【僕たちが歩んだ4年間】⑯~齋藤成輝~
16人目は、齋藤成輝(投・文構・早大本庄)です。

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こんにちは!早稲田大学野球部の誇るポンコツキャラ風希くんからバトンを受け継ぎました、4年の齋藤成輝です。
いつもはフワフワしていて何も考えていないように見える風希(黒嶋風希・4年・内・教育・佐賀西)が一生懸命書いた文章を見て涙が出そうです。ついに自分の番が回ってきてしまったということで、自分なりに精一杯書いてみようと思います。最後まで読んでもらえたら嬉しいです。
みんなが既に書いているように1年生の頃は精神的にも体力的にも辛かったです。
早稲田の伝統である朝準備ではレフトブルペンを担当しました。高校から登下校を共にしてきた石田(石田将基・4年・投・早大本庄)と分担しあい毎日の業務をこなしました。蜘蛛の巣がひとつでもあると先輩に怒られるという中で、朝に駆除したはずの蜘蛛の巣が夕方には大きな巣を作っていて怒られることもありました。
彼とは、大学で一緒に神宮の舞台に立ちたいという思いが自分にはありました。それと同時に石田には絶対負けたくないという気持ちが常にありました。でもこの思いはきっと鈍感な彼には伝わっていなかったはずなので、この文章を見てはじめて知ることになると思います。結局お互いリーグ戦出場の夢は叶えられなかったけど、フレッシュトーナメントで2人でベンチに入れた時は素直に嬉しかったです。7年間お友達でいてくれてありがとうございました。今までは誘われ待ちの石田くんでしたが、社会人になったらたまには誘ってください。
そして何より、辛かったはずの1年生期間をかけがけのない思い出にしてくれたのが東京ステイ(学生寮)で一緒に生活していた同期のみんなでした。朝はお互いに起こし合い、夜は毎日同じテーブルでご飯を食べ、一緒にお風呂に入りました。練習が終わって寮に帰ると、お風呂が先かご飯が先かと毎日のように言い争っていたのが懐かしいです。どんなに食べるのが遅くても食べ終わるまで待ってくれる優しいみんなと、くだらないことで笑い合えた日々は社会人になっても忘れないと思います。
親元から離れてのはじめての生活だったため最初は慣れない部分もありましたが、いつしか実家のような安心感のある場所となっていました。みんなありがとう。
あともう1つ。これは1年生の時の話ではないのですが、東京ステイの思い出として1つ書かせてください。それは投手コーチになりたての大地(冨田大地・4年・学コ・スポ・日立一)にカップラーメンを禁止され、麻雀に行くたびに嫌な顔をされたことです。今だから笑って話せますが当時は怯えていました。この辺の話は中澤、梶田(梶田笙・4年・投・早稲田摂陵)あたりと永遠に話せる気がします。
愚痴が言いたくてこの話を書いたわけではありません。普段言葉にできていなかった大地への謝罪と感謝の気持ちを伝えたかったからです。
まずは謝罪です。自分たち同期で話し合い、選手をやめて投手コーチになる覚悟をしてくれたのに、真摯にその役割を全うする大地に怒られるのが嫌で少し避けてしまったことです。本来であれば、慣れない役割を務める大地にもっと寄り添うべきだったのに、選手側の立場でしか物事を考えられていなかったと今では思います。2人で四国旅行に行ったり、実家にお邪魔させてもらったりしていた頃には考えられないくらい話さなくなりました。引退が近づくにつれてまた話す時間が増えてきたので嬉しいです。
そして感謝は、こんな投手陣をまとめて最後までやり切ってくれたことです。たくさん悩んでいる姿も知っているし大変なこともあったと思うけど、投げ出さないでやり遂げてくれてありがとう。4連覇の投手コーチになってもらうために全力で応援します。
そして話は戻りますが、野球では1年秋にフレッシュトーナメントで初めて神宮球場のマウンドに立つことができました。私にとって神宮球場は特別な場所です。そんな場所に立つことができたことが嬉しくて、今でもその時の写真は大切に保管しています。
野球が大好きな両親のもとで生まれ、物心つく頃には野球に触れていたのが私の幼少期でした。そんな家族の中で生まれた妹は小さい頃から私の野球に無理矢理付き添いで来てくれたりしました。色々我慢をしたり協力してくれてありがとう。そしてとても偶然なことに、今日10月11日が妹の誕生日です。この場を借りて誕生日おめでとう。楽しい大学生活を送ってください。
母は自分が野球をやるために必要なありとあらゆる手助けをしてくれました。その中でも朝早くから起きて弁当を作ってくれたことが印象的です。高校の時は片道2時間半の遠距離通学で、毎朝3時に起きて弁当を作ってくれました。そして帰るのがどんなに遅くても絶対に起きて待ってくれていました。母の支えなしに大学まで野球を続けることはできていませんでした。本当に感謝しています。
そして神宮球場を特別なものにしてくれたのは父です。父がかつてプレーしていた神宮球場の舞台に立ちたい。それが15年間の野球人生の集大成として、自分にとっても大きなモチベーションとなり、寄り添い続けてくれた父への1番の親孝行になると考えました。父はどんなに朝が早くても、場所が遠くても試合を見に来て動画を撮ってくれました。そしてその映像を毎日のお酒のおつまみにしてくれます。今でも小学生の時の試合とか見ちゃうような人です。その姿を見ていると少しは恩返しできたのかなと思います。リーグ戦で投げる姿を見せてあげられなくてごめんなさい。それだけが唯一の後悔です。でも大学まで野球を続けたことは一度も後悔したことがありません。野球というスポーツに出会わせてくれてありがとう。

2年生では春秋のフレッシュトーナメントをはじめ、新潟でのサマーリーグや静岡でのオータムリーグと様々な経験をさせていただきました。個人的にはサマーリーグでの慶應義塾戦で、応援部の方々の応援の中で投げさせてもらったことがとても良い思い出となっています。

写真左から 吉田瑞樹(4年・捕・スポ・浦和学院)、冨田、石郷岡大成(4年・外・社会・早稲田実)、齋藤成、伊藤裕平(4年・投・人間・水沢)、中澤凱(4年・投・社会・早大学院)
3年生になると今までの新人戦のようなものがなくなり、公式戦に出場する機会はリーグ戦に限られるようになりました。リーグ戦出場という最大目標の前に、段階を踏んで目標を設定することができていた下級生の頃とは異なり、目標が遥か遠いところにあることから、モチベーションを維持することが難しくなってきました。その頃から現在までチームは3連覇という結果を残し、試合メンバーに入るために必死に頑張ろうという気持ちは持ちつつも、その壁の高さを思い知らされる毎日でした。
それでも心の底からチームを応援できたのは、3年生ながらに試合で活躍する同期がたくさんいたからです。高校までは自分が試合に出なかったら、チームが勝っても心の底から喜べていない自分がいました。野球は自分が試合に出てこそ楽しいと本気で思っていたからです。その尖った考え方を変えてくれたのが同期のみんなです。練習から真摯に向き合い、リーグ戦でも躍動する姿はとてもカッコよくて尊敬しています。
特に秋のリーグ戦で石郷岡がベストナインを受賞した時が嬉しくて記憶に残っています。今でこそ馬大好きキャラみたいなのが浸透してますが、彼に馬の魅力を伝えたのは自分です。こんなにもハマってくれるとは。そうやって1年生の時から仲良くしていた同期が活躍する姿を見ると涙が出そうになるくらい嬉しいので、毎試合見ててワクワクします。最後のシーズンはホームラン見たいです。よろしく。
(↑とか言っていたらこの前の法政戦でしっかり打ってくれました。あの時だけは小さな体が大きく見えてカッコよかったです。)
4年生になってからは野球の思い出はほとんどないです(笑)。思い出の全ては同期との関わりの中にあります。野球の思い出はないとは言いましたが、全て野球部に入っていたから味わえた経験です。そして野球に本気で取り組んできたからこそ出来た信頼関係、絆だと思ってます。春のリーグ戦で神宮デビューをした同期もいます。彼らとは長い間Bチームで練習を共にしてきました。そうした努力の姿を知っているからこそ頑張って欲しいと素直に思えるのだと思います。
チームの声出し隊長として喉にポリープができてしまった福太郎(清宮福太郎・4年・外・社会・早稲田実)の努力も近くで見てきました。オフの日は一緒に過ごすことが多いのですが、映画とジム以外の予定が入っているのを見たことがありません。そのおかげで野球観戦に行ったりご飯を食べに行ったり出来ているのでそこはある意味感謝です。大好きな映画鑑賞と並ぶ予定がジムなのですから、努力する姿が容易に想像できますね。いい当たりが続いているので近いうちにヒット見せてください。

写真左から 中澤、清宮、伊藤樹(4年・投・スポ・仙台育英)、梶田、大倉啓輔(4年・投・早稲田実)、黒﨑将太(4年・捕・文・國學院久我山)、田和廉(4年・投・教育・早稲田実)、齋藤成、今井千凱(4年・外・人間・長崎西)、中島稜太(4年・学コ・人間・桐朋)

写真左から 清宮、齋藤成、飯塚悠斗(4年・内・社会・早大本庄)
最後に4年の思い出を語るとなれば、やっぱりBチームで長い時間を過ごしてきた同期達です。野球の思い出がなくてもこんなに毎日が充実しているのは間違いなく彼らのおかげです。キャンプメンバーから外れて実質的にリーグ戦出場を諦めなければいけなくなった時からは、みんなと話す時間のためにグランドに行っていたようなものです。そして練習が終われば誰かの部屋に集まったり、夜ご飯を食べたり。
特に風希と千凱は1人暮らし界隈としてたくさん一緒に外食してくれてありがとう。自炊を頑張ろうと意気込んで始めた1人暮らしでしたが、ご飯を食べに行くのが楽しくて気づいたらほとんど外食になってました。
他にもたくさんの思い出がありすぎて書くとキリがないのと、くだらない思い出が多すぎるのでここら辺にしておきます。
最後になりますが、私は野球というスポーツに出会えて良かったです。辛いことや苦しいことも少なくはありませんでした。やめようと思ったことも何度もあります。それでも早稲田大学野球部に入部をしたというこの選択を後悔したことはなく、財産だと思っています。野球を通じて様々な経験をし、かけがえのない仲間にも出会えました。これまで15年間の野球人生を支えてくれた全ての方々への感謝の思いを胸に、社会人になってからも頑張っていきたいと思います。長くなってしまいましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。
明日は、恋愛マイスター椎名丈(4年・外・教育・早大学院)です。女性だけではなく全読者の心を虜にするような文章を書いてくれるはずです。お楽しみに!