【僕たちが歩んだ4年間】㊱~小澤周平~
36人目は、小澤周平(内・スポ・健大高崎)です。

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平素より多大なるご支援・ご声援を賜り、誠にありがとうございます。今年度、主将を務めております小澤周平です。
最近、筋トレの成果もあって身体が一回り大きくなり、ノックで内野フライを高く打ち上げられるようになった大西(大西創志・4年・学コ・人間・城北)から、最後のバトンを受け継ぎました。大西は、どんな時も自分の1番の味方でいてくれた大切な存在です。これからもよろしく。
そして今回、最後の引退投稿という大役を任せていただきました。少し不安もありますが、感謝とこれまでの思いを込めて綴ります。どうかご一読いただけると幸いです。
この4年間、楽しかったことや嬉しかったことがたくさんありました。しかし振り返ってみると、1番多く味わったのは「辛さ」や「苦しさ」だったように思います。何度も野球を辞めたくなったし、時には本気で死にたいと思うこともありました。そんな日々を少し振り返りながら、自分の思いを綴らせていただきたいと思います。
まず、この4年間を語る上で、やはり外せないのが1年生の頃です。
高校ではそれなりの成績を残していたこともあり、大学でも最初からレギュラーを掴んで活躍しようと思っていました。しかし、現実はそう甘くはありませんでした。
樹(伊藤樹・4年・投・スポ・仙台育英)、瑞樹(吉田瑞樹・4年・捕・スポ・浦和学院)、雄大(尾瀬雄大・4年・外・スポ・帝京)、健伸(前田健伸・4年・内・商・大阪桐蔭)と、同期が次々とAチームの練習に参加していく中、自分だけが取り残されていました。ボールを使うことも許されず、1日中体力強化のメニューを繰り返す――もはや「練習」と呼ぶのもためらわれるような日々でした。早いときには朝4時に起きてグラウンド整備を行い、何度も先輩にダメ出しを受ける。そのたびに、自分の心が少しずつ削られていく感覚を覚えました。
それだけならまだ耐えられたかもしれません。しかし、何より辛かったのは、同期の練習をサポートする立場だったことです。Aチームが練習する横で、1年生はバッティングピッチャー、トス上げ、審判など、さまざまな雑用を任されました。高校で積み上げてきた自信やプライドが音を立てて崩れていくような、屈辱的な日々でした。しかし、そこでの経験は、自分にとって本当に大切な時間でした。
自分は田村(田村康介・4年・内・商・早大学院)と一緒に、セカンドアンツーカーの管理・整備を担当していましたが、本当にさまざまな思い出があります。寒い冬の朝、凍える手を擦りながら、2人でサザンオールスターズの曲を口ずさみ、凍った地面を掘り返し、土を何度も運びました。人工芝が灼けるように熱くなる夏の日には、ホースを引っ張ってきてグラウンドを湿らせる“ふり”をしながら、霧を掛け合ってその暑さを凌ぎました。そして今、そんな2人が同時に神宮の内野に立っていることに、改めて大きな感動を覚えます。
Aチームの補助としてのバッティングピッチャーは、ストライクを安定して投げられる選手が少なかったため、同期の中では重宝されていました。大西、北嶋(北嶋晴輝・4年・マネ・スポ・早稲田佐賀)、将太(黒﨑将太・4年・捕・文・國學院久我山)、渋谷(渋谷泰生・4年・内・スポ・静岡)――だいたいこのメンバーだったかな。毎日、誰が投げるかを相談して決めていましたね。ストライクがなかなか入らないと先輩に嫌な顔をされ、本当に辛かったです。でも、この経験があったからこそ、今の1年生の気持ちもすごく理解できると思います。
体力強化は、自分が1番苦手とするものでした。ポール間を何往復も走り、タイムが切れなければ終わらないメニューでは、いつも裕平(伊藤裕平・4年・投・人間・水沢)と一緒に最後尾で走っていたのが印象に残っています。グラウンドで話すとすぐに注意されるため、学生寮に戻ってから、まずい食事を食べながら2人で励まし合ったり、愚痴を言い合ったりした日々もありました。振り返ると、どれも本当にかけがえのない、最高の思い出です。
1年生の頃からAチームにいたメンバーは、とても羨ましく感じていました。プライドが高かった自分は、今思うと、どこかでその人たちを憎んでいた部分もあったかもしれません。しかし、みんながいたからこそあの1年間を乗り切ることができましたし、「絶対に負けたくない」という気持ちが、自分を頑張らせてくれた大きな要因だと思います。ここには書ききれないほどの、辛かったことや楽しかったことがたくさんあります。長くなってしまうので、1年生の頃の話はこのあたりで終わりにさせていただきます。
2年生に上がると、自分にとって大きな転機が訪れました。それは、金森助監督(当時はコーチ)の加入です。自分はバッティングを武器にしている選手でしたが、それまで全く良いパフォーマンスを発揮できていませんでした。そこで、自分は長い間プロのコーチとして活躍されてきた金森さんに、しつこいくらい毎日のようにバッティングの質問をしました。金森さんは嫌な顔ひとつせず、バッティングピッチャーとして何百球も投げてくれました。今こうして神宮で打席に立てているのも、金森さんのおかげと言っても過言ではありません。野球以外でも本当にお世話になり、言い方は少し失礼かもしれませんが、自分の中では“野球がめちゃくちゃ好きなおじいちゃん”のような存在になっています。これからも野球を続けますので、ぜひご指導よろしくお願いします。そして、ひばりヶ丘のラーメン二郎もまた一緒に行きましょう!

2年生のリーグ戦ではサードを守っていました。隣のショートには熊田さん(熊田任洋・R6卒)、セカンドにはがっさん(がたしゅー)(山縣秀・R7卒)、ファーストには野村さん(野村健太・R6卒)――錚々たるメンバーの中でプレーできたことは、本当に誇れる経験です。2年生で1番印象に残っているのは、秋の早慶戦でのサヨナラタイムリーです。一塁ベースを回り、試合が決まった瞬間に真っ先に自分の胸に飛び込んできたのは雄大でした。打った瞬間はあまりの集中で何が起こっているのか自分でもわからなかったのですが、雄大が来てくれた瞬間に、喜びが一気に爆発しました。
そして、責任感が少しずつ芽生えてきた3年生の頃。勝つ喜びと勝つ難しさ、負ける悔しさ――さまざまな感情を教えてくれた時期でもありました。印出さん(印出太一・R7卒)、吉納さん(吉納翼・R7卒)、カンセイさん(中村敢晴・R7卒)、本当にお世話になりました。いつもくっついて回って気持ち悪かったかもしれませんが、本当に大好きでした。神宮大会の環太平洋戦でサヨナラ負けをした日、自分は野球人生で1番悔しい涙を流したかもしれません。もっと野球がしたかったし、最後に優勝したかった――その思いが強くありました。あの悔しさこそが、このチームが本当に素晴らしかった証拠であり、このチームを越えなければならないという気持ちを、自分に刻んでくれた瞬間でもありました。
話を4年生の時に移します。まず、主将に任命された時のことをお話しします。環太平洋戦が終わった後、納会の前に、同期で主力として出ていた何人かのメンバーが監督室に呼び出されました。そこで監督は、力強い口調で「主将は小澤でいく」と告げました。冗談が好きな監督なので、最初は誰もが頭に「?」マークを浮かべ、「またまたぁー」といった雰囲気が流れていました。しかし監督は、「俺は腹を括ったんだ。小澤でいく」と再び私たちに伝えました。自分は、同期の中でも主将を務めるような性格ではないと思われていました。そのため、そこで流れていた時間は、どこか不思議な感覚に包まれていたように思います。
納会を終えた後、真っ先に自分は父親に電話をしました。そこで最初に言われた言葉は、「頑張れ!」ではなく、「大丈夫なの?それって辞退できないの?」というものでした。この父の言葉からも分かる通り、自分は今まで、そんな大役を務められるような性格や人間性ではなかったのだと思います。その後、印出さんに色々と教わりながら「頑張りなさい」と励まされました。その言葉通り、印出さんからキャプテンとしての心得をできる限り聞き出し、学ぼうとしました。
同期には瑞樹、松江(松江一輝・4年・内・人間・桐光学園)、健伸の3人の副将がいました。自分は、印出さんからいただいたアドバイスと、3人の力を借りながらチームを作っていこうと決意しました。この3人とは本音でぶつかり合い、緊張感のある話し合いを何度も繰り返してきました。今までの甘い自分を捨て、主将として変わるという決意もしました。この投稿にその具体的な内容を書いたら、ものすごい字数になってしまうので控えますが、本当にたくさんのことを話し合い、考え、行動してきました。
正直、主将になってからは、練習中も自分のプレーに集中する余裕はあまりなく、周りの様子を見るのが精一杯でした。さまざまなことを考える中で、細かい部分にも目がいくようになり、苛立ちを感じることも増えました。さらに、睡眠も十分に取れない日が続くなど、主将としての責任の重さを強く実感していました。そんな中で、3人と支え合いながらチームを作り上げ、明治を倒して優勝したときは、昨秋の環太平洋戦で流した悔し涙を超える、嬉し涙が込み上げてきました。今までの野球人生で1番幸せな瞬間でした。
本当に、いろいろなことがありました。敢えて詳しい内容は書きませんが、この4年間で最も辛く、苦しかった時期は、主将になってからでした。しかし、それもあとわずか。最後まで、早稲田大学115代主将としての責務を全うしたいと思います。
同期へ一言
こんな俺についてきてくれて、本当にありがとう。いつも厳しい言葉をかけていたけれど、俺だって本当はそんなことしたくなかったってことだけは伝えておきます。
でも、それが3連覇に繋がったなら、良かったかな。みんなと出会えて、本当に良かった!ありがとう。
あと、新チームが始まったときに、監督から「秋の早慶戦後、どんな自分を想像しているか」をレポートにまとめて提出しろという課題が出たのを覚えているかな?その時、俺は「同期のみんなから、何だかんだ主将がお前でよかったと言われている」と書いて提出しました。本当に俺が主将で良かったのかな?早慶戦に勝ったあと、ぜひ教えてほしい。


写真左から 田村、小澤、飯島周良(4年・学トレ・教育・早大本庄)
下級生へ
これまで俺についてきてくれて、本当にありがとう。最後に、あえて厳しい言葉をかけさせてもらいます。
このままじゃやばいぞ。覚悟を持って、頑張れ!
早稲田をいつも応援してくださっている皆様へ
神宮での試合後、多くの方々から温かい言葉をかけていただきました。選手たちにとって、本当に力になっています。今シーズンはなかなか思うようにいかず、優勝を逃してしまい申し訳ありません。しかし、最後の早慶戦では、自分たちがやってきたすべてを出し切り、全力で戦ってまいります。どうか最後まで、温かい応援をよろしくお願いいたします。
最後に両親へ
感謝の言葉は普段照れくさくてなかなか言えませんが、この場をお借りして一言伝えさせてもらいます。いつも、どこでも試合を観に来てくれてありがとうございました。金森さんにも「お父さんお母さん、仕事大丈夫なんか?」ってよく聞かれてました(笑)。2人の支えがあったからこそ、この4年間耐え抜くことができました。
主将、やりきったぞ!本当にありがとう!

 主将
主将 


