俺たちのラストシーズン──酒井菜々花(竜ヶ崎一)
みなさんこんばんは!☽
いつもお喋りですが、深夜テンションになるともっと話が止まらなくなるなつみ(4年・富澤なつみ)からバトンを受け取りました、政治経済学部経済学科、4年マネージャーの酒井菜々花です。
何十回とこのブログを書いてきましたが、こうして自分一人で使わせていただくのはとても感慨深いです。文筆力が素晴らしいみんなのブログを読んでいて感心するとともに、上手く書ける自信は全くありませんが、ありのままを綴ってていきたいと思います。
まずは、私と野球の接点から。
教師で野球部の顧問をやっていた父や、少年野球チームに入っていた兄2人の影響で、幼い頃は東京ドームに行ったり、家のテレビでは当たり前にプロ野球がついていました。しかし私は、全く興味がありませんでした。
そんな中、友達から誘われたことがきっかけで、小学校1年生のときからソフトテニスを始めました。最初はただの暇つぶしでした。ソフトテニスでは県ベスト8の壁が厚く、一番良くてもベスト4でした。同級生は、ベスト4以上で構成される、いわゆる県選抜のAチームで、私はずっとBチームにいました。どうせ勝てないと諦めていた自分がいたので、悔しさすら感じていませんでした。それよりも、なんとなくやっていた陸上で県大会優勝もしたので、陸上の方が結果を残せるんじゃないかと思ってもいました。そんな私の気持ちを変えるきっかけとなったのは、関東大会での試合です。茨城県Aチームvs茨城県Bチームで対戦し、Bチームが下克上を起こし勝利しました。非常に印象に残ってる試合で、私にやる気と自信を付けさせてくれた試合でした。
そんなこんなで、卒部の時期が来ました。

そして中学校。小学校からのクラブチームのメンバーほぼ全員が同じ中学だったので、ソフトテニス部に入りました。
中学1年のときは、正直に言うと明確な目標がなくただ大会に出ていただけだったと思います。中2の途中、顧問の先生が変わりました。ここから私の人生観、物事を考える上での根本が一新されたといっても過言ではありません。「目標は勝つこと、すなわち日本一であり、目的は人間形成にある。」という考えがチームの根幹にありました。最初のミーティングで、やるなら日本一を狙う、やらないならお遊びでいい、どうするか話し合えと言われました。そして、日本一を掲げました。前年の広島全中を見に行き、日本一の瞬間を目の当たりにしました。優勝校はみんな髪が短かったので、次の練習の日にはロングヘアだった子もみんなベリーショートになっていました。

ここからの1年間はあっという間でした。精神的にも体力的にも本当に辛かったです。常に連帯責任、負けた日は会場から誰もいなくなり、真っ暗になるまで走ったり練習したり。日本全国を飛び回った遠征では、どこに行っても朝は必ず松屋、夜は餃子の王将でした。お腹のキャパの120%は食べていましたが運動量が勝り体重は減るばかりでした。なお、松屋と餃子の王将は大2になるまで足を運ぶことはありませんでした。勝っても負けても怒られ、呆れられる日々が続きました。そしてここでも、どうしても勝てない相手がいたお陰で、県2位の称号は何回取ったか分かりません。その度言われたのは、「2位は負けの代表」です。何十、何百もあるチームの中で最後に戦うのはたった2チーム。負けたチームの全てを背負って戦うのに、最後に負けるのは一番情けないこと。まさにその通りだなと思います。
ソフトテニスには団体戦と個人戦があるのですが、日本一を目指していた団体戦は私のせいで関東大会で撃沈、個人戦は全国出れたらいいなくらいに思っていたのですが、県5位から関東3位、全国5位にまで這い上がることができました。まさかここまでの結果を残せるとは思っていなかったので、テニスがとても楽しくて嬉しかったのを鮮明に覚えています。JOCにも出場でき、とても良い経験となりました。
あれほど辛くてやめたかったのに、いざ引退となるとぽっかり穴が空いたように虚無感に襲われて、テニスコートに行きたくてたまらないときもありました。
こうして私の中学生活は幕を閉じ、次は進路決めの時期となりました。
勉強は人並みにはできるほうだったので、受験して進学するか、県外の私立高校でソフトテニスを続けるか、選択を迫られました。相当悩みましたが、大学進学のことも考え、勉強一本に絞りました。しかし、勉強するにつれて、ソフトテニスを続けたい欲は高まっていきました。そんな時に顧問の先生から後に進むこととなる母校を勧めていただきました。県内では進学校であり、部活もできる環境でした。最後の決め手は、小学校からずっと憧れていた先輩がいたことです。その先輩とペアを組んでインターハイに出たい、その一心で受験を決めました。無事に合格し、電車で30分、自転車で30分の通学生活が始まりました。私立高校には練習量や環境、選手層の厚さでは勝つことはできないので、試行錯誤しながら活動していました。そして無事に、県2位でインターハイ出場を決めることができました。ただ決勝は、野球で例えると9回3-0から巻き返されるような逆転負けを喫しました。
ちょうどコロナ禍だったので、応援は拍手のみ、もちろんインターハイでも応援不可で、少し物足りなさはありました。ですが、あの舞台でプレーができたことは一生の思い出になりました。


高校3年生の時もチャンスはありましたがあと一歩のところで負けました。最後の年にインハイに出れなかったことはもちろん、国体出場も目指していたので、国体に出れなかったことがソフトテニス人生唯一の心残りです。そのため、大学でもソフトテニス部に入ること以外は考えていませんでした。一般受験ではなく、指定校推薦で明治大学に入学することは決めていたので、野球部の顧問でもあった担任の先生との面談で、大学でもソフトテニスを続けたいということを話しました。その時に、明治行くなら野球部のマネージャーとかもいいんじゃない?と言われました。父と先生が野球を通じて知り合いだったこともあり、私が野球に囲まれて育ったからこそ、かけてくださった言葉だったのかもしれません。ですが、この何気ない一言が私にとって大きな転機となりました。ソフトテニスは、競技人口が多くない、かつ大学まで続ける人は限られています。結局ずっと同じ環境に身を置き続けることになってしまうので、それなら新しいところに飛び込んでもっと日々を彩りたいと考えるようになりました。そして、何より大きかったのは、もう一度日本一を目指す環境に身を置きたいと思っていたことです。
聞かれる度にずっと曖昧にしてきた、「なんで大学で野球部のマネージャーやろうと思ったの?」の答えはこれです。
ソフトテニス部からのお誘いもあったりと、3月のマネージャー応募締切2日前まで悩み、滑り込みで申し込みました。そして、ご縁があり無事入部することができました。
ここから私の大学生活がスタートします。
まず、最初にぶつかった壁は通学時間です。最初の5か月ほどは茨城県かすみがうら市の実家から片道2時間30分以上かけて通っていました。この距離のせいで、遠征の時など、先輩にお気遣いいただいたり、少ししんどい部分がありました。そのため親に無理を言い、一人暮らしを始めました。本当に親には頭が上がりません。
大1の時は、あまり記憶には残っていませんが、毎日必死で、仕事を覚えることに精一杯だったと思います。しかし、恵まれた先輩方のもとで、基礎となる土台を築くことができました。1年生の頃は、ただ言われたことをこなすだけでした。
2年目になると幅広い仕事を任せていただくようになって、仕事の意味や意義を理解し、自分で考えて行動できるようになりました。自分の仕事が何に繋がっているのかを実感できるようになったのは、大きな変化だったと思います。後輩が入ってきて、自分が教える立場になったことも、自分自身の成長を促すきっかけになりました。ただ、説明能力・言語化能力が皆無な私にとっては、説明は大の不得意分野でした。おそらく非常に分かりにくかったと思います。有海(3年・宇賀神有海)と佳湖(3年・小石川佳湖)ごめんね、、
また、ご縁があり帯同させていただいた、地元茨城県での早明戦や六大オールスターでの運営・アナウンスはとても良い経験となりました。

そして、2個上の先輩方が卒業されて、一気に上級生となりました。女マネは、1つ上の先輩が珠海さん(R8卒・加藤珠海)のみとなり、より責任の重さを実感しました。ですが、この1年間があったからこそ仕事を網羅できて、成長することができたと思っています。この1年間は珠海さんと凪乃香(4年・平野凪乃香)と3人で同期のように活動してきました。4年になってから、この量の仕事を一人で回していた珠海さんのすごさを改めて感じています。そのため、最後の秋、珠海さんがベンチ入りして全勝優勝できたことはこの上なく嬉しかったです。


最上級生になってからは下っ端としてやってきた経理、取材対応、大学関係などの部の事務管理系を主にやってきました。指示される側から指示する側になって、もっと上手くできたんじゃないかと後悔する時もありましたし、ミスをしないことが当たり前なマネージャー活動で、ずっと完璧にこなすことはできていません。しかし、私なりに試行錯誤して、どうしたら効率が良くなるのか、後輩のみんなが活動しやすい環境作りができるのか、ということがずっと頭にありました。
ですが、振り返ると新しいことにたくさん挑戦できた1年間だったと思います。最後まで悔いの残らないよう全力でやり切ります!
そして、この学生生活、私はずっと周りの環境に恵まれていました。出会った人すべてが私に刺激を与えてくれて、ここまで少しは成長できたのかなと思います。
諸先輩方。

森さん(R6卒・森裕規)、天音さん(R6卒・萬谷天音)、朗さん(R6卒・石田朗)。ずっと優しくて、右も左も分からなかった自分に、たくさんご指導してくださりありがとうございました。自分たちが1年生の時の4年生が御三方で本当に良かったです!
未稀さん(R7卒・大崎未稀)、さくらさん(R7卒・岸上さくら)、璃子さん(R7卒・小池璃子)。下級生の頃、仕事も話もたくさん振っていただきました。その経験があったからこそ、今こうして成長できました。事務室でほとんど喋らなかった自分ですが、先輩がいる中でも話せるようになりました笑 今度落ち着いたらご飯行きたいです!✨️✨️
大琉さん(R7卒・西田大琉)もたくさん気にかけてくださりありがとうございました。小島(4年・小島大地)と飲む時はまた自分も誘ってください!
珠海さん、里空さん(R8卒・本岡里空)
入部した時から当たり前に事務室にいらっしゃって、一番長い時間を過ごしました。たくさんご迷惑をおかけしすみませんでした。お2人がマネージャーとして残ってくださり、とてもやりやすかったです。
珠海さんは、凪乃香と3人で、まるで同期のように接してくれました。事務室や帰りにお話する時間が本当に楽しくて、引退して欲しくなかったです。プライベートでもたくさん遊んでくださりありがとうございました!また3月、お会いしたいです!


大好きな先輩方に囲まれて、一緒にマネージャーとして活動できたことは、私にとってかけがえのない経験です。先輩方の背中を見て学んだことを、これからも大切にしていきます!

たくさんお世話になった後輩マネージャー11人へ
有川(3年・有川駿祐)は対人がすごく上手で、人生めっちゃ楽しそうで、ゲラで、面白くて、いつもずばずば言ってくれて助かりました!考え方とか多分似てる部分多くて、話しててとても楽でした◎
守谷(3年・守谷治樹)はいつの間にか、下級生の時とは見違えるほど覚醒していました。何かと面倒臭いこと頼んじゃったけど、対応してくれて本当にありがとう!


有海の発想力だったり語彙力が羨ましいです。。有海の持ってる力を来年は1000%以上出して、マネージャー陣を回してね!美味しそうにご飯を食べる有海を見れなくなるのが悲しいです。
佳湖がたくさん話してくれるようになって私は本当に嬉しいです。あと最近LINEがフランクになってきてくれててきゅんとしてます🥹そんなことよりまずは経理!!ファイトだよ!!!

怜司(2年・吉田怜司)はこれやって~って言ったらすぐ対応してくれるので、とりあえず怜司に言っちゃってたこともありました。本当に感謝です。
未奈(2年・門倉未奈)の丁寧さだったり几帳面さだったり、仕事への向き合い方は、マネージャー陣に必要不可欠なのでもっと磨いていってね。期待してます✨️
真梨奈(2年・古田真梨奈)は、最近引退しないでください〜とよく言ってくれます。笑 自分たちがいなくなっても絶対大丈夫だから自信持って、上級生としてがんばれ!!
3kg減して喜んじゃってる青木(1年・青木一真)、まだまだ掴めないわに(1年・鰐川修吾)、たくさん試行錯誤しながら頑張ってくれてる萌菜子ちゃん(1年・島田萌菜子)、みみちゃん(1年・鈴木みみ)。
短い間だったけどありがとう!まだまだ成長過程だと思うので、先輩からたくさん吸収して、自分のものにしていってね🫡
2026マネ隊として、1年間突っ走ってきましたが、こんなに可愛くて頼りになるみんなが後輩でいてくれて本当に心強かったです。事務室で過ごす時間が本当に大好きで、私の日常そのものなので、引退したらこれがもう無くなってしまうと考えると寂しいです。
来年以降大変なことも多いと思うけど、結論、大丈夫です。何とかなります。みんなで協力して、時には喧嘩もしつつ、信頼し合って業務に励んでほしいです!何かあったら連絡してね。あと少し頑張ろうね✧

後輩学生スタッフのみんなへ
いつも事務室で奮闘している姿をたくさん見ています。裏方に回る決断をした人にはそれぞれの思いや覚悟があったと思います。大変なことばっかりだと思うけど、自分たちの仕事に誇りを持って、悩んだ時はなんで自分がこの道を選んだのか考えて、最後までやり切ってね。みんながいなかったら部は回りません。応援してます!
そして、ここに入ることがなければ絶対に出会うことのなかった同期の26人へ。最初の頃は仲良くなれるか不安もあったけど、そんな不安もすぐにどこかへ行きました。同じ4年間を一緒に過ごせて、本当に良かったよありがとう!
オーラ抜群だと思っていた内海(4年・内海優太)、絡み方雑な琉衣(4年・河原﨑琉衣)、お菓子漁りの常習犯一心(4年・岸本一心)、凪乃香と仲良しな栗原(4年・栗原英豊)、 全然怖くなかった津田(4年・津田基)、みんなの彼女☆周哉(4年・友納周哉)、体調不良でご飯欠席したこと結構根に持ってるよ外山(4年・外山稜太郎)、今までもこれからも心から感謝してる内藤(4年・内藤大翔)、単位力になれなくてごめんなさい八谷(4年・八谷晟歩)、初めて出会った人種でおもろい番場、意外と仲良しな檜村(4年・檜村圭吾)、幸せになってほしい前田(4年・前田悠槙)、幅広いジャンル語ったてつ(4年・松本哲郎)、こだわり強めな直(4年・松本直)、たくさんお世話した心空(4年・三浦心空)、同じクラスでたくさん助けてもらった山内(4年・山内優平)、なんだかんだ4年間ずっと相談乗ってきた若狭(4年・若狭遼之助)、意外と乙女な啓吾(4年・岡田啓吾)、事務室来るといつも何か話したそうな顔してるさかき(4年・榊原七斗)、個人的ギャップNo.1なみつひ(4年・光弘帆高)、一言目はいじりかボケ99%な聖矢(4年・福原聖矢)、なぜか憎めない小島、共感力はなまる💮田中(4年・田中陽貴)、おもしれぇ女なつみ、ネーミングセンス抜群な康介(4年・島抜康介)、加工のスペシャリスト凪乃香。

どうでもいい話したり、相談したりされたり、ご飯行ったり。何気ない時間が本当に楽しかったです。もうこの時間が終わってしまうんだなと思うとすごく寂しいです。
あとはやっぱり、リーグ戦での同期の活躍は本当に嬉しいです。試合中は、直接声援を届けることはできないけど、心の中ではいつもガッツポーズをしてます。みんなが活躍する度に、元気と感動をもらってきました。
そして私は、神宮球場のアナウンス室から見る景色がとても好きです。グラウンド全体、両校の応援席を見渡せる特等席だと思っています。ファンの皆さまが一体となって、身近にいる選手たちに声援を送ってくださる姿を見ると、改めてこんなに応援してくださる方がいるんだなぁとしみじみ感じます。それは、私がマネージャー業を頑張れる理由の一つでもあります。
いつも近くにいる選手たちが遠くで輝いている。そして、たくさんの方に応援していただいている。その光景に胸が熱くなる瞬間です。

また、基本涙は流さない私ですが、リーグ戦中に涙がこぼれた時がありました。それは、法政1回戦での若狭の勝ち越しホームランの時です。私は法政サイドの三塁側でカメラをしていました。選手の表情を捉える写真撮影をしていたからなのか、反対側にいたからこそ見れるベンチの様子、応援席全体の熱量を客観的に見たからなのか、若狭の裏の姿を知っていたからなのか、自分でも何の涙なのかは分かりません。ですが、私の心に響くものがありました。その時に感じたのは、自分でも思っていた以上にこのチームが大好きで、このチームで優勝したいという思いです。私はマネージャーとして、チームの勝利に直接貢献することはできませんが、思いは負けない自信があります。大好きなみんなと日本一長いチームでいるために、立教戦はスタンド、アナウンス室から声援を届けます!
みんな本当に頼みます!!🔥🔥🔥
裏方として奮闘してきた5人へ
学コ小島、ガッコ田中
2人には思ったこと全部言えるし、言われるし、ムカつくこともだいぶ多かったけど、それ以上にすごく頼りにしてました。板挟みになって大変なときも多かったと思うけど、チームのために行動し続けてくれてありがとう。小島は、いつ仲良くなったか覚えてないけど、いつの間にか仲良くなってました。語彙力すごくて物知りで面白くて私とは対極にいる存在だと思っていましたが、全然違いました。今やチームに欠かせない小島、三塁コーチャー期待してます。
田中は学部が一緒で同じ授業を取ることも多く、ご飯もたくさん行きました。根はすごく真面目で物事を俯瞰的に見てて、ケチだけど人想いで。なんだかんだお世話になりました。お互い火力強めだけどそんな時間も楽しかったよ🙂

2人ともこれからもよろしくね〜〜
なつみへ
1年生の時の4月、ガイダンスで再会したことがすごく記憶に残ってます。
初女子アナリストとして、多分私が思ってる以上に大変なことも多かったと思うけど、なつみ持ち前の明るさで乗り切っててさすがだと思ってました。同じ政経としてもたくさんお世話になりました!

そして凪乃香と康介。私の尊敬する2人です。シゴデキすぎる2人にたくさん助けられた4年間でした。マネージャーとして、2人がいなかったらここまでやれなかったと思います。
康介
3年秋から主務、そして六大の連盟チーフでもあり、ここ最近は毎日すごく忙しそうだけど、その忙しささえも楽しんじゃっている気がします。さすがです。康介の言葉にたくさん救われたし、たくさん頼っちゃったけど、その都度対応してくれて本当にありがとう!自分らの最高の主務です。
凪乃香
「香」と書いて「こ」と読みます。初見殺しです。なのことは同期のマネージャーとして、一緒に励んできました。なのこはとても人想いで優しすぎます。ですが、言う時はちゃんと言ってくれます。
この4年間、仕事に関しては「これやったっけ」「やります」のようにすぐ物事が決まります。ですが、優柔不断であまりにも意思のない私たちなので、LINEのあみだくじには何度お世話になったか分かりません。喧嘩したことはもちろんありません。分からないことは基本なのこに聞けばどうにかなるし、解決します。なのこのフッ軽さ、行動力等々にたーーくさん助けられたよ!!!ありがとう😭

ここに書ききれないほどたくさん伝えたいことがあるので、残りは引退のときに改めて述べさせてください✉️
これほど心強い人はいないと思うくらい、2人と同期のマネージャーになれて本当に良かったです🙏🏻これからもよろしくね。
また、富士山に登り、「日本一の学生コーチ」になってきた小島に対抗して、リーグ戦前になのこと富士山に登ってきました。私たちのノリと行動力は褒めたいです。ご来光も見ることができ、言葉には言い表せないほどの良い人生経験となりました。きつかったですがまた登ろうと思います!

みんなと同期になれて、この代のマネージャーになれて本当に幸せだなとつくづく感じます。私の人生を濃くしてくれた4年間です。引退後もよろしくお願いします⭐️

六大学のマネージャーのみんな
同じ六大のマネージャーとして、話せることがたくさんありました。最近は神宮で会った時しか話す機会もありません。当番校として、六大マネ会の幹事になるくらいしか役に立った覚えはないけど、主務の6人を中心に、たくさん連盟のために動いてくれてありがとう!あと少し頑張りましょう👍🏻👍🏻
一番仲良くしてくれたゆか(法政大学野球部マネージャー・椎田)へ
たっっくさん話聞いてもらったり聞いたり。小さくて可愛いのに、実はちゃんとしてるところがたまらなく愛おしいです。これからもよろしく頼むよ♩

戸塚監督、松岡コーチ、文雄さん、西嶋さん
4年間ご指導いただきありがとうございました。女子マネージャーのことも常に気にかけてくださり、野球部での活動を通じて、一人の人間としても成長することができました。ここで学んだことをこれからの人生でも活かしていきたいと思います。
家族へ
22年間育ててくれてありがとうございました。何不自由なく、やりたいことを自由にやらせてもらい本当に感謝しています。兄2人も含め、たくさんご迷惑をかけてきた思うけど、これからは親孝行していきます。基本的に、良い意味で放任主義だったと思いますが、それが私には程よくて心地よかったです。いつも私の選択を尊重してくれてありがとう。今後ともよろしくお願いします。
最後に、
節目節目で取捨選択をすることが多かった人生ですが、どの経験も私にとって必要不可欠なもので、今では過去の自分の選択を正解にできたと思っています。何より非常に運が良く、いつも周りの環境に恵まれてきて、かけがえのない人たちとも出会うことができました。
マネージャーは外部との関わりがとても多く、自分の言動がチームの印象にも直結する立場です。しかし、その分応援してくださる皆さまの声や思いを直接受け取ることができるという特権もあります。明治大学野球部というこんなにも素敵な組織で、素敵なファンのみなさまと共に4年間活動できたことを、本当に幸せに思います。
引退ムーブとなってしまいましたが、まだまだ試合は続きます!チーム福原でリーグ戦優勝、そして日本一を絶対に掴み取るので、最後まで熱い熱いご声援をよろしくお願いいたします!神宮球場でお会いしましょう🔥
ここまで読んでいただきありがとうございました。
明日は私の相棒の平野凪乃香です。数ヶ月前からダイエットプロジェクトを始動しており、おめでたいことに先日終了したみたいです🏃♂️
そのため、ちょうど昨日一緒にラーメンを食べてきました。

リケジョ×成績優秀な凪乃香さんの文章が待ち遠しいです。
お楽しみに!
主将 


