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【僕たちが歩んだ4年間】⑦~井上彩希~

7人目は、井上彩希(マネ・スポ・金沢泉丘)です。

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マネージャーの井上彩希です。
みんなの熱い想いを読んで、少しプレッシャーを感じつつも、拙いながらに綴ってみました。少しでも読んでいただけると嬉しいです。

はじめに
「なんでマネージャーになったの?」とよく聞かれますが、やっぱり一番は「野球が好きだから」です。他の競技なら、きっと続いていなかったと思います。その大好きな野球との出会いから振り返ります。

私はみんなのように、小さい頃から野球をしていたわけでも、好きだったわけでもありません。寧ろ、鬱陶しいものだと思っていたかもしれません。家のテレビでは、よくプロ野球が流れていましたが、ストライクとボールの違いすらも分からない私は、これの何が面白いのか、全く理解できませんでした。私が小学校に上がった頃に兄が野球を始めたものの、その時もまだ野球に興味は湧きませんでした。
そんな私でも、流石に、嫌でも野球の会話が入ってくる家庭にいるとルールを覚え始めます。そして、自分の成長と共に野球の面白さに気づき始めます。その後、これほどにも野球に携われるようになることは、小学生の私は知る由もありませんでした。

こんなところで野球との出会いの話は終わりにして、大学生活について綴ろうと思います。今、思い返してみると、本当に色濃く、たくさんのことを経験させてもらえた4年間でした。
まず、新人集合日。このときに初めてかおり(成瀬かおり・4年・マネ・スポ・千種)と対面しました。緊張しい私は、何を話したのかほとんど覚えていませんが、一緒に帰ったことは覚えています。次の日からは朝準備が始まりました。初日、人見知りの私は、同じ持ち場だった田和(田和廉・4年・投・教育・早稲田実)樹(伊藤樹・4年・投・スポ・仙台育英)に話しかけられますが、目を合わせて話すこともできず、「うん」くらいしか発声していなかったと思います。側から見たらただの朝から機嫌悪い奴でしたね。ごめんなさい。そんな2人と朝準備を共にしたので、私も150km/hの球を投げられると自認しています。
そして、8月。マネージャーとして認めていただくことができました。先輩方は、右も左も分からない私に、丁寧に業務を教えてくださったり、ご飯に連れて行ってくださったりと、沢山お世話になりました。感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。
また、アナウンスの練習をするときには、南さん(藤田南・R7卒)がたくさんアドバイスをくださり、無事、神宮球場でアナウンスを務められるまで成長しました。
石川県出身の私にとって、神宮球場は、とても新鮮で、特別で、憧れの場所でした。そのような場所で試合ができること、アナウンスができることは、決して当たり前ではなく、奇跡的なことだと今でも思っています。
2年生になると、後輩ができました。私は教えることが決して上手ではなく、こいつ何言ってんだと思われるようなこともあったかもしれません。でも、今ではなんだかんだ上手くやれているのではないかと思っています。私の雑なフリに対して小ボケをかましてくれてありがとう。日頃から業務面においても、フリの回収においても、とても助かっています。
3年生の思い出は、なんといっても春秋連覇です。3年春には、優勝パレードを行い、日付をまたぐ頃に帰寮しました。次の日から始まるフレッシュトーナメントに向けて準備をしなければならなかったのですが、体力的には大変なはずが、嬉しさが大きく上回り、覚醒しており、疲れなどほとんど感じていなかったと思います。それほど、喜びが大きかったということです。
4年生になると、最高学年としてのシーズンが始まりました。キャプテン小澤を中心とした春季リーグ戦は、苦しい戦いの末、2季連続の優勝決定戦を制しました。この時、ベンチ裏でかおりと周良(飯島周良・4年・学トレ・教育・早大本庄)と泣いて喜んだことを覚えています。自分たちの代での優勝は格別でした。
他にも、キャンプや遠征、学年会などなど沢山の出来事がありましたが、一つずつ書き始めると、卒論を超えそうなので、割愛させていただきます。

そして最後に
同期のみんなへ
まず、いつも私の雑ないじりに対して応えてくれてありがとう。伝わっているか分からないけど、私は、みんなのことをとても尊敬しています。1つの競技を10年以上も続けることは、難しく、凄いことだと思っています。そして、私にとって刺激的で、とても羨ましいです。競争が激しく、悔しい思いの方が多いはずなのに、グラウンドを出るとそんなことを思わせず、意味の分からない行動しか取らないみんなを見て、元気をもらっています。弾丸日帰りで行ったスノボも、たまたま通りかかって誘ってくれたご飯も、サプライズでもらったマネージャー就任祝いの名刺入れも、全て鮮明に思い出せるほど、素敵な出来事でした。こんな私を受け入れてくれてありがとう!の一言では収まりきりません。残りの期間、最後まで、全員で、全力で駆け抜けましょう!

写真左から 大西創志(4年・学コ・人間・城北)、井上、今井千凱(4年・外・人間・長崎西)梶田笙(4年・投・スポ・早稲田摂陵)、成瀬

かおり、晴輝(北嶋晴輝・4年・マネ・スポ・早稲田佐賀)
私は、2人に何度も助けられ、支えられてきました。2人がいなければ、ここまで来ることができなかったと思います。他にもたくさんあるけど、伝えたいことが多すぎて、長くなるので優勝したら話します。

写真左から 成瀬、北嶋、井上

そして、家族
私がここまで熱中するものを見つけられたのは、家族の存在があったからに他なりません。お父さんは、いつも私の選択を尊重してくれて、私のやりたいようにやらせてくれて、ありがとう。お母さんは、天然だけど、体力お化けで、器用で、私は到底及ばないなと常々思っています。私もお母さんに負けないくらい、明るく元気に過ごしていきます。あと、兄。兄がいなければ、野球をしていなければ、きっとここに私はいません。家の前でキャッチボールをして、私が下手くそすぎて早々に諦められていたけど、少しだけ上手になったと思うので、また相手してください。

感謝を伝えたい人は他にも山ほどいますが、目頭が熱くなってきたので一旦ここまでにします。

予想通り全く話がまとまりませんでしたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。マネージャーは、グラウンドに立って野球をすることができない分、応援してくださる多くの方々と関わる機会をいただけます。その度に、頑張ってと声をかけていただき、沢山の活力をいただきました。本当にありがとうございました。
また、この4年間、嬉しいことや楽しいことばかりではなく、寧ろ大変なことの方が多かったと思います。でも真っ先に思い出せるのは、不思議なことに素敵な光景ばかりです。こう思えるのも、私は誰よりも人に恵まれてきたからだと感じています。この与えられた恩恵を与える側になれるよう、これからの人生も精一杯頑張っていきます。これまで関わってくださった皆様、本当にありがとうございました!
明日の執筆者にも乞うご期待ください!