ラストシーズンに懸ける想い!その12<藪本鉄平>
こんにちは。
米子東高校出身、投手の藪本鉄平です。
ブログを書くにあたり、野球人生を振り返ると、改めて私は野球が大好きで、たくさんの人に支えてもらった幸せな野球人生だったと強く感じます。
6歳から野球を始め、高校は鳥取県の米子東高校に進み、憧れだった甲子園出場を果たすことができました。あの時、米子東高校に行くという決断をした当時の自分を「よくぞその選択をしてくれた」と褒めてあげたいです。そのくらい米子東高校で過ごした3年間は、私の人生の土台となる濃密な時間でした。厳しくも温かい指導をしてくださった紙本監督、毎日美味しいご飯を作ってくださった光西寺の方々をはじめ、支えてくれた方々には感謝の気持ちでいっぱいです。
慶應義塾大学に入学してからは、思い通りに行かない苦しい時間の方が多かったように感じます。投手として入部したもののすぐ内野手に転向し、同期は次々とリーグ戦で活躍する一方、私はなかなか神宮でプレーすることができない。なんとかチャンスを掴もうと本職としていた内野手だけでなく、外野手にも挑戦し、気付けば捕手以外の全てのポジションでOP戦に出場しました。しかし、チャンスを掴み切ることはできず、不安と焦る気持ちが日に日に大きくなっていきました。
もうダメかもしれない。そんな気持ちもよぎる中、練習に行ったある日、監督に「今日ブルペンに入ってみろ」と言われました。突然の提案に戸惑いもありましたが、久々に立つマウンドはとても楽しく、入部当初に抱いていた神宮のマウンドに立ちたいという気持ちを思い出させてくれました。ただ、大学3年生の9月というタイミングで投手に再挑戦することは、正直不安しかなかったです。考えれば考えるほど、自分がどうしたいのか分からなくなり、すぐに決断することはできませんでした。毎日夜通し考え、それでも最後は投手としてやり切ることに決めました。自分がこのタイミングで投手に転向することについて、ずっと支えてくれている両親はどう思うだろう。反対されることも覚悟して「最後は投手として勝負したい」と伝えましたが、予想とは裏腹に、驚くほど温かく私の決断を後押ししてくれました。その気持ちに応えようと投手に転向してからは、大学4年間の中で一番前向きに、がむしゃらに練習に打ち込み、確かな自信と手応えを感じていました。
しかし、練習中に肩を痛め、投げることができなくなり、戦線離脱を余儀なくされました。なんでこのタイミングなんだという悔しさと情けなさに押しつぶされそうになりながら、それでも腐らず頑張れたのは、家族、同期の存在があったからです。どんな時も応援してくれる家族、心から尊敬できる同期達のことを考えると苦しい時や辛い時でも自分を奮い立たせることができました。ここまでの大学野球生活、入部当初に思い描いていたような結果は残せていませんが、塾野球部に所属し活動してきた日々は何にも変えることができない誇りだと強く感じます。あっという間にラストシーズンを迎えるわけですが、自分自身の早慶戦のマウンドに立つという目標と、チームとしてリーグ戦優勝、そして春に果たせなかった日本一になるという目標を実現するため、最後の最後まで戦い抜きます。

主将 


