【僕たちが歩んだ4年間】㉔~畑﨑一颯~
24人目は、畑﨑一颯(学コ・商・早大本庄)です。

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畑﨑一颯です。本日0-1で敗戦しましたため、明治大学44回目の優勝が決定しました。おめでとうございます。優勝したかった。これに尽きます。暗いムードの中ですが、4年間を振り返っていきたいと思います。
小中高と穏やかな環境で野球をしてきた私にとって、ここはまさに異世界でした。初めてノックを受けた日、学生コーチの先輩に「声が小さい」と言われ、いきなり練習を出されました。その後も事あるごとに外され、まともに練習に参加することすら難しかったです。
補助の仕事でも、何かしては怒られ、何もしなくても怒られ、何をしたら正解なのか全くわかりませんでした。ティーバッティングで普通にトスを上げているつもりが「お前、当てられたいの?」と言われたときは、頭の中が「?」でいっぱいでした。どうやら私の投げていたコースは顔面直撃ゾーンだったようです。
とにかくどこにいても冷たい視線を感じ、グラウンドに行くのが嫌でした。先輩と目を合わせるのも怖く、常に下を向いていたせいで、持ち前のストレートネックがさらに悪化しました。自分の部屋で「大学生にもなって、何してるんだろう」と何度も退部が頭をよぎりました。
それだけではありません。自分勝手で仕事をサボりまくる同期にも悩まされました。特に國光(國光廣太・4年・外・教育・早稲田実)。仕事が楽なくせに放置するので、代わりに私がやっていました。恐らく、これを読んでも「何のこと?」と首をかしげて笑っていることでしょう。今度一発重いのを叩き込みたいと思います。
ただ、乗り越えられたのも同期のおかげでした。辛い時も一緒に頑張る115期の存在が心の支えとなっていました。練習着が黒すぎて怒られるきたじ(北嶋晴輝・4年・マネ・スポ・早稲田佐賀)。マシン入れでぼーっとしていてボールを入れ忘れる田村(田村康介・4年・内・商・早大学院)となかじ(中島稜太・4年・学コ・人間・桐朋)(後にマシン入れをクビになりました)。どっちの朝準備が大変か、意味のない言い争いを毎日していた渋谷(渋谷泰生・4年・内・スポ・静岡)と福(清宮福太郎・4年・外・社会・早稲田実)。罵声を浴びる毎日も、気づけば笑ってしまうような思い出で溢れていました。
2年生になり、ようやく野球に打ち込めるようになりました。といってもレベルが高く、ついていくのが精一杯。それでも「同期にだけは負けたくない」と必死でした。結果として、フレッシュトーナメント・サマー・オータムに出場できたのは自分にとって大きな財産となりました。自主練に付き合ってくれた石郷(石郷岡大成・4年・外・社会・早稲田実)、國光、渋谷、本当にありがとう。

3年生になりAチームが見えてきた頃、ボロが出始めました。私は重度の緊張体質で、普段の練習から吐きそうなくらい緊張していました。せっかくAチームに入っても、ミスを連発。思うように捕れず、投げられず。自分が情けなくて、かっこ悪くて仕方がありませんでした。2軍戦に出ても結果を残せず、「なんであいつが出てるんだ」と言われるたびに胸が痛みました。
周りがどんどん上手くなる中、自分だけが下手になっていく感覚。いつしかAチームを目指すどころか、Cチームにまで落ちていました。小さい頃から“輝きたくて”続けてきた野球が、いつしか自分の見栄やプライドをズタボロにしていくスポーツに変わっていきました。そんなとき、創志(大西創志・4年・学コ・人間・城北)に呼び出されました。
「一緒に学生コーチをやりたい。」
同期の中から誰かが学生コーチをやらなければいけないことは分かっていました。薄々、「自分かもな」と感じていましたが、結果を残せなかった悔しさや、支えてくれた両親への申し訳なさが、小1からやってきた野球を辞めるという決断を鈍らせていました。
けれど、創志のその一言が、私の背中を押してくれました。野球人生ラストイヤーを、新しい立場で過ごす覚悟ができました。
学生コーチとしてチームのために何ができるか、まずはノックの練習を始めました。するとある日、後輩が「せっかくなら打ってください」と声をかけてきました。それ以来、引退が近い今まで、ずっと同じようにお願いされ続けています。いつも「仕方ないな」と渋々引き受けるふりをしていますが、内心は嬉しかったりします。たまにガチでめんどいです。バッティングピッチャーもこっそり練習していたら、「せっかくなら投げてください」と言われるようになりました。結局、まともにストライクを入れられないまま引退を迎えそうですが(笑)。浦添キャンプで投げてやると意気込んでたのに投げられなくてごめん、尾瀬(尾瀬雄大・4年・外・スポ・帝京)。それでもバッピを申し込んでくる変人もいます。静岡高校は頭いいはずなのに、おかしいですね。
4年生になってからの時間は、本当にあっという間でした。夜、1人ではできないからとみんなで集まってやった就活。体調不良者続出の浦添キャンプ前入り組。室内練習で数多くの犠牲者を出した南魚沼キャンプ。どれも過酷だったけれど、かけがえのない時間でした。

中でも春のリーグ戦は忘れられません。崖っぷちからつかんだ優勝。あの瞬間の感情は今でも鮮明に覚えています。去年はどこか他人事でしたが、今年の優勝は格別でした。あの景色を見られただけで、4年間のすべてが報われた気がしました。
最近は夜、ひとりでいると少し寂しくなってしまい、つい依田(依田塁・4年・投・文・早大本庄)や渋谷の部屋を訪問してしまいます。それくらい、このチームが自分にとって居場所になっています。あれだけ退部したかったのに、今は引退したくない。
ここまで来たからには、最後の最後までチームのためにできることを尽くしたい。
そして、最後は全員で、笑って終わりたいです。みんなと野球ができて幸せでした。4年間ありがとう。
ここまでで既にだいぶ長いですが、最後に個別にメッセージを伝えさせてください。
母へ
3兄弟全員男で、全員野球やって本当に大変だと思います。怒ると怖くて、鬼みたいな形相になるけど、悩んだ時は優しく聞いてくれて、自分が大切にされているんだと感じます。これまで16年間も野球で負担をかけてきました。仕事も家事も完璧にこなす母さんを尊敬しています。本当にいつ休んでいるのかわかりません、だから母の日のプレゼントが兄弟そろって癒しグッズになるんだよ?しっかり休んでいる姿を息子にも見せてください。野球で恩返しできなくてごめんね。これからは別の方法でたくさんの親孝行します。母さんがいなかったらこんないい子に育っていません。本当にありがとう。母さんの息子で幸せです。
父へ
野球を教えてくれてありがとう。野球のおかげで数多くの良い出会いがありました。自分の人生を豊かにしてくれました。父さんの優しさにはいつも救われています。ただ、謝らなければいけません。定期的に送ってくるニュース、ほぼ読んでません。今度から読みます。懲りずに送ってください。
兄へ
小さい頃から駿希の弟だと可愛がられるのが好きでした。それも駿希が周りから好かれるからこそだと思います。よくケンカしたけど、フレッシュトーナメントの時にカメラ持ってスタンドに来てくれたのは本当に嬉しかった。駿希が兄で良かったと心から思ってます。今度ごはん行こうね。もちろん駿希のおごりで。
弟へ
いつも両方の兄からべたべたされてうざかったと思います。それも光幹の宿命です。これから野球も勉強もより大変になってくると思うけど、光幹なら何でも乗り越えていけると思います。頑張れ!!
115期へ
個性派揃いで大変だったけど、毎日が楽しかったです。朝準備がそれを物語っていたと思います。外に行けば、どこにいても聞こえてくる堀越(堀越健太・4年・投・スポ・宇都宮)の声。中々仕事が進まないホームアンツーカー。際かきばかりしている森丈(森田丈士・4年・内・人間・土佐塾)。音楽が流れるセカンドアンツーカー周平(小澤周平・4年・内・スポ・健大高崎)と田村。屋内に行けば、ラップを刻むちから(飯島周良・学トレ・教育・早大本庄)、チビ兄弟石郷・創志、お茶のコクを極めし一輝(松江一輝・4年・内・人間・桐光学園)。どこにでも笑顔が溢れ、誰といても楽しかった、本当に幸せな時間でした。

写真左から 椎名丈(4年・外・教育・早大本庄)、國光、飯島、畑﨑、依田、黒嶋風希(4年・内・教育・佐賀西)
スタッフへ
特にマネージャーの3人、本当にありがとう。スタッフに回ってからマネージャーの大変さが分かりました。多くのことで一緒に頭を悩ませてきたけど、どうしようか考えている時間も楽しかったです。あと少し頑張ろう!
國光へ
結局、君といる時間が1番長かったと思います。めんどくさかったけど、だるかったけど、楽しかったです。
渋谷へ
1ヶ月に1回はやる部屋の模様替え、やめた方が良いと思います。血迷ってしまった時の写真晒しておきます。あと自主練が長すぎです。キャボ、ノック、前ティー、バッティング、キャボ、ノック。意味が分かりません。映画見たり、流れ星見たり、サッカー見たり、いつも何かしら一緒に見てるね。いつも部屋に入り浸ってあげてるおかげかな。これからも入り浸ります。住所教えてね。

依田へ
特に最近は何をするにも依田と一緒な気がします。これからも変わらぬ依田でいてください。頼まなくても変わらないか。定期的に三鷹会しよ。
商学部2人へ
社学やら人科やらがほざいていますが、一番仲いいのは商学部だと思ってます。田村のおかげで単位が驚くほど楽に取れました。謝謝。健伸が遊びで誘ってくるときは全部ご飯です。引退後もおいしい店行こ。最後にまた3人でワセ飯行くのが私の夢です。
周平へ
キャプテンになるなんて想像してませんでした。覚悟決めてから、こんなにも頼りになる奴なんだと感心させられました。毎日相当なストレスだったと思うけど、チームを引っ張ってありがとう!ストレス発散また行こ。
真央へ(山口真央・4年・投・社会・早大学院)
あなたは人間性が終わってます。とても人にものを教えていい人ではありません。でもどこか憎めません。なぜですか。
創志へ
これまで大変なことしかなかったと思うけど、本当にありがとう。みんなに隠してるようなことも言い合える不思議な友人です。これからも何か悩んだら相談します。
後輩へ
「はたけさん、はたけさん」と近寄ってくるのが大好きです。みんなの活躍、期待してます。特によくノック打った組、渥美(渥美嘉成・3年・内・人間・札幌一)、足立(足立晃基・3年・内・教育・早稲田実)、大平(大平健一郎・3年・内・教育・早稲田実)、ぐっち(坂口優太・3年・内・スポ・國學院栃木)、永田(永田陽向・3年・内・文・早稲田佐賀)、海翔(髙橋海翔・2年・内・スポ・山梨学院)、山本(山本蒼空・2年・内・商・早稲田実)。頑張れ。
応援部の方々へ
いつも多大なる声援ありがとうございます。スタンドの部員の声が小さいのは少し悔しさもあるからです。あと武藤さん(元応援部吹奏楽団・早大本庄野球部卒)がいないから?ごめんなさい。その分4年生は喉が張り裂けるぐらい声出すので最後までよろしくお願いします!
最後に
この早稲田大学野球部での4年間は、神様が私にくれた「GIFT」だと思っています。いや、正確には、高3の時、「野球部に入部しないなら大学行かせない」と言い放った母からのGIFTです。あの一言がなければ、今ここにいる私はいないでしょう。うまくいかないことばかりだったけれど、この野球部で過ごした4年間すべてが宝物です。本当に、最高の経験でした。
次は、CEO兼歩く騒音機こと堀越です。最後まで読んでいただきありがとうございました。