『僕の野球人生』vol.16 寺嶋 桜子 アナリスト
この企画では、ラストシーズンを迎えた4年生に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。
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『僕の野球人生』vol.16 寺嶋 桜子 アナリスト(4年/お茶の水女子大附)



元クラスメイトの春山くん(4年/内野手/昭和学院秀英)よりバトンを受け取りました、アナリストの寺嶋です。春山くんとはなぜか大学卒業年度も同じになる予定です。自分のことを言語化するのは苦手なのですが、文学部として多少は頑張ってみました。しばしお付き合いいただけたら嬉しいです。
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いつ野球に出会ったのかは覚えていません。野球好きの家族とプロ球団の本拠地である地元の影響で、幼い頃からマリンスタジアム(ZOZOマリンスタジアム)へ野球を見に行っていました。当時の私にとって野球場とは、マスコットに会い、チアのお姉さんのダンスや綺麗な花火を見に行く場所でした。選手の名前は全く覚えないのに12球団のマスコットキャラクターは覚えていました。夏にはテレビで甲子園を見ていましたが、プレーそのものよりブラスバンドの演奏を聴くのを楽しみにしていた気がします。野球は、馴染みのあるスポーツではありましたが、それ以上でもそれ以下でもなかったです。サッカーよりは観戦するのが好きでした。なので、学年が上がり、球場に行く機会が減るにつれて、野球に関わる機会も無くなっていきました。私が中学生になるタイミングで、弟はリトルで野球を始めました。週末、家で1人留守番する機会が増えました。朝早く家を出て、夕方過ぎに帰ってくる家族を横目に私は家でのんびりしていました。
そんな頃におばあちゃん家で出会ったのが、あだち充さんの『タッチ』です。山あり谷ありドラマありの展開に夢中になってあっという間に読み切り、おばあちゃん家に行くたびに読むようになりました。高校野球の“青春”に憧れて、マネージャーをやりたいなと何度も思いました。それでも、野球部を基準に高校受験をすることはせず、女子校に進学しました。小学生から野球を続けている弟の練習や試合を見に行くこともなく、私にとって学生野球とは物語の中の世界でした。
東大野球部の存在を知ったのは、大学に入学してからです。弟の野球人生を眺めていた私には、キラキラしているのは物語の中だけで現実の学生野球は厳しく大変なものであるという印象が残っていました。興味本位で初めて球場に見学しに行った日のことをよく覚えています。選手がとても楽しそうに練習しているのが印象的で衝撃的でした。中高生の頃に憧れていた“青春”に関わるにはこれが最後のチャンスだと思い入部を決意しました。アナリストだったのは、グラウンドに出て選手と関わる機会を持ちたいと思ったからです。
入部したのは春リーグも終わった6月の中頃でした。上記の通り、野球を知ってはいるけれど詳しいわけではなかったので、それこそ変化球の曲がり方みたいなところから野球そのものについての勉強を始めました。アナリストにならなかったら一生関わらなかっただろうPythonの技術も身につけることになりました。修吾(片山/4年/アナリスト/筑波大駒場)とわんくん(中井/4年/アナリスト/金沢大附)が一足飛びに技術を吸収し、先輩方と専門用語を使って話せるようになっていくのに対して、私の進歩は亀のようにのんびりしたものでした。野球がこんなに複雑怪奇なスポーツだったのだと大学生になって初めて知りました。プログラミングもやっぱり難しくて数理系の科目が苦手な私には頭の中がハテナで埋め尽くされることも多々ありました。日々新しい学びがあり、とにかく新鮮で刺激的な部活動だった気がします。夏休みには岩手合宿にも行き、想真さん(R8卒)にたくさんのことを教えてもらいました。これが最初で最後の合宿帯同となったこともあり、今でも忘れられない思い出です。そして初めて経験するリーグ戦。迫力ある応援と賑やかな応援席の雰囲気に驚嘆したこと、蒼天の下、広い球場でプレーする選手たちの姿が眩しかったことを覚えています。もう一つ憶えていることがあります。夜の帷も落ちた頃、ようやく帰ろうかとマネ部屋を出ると、バッティングをしている音が聞こえてきたので誘われるようにグラウンドへ。なんと室内練習場の明かりがまだ点いています。思わず中を覗いてみたら、数人の選手が練習をしていて、そこには同期もいました。こんな時間まで練習している選手たちがいるのだと、驚くばかりでした。
2年生になっても私の成長速度は変わりませんでした。正直、下級生の頃の記憶は時系列が曖昧な部分もあり、あまり変わりない日々を過ごしていたようです。気づいたら後輩ができ、賑やかになっていました。上級生になったらどんな風になっていたいかと考えることもなく、ただ日々のタスクをこなすばかりであった気がします。東雲に家を出て遠征に向かう、週末が二日間とも部活で潰れるなど、中高とも運動部だったものの緩い上に割と不真面目だった私には初めての経験が多く、本気で取り組む運動部の大変さを身に沁みて感じることもありました。それでも、概ね楽しんでいました。具体的な目標や未来像もシフト外で行う自己研鑽もなく、単に楽しく部活動をするだけでした。
こんなスタンスだったからなのか、自分が東大野球部の一員で仲間であると心からは思えていませんでした。どこか一歩引いていたというか、自分がここにいることが場違いであるかのように心の奥で感じることがありました。スタッフも含めて周りには野球好きで熱心な人ばかりで、自分が野球にそこまで情熱を注いでこなかったことにどこか気後れしていたのもあるかもしれません。野球部という環境の雰囲気に慣れることに時間もかかりましたし、当時は同級生の選手に話すことさえ少し勇気が必要でした。自分自身にアナリストとして、野球部員としての価値を見出してはいませんでしたが、悲しいとかはなく、それをどこか当然のこととして考えていた気がします。
そうして過ごしているうちに留学が決まりました。留学が決まった時、もちろんアナリストの先輩方には面と向かってきちんと報告しましたが、選手には別にいいかなという考えが浮かびました。留学で半年いないくらい、特に誰も気づかないかなと。とはいえ、流石に不誠実なので同期には留学前最後のシフトが終わってからLINEで報告し、全体にはその日の深夜にDiscordで報告しました。思っていたよりリアクションがついたこと、同期がLINEで応援してくれたことに驚きました。2年の冬に日本を発ち、3春の間はスイスで勉強していました。留学中はアナリストの仕事はほとんどしませんでした。覚えているのは、ミーティングにオンラインで参加したことと、真夜中に喫緊のデータ打ち込み作業を行ったことです。Pythonの勉強用に持っていった本も数回開いただけで、ずっと留学先での日常生活を楽しんでいました。時差が7時間あったので、早朝に春季リーグ戦をBig6TVでみて、ファン目線で東大を応援していました。留学も終わりかけとなった5月のある日に、同期から突然電話がかかってきました。どうやら数人で飲みに行っていたようで、その場のノリでかけてきたらしいのですが、わりと嬉しかったのを覚えています。
そして、大きな転機となったのは半年間の留学から帰ってきて初めて部活に行った日のことです。グラウンドに顔を見せた私へ、練習中の選手たちが手を止めて「おかえり。」と言って拍手をしてくれました。たくさんの温かいおかえりと拍手に囲まれて胸がいっぱいになり、このチームの仲間として誇れる自分でありたいという思いが溢れてきました。引退まであと1年と半年、みんなの力になれるアナリストになりたい、と。
とはいえ、現実はそう上手くいきませんでした。留学から戻ってきた時には新しい仲間が6人も増えていて、いつの間にか自分は上級生の立場になっていました。半年の間に変わったシステム、やり直すことになった環境構築、新しい機械と増えた仕事。下級生の頃に得た知識や技術を最新のものに塗り替えていかなければなりませんでした。昨シーズンは、上級生なのに1番後ろからのスタートでした。そして、佐藤さんやうちこうさん(R8卒)、中島さん(R8卒)の仕事を優秀な同期や後輩たちがすでに引き継いで、又は引き継ぐ準備を始めていました。後輩が引き継ごうと頑張っているところに自分が割り込むのが不合理なことは明白でした。野球を見る経験のなさから、作戦関係の仕事に関われないのは前から分かっていましたが、技術系の仕事に関わることも諦めました。同期2人のアナリストは優秀だし、4年生になったら事務仕事を中心にしようとこの時期に決めました。それは、自分の仕事ではチームの勝利に直接関わることができないことを意味していました。
あっという間にうちこうさんと中島さんも引退して最上級生になりました。人数の増えたアナリスト部門を上手くまとめないとな、来年入ってくる1年生のために教育計画立てといた方がいいかな、なんて想像して少しだけ準備をしていたのに、修吾が私の空想を上位互換した構想を持ってきたときは舌を巻きました。
「日本一のアナリスト組織をつくる」
これを掲げて活動することに決まり、アナリストの中で仕事分担のミーティングをしました。予想通り、私の仕事は他の上級生に比べてずっと少なく、チームの勝敗に関わらないものばかりでした。少し悔しく情けなくもありましたが、下級生の頃悠長にしていた自分の身から出た錆ではあるので、未練なく吹っ切れたことにしました。
それでもやはり、最上級生になって初めのうちは、同期2人の優秀さに臆して、自分のことを過剰に卑下していた気がします。後輩たちはきっと私に対して4年生としての振る舞いなんて求めてないし期待してないだろう、と勝手に決めつけてしまっていました。けれど、そうではないと感じる出来事が何度かありました。このままではいけないと、4年生になってしまったのだから、できないことは多いけれどそれでも1年踏ん張ろうと思えたのでそれらの出来事には感謝しています。
4回目の春が来ました。私にとってはしっかり関わるのが2回目の春季リーグ戦、対法政大学の初戦は神宮の2階席から見ていました。明石(4年/捕手/渋谷幕張)がホームラン打った後の石田(4年/マネージャー/札幌西)の喜びようをよく憶えています。みんなの活躍が嬉しくて、喜んでいるとこを見られたのが嬉しくて、心に残る一戦でした。今までは、チームが勝った時は嬉しいよりおめでとうという気持ちがほとんどでした。けれど今回は、私も素直に嬉しいと思えました。
Sセメスターも終わりかけの初夏の頃、見ないように隠して、消したはずの気持ちが溢れ出そうになりました。チームの力になれていないことへの自己嫌悪と無力感が押し寄せ、一度わんさんと修吾に相談しようかとも思いましたが、2人が忙しい時期だったのでやめておきました。その時期だけは少しマネ部屋に居づらくて、逃げ出した先は4年部屋でした。同期のみんなとおしゃべりし、勝手に元気を分けてもらっていました。ここに居ていいんだと思えました。悩み事の根本が自業自得なことはわかっていたので、パソコン仕事をしない時間を増やすなどして波が引くのを待ち、時間が解決してくれました。勝利に直接関わるほど大きな仕事はできないけれど、それで自分はかまわないと、今はそう思えています。アナリスト組織がうまく回るように自分の仕事をすることは、それは巡り巡って選手の、チームのためになると。
組織の人数が多くなると、全体を円滑に回すために、組織目的の本質とは直接関係しない仕事の割合がどうしても増えていきます。でも、どれも必要な仕事で必ずチームの目標へと道は繋がっています。今ならそう信じられます。
とはいえ、やっぱりチームの勝利に直接関わる仕事の方がやりがいはあると思いますけどね。
瞬く間に冷夏が過ぎ、秋季リーグ戦が始まりました。
先日、少し嬉しい出来事がありました。仕事を誰かに引き継いで欲しいと後輩から言われたのです。春リーグの中盤に思いつきで始めた作業がありました。私にしては珍しく、選手が直接使用する資料に関わる仕事です。ですが、特に引き継ぎ資料を作成したり引退前に後輩に教えたりする予定はありませんでした。作業内容自体は簡単で誰でもできるだろうし、みんなの方がきっと効率良い方法を開拓できると思っていたからです。こんな自分でも後輩に残せることがあるのだと目から鱗でした。先輩らしいこと少しはできそうでほっとしています。
でも他の人に比べて仕事が少ないのは相変わらずです。けれど変に悩むことはもうしません。個人の仕事内容も能力も野球部のアナリストらしくはないですが、これ以上にはどうやらなれなそうです。自分らしくアナリストを最後までしようと思います。
4年間総じて楽しかったですし、野球部のアナリストを選んだことに後悔はしていません。修吾とわんさんが選手たちから頼りにされていると嬉しくて、後輩たちの成長がなんだか自分のことのように誇らしくて頼もしくて。このチームでアナリストとして活動し、みんなと青春できた日々は宝物です。
この1年、東大野球部アナリストの仕事を1番近くで、遠い視点から、見続けてきました。そんな私から、いつもアナリストを信じてくれる皆さんに、少しだけ伝えたいことがあります。選手の皆さんのもとに届けられるデータや資料には、アナリストの叡智を集結した細やかな工夫がたくさん散りばめられています。みんな、日進月歩する科学技術を追いかけて知識をアップデートし、システムを改良し、さらに新たな“便利“を生み出すため試行錯誤を続けています。論文を読み、自分の専攻と全く関係がない分野を勉強し、時間をかけて分析して勝つための知恵を絞っています。
どの仕事もパソコンと野球の知識さえあれば誰でもできるようになるといった簡単なものではありません。アナリストの中で揉まれた結果、没になったアイディアもたくさんあります。全て、時間をかけて「東大野球部の当たり前」にしてきたものです。選手の皆さんにはどうかそれを忘れないでいてほしいです。
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最後に少しだけ、メッセージを。
家族へ
四年間無事に終えられそうです。初めてこんなに部活動にコミットしましたが、想像していたより充実した日々でした。
弟は、大学でも野球を続けているのが素直にすごいと思う。今年、東大球場に試合見にきてくれたのは割と嬉しかった。来年はきっと部活のことが忙しくなるのかな。頑張れ。試合見に行くので日程教えてね。
妹たちも、1つのスポーツをとても真剣に取り組んでいて、私にはできなかったことなので、すごいなといつも感心してる。怪我にだけ気をつけて、楽しんで続けてくれたら嬉しいな。ここ数年、試合見にきてほしいと言ってくれていたのにほぼ毎回断ってごめんね、来年の週末は割と暇なので、遊びや試合観戦にいつでも飛んでいきます。
想真さん、うちこうさん、中島さんへ
野球の、アナリストの楽しさを教えていただき、ありがとうございました。お三方の存在がなかったら、もっと早く心が折れてしまっていたかもしれません。不出来な後輩でしたが、見捨てずに根気強く様々なことを教えていただいたおかげで、入部した時と比べるとだいぶアナリストらしくなれました。引退したら、またご飯連れてってください。
アナリストの後輩たちへ
みんなにほぼ何も残すことのできない先輩でごめんなさい、この1年たくさん助けてくれてありがとう。選手たちのために努力と研鑽を怠らないみんなのことを本当に尊敬しています。3年生たちはとても優秀なので来年のことは心配していないです。むしろ、私ができない分仕事の皺寄せがみんなに行ってしまったことは申し訳なく思っています。でも、きっとこれから先のアナリストで私ほど知識や技術のない人は生まれないだろうなと、そう確信できる体制をこの1年で整えることができたのにはすごく安堵しているので、これは受け継いで欲しいです。選手と一緒に野球を楽しむことを忘れずに。これからのさらなる活躍に期待しています。
史帆ちゃん(平松/3年/アナリスト/洛南)と莉々果ちゃん(野末/1年/アナリスト/九段中等教育)へ
アナリストとして入部してくれてありがとう。適度に周りに頼りつつ頑張ってね。特に史帆ちゃんに対しては成長を後から見守るばかりで先輩らしいことあまりしなかった気がするのに慕ってくれてありがと。ちゃんとチームのためになっているから大丈夫だよ。いつでも連絡してね、またご飯行きましょう。
修吾と一心へ
四年間ありがとう。どれだけありがとうを言っても足りないくらいたくさん助けてもらいました。この代でアナリストやれて良かったです。
同期のみんなへ
野球という難しいスポーツをずっと続けてきたみんなのことを本当にすごいと思っています。みんなが楽しそうに野球している姿を見るのが好きです。同期でいさせてくれて、アナリストでいさせてくれてありがとう。
学年が上がるにつれてみんなと喋れるようになっていったのが嬉しかったです。下級生の頃には学年部屋にいったり選手に話しかけたりするのが怖かったけど、もう大丈夫です。引退しても仲良くしてね。
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あっという間に3カード終わり、引退までの足音が大きくなってきました。
残り2カード、このチームで勝ちたいです。このチームなら、きっと勝てます。
あと少し、楽しみましょう。
次回はマネ部屋仲間のだーいしです。どうやら大作らしいので、しごできな彼の文章力に多いに期待することにしましょう。
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次回は10/6(火)、石田遥人マネージャーを予定しております。
主将 


