【僕たちが歩んだ4年間】㉚~冨田大地~
30人目は、冨田大地(学コ・スポ・日立一)です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
こんにちは。
自転車を持っていないのに朝準備で寝坊をしすぎたせいで、当時住んでいた学生寮の東京ステイから、安部球場まで90秒台で走る技術を持っています。投手コーチの冨田です。
先日、憧れの藤原さん(藤原尚哉・R6卒)から「引退投稿だけどさ、もっと読者目線で端的に書け。ポエミーさは封印しろ。」と営業マンすぎる血も涙もない指導を受けました。今回は教えを守りつつ、需要は低いかもしれませんがここぞとばかりに書きたいと思います。
高3の冬、YouTubeでたまたま見た早慶戦がきっかけで、優勝してあの歓喜の輪の中に入りたいと思い入学してから、早いもので引退まで10日を切りました。

『なぜベス』はなぜベストを尽くさないのかの略です。4年間を振り返るとベストを尽くせたとき、尽くせなかったとき、残念ながらどっちもありました。今後の糧として忘れずに大切にしていきたいと思います。
1年目の思い出は、まだお互いの素性も明らかになっていない4月の新人練習。実戦練習で初めて登板機会をもらいました。カッコつけの私は同期に舐められるものかと大口を叩き登板し、結果はボコボコ。ここで冨田は下手だということが皆にバレます。登板後の同期の視線は、もちろんこの上なく冷たかったです。
帰寮し、食堂で1人ご飯を食べていると同郷の薗部さん(薗部将大・R7卒)が気の毒に思ったのか「冨田バナナ食べるか!」と明るく慈悲のバナナを渡してくれました。もちろんその後、情けなさと薗部さんの優しさに部屋で号泣。その日、薗部さんのことが大好きになり、バナナを嫌いになりました。
こうして幸先良く4年間がスタートしました。
2年目の夏は全く上手くいかない日々が続き、投げ方もよく分からなくなりました。当時はイップスだと思っていましたが、違うと気付きました。本物のイップスを目撃したからです。そうです。堀越(堀越健太・4年・投・スポ・宇都宮)です。僕のはイップスではなくただの技術不足でした。技術不足から目を背けるためにイップスだと言い訳を作っていました。ださい極まりないです。けど当時はそれに気付かず、下手クソのくせに自主練の量が少なくなりました。練習をしないと気持ちは楽になりましたが根本はもちろん解決せず、未熟なままでした。当たり前です。1番うまくいかない時間だったからこそ、1番真剣に向き合うべき時間だったんだと思います。途中で少しでも投げ出してしまったことは、悔やんでも悔やみきれません。
2年目も終盤に差し掛かる頃、学生コーチを決める時期に突入しました。肝心なところですが、説明すると長くなるので割愛します。紆余曲折あり、選手を引退することを決断しました。学生コーチになることに決まってからも「選手を辞める」ことにあまり実感が湧いていませんでしたが、実感する機会がありました。親に報告したときです。選手を辞める旨を両親に伝えたとき、電話越しに母が泣く声が聞こえ、父はなんだか寂しそうでした。そこで選手としての終わりをやっと実感することになりました。
いつも、うるさいことは言わず、大切なことはちゃんと伝えてくれて、「好きに自分で決めな〜」と決断を黙って見守ってくれる素敵な両親です。どうしようもなく困った時には嫌な顔一つせず助けてくれます。そんな両親の見たことのない姿を見て、そこでようやく、普段は何も言わないけど自分の活躍を楽しみにしながら応援してくれていたことに、ちゃんと気付きました。気付くの遅すぎです。後悔する場面がたくさん浮かぶのと同時に、うるさいことは言わず、伝えるべきことは伝え、どしっと構えて頼ってもらえるような人間になり、選手の活躍を自分事のように応援したいという、自分のなりたい「学生コーチ像」が何となくできました。
けど実際は、そんなカッコいいことばかりできなかったです。
学生コーチ1年目は、体作りをすると言っていた同期が健康的な食事をせずカップ麺を食べ、遅くまで麻雀をする姿を見てはキレてみたり、練習しない選手を見ては露骨に嫌な顔をしてしまったり、2年目の今年は、野球は野球の練習をしないと上手くならないという持論の下、黙って見守ろうと思っていましたが我慢できず、トレーニングばかりする選手に「野球やろうぜ!」と円堂守のように問いかけまくりました。
ちゃんと伝えてられていたか、不要なことは言わずに踏みとどまれていたか、信頼に足る人間であったか、どれだけ貢献できていたかは分からないけど、振り返ると反省ばかり。ピッチャーの皆にはたくさん迷惑かけてしまいました。申し訳ないです。
どこかで少しでも、何かしらの形で力になれていたら嬉しいです。
他にも、自分よりも技術のある選手たちに指導などできるわけもなく、どうするべきかどうしようもなく不安でした。そんな中、選手同士の学び合いの場を作ってくれた皆には感謝の気持ちでいっぱいです。率先して場を設けてくれた樹(伊藤樹・4年・投・スポ・仙台育英)、田和(田和廉・4年・投・教育・早稲田実)、大倉(大倉啓輔・4年・投・教育・早稲田実)、あと真央(山口真央・4年・投・社会・早大学院)。競争の場でもあるのに、本当は教えたくないこともあったでしょう。時間やお金、色んなものをかけて培ったものをチームに還元してくれた皆を心から尊敬します。
先輩にも後輩にも、特に同期には助けられっぱなしの2年間でした。本当にありがとう。
〜お世話になった方々へのメッセージてことで〜
※長いです。大変なので書かれそうな人だけ読んでいただければ幸いです。
〈冨田家の皆様〉
とんでも迷惑おかけしました。とってもありがとうございました。いい家に生まれました。生まれ変わっても冨田家がいいです。
おっさん、おかん
選手を辞めるのも何も相談せずに勝手に決めてしまい、サイレント帰省を繰り返し、たくさん身勝手に振る舞ってまいりました。すみません。
いつも応援ありがとうございます。
後悔が残るのは、選手としてリーグ戦に出場できなかったこと。「クソババァ」と怒鳴り散らかすようなドラマチックな思春期を過ごせなかったことです。この2つがあればもっと刺激的な毎日を提供できていたのではないかと思います。
姉
お世話になっております。これからもなります。いつもありがとう。
ご恩はこれから先、立派で刺激的な大人になっていろんな形でお返しできればと思います。
あとは家で言います。
〈同期へ〉
息をするように練習する尾瀬(尾瀬雄大・4年・外・スポ・帝京)、コソ練してる樹、レギュラー陣はもちろんだけど、控えの選手は、来るかも分からないチャンスのために訳分からんくらい練習して、その上気遣いができて、最高に素敵です。
秋のリーグ戦、黒﨑(黒﨑将太・4年・捕・文・國學院久我山)と松江(松江一輝・4年・内・人間・桐光学園)の打席、タイムリーを打って塁上でガッツポーズする2人の姿を見て泣きそうでした。ちょーーかっこよかった。特に黒﨑はブルペンでお悩み相談してくれたり、背中を押してくれたりだとか、勝手に救われておりました。ありがとう。
あとは早慶戦で福太郎(清宮福太郎・4年・外・教育・早稲田実)と椎名(椎名丈・4年・外・教育・早大学院)のヒットを見れたら、お腹いっぱいになれそうです。
北嶋(北嶋晴輝・4年・マネ・スポ・早稲田佐賀)とはずっと一緒にいた気がしてます。あなたが毎日頑張ってるからがんばれました。ありがとう。朝の散歩、途中で離脱してごめんなさい。
南魚沼キャンプ中、中島(中島稜太・4年・学コ・人間・桐朋)と「ヤバいもう引退まですぐじゃん」とか言ってたら、本当にすぐ来ちゃったねえ。一緒にたくさんの時間を過ごせて嬉しい限りです。ありがとう。

写真左から 中島、梶田笙(4年・投・スポ・早稲田摂陵)、前田健伸(4年・内・商・大阪桐蔭)、冨田、渋谷泰生(4年・内・スポ・静岡)、吉田瑞樹(4年・捕・スポ・浦和学院)
〈ステイの民〉
皆から栄養を吸い取って生きていました。皆の部屋で寝て、起きなくて、起こされたらパキパキになってキレてすみませんでした。自分の部屋で生活した記憶がほとんどありません。3年間、みんなのおかげで毎日がとても豊かでした。写真フォルダはみんなでパンパンです。またぬくぬくしましょう。
〈同期投手の皆様〉
皆は常に俺の味方であり、たまに敵であり、稀にストレッサーでした。大好きです。
ブログを書くために日記を振り返っていたら、学生コーチになって3ヶ月ほど経った日のページに樹と田和に負けないって書いてありました。選手の時も2年の春くらいのページにも書いてありました。振り返ると大学生活では完敗です。
先日、そんな2人がプロになることが決まりましたね。めでたいですね。遠くに行ってしまうようであれだけど、んなわけないから。急に偉くなるわけでもないし変わらない距離感でいたいです。そのために負けないように冨田は頑張ります。勝ち負けとかはないと思うけど、久々に会ったとき、置いていかれないよう、胸を張って会えるように、毎日を過ごしたいと意気込んでいます。樹、田和、堀越の身なりが豪勢になって、付き合う人が変わっていっても、俺は変わらぬ距離感でいるし、皆もそうだと思います。余計なお世話かもだけど、これから先の方が長いので、これまでと変わらず、満足せず、この先もがんばろー。

石田(石田将基・4年・投・法・早大本庄)
今後の人生で一緒にお弁当を900個近く運ぶ相棒に出会うことはないでしょう。唯一無二の存在です。野球でも身長体重球速球種、ほぼ全部が被り困ってました。怪我も体調不良もタイミングが悪いし大変だったと思うけど、自分のことも頑張った上に相談にも乗ってくれて、ありがとね。無愛想だけど底抜けに優しいあなたが愛おしいです。
樹
最近、樹の頭の中が少しわかるようになってきた気が勝手にしています。悪いことは考えない方がいいかもしれません。学年を追うごとに、周りのことまでたくさん気にしてくれて、今年は特に本当に助けてくれて、もう言葉にできないほど大感謝です。てんきゅー。これからは細く長くできれば太く、目一杯自分を大切に頑張って〜。
裕平(伊藤裕平・4年・投・人間・水沢)
どんどんデカくなっていきますね。営業にその筋肉は必要なんでしょうか。夜グランドに行くと大体裕平がいて、「きた林昌勇だわ!」とかあーでもないこーでもない言ってるのを聞くのが結構好きでした。見かけよりも優しくて繊細なところいいと思う。
大倉
キャンプ終わり肘痛いってなったとき、ちょっと強く言っちゃって、やっちまったと思って、正直どこかで辞めたり、楽したりしちゃうかなとか思ったこともあったけど、今の今まで頑張ってて、カッケェです。ありがとう。最後まで行こう。
笙
センスで野球をしている笙がもっと練習していたら、どうなっていたんでしょうか。ちょっと気になります。いつも空気をあかるーーくしてくれてありがとね。笙の周りはいつも皆ニコニコで、すごい奴だなーと思いながら見てます。あと俺より君の方が遅刻しています。タイじゃないです。
成輝(齋藤成輝・4年・投・文構・早大本庄)
一時期あんなに話さなくなるとは思ってなかったです。あなたには何でも包み隠さず話せるから、これからもよき友でいておくれ。こんど一緒にカップ麺食べようね。麻雀もそろそろ教えてください。飲みに誘うたびに麻雀が理由で断られるのは辛いです。
田和
いい時も悪い時もあったけど、結局はやるしかないって言って取り組む姿カッコよかったぞ。大して野球好きじゃない自称野球女子とか、港区女子とか、急に距離詰めようとしてくる昔の友だちとかには気をつけて下さい。
凱くん(中澤凱・4年・投・社会・早大学院)
我らがピッチャー隊長。実は練習仕切ってくれたり、円陣で声出ししてくれてたり、結構かなり助かりました。俺が怒ってるとき中澤はすぐにわかってたと言っていましたが、中澤を見ると自分が怖い顔をしているかどうか判断できていました。
真央
仲がいいのか悪いのか、度々ギクシャクしていた気がするのは俺だけでしょうか。真央が1番大変で1番大切な時期に、俺のことを助けてくれたと思ってます。存在自体がフワフワしてて何考えてるのか4年経ってもわからない所も多いけど、まじで助かった。ありがとう。アレは共に墓場まで持って行きましょう。らぶゆー。
堀越
会話の8割くらいが嘘でできてるけど、グランドで腐らずに最後まで自分と向き合い続ける堀越、いつ会っても変わらず、機嫌の波に左右されず、元気で人想いな堀越を、冗談抜きで普通に尊敬してます。けど同じくらい、それ以上に、練習中いつでもうるさいことには迷惑してました。
依田(依田塁・4年・投・文・早大本庄)
入寮初日、風呂場で小太り・眼鏡・全裸の君に出会い、これは4年間やっていけるなと確信しました。ありがとう。けど練習初日、走るの速すぎてびっくりしました。夜中にライブルで喧嘩したの覚えてますか?あれは俺が悪かったごめん。また米油オイルマッサージしましょう。

最近寒くなってきました。これから先、寒くなったからと言って皆でぬくぬくしたり、約束するわけでもないのに毎日皆に会えて、くだらない話をしたりできなくなる想像がつきません。
凱くんの告白の結果をソワソワしながら皆で待ってたこと、神宮でたった5球だけど登板できたこと、ランをサボってサマーリーグのメンバーを外れたこと、北嶋と夜通し室内練習場を掃除したこと、毎週日曜夜のスタッフミーティングが憂鬱すぎたこと。全部思い出したくても、思い出せないくらい色々ありました。汗臭いユニフォーム着るのももう数日しかないと思うと寂しいです。
書いてたら何が言いたいのか自分でもよく分からなくなってしまいましたが、とりあえず皆大好きです。これからもよろしく。慶應との対抗戦、最後までベストを尽くして115期の完成形を神宮で披露できる様にラスト最後までやり切ろう。
先輩のアドバイスを無視して、ポエミーな果てしない長編が完成してしまい申し訳ございません。
次は本当に大阪桐蔭出身なの?と疑いたくなるほど性格もビジュも丸い前田健伸に回します。
主将 


