【僕たちが歩んだ4年間】⑧~今井千凱~
8人目は、今井千凱(4年・外・人間・長崎西)です。

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こんにちは!ポンコツキャラが定着してしまいました、今井千凱です。
とうとう4年間を振り返る時期となってしまいました。少し寂しいです。びくびくしながら安部球場に足を踏み入れたのが、ついこの間のように感じられるほど、大学4年間はあっという間でした。引退投稿を書くに当たって真剣に振り返って、私の4年間を文章に綴ったので、少しでも興味を持って読んでいただけると嬉しいです。
「4年間を振り返って」
早稲田大学野球部で過ごした日々は、貴重な体験の連続でした。特に1年生の頃は、1年生ランや朝準備、学ラン・学帽での登校など、二度と味わえない出来事ばかりです。間違いなく忍耐力はつきました。そんな自分のこれまでの常識を超える日々を少し紹介したいと思います。
まず入部早々の1年生ランでの出来事が印象深いです。当初は、怪我をしていたためグランドの脇で見ているだけだったのですが、隣にいた同期の松江(松江一輝・4年・内・人間・桐光学園)が「走るの遅くね」と言っておりました。タイムを切ろうと必死に走る同期に対して、そんな言葉が漏れてしまうのかと驚いたのを覚えています。だた、彼は自分にも他人にも厳しいだけで、熱くいい奴です。しかし、野球部を代表して参加した早稲田駅伝では一番遅かったのですが。あれって感じですね。怪我が治ってからは私も走りました。高校時代からよく走っていたため、走りに自信はありましたが、それでもきつかったです。あの時に同期と行ったサウナは、間違いなく過去一番整いました。また、この過酷な走りを乗り越えた同期は、頼れる仲間です。
朝準備では悠斗(飯塚悠斗・4年・内・社会・早大本庄)と「玉ねぎ係」を担っておりました。仕事内容は、旗を掲げることと、ガムテープでぐるぐる巻きになったボール(玉ねぎ)をチェックし、判別をするといったものです。計24箱を2時間でチェックするのは大変でしたが、コツを掴むと箱から箱へとゆっくり流すだけで判別できるようになりました。職人技です。この技を身に付けてからは、時間に余裕が生まれたので、最近の面白かった出来事や、好きな女優の話など、他愛もない話をしながら朝準備をしていました。楽しかったです。朝準備を始めてほぼ1年経った3月に旗をつけ忘れて怒られたことは、いい思い出です。このように衝撃を受けつつも徐々に慣れていきましたが、1年生の頃は生きるので精一杯でした。
2年生になってからは野球に時間を割けるようになりましたが、肩の怪我が治らずリハビリ生活でした。フレッシュトーナメントに出場することを目標にしていましたが叶えられず、メンバー入りを最終目標としていましたがそれも叶えられぬまま、今日まで来てしまいました。しかしその過程で大切なことを学びました。それは「積み上げた分だけそれ相応の報いを受ける」ということです。当然のことですが、改めてそのことに気づかされました。厳しい環境で、モチベーションを失う時期もありましたが、それでも自分の生き残る道を考えたり、トレーニングメニューを考えたりして、なんとかもがきながらやってこられたと思います。自主練習などで試行錯誤を繰り返し、以前よりも変化を恐れずに考えて行動する力が付きました。気づけば携帯のフォルダーは打撃動画で容量一杯です。ただ、神宮の舞台に立つことはできませんでした。自分に足りなかったものは、意志の強さだと思います。怪我をした時期、Cチームになった時期など、言い訳を探す自分がいました。その時、自分にできる精一杯のことをしていれば、少しは結果が変わっていたのではないかと思います。結局のところ、努力が足りませんでした。それでも、この4年間で得たものは計り知れないほど大きなものです。悔しさや不甲斐なさもありますが、その中で得られた経験や学びは、これからの人生を支えてくれる確かな糧です。大学野球という舞台で過ごした時間は、自分を大きく成長させてくれました。

最後に感謝のメッセージを送らせてください。
「115期のみんなへ」
長崎から上京したての頃は、慣れない都会での生活で不安もあったけど、そんなものはいつの間にか忘れていました。愉快な仲間に囲まれて本当に楽しい4年間でした。ありがとう。4年間みんなと野球ができてよかったです。ほとんどの時間をみんなと過ごしました。同じ目標に向かって練習した時間、遊びに行ったり飲みに行ったりした時間、全てかけがえのないものです。最後のリーグ戦が始まってすぐは、素直に応援できない自分もいましたが、今は笑って終わりたいと本気で思っています。春秋連覇、そして4連覇を成し遂げよう。


写真左から 齋藤成輝(4年・投・文構・早大本庄)、中澤凱(4年・投・社会・早大学院)、今井、黒嶋風希(4年・内・教育・佐賀西)、中島稜太(4年・学コ・人間・桐朋)

写真左から 中澤、清宮福太郎(4年・外・社会・早稲田実)、飯塚、今井、齋藤成
「両親へ」
これまで支えてくれてありがとう。小学校の頃、よく父に怒られ、試合の帰りの車が地獄のように険悪な雰囲気だったのが懐かしいです。自家製ボールを打ち込む毎日から、努力する大切さを教わりました。普段は寡黙なほうだけど、野球となると熱くなり、練習を手伝ってくれたことに感謝しています。
母には何度も明るい性格に助けられました。少々面倒くさいと思ったこともあったけれど、悩んでいる時の母の励ましほど心強いものはありません。あれある?これある?と気にかけてくれていたのに、返信が遅くて心配かけてすいません。中学のときは華奢だったけど、おいしいご飯で大きくなれました。私も父や母のように熱く、明るい人間になりたいです。
「弟妹へ」
弟へ。お互い頑張って、神宮球場と国立競技場の舞台に立つという約束は守れていません。ごめん。身長も気づけば追い越され、活躍を耳にするたびに刺激を貰っています。冬、国立の舞台に立つのを楽しみにしています。怪我には気をつけて、後悔ないように頑張れ。
妹へ。野球にサッカーに、朝早く起こされてはグランドを連れ回され、友達と遊びたいのを我慢して退屈だったかな。それでも応援してくれてありがとう。たまに「今日打ったじゃん!」って言ってくれるの、かなり嬉しかったよ。
「4年外野手陣へ」
その背中には届かず、ただ1人神宮の舞台に立ててはいませんが、みんなの存在は励みです。Aチームで活躍する尾瀬(尾瀬雄大・4年・外・スポ・帝京)、石郷岡(石郷岡大成・4年・外・社会・早稲田実)、椎名(椎名丈・4年・外・教育・早大学院)、松江、清宮、このメンバーに入りたくてしょうがないです。ただ1人置いていかれる焦り、それでもなんとかすれば目標が叶うかもしれない自分への期待、結果が出ず心が折れそうになったことも多々あったけど、努力を惜しまないみんなの姿があったから、負けられない思い、追いついてやろうという思いでここまで来ました。恥ずかしながら、最後の夏のキャンプのメンバーに選ばれたときは非常に嬉しく、色々な話をしながら野球に打ち込んだ2週間はとても濃密で幸せでした。残りの試合も鉄壁の外野手陣で優勝しよう。
この4年間、リーグ戦出場を目標に過ごしてきましたが、まだ憧れの場所には立てていません。チームの勝利に貢献できていないことへの悔しさや歯痒さはありますが、それ以上に、苦楽をともにした仲間と出会い、早稲田大学野球部で野球をやれて、夢を追いかけられたこと、本当に幸せ者だと思います。またこの4年間で多くの人との出会いがあり、色々な経験をすることができました。野球部の先輩方や後輩、高校の友人、これまで野球に関わってくださった方々など、感謝を伝えたい人は他にもたくさんいます。それほど本当に人に恵まれた大学生活だったと思います。力不足で、野球で花を咲かせることはできませんでしたが、人としては成長できたと思います。大学での経験を糧に、社会人で頑張っていきます。
拙い文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。枕元にダンベルを置いてそうな、トレーニー大倉にバトンを渡します。