感じます。1年生の頃は分からなかった4年生の力というものの正体が、今では少しだけわかったような気がしています。そしてもちろん早稲田も、南魚沼キャンプから紆余曲折ありつつ、特に夏からここまでかけては4年生中心に頑張ってきたという自信があります。特に目立ったところでは、将太と一輝(松江一輝・4年・内・人間・桐光学園)の2人が打ったタイムリーがありました。本当に震えて鳥肌が立ちました。攻撃中は三塁のランナーコーチャーをしていてみんなとは遠く気づかれないのをいいことに、密かに少し涙が出ました。自分以外のことでこんなに喜んだのは人生で初めてです。彼らをはじめとして、読んでくださっている皆さんに「俺の同期ってすごいんだぜ」と言いたいことがたくさんあります。今挙げた2人だけでなく、福や丈(椎名丈・4年・外・教育・早大学院)、力樹も試合でいつ出番があるか分からない、そもそも回ってこないかもしれないその瞬間のために必死に練習し、試合では声を枯らす彼らを見て毎度心が震えてしまいます。他にもふざけているように見えて、重圧と闘いながらみんなを引っ張る人。オフの日も黙々とバットを振り続ける人。自分のことだけでなく投手もリードする人。優しくカバーする人。下級生の頃からマウンドに立ち続ける人。試合に出続ける人。人に左右されず黙々と練習する人。下級生に目を配れる人。目立たないけど、チームに必要なものを準備する人。人がやりたがらないことを率先してやる人。自分が出るわけではない試合を本気で応援する人。自分が野球をするわけではないのに、朝から晩まで練習の手伝いをする人。誰1人欠けてはいけない115期全員のことを心の底から誇りに思います。そしてこんな素敵な人たちと楽しくも苦く、尊い4年間を共に過ごすことができ、自分の「居場所」だと思える場所ができました。
本当にありがとうございました。このチームの完成形で早慶戦絶対に2連勝しよう!

ここからは1人1人に書きたいことが沢山ありますが、少し抜粋して書かせていただきます。
<主将・副将へ>
周平
周平が主将で本当に良かった。みんな周平に対して書いているけど、なぜか周平の周りには人が集まり一緒に頑張ろうと思わせる力があります。周平だったから俺も頑張れたし、周りもそれについてくるんだと思う。色々と嫌になること、しんどいこともあったけどそれも今週末で終わり。本当にあと少し、一緒に頑張ろう。
瑞樹(吉田瑞樹・4年・捕・スポ・浦和学院)
副将として、捕手として、難しい場面が多かったと思うけど、それを見せずに頑張ってくれて頼りにしてました。このチームの影のMVPは瑞樹だと思ってる。焼き鳥行こう!
健伸(前田健伸・4年・内・商・大阪桐蔭)
最近もうちょっと健伸と特守したかったなと少し心残りがあります。もう一塁線に打つことは無いと思うと寂しいです。いつもどこまでも打ちに行くよ!
一輝
一輝が苦労してきたことを、よく分かっているつもりです。自分自身のこと、チームのこと、両方しっかりするのが一輝らしくて尊敬してるし、頼ってばかりだったね。ありがとう。
<学生スタッフのみんな>
なかじ・いぶき(畑﨑一颯・4年・学コ・商・早大本庄)
なかじといぶきには本当に感謝しかありません。2人に一緒に学生コーチをやって欲しいとお願いして本当に良かった。俺1人では本当にここまでやってこられなかったと思う。俺が苦手なところを補完してくれて、何かお願いしようとした時には先回りして考えてくれて、感謝しかありません。不思議と深く、他の人としないような話が自然とできてしまう2人とは多分長い付き合いになると思うから、これからも構ってね!
晴輝
本当に頼りになる主務だった。チームのこと、たくさん話したね。晴輝がグラウンドにたくさん降りてきてくれて、話をしてくれたから、環境を整えてくれたから、グラウンド上で野球に集中できました。本当にありがとう。
かおり(成瀬かおり・4年・マネ・スポ・千種)・さき(井上彩希・4年・マネ・スポ・金沢泉丘)
2人が優しく温かい野球部を作ってくれました。仕事はテキパキしっかりするのに、しっかりふざけ合える2人は勝利の女神です!
冨田(冨田大地・4年・学コ・スポ・日立一)
お互い他の人には分からない悩みや難しさがあったと思うけど、個性豊かな投手陣を熱い心でまとめ上げて、投手陣も頑張っているから野手も頑張ろうと思えました。ありがとう。
ちから(飯島周良・4年・学トレ・教育・早大本庄)
人一倍このチームのことが好きで、選手と一緒に頑張れるちからがトレーナーだったからみんなも文句垂れながらだけどトレーニングがんばれていたと思う。ありがとう。

写真上段左から 岩崎慎之助(3年・学コ・社会・成田)、武藤真吉(3年・学コ・社会・早大学院)、吉田瑞、松江、前田健、冨田、北嶋、大西、小澤
<下級生のみんな>
知っている人もいるかもしれませんが、今年の50番は痩せすぎと言われ、7月からウエイトを始め、3年生数人の前で「引退までにベンチ100キロ上げる」と宣言し後に引けないので頑張っています。特にリーグ戦が始まってからは、一緒に過ごす時間も少なくなってくると思い、誰かいるかなと思いながら高頻度でトレ室に行くようになっていました。特に壽田(壽田悠毅・3年・外・社会・早稲田実)をはじめ3年生たちありがとう。
この秋は優勝できませんでしたが、来季以降また強い早稲田を見せてください。本気でやっていれば衝突することもあると思うし、全然構わないと思います。とことん気持ちも意見もぶつけ合い、妥協無く「早稲田の野球」を追い求めていってください。応援しています。
<家族へ>
両親へ。学生コーチになると伝えた時、母親は泣いていました。選手を辞めるということがどういうことか分かっていたつもりでしたが、その姿を見て選手が終わることを実感しました。野球道具、怪我の治療費、寮費、幼少期から野球に関わることで本当に金のかかる息子です。しかしそんな息子が選手を辞めるというのに、2人が私の決断を否定しないことを私はよく知っていました。父は「お前が決めたことならやりたいようにやれ」と幼少期から口癖のように言っていました。自分のやりたいことを何の疑いも無く口に出すことができ、それを応援してもらえることを信じて疑わない環境で2人が育ててくれたことが、いかに幸せなことなのか。その有り難さを今になって身に沁みて感じます。
妹へ。大学生になっても試合を見にきてくれてありがとう。小さい頃は野球でほぼ週末の休みは無くなり苦労をかけました。自慢の兄と言ってもらえるように、あと2試合頑張るよ。
本当にありがとう。これからたくさん恩返しします。

長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。最後は我らが主将、小澤周平です!朝のトイレ掃除は少しサボり気味だけど、きっと素晴らしい文章力で締めくくり、そして早慶戦に繋げてくれるでしょう!
主将 


