【僕たちが歩んだ4年間】㉛~前田健伸~
31人目は、前田健伸(内・商・大阪桐蔭)です。

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皆さんこんにちは!冨田から本当に大阪桐蔭出身なの?と言われた副将の前田です。こういう性格なので、冨田以外にもたくさんの人に言われます。大阪桐蔭出身は怖いみたいな印象があるかもしれませんが、そんなことありませんよ。德丸(德丸快晴・1年・外・スポ・大阪桐蔭)だって僕みたいな感じですから。
そんな私が頑張って過去一の文章を書き上げました。我ながら上出来です。拙い文章ですが、最後まで読んでいただけると幸いです。
4年間を振り返る前に、皆さんが思っているであろう、なぜ商学部なのかを簡単に説明してから本題に入っていこうと思います。
私は元々東京六大学で野球をしたいと思っていました。そこで当時の監督、西谷先生に勧められ、六大学の他の大学に進学しようと思っていました。しかし、ご縁がなかったのでしょう、スポーツ推薦試験で落とされてしまいました。数日後西谷先生から、指定校推薦で早稲田大学商学部に挑戦してみないかと言われ、多少勉強に力を入れていた私は、見事指定校推薦を勝ち取り、早稲田大学に入学し今に至るというわけです。他の大学に落ちて良かったねとよく言われます。本当にそう思います。運があると思います。なぜなら実は、東京六大学に行きたいと言ったのですが、当時は早稲田と慶應以外知らなくて、中学生の頃、早稲田実業の和泉監督とのご縁もあり、早稲田大学を1回見学していました。そのため内心、早稲田に行きたいなと思っていました。そこからのご縁もあり早稲田大学に入学することが出来ました。しかし他の大学に落ちた時は焦りました。西谷先生のサポートもあり、何とか東京六大学で野球をすることが出来ています。その節はありがとうございました。肝心の勉強の方ですが、大丈夫そうです。同期からそんな話どうでもいいよという声が聞こえたので、余談はこの辺にして、本題の4年間を振り返っていこうと思います。
まず1年生。この頃が1番思うようにならなかった時期でした。1年生の春からベンチ入りをさせて頂き、主に代打で多くの経験をさせてもらいました。しかし結果として8打席立って、ヒット0本。今振り返ると全く打てる気がしませんでした。というより打ち方が全くダメだったと思います。その後もなかなか結果が出ず、秋はベンチ入りすら出来ず、バッティング迷走期でした。全く思うようにならず、野球をやめた方がいいんじゃないかと思うくらい自分に失望しました。
しかし、2年生になり転機が訪れました。それは金森さん(金森栄治助監督・当時コーチ)との出会いです。金森さんとの出会いがなければ、未だに迷走期だったかもしれません。その当時の私はバッティング動作に無駄がありました。そのことを相談すると、付きっきりでバッティングの指導をしていただきました。毎日2時間程度、体にチューブを巻いて、「シンプルにシンプルに」と言われ続けました。その成果として2年生の春、東京大学戦で初ヒットを打つことが出来ました。これは今でも鮮明に覚えています。とても嬉しかったです。またここから頑張ろうと思った矢先、7月下旬に脇腹を肉離れして、秋の出場はまたもお預け。この時は、秋って本当ツイてないよなと思っていました。しかしあと2年しかないと思い、もし3年生でも結果が出なかったら野球を辞めてやるという覚悟で3年生になりました。
3年生になり、ようやくレギュラーとしてリーグ戦を戦うことができました。そしてリーグ戦、春秋連覇を達成できたことは非常に嬉しかったです。個人としても秋、ベストナインを獲得することが出来ました。秋はツイてないなと思っていたのですが、もしかしたらツイているのかなと思い始めました。また、春に優勝した後のパレードは別格でした。雨の中、皆さんが出迎えて「おめでとう」と言って下さった時は、たくさんの人に応援されていたんだな、早稲田大学って凄いなと感動しました。また優勝しよう、2度目の4連覇をしようと心から思い、4年生になりました。
4年生になり、監督から副将に任命されました。あまりそういうことをやった事がない私は、最初はなかなか役に立てなかったと思います。しかし勝つためには、と幹部でミーティングを重ねた時に、私もしっかりしないといけないなと思い、心改め、新チームが始まりました。4年生というものは不思議なものです。大谷翔平のストレートくらい1年間が早いんです。気づけばもう早慶戦しか残っていません。4年生は、瑞樹(吉田瑞樹・4年・捕・スポ・浦和学院)が余所見していて何も無い草むらに自転車で突っ込んだり、尾瀬(尾瀬雄大・4年・外・スポ・帝京)によくミスドに誘われたり、石郷岡(石郷岡大成・4年・外・社会・早稲田実)と尾瀬と寮の近くのなごみ(定食屋)に食べに行ったりなど、挙げていけばキリがない程のたくさんの出来事、思い出がありました。全て紹介すると今でも長い文章なのに、とてつもない文章になってしまうので、2つだけ紹介します。
1つ目は春季リーグ戦優勝です。後半の怒涛の5連勝。あれは早稲田の底力を感じた瞬間でした。あの優勝確率7%の状態から優勝するなんて、誰が想像しましたか。ほとんどの人が、明治が優勝するだろうと思っていたはずです。それをひっくり返したんですよ!我ながら素晴らしいと思います。早稲田大学野球部を褒めたいと思います。ただ私は前半戦・中盤戦、全く活躍できませんでした。他の選手の活躍があってこそですが、特に寺尾(寺尾拳聖・3年・外・人間・佐久長聖)があれだけ打ってくれたから優勝の可能性が残っていたと思います。ほんとにありがとう。勝負強い天才バッターだと思ったよ。春、機能しなさすぎてすみませんでした。本当に助かりました。ただ、私はこのままのバッティングでは終われないと思い、人生で1番バットを振りました。それが2つ目のことに繋がります。
それは早慶戦2回戦での満塁ホームランです。それまでの私の打率は1割台にまで下がり、調子がとても悪い状況でした。正直、春季リーグ戦が始まる前から調子があまり良くないなと思っていたため、いつもよりもバットを振る量を増やしていました。練習終わり、金森さんに毎日3、4箱くらいを2ヶ月間投げていただきました。途中、小宮山監督にも投げていただきました。本当に頭がおかしくなるくらいバットを振ったと思います。小宮山監督、金森さん、あの節は大変お世話になりました。そのおかげで後半戦、明治戦3回戦から調子を戻し、早慶戦では満塁ホームランを打つことが出来ました。ホームランになった時のあの歓声、紺碧の空は一生忘れることは無いでしょう。また、ホームイン後は監督とハグをしました。

あの時の監督の笑顔、ハグも忘れることは無いでしょう。あの時の心境として、最初監督が両手を広げていたので、ハイタッチだけだと思っていました。そこからのハグ。ハグですよ!正直ビックリしました。しかし、私の苦しみを知っていたからなのかなと思います。結果が出せて良かったです。これでお2人には少しは恩返しができたかなと思っています。ありがとうございました。

秋のことも振り返りたいのですが、ここまでですごい文章量なので、辞めておきます。
いや、もう1つだけ言いたいことがありました。明治大学が優勝を決めた時の自分の最終打席。自分の感覚だったら余裕でホームランだったと思いました。周りの人もそう思ったんじゃないでしょうか。実際どうなんでしょう。もし明治の子が読んでいたら教えてください。あれは本当に神風が吹いていたと思います。しかし結果は結果です。明治大学、優勝おめでとうございます。僕たちが気持ちよく引退出来るように、明治神宮大会優勝してください。応援しています。
ここまで書きましたが、最後に感謝の気持ちを書きたいと思います。
両親へ
ここまで何不自由なく、ソフトボール、野球をやらせてくれてありがとう。おかげでたくさんの仲間ができ、色んな経験をさせてもらいました。親元を離れて7年目、親のありがたみも知りました。遠い中応援にも来てくれました。ありがとう。社会人になっても頑張りたいと思います。引き続き迷惑をかけると思いますが、よろしくお願いします。
お兄ちゃんへ
昔はよく喧嘩をして嫌いだったお兄ちゃんですが、自分が桐蔭に行った頃から丸くなったね(笑)、全然怒られなくなりました(笑)。でも自分が悪いことしてたから怒られていたのだと思います。俺が成長したのかな(笑)。それでもお兄ちゃんには色々と手伝ってもらいました。ありがとね。なんか分からんけど好きなほうじ茶は一緒やし、趣味も釣りで一緒やし、やっぱ兄弟って似るんやね(笑)。年末もう釣りの予約してるから沢山釣ろうね!
德丸へ
俺が抜けたら早稲田で桐蔭は1人になるけど、頑張れ!リーグ戦の活躍を期待してます。
個人的に書くと長いので、同期と商学部の2人に対して書きます。個人的に言って欲しい人とかいたら言ってきてね。
115期のみんなへ
みんなが居たから楽しい4年間を送ることが出来ました。1人1人色んな色があって、たまにネジが外れてるやつがいるけど、それもそれで面白かったです。いい同期と出会えて良かったです。ありがとう!そしてこれからもよろしく!

写真左から 吉田、小澤周平(4年・内・スポ・健大高崎)、尾瀬、前田健

写真左から 松江一輝(4年・内・人間・桐光学園)、石郷岡、尾瀬、前田健
商学部の2人へ
田村(田村康介・4年・内・早大学院)と、はたけ(畑﨑一颯・4年・学コ・早大本庄)には特に感謝しています。色々と助けてもらいました。下級生の頃は、よく3人でワセ飯を食べに行っていました。しかし最近は、特に田村が学校に行かないので3人で食べることは無くなりました。そのせいで、はたけの引退投稿には「3人でワセ飯を食べることが夢です」と書いてありました。それが夢だよ田村!お前が行けば叶うよ(笑)、俺たちはいつでも行けるよ!(笑)早く行こうぜ!
元々はここまでで、同期に対しての文章は終わるつもりだったんですけど、あと1人どうしても俺のことを書けと脅してきた人がいるので、仕方なく書きたいと思います。
福(清宮福太郎・4年・外・社会・早稲田実)へ
福は僕のことをなんだと思っているのか、いつもじゃれ合ってきます。1年生の朝準備の時から今まで毎日じゃれてきます。1年生の時に福が「4年生になってもやり続けたい」「その姿をその時の1年生に見られたい」と言っていました。僕は全く了承なんてしていませんし、恥ずかしいのでやって欲しくないと当時も今も思っています。もう引退まで1週間となりましたが、ここではっきり言っときます。やめてください(笑)。
ここまで福が変なやつとしか思われてないと思うので、カバーしてあげたいと思います。福の引退投稿にも書いてありましたが、野球部に対する愛、同期愛が1番強いと思います。ベンチで声は1番出していると思いますし、上記ではあんな風に書きましたが、同期が好きだからそんなことをしてくるのだと思います。ポリープが出来るくらい声を出して応援してくれる人なんていますか。いないと思います。そういう所は尊敬します。本当に1人1人書いていると本当に長い文章になるのでここで止めます。こんな感じですが、福太郎は満足したかな。同期に対しての事はこの辺で終わりたいと思います。
最後に早稲田大学応援部にも感謝を伝えたいと思います。4年間たくさんの応援ありがとうございました。皆さんの応援が選手の力となっていましたし、応援部が居たから、3連覇を達成することが出来たと思います。残すは早慶戦のみとなりましたが、チーム一丸となって、打倒慶應で全力で戦いたいと思います。最後まで応援よろしくお願いします。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
次は入部前、スキーで前十字靭帯を怪我して、先合流組なのに、実家に帰らされた松江くんに回したいと思います。ほんとにあの時は何しに来たの(笑)
次回もお楽しみに!
主将 


