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【僕たちが歩んだ4年間】㉞~北嶋晴輝~

34人目は、北嶋晴輝(マネ・スポ・早稲田佐賀)です。

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みなさんこんにちは!
副将の吉田瑞樹(4年・捕・スポ・浦和学院)からご紹介いただきました、主務の北嶋晴輝です。
「誰よりも熱い思いを秘めている」と紹介してもらい、少しブログにプレッシャーを感じていますが、今日は自分の4年間を率直に振り返りたいと思います。

引退ブログの中で何度か登場している“黒いボロボロのユニフォーム”ですが…
実は、入部後の練習初日に高校時代に使い古したユニフォームを着て参加するという、少し常軌を逸した行動から私の大学野球は始まりました。私にとって黒く汚れたユニフォームは「一生懸命練習した証」。その“美学”を胸に、早稲田のグラウンドに乗り込みましたが、少し周りと合わなかったんですね。めちゃんこ怒られました。そんな小さなことも覚えてくれている同期が愛おしいです!

そんな周りの価値観から少しズレた私が、まさか主務を務めることになるとは思ってもいませんでした。入部してからここまでの4年間はまさに紆余曲折の連続でした。そんな私の4年間を、少し振り返りたいと思います。最後まで読んでいただけたら嬉しいです!

【1年生】
1年生での1番の出来事は、何と言っても「選手からマネージャーへの転身」です。早大野球部では、2年生に上がるタイミングで、学年から必ずマネージャーを選出しなければならないという決まりがあります。なぜか私がその最有力候補になってしまいました。これまでの行いが良かったのか、真面目に見られていたのか…理由はわかりませんが、気づけば名前が挙がっていました。
正直、当時の私は「マネージャーになること=負け」だと感じていました。「神宮で戦う実力や技術がない」と言われているようで、悔しくてたまりませんでした。もちろん、同期はそんなつもりで推薦したわけではないと頭では分かっていました。でも、どうしてもそう感じずにはいられませんでした。
マネージャー候補という話が出たときから、私は練習を休むようになりました。「部活に戻ったら、マネージャーになってしまう」そう思ってグラウンドから距離を取ってしまいました。そんな中、練習を休んでいた私に、当時マネージャーミーティングを仕切っていた伊藤樹(4年・投・スポ・仙台育英)は何度も連絡をくれました。「お前のこと、いつでも待ってるぞ」その一言が、当時の自分には温かく響きました。

ある日、樹から「一度グラウンドに来てみて」と言われ、その思いに負け足を運ぶと、練習後の同期たちが室内練習場に集まっていました。「ここでマネージャーのお願いをされるかもしれない」そんな予感は見事に当たりました。同期から「マネージャーをお願いしたい」と、正式に伝えられました。ギリギリまで、マネージャーになることには抵抗がありました。ただ、同期が私を推薦する理由を真剣に伝えてくれて、最終的には同期の思いに自分のエゴで背きたくない、必要としている同期の思いに応えたいという気持ちが芽生え、マネージャーになることを決意しました。マネージャーになった日に、当時主務を務めていた柴垣さん(柴垣敬太朗・R6卒)に報告に行った際、「本当に務められるの?」と鋭い目つきで圧をかけられたことを今でも鮮明に覚えています。あのときは少し怖かったですが、今振り返ると、あれは柴垣さんなりの“期待の言葉”だったのだと思います。

【2年生】
2年生の頃の私は、「早稲田のマネージャーです」とは、死んでも口にできないようなマネージャーでした。マネージャーになった自分をどうしても受け入れられず、その気持ちを言い訳にして、全力で業務に向き合えていなかったと思います。任された仕事を、ただこなす。プラスαのことには手を出さない。チームにとって、なんの役にも立っていなかった1年間でした。
おそらく、私の性格的に「努力しているように見せる」ことは得意だったので、周囲からはそれなりにやっているように映っていたかもしれません。でも、それは本当の姿ではありませんでした。見せかけの姿でした。そんな状態で1年が過ぎ去ろうとしていました。
そんな私に転機が訪れたのが、秋の早慶戦の第3戦です。この試合は、早稲田にとって久しぶりの優勝が懸かった大一番でした。チーム全員が気合を入れて臨んだ試合、結果は3-5の惜敗。慶應に目の前で優勝を決められてしまいました。
敗戦後の神宮球場で、1人、人目もはばからず涙を流していた先輩がいました。当時の主務・柴垣さんです。柴垣さんは、毎日朝早くから夜遅くまでグラウンドやマネージャー室にこもり、野球部が一歩でも前進するように、そしてリーグ戦で優勝するために、常に考え行動されていました。マネージャー業務に全力を注げていなかった私でも、その姿からは情熱が痛いほど伝わってきていました。そんな柴垣さんが渇望していた優勝を、目の前で逃した。その悔しさが、あの涙の理由だったのだと思います。
その姿を見たとき、ふと自分に問いかけました。「2年後、早慶戦が終わった後、あの先輩のように心から涙を流せるだろうか?」その答えを、即答で「イエス」と言える自信はありませんでした。
その瞬間、全力で取り組めていなかった自分の姿が脳裏に浮かび、申し訳なさが込み上げてきました。あんなにも熱く、全力を尽くしていた4年生マネージャーの姿に比べて、自分は何をしているんだろうと。そして、心の底から思いました。「大学野球最後の日、勝っても負けても、“全力でやりきった”と心の底から言える自分でいたい」と。あの瞬間から、私は変わったのだと思います。

【3年生】
3年生時は、やる気はあったものの、周りのマネージャーに比べて経験も浅く、全く仕事はできずに周りに迷惑をかけてばかりでした。ただ、自分の力不足を実感すると共に、それなりに全力で野球に向き合えた期間でした。春秋連覇最高でした!先輩方ありがとうございました!

【4年生】
最終学年となり主務を務めさせていただくことになりました。小澤主将のもと「勢い」というキーワードを掲げ、まずは春季リーグ戦優勝を目指して、全力で取り組んできました。冬季期間の強化練習、沖縄・浦添キャンプ、春季オープン戦を通して、チーム全員が“勝つため”に全力を尽くしました。その結果、春季リーグ戦では優勝確率7%から「怒涛の5連勝」を達成して、3連覇を達成することができました。優勝した瞬間、心の底から嬉しかったです。最上級生として味わう優勝の喜びは、これまでのどんな勝利よりも特別なものでした。
そして、その瞬間から「4連覇」への挑戦が始まりました。秋のリーグ戦では、より厳しい戦いになる。そう覚悟して、夏の期間を過ごしました。可能な限り、社会人チームやレベルの高い相手とオープン戦を組むように心がけ、「選手には少しでも良いピッチャーと対戦してほしい」と思いながら、対戦相手には何度も「エースを投げさせてください!」とお願いしました。夏の新潟・南魚沼強化合宿(南魚沼キャンプ)でも、選手が練習しやすい環境をできるだけ整えたいという思いで取り組みました。

秋季リーグ戦に臨む頃には、「このチームならやれる」という確信がありました。「絶対に優勝できる」という自信もありました。早稲田ファンやOBの方々の思いを背負い、早大史上2度目の4連覇を目指して戦いに挑みました。

ーー

しかし、リーグ戦優勝の可能性が消え、今週末に自分の野球人生の“最後の試合”を迎えることになりました。今の気持ちを正直に綴りたいと思います。

優勝の可能性を残して迎えた明治戦。結果は、惨敗。私はただただ、明治戦で勝ちたかった。リーグ戦で優勝して、4連覇を成し遂げたかった。みんなと喜びを分かち合いたかった。それだけを目標に、これまで全力でやってきました。明治戦の第2戦、最後のバッターの田村(田村康介・4年・内・商・早大学院)が三振した瞬間、全身の力が抜けました。4連覇への道が完全に途絶えたと実感し、気持ちの整理がつきませんでした。選手たちは、1打席でヒットを打つため、1つのアウトをもぎ取るために、朝から晩まで練習を積み重ねてきました。その姿を知っているからこそ、あの負けた瞬間、心の底から「野球って本当に残酷なスポーツだな」と感じました。本気で優勝を目指してきたからこそ、敗戦の瞬間は、これまでの選手の努力がすべて否定されたような気がしました。試合後のロッカールームでは、涙が止まりませんでした。でも、自分以上に悔しいのは選手たちだと思いました。彼らがどれだけの情熱を注ぎ、どれほどの時間を野球に捧げてきたかを知っているからこそ、選手の前で涙を見せることはできませんでした。
結果として、今シーズンは優勝できませんでした。4連覇は達成できませんでした。「悔しい」の言葉しか出ません。ただ、あの“残酷だ”と感じた野球を通じて、4連覇という目標に向かって情熱を注いできた日々を振り返ると、そこには一生経験することができない、かけがえなの無い宝物がありました。

それは、4連覇を達成するため、同期と全力を尽くした日々です。

・南魚沼キャンプ中、幹部スタッフで毎日テーマを語り合ったミーティング
・毎週末、チームの勝利のために重ねたスタッフミーティング
・同期の特打で外野補助に入った時間
・朝グラウンドで交わす何気ない挨拶
・リーグ戦試合前、円陣を組む瞬間

リーグ戦で優勝するために、同期と共に野球に情熱を注いで取り組んだ時間。その一瞬一瞬がどれも愛おしく、美しく、何にも代え難い尊い時間でした。その全てが、私にとっての宝物です。

最後に感謝の思いを綴りたいと思います。

〈家族〉
お父さん
高校で野球を辞めようと思っていましたが、「晴輝の野球をしている姿が好きだ」その一言で、大学でも野球を続けようと決意しました。私がレベルの高い早稲田で野球を続けられた原動力は、家族への恩返しの一心でした。まだまだ恩返しはできていませんが、これからは北嶋家を自分が支えられるような人間に成長します!

お母さん
私にとって世界一のお母さんです!どんな時も、私が決めた道を全力で応援してくれる。そんなお母さんの存在が、いつも心の支えでした。毎日のように家族の近況報告をしてくれるお母さんが本当に大好きです。これからは、少しずつでも恩返しをしていきます。いつもありがとう!

おじいちゃん
小さい頃、野球の練習の送り迎えはいつもおじいちゃんでした。孫の自分のことをいつも気にかけてくれてありがとう。成長した姿で、また福岡に帰ります!

〈同期のマネージャー〉
成瀬かおり(4年・スポ・千種)
かおりさんは、まさに「しごでき!」の一言に尽きます。業務で迷ったとき、困ったとき、全部かおりさんに投げてきました。すると、いつも完璧な状態で返ってきました。そんなかおりさんを本当に尊敬しています。いつも全力でマネージャー業務に向き合ってくれて、ありがとう。

井上彩希(4年・スポ・金沢泉丘)
さきさんは、「包容力」の塊です。同期の中で、さきさんを嫌いな人なんて一人もいません。選手とスタッフを気持ちの面で繋いでくれたのは、間違いなくさきさんの存在です。学年全体がこんなにも信頼し合えて、仲が良いのはさきさんのおかげです。これからも、変わらずそのままのさきさんでいてください!

本当に、2人が同期のマネージャーで良かったです。この代は男子が俺だけだったけど、「もう1人男子が欲しい」と思ったことは1度もありません。それくらい、2人のことを心から信頼していました。本当にありがとう!

写真左から 成瀬、北嶋、井上

〈学生スタッフ〉
主将・小澤周平(4年・内・スポ・健大高崎)
この1年間、孤独やプレッシャー、責任との戦いだったと思います。今はもしかしたら「もうすぐこの代が終わる」という安堵感の方が大きいかもしれません。でも、それは全力でチームに向き合い、4連覇を本気で目指したからこその感情だと思います。そんな周平の姿を、心の底から尊敬しています。素晴らしいチームを作ってくれてありがとう!あの日、ガストで語り合った夜は一生忘れん!

副将・前田健伸(4年・内・商・大阪桐蔭)
1年生の頃、ファーストアンツーカーの整備担当が一緒で、結構仲良いと思っています!英語の課題も一緒に頑張りました!最後の早慶戦では、春の満塁ホームランを超えるような活躍を見せてくれると期待してます!頼むぞぉ!

副将・松江一輝(4年・内・人間・桐光学園)
松江は、副将という重責を担いながら、自分の結果も残さなければならない。とても苦しい1年だったかもしれません。それでも、リーグ戦では幾度となくチームを救ってくれました。戦力的にも精神的にも、松江はチームに欠かせない存在でした。早慶戦もきっと、松江が決定打を放ってくれると信じています!

副将・吉田瑞樹
お風呂でよくチームの話しました。キャンプで、メンバーに入らなかった4年生を補助として連れていくのかどうか、そんな相談をしたとき、瑞樹はいつも冷静に、的確な意見をくれました。瑞樹が副将としてチームを引っ張ってくれたからこそ、強い早稲田があったと思う!本当にありがとう!

新人監督・大西創志(4年・人間・城北)
個人的にとても思い入れのある同期です。1年生の頃は、毎日大西とキャッチボールをしていました。大西はサード、私はセカンドで切磋琢磨した仲です。まさか2人ともスタッフになるとは思いませんでしたが、ここまで素晴らしいチームを作り上げられたのは、間違いなく大西のおかげです。ありがとう。最後まで頼むぞ!

投手コーチ・冨田大地(4年・スポ・日立一)
性格は全然違うのに、なぜか気づけばいつも一緒にいました。3年の夏、新チームへの危機感と不安から、1日中レフトブルペンを整備していたのが懐かしい!大地とは色々な場所を一緒にたくさん掃除したね。頼れる早稲田投手陣を作ってくれてありがとう!

学生コーチ・中島稜太(4年・人間・桐朋)
野球部の方針や判断に迷ったとき、真っ先に相談していたのが中島でした。「この判断は客観的に正しいのか?」、「現場(グラウンド)の目線から見て、今の取り組みは本当に意味があるのか?」何度も相談に乗ってくれて、本当に頼りになりました。ありがとう!なかじがいてくれて本当に良かった!

学生コーチ・畑﨑一颯(4年・商・早大本庄)
はたけはあまり表に出さないけれど、実はめちゃくちゃ熱い男だと思っています。選手のために、練習後も選手のために何時間もノックを打ち続けてくれます。表には見せないけれど、内に秘めた情熱を持っている。そんな畑の姿が、俺は大好きです。いつも本当にありがとう!

学生トレーナー・飯島周良(4年・教育・早大本庄)
ちからとは、入部して間もない頃、私の部屋で「あること」がきっかけに意気投合してから大の仲良しです。会えば必ずハイタッチからのルーティン。もう2年以上続いてる気がします(笑)。田無の定食屋で、スタッフに転身することについて語り合ったあの日は忘れません。お互い覚悟を持って学生スタッフに転身した仲間として、最後まで一緒に頑張ろう!

〈特に思い入れのある選手〉
山口力樹(4年・内・スポ・早稲田佐賀)
りきは唯一の高校からの同期です。普段は見せないですが、心の中では1番応援していた自信があります。春の早慶戦で牽制で飛び出した時は、ぶん殴りたくなりましたが、相手選手の送球がヘルメットに当たり、決勝点のホームベースを踏みましたね。りきは高校の時から、運を持っているなと思います。あれは、日頃の行いが悪いりきにしかできない点の取り方だと思います。同じ早稲田佐賀出身として、神宮で躍動している姿を見るのが好きでした。ありがとう!

〈3年生以下のマネージャー〉
3年生以下のマネージャーは、本当にレベルが高い後輩ばかりです。部を少しでも良くするために、マネージャーミーティングで何度も話し合いを重ねました。来年以降のチームは、天皇杯奪還を目指すにふさわしい、最高のマネージャー陣だと思っています。みんななら必ず良いチームを作れます。誇り高き“早稲田のマネージャー”として、新チームでも頑張ってください。大野(大野郁徳・3年・政経・早稲田実)千葉(千葉海翔・3年・教育・盛岡一)めっちゃ期待しています!

写真上段左から 大野、千葉、中井晴太(2年・スポ・早稲田佐賀)林田真依(2年・スポ・早稲田佐賀)井澤更紗(2年・スポ・水戸一)木村理緒(1年・教育・青森)、井上、北嶋、成瀬

〈応援部の皆さん〉
神宮球場で、いつも力強い応援をありがとうございました。豊島悠主将を中心に、どんな時も全力で応援してくださったおかげで、私たちは最後の最後まで戦い抜くことができました。本当にありがとうございました!

〈稲門倶楽部の皆様〉
日頃より、早稲田大学野球部の活動を多大なるご支援・ご協力のもと支えていただき、心より感謝申し上げます。現役部員のために膨大な時間を割いて、チーム運営や行事にご尽力いただいていること、主務として活動する中で何度もその有難さを実感しました。マネージャー業務を通して、社会人としての礼節や責任、そして「人としてのあり方」を学ばせていただきました。4年間、本当にお世話になりました。

―――

改めて振り返ると、こうして全力で情熱を持って部活動に取り組めたこと、そして、同期と喜びも悔しさも分かち合えたこと。その全ては、あの1年時に「マネージャーになる」という決断をしたからこそだと感じています。同期のみんなには、私に“マネージャー”という最高の役割を与えてくれたことを、心から感謝しています。ありがとう!
そして、私にはもう1つ、新チームになってからずっと思っていたことがります。それは、「115期全員が、この野球部にいて良かった」と心の底から思って卒部することです。今、みんなの引退ブログを読みながら、それが実現できそうだと感じています。最高の同期です。ありがとう。

最後に、早稲田大学野球部を支えてくださった全ての方々に、心より感謝申し上げます。
他にも、高校の恩師、六大学のマネージャー(勝野、しゅんちゃん一応名前出しとく(笑))、大学関係者の方々等多くの方々に支えていただきました。心より感謝申し上げます。

早慶戦では必ず2連勝を収めます。

次回は、我らが新人監督であり、私のキャッチボール相手でもある大西にバトンを渡します!きっと、私たちを泣かせてくれるような素晴らしいブログで、最後の小澤主将へと繋いでくれるはずです。