『僕の野球人生』vol.32 堀部 康平 主将
この企画では、ラストシーズンを迎えた4年生に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。
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『僕の野球人生』vol.32 堀部 康平 主将(4年/内野手/県立船橋)



「なんでそんなに野球やってるの?」
「なんでそんなに野球が好きなの?」
特に野球以外の友人から何度も問いかけられ、時には自問自答したこの質問。
これまで、この質問に対して素直に答えられないとき、明確な答えが見つからないとき、
そんなことも数多くありました。
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申し遅れました、われらが副将・東大野球部の兄貴分こと横山くん(4年/副将/内野手/新潟)から紹介を受けました、主将の堀部康平です。
野球人生を振り返るというせっかくの機会をいただいたので、これまでの自分と真摯に向き合ってみようと思います。
気が向いた箇所だけでも構いません。一生懸命書いたので、ぜひ読んでいただけると幸いです。
野球との出会いは3歳から4歳のころ、父親とのキャッチボールでした。
週末のこの時間が楽しみで、朝は両親の起床を急かし、朝ご飯を食べるとすぐに家の近くの公園に向かいました。
海が見える広い公園の斜面を、打った打球が転がり続ける間に何周もベースランニングをしていた記憶があり、当時から駆け回ることが大好きだったんだと思います。父親談で僕は全く覚えていないのでにわかに信じがたいのですが、次第に父との二人きりでの野球に飽き足らなくなった僕は、近くで遊ぶ親子連れに一人声をかけに行くようになり、その日の終わり頃にはすっかり一緒になって野球をしていたらしいです。
野球を通じれば誰とでも仲良くなれる、そんな球縁は大学生になった今、ますます実感する機会が増えたように感じます。
また、祖父が東京ドームの試合に連れて行ってくれたり、地元千葉の友達にはロッテファンが多かったりしたことから、プロ野球に触れる機会も多く、野球はますます日常的なものになっていきました。
極めつけは2009年のWBCで、決勝でのイチローのタイムリーヒットを見た僕は、迷わずイチロー型のグラブを買ってもらい毎日壁を相手に一人で野球ごっこをしていました。いわゆる野球小僧だったと思います。
小学校での生活にも慣れ、チームで野球をしたくなった自分は、2年生に上がったタイミングで、地元の軟式野球チームである新浦安ドリームスター(以下ドリスタ)に入団しました。
もともと学童で一緒に野球をしていた先輩たちもたくさんいたことから、すぐに打ち解けることができました。
下級生のころは、野球が上手な1学年上の先輩たちについていく形でめきめき上達しました。コーチの方々も皆熱心で、平日を返上して球場練習やバッティングセンターでの打ち込みに連れて行ってくれたり、1つ上の学年を見ていた内田監督には、小学生ながらに連携プレーやサインプレーなどレベルの高い戦術も教えてもらったりしました。
県大会やカップ戦でも上位成績を数多く収めることができ、先輩たちと勝ち上がっていく野球はとてもワクワクしたのを覚えています。
最上級生になり、先輩たちがいなくなるとチームを引っ張っていく立場になりました。
1学年上で試合に出ていた驕りやキャプテンとしての過度な責任感もあったのでしょう、ミスをして不貞腐れたり、ピッチャーでストライクが入らなくなるとマウンドの土を黙々と掘り続けたり、苛立ちを抑えきれずに独りよがりになることが多々ありました。
そんな中、当時自分たちを見てくださった薮内監督には、キャプテンとしての振る舞いについて、時には厳しく叱られることもありましたが、(ノック中に監督に口ごたえして、ノックバットが飛んできたときはさすがにビビりました。)愛のある指導をしていただきました。
初めの実力は先輩たちと比べると見劣りしたけど、それでも監督・パパコーチたちの情熱的な指導と同期との野球が大好きで、小6の夏の市大会で優勝できた時はとにかく嬉しかったです。
今振り返ると、感情をコントロールして周りを見ることができるようになるなど、精神的にもすごく成長できた1年だったと思います。
ドリスタの同期は中学校の野球部で野球を続けると言っていました。
中学の部活なら同じ仲間と今までどおり楽しく、試合にも出れる。
それでも市選抜ではそこそこ通用したこともあり、レベルの高い環境でやってみたいと考えた自分は、いくつかのチームの体験練習を経たのち市川シニアに入団しました。
硬くて重い硬式ボール、自分より上手で体もデカいチームメイト、覚悟はしていたけどやはり現実はそう甘くありませんでした。
小学校の時みたいに簡単には通用しない。そんな中でいかに存在感を出すか。
自分なりに考えた結果、誰よりも声を出す、誰よりもまじめに率先して動く、誰よりも考えて野球をする。ここなら誰にも負けないと思いました。
挨拶、身だしなみ、時間を守る、道具を大切にする… 中学野球が終わって高校に行っても、さらには社会に出ても通用するプレーヤー・人間になるようにと、戦術のミーティングを何時間も行い、直接的には野球のプレーには関係のなさそうなこともすごく重点をおくチームのカラーも相まって、とにかくまじめに、従順に、身の回り一つ一つのことに全力で取り組みました。
特にその日のプレーを振り返り、教わったことを書き留める野球ノートは、提出する必要があったこともあり、練習後帰ってから1時間以上を費やすことが普通で、積み重ねは2年半で15冊にもなりました。
それらの行いの甲斐もあってか、取り組みが首脳陣に認められ、背番号をもらって上の学年に帯同させてもらえるようになりました。
さらには同期の信頼も勝ち取ることができ、学年のキャプテンも任されました。
やっとチームの中で自分の価値を示すことができた。
土日の朝6時半に集合して19時や20時まで続く活動は長いし、声が出てないといつまでもやり直しになるし、同期のミスや忘れ物で自分も怒られるし、月曜の登校が一番好きで平日は学校でやりたい放題して、金曜の夜になると憂鬱になる。そんな感じだったけど、仲間もみんな頑張ってるし、何よりこの立場を失いたくない。もっと周りに認められたい。そんな想いで練習中はキャプテンとしてさらに声を出し、さらに準備片づけを頑張り、さらに精力的に動くようになりました。
目の前の瞬間を全力で頑張っていたことに偽りはありません。当時の自分を責める気にも全くなりません。
でも、その時の自分はキャプテンとして動くこと、練習を乗り切ること、この2点しか考えていませんでした。
そんな状態ではプレーヤーとしてはなかなか上達せず、1年生のときはスタメンだった同学年での試合も、2年生になるにつれベンチにいることが多くなりました。
純粋に野球の上達を求めた練習をできていなかった自分にとってはある意味当然の結果で、試合は結果を残してアピールする場であるというワクワク感はあまりなく、ミスをせず無難にやる場であるという認識のほうが強かったように思います。
もちろん活躍したいし活躍出来たら嬉しい。けれど、いざ出場準備の名前を呼ばれるとドキッとする。そんな状態は高校の半ばくらいまでしばらく続いていたように思います。
そんな中学時代の一番の思い出はやはり3年春の全国大会です。
関東大会をなんとか勝ち上がって大阪に行き、みんなで宿舎に泊まり、偵察のビデオを見ながら作戦ミーティングをして、すごく楽しくて2回も勝てました。
そして3回戦の五條シニア戦。
野球人生の中でも最も忘れられない試合のうちの一つでしょう。
4回まで4-0でリード。分析した相手のエースを降ろして完全にこっちのペース。でも、5回表1アウトRなしから突然の連打で一挙9失点、そのまま4-9敗戦。
何とか流れを止めたくて、必死にベンチから声を出したけど何も変わらなかった。
野球って怖いなと痛感しました。(この試合以来、どんなに点差が離れてもこの試合を思い出し、逆転の可能性を信じて戦っています。)
それと同時に、あの瞬間やっぱりベンチではなくフィールドにいたかったな。そう思いました。
それから引退まで、もちろんうまくいかないこともあったし急には変われなかったけど、当時から課題だったスローイングに力を入れてみようと宇野監督から言われたり、足を生かして試合に出れるようにと外野にもチャレンジさせてもらったり、3年生の半年弱は少しずつ自分のことにも目を向けて取り組めていたように思います。
夏は全国大会には出られなかったけれど、本戦の初戦でセンターのスタメンで出させてもらったこと。そして夏の抽選会でたまたま東大野球部出身の方のお知り合いを紹介していただいた際に監督から、「お前は東大野球部に入って、そこでもキャプテンになれ」と言われたこと。
監督からは当時も、そして今もたくさんの期待と激励をいただいていますが、なかでもこの言葉は監督と僕との約束として僕の中に残り続け、ずっと原動力になっていました。
各カテゴリーそれぞれいろいろな経験をしましたが、中学野球はこのぼくじんを書きながら振り返ってみて、特に内面的・感情的な面で葛藤が大きく、またその分今の自分を形作る深くて貴重な時間だったと今になって認識させられました。
これも、愛情あふれる監督・コーチ、父母会の方々と、いろいろやんちゃだったけどその分パワフルで個性豊かな仲間のおかげです。
どちらか一つだけでは敵わないヤツもいるけれど、勉強と野球のかけ算なら戦えそうなことを半潜在的に自覚していた自分は、宇野監督からの「勉強も野球もどっちも追い続けなさい」という言葉と、家にあった「進学校野球部の戦い方」的な本で紹介されていたことがきっかけとなり、県内では有数の進学校かつ県立高校の中では野球が強い千葉県立船橋高校(以下船高)を受験しました。
入ってみると、「船高生なら二兎を追え」というスローガンの文字通り、文武両道を体現する校風で、コロナ禍で活動は制限されていたものの、すごく自分に合っている環境でした。
野球部に入部すると、まず限られた時間の中でより効果的な練習をするための意識の高さに驚きました。
練習のスピード感を保ちながらも本番を想定して1球に向き合い、部活以外の時間でも早弁をして、休み時間中にライン引きを済ませておくなど、時間・環境的に制約のある者がいかにして格上の強豪校を倒すか、そこを突き詰める船高野球部の雰囲気はシニア時代とは違ったもので新鮮でした。
あっという間に3年生が引退し、実力のある1個上の代になると大会を勝ち上がれるようになりました。特に、同じ地区最強で、ずっと打倒を掲げてきた習志野高校に秋の予選で勝ったとき、そして春大会で強豪校を倒してベスト4になったときは、たとえ環境や経歴では見劣りしても、創意工夫、そして明確な目標意識があれば結果は出せることを先輩方のおかげで身をもって体験することができました。
ただ、個人としてはついていくのがやっとで、先輩方を脅かしたり自分がプレーでチームを引っ張ったりすることはほぼできませんでした。
唯一の出番は夏の大会直前に、越智さん(東北大野球部/4年)のアクシデントを受けて急遽チャンスをもらったことぐらいで、その時もしょうだい(京大野球部/3年)と入れ替わりで何とか耐えた程度でした。
練習試合で自分は控えの中、シニア時代のチームメイトが下級生のうちから出ていた日もあって悔しかったし、あの時もっと実力をつけてあの代の先輩と一緒に県大会の勝ち進んだ場面で野球ができていたらなと時々思ってしまいます。
そんな先輩方が最後の夏大会で八千代松陰に負けた後の帰りのバスで、このメンバーがいなくなった後、チームはどうなってしまうのだろうという恐怖が押し寄せてきました。
去年は強かったのに今年は…とか言われるんだろうな。そんなことを考えているうちに、なんだか腹が立ってきました。そして自分がやってやる、このチームを引っ張ってやる、不安や消極的な考えは徐々に覚悟へと変わっていきました。
そこからの夏休みの練習はあっという間でした。
夏の大会特有の暑さは、前年の同じ時期にしか経験できないという監督である日暮先生(慶應義塾大学/H17卒)の理念のもと、一番熱い昼頃から練習が始まり、基本的な練習の繰り返しでしんどかったのを覚えています。それでも、実力者不在により当初は白紙だったキャプテンとして自分がチームを引っ張ってやろうという気持ちで必死に声を出し、練習しました。
取り組みへの身の入り方が変わると、野球自体も少しずつ上達していくもので、久しぶりに純粋に野球そのものと向き合っている実感を得ることができました。
秋の大会は同じ公立の長生高校に負けてしまい、悔しさでいっぱいだった時に慶應出身の日暮先生、そして東大野球部OBで現在は湘南高校に勤務されている顧問の小林先生(H21卒)の勧めで、矢花(千葉大野球部/4年)・佐々木(京大野球部/4年)と3人で神宮に秋のリーグ戦を観に行きました。
詳細なスコアは覚えていませんが、そのときの東大野球部の善戦を前に、当時の自分の勝手な東大野球部のイメージは崩れ落ちました。それまでは、船高進路部の「志望校が決まってなかったら東大か京大と書け」という意味不明な進路指導に便乗して一応東大志望であることになっていましたが、この瞬間、自分の目には、東大野球部が打倒私学を掲げて野球に打ち込める最高の環境(=船高の最上位互換)に映りました。
ここで野球がしたい。これほどまでに観客が入り、声援が飛び交う学生野球の聖地・神宮球場でプレーしてみたい。この日以降、自分の第一志望は“東大野球部”になりました。
今となっては懐かしい3000スイングなど、冬の練習を超え、春の大会を迎えた直前、成田高校との試合で変化球を思いっきり空振った瞬間に胸に激痛が走りました。
診断は第一肋骨の疲労骨折。
そのまま春の大会は出場できずチームも予選で敗退。
この頃から自分はケガが多いほうで、突発的なアクシデントに加え、高校以来続く肩痛など、ずっと付き合い続けている慢性的なケガに悩まされることが多い野球人生でした。そのときは、もっとケアしておけば、もっと体づくり頑張っておけば、無理しなければ、と反省することも多くありました。でも野球人生最終盤の今、振り返ってみると、「今目の前にチャンスがある以上みすみす逃すことはできない」、「少し手を抜いてごまかすことはいけないことだし、納得がいかない」と目の前のその瞬間にベストを出すことを優先し続けてきたようにも思えます。性格的には損をしたのかもしれないけれど、その時々の選択に反省はあっても未練はありません。常に100%で頑張った自分の体を褒めたいと思います。
脱線しましたが、弱い世代であるという評価は覆せないまま、残る夏を迎えました。
抽選会では、初戦は志學館、勝ったら習志野というヤバいくじ運を発揮しました。(ここ数年の船高の夏大の引きの悪さは僕から始まったらしいです。後輩たち、ごめんね。)
最後こそはと意気込んで練習を重ねました。みんなを集めて、遅い時間までミーティングもしました。みんな、いやな顔一つせずに付き合ってくれてありがとう。
迎えた初戦、初回の打席、去年の筒井さん(慶應義塾大学/4年)みたいになんとしても1番である自分が出塁する、そう意気込んでいましたが、気づいたら追い込まれていました。次の球、夢中で振りぬいた打球は左中間のフェンスに当たりました。おそらく高校野球で一番いい打球。
野球の神様っているのかもな。そう思いました。
その回に幸先よく1点先制、その後も毎回なんとか耐え抜き完封勝ち。この代ではじめて強豪私学に勝てた。とにかく嬉しかったです。
次は習志野戦。
向こうは前の試合、秋元(3年/内野手/市川)やシニア同期の高田がいる市川高校に一点差で、この勢いのままいけると本気で信じていました。
蓋を開けたら1時間余りで10-0、5回コールド負け。永遠に相手ブラスバンドの美爆音が鳴り続け、相手先発吉川凌平(千葉商科大)を前に1番打者としての仕事も全くできませんでした。
コロナやしんどいこともあったけど2年半高校野球はやり切ったという清々しい気持ちと痛感した格上野球エリートとの圧倒的な実力差を受験勉強の燃料にして、何とか現役で合格することができました。
東大に入り、テント列ではほかの団体には目もくれず、迷わず野球部に入りました。
入った頃、そして今も常々感じている東大野球部の特長が2つあります。
一つ目は、みんな野球がとにかく大好きで、練習・研究熱心なことです。
ここまでの野球人生を読んでくれた方ならお察しかもしれませんが、自分はどちらかというと、与えられたメニューにチームみんなで一生懸命取り組む、指導者から言われたことを忠実に守る。いわば受動的に野球をしてきたと思います。
大学野球という主体性の世界に輪をかけて、東大野球部のみんなはたくさん自主練して、たくさん情報を集めて、ただただ純粋に野球の上達を追い求めている集団に映りました。そんな先輩や同期の姿を見て、どれだけ野球に本気になれるか、野球にコミットできるか、この世界は同期、指導者、対戦相手以上に自分との戦いなんだと日々痛感させられています。
二つ目は、多彩な価値観・バックグラウンドを持つ不思議で魅力的な人があまりにもたくさんいる集団だということです。
生まれ育った地域や周囲の環境、所属していた学校やその野球部、そして幅広い年齢層。全国からいわゆる“変人”が集結したこの野球部での生活はいまだかつてないほど刺激的で、自分の人格や思考の形成にも大きな影響を与えてくれました。(同期にさんざん「奇人」と呼ばれて、最近ようやく自分自身もその”変人たち“の立派な一員であると自覚するようになりました。)
こうして僕の大学野球人生はスタートしました。
全面人工芝の東大球場で毎日野球ができることに心を躍らせ、才能あふれる同期や先輩たちとはやく同じ土俵に立ちたくて、Aチーム・一誠寮入りをめざして夢中でボールを追いかけ、憧れの神宮でのリーグ戦の迫力にただただ圧倒された1年次。
幸運にも回ってきたリーグ戦のスタメンのチャンスで他大学の選手の実力の高さを感じながら、同時に手ごたえも感じた春と、ほとんどをベンチで過ごし、個人としてもそして学年としても厳しい現実をただただ突き付けられた秋。希望と悔しさ、どちらも経験することができた2年次。
悔しさを胸に臨んだ冬を超え、スタメンに定着。順調に進んでいたかに見えた春先。そこから一転、デッドボールで顔面骨折。忘れもしない、突然の大ケガでそれまで張り詰めていた糸がプツりと切れたかのようなあの感覚。それ以降、今年こそはやってやるんだ、引退してしまう大好きな先輩たちに少しでも貢献するんだという気概や焦りとは裏腹に、どこか燃え切らない心の炎となかなか出ない結果をうけて、徐々にハードルを下げて自分を甘やかし、そんな自分がもどかしく、虚無感と軽い自己嫌悪に陥った3年次。
いったん書き始めると、到底読み切れないほどの分量になって、また「堀部は話が長い」と言われるので、下級生時代をひとつひとつ順番に振り返っていくのはここではやめようと思います。
その代わり、この4年間でも比べ物にならないほど濃かった最後の一年間と、その過程で僕が野球から学んだことを書いてみることにします。
圧倒的な実力や経歴のない自分が務めるのは正直怖かったけど、それでもこのまま終われるはずがない、何かを変えたい。どうせやるならより主体的に、一番責任のある立場でチームを動かしたい。
現状を打破したい切迫感と俺がやるという勇気を胸に、キャプテンに立候補し、話し合いを経てチームメイトから選んでもらいました。
杉浦さん(R8卒)を中心に、先輩方が残してくれた「結果にこだわる、一球に懸ける」という六大学で他大学相手に勝つために必要不可欠な厳しさを求めながらも、部員一人一人が部内で自分の価値や居場所を見出せる東大野球部でありたい。
また、ベストナイントリオを筆頭に、核となる選手が抜けた谷間の世代とは言われたくない、自分たちが勝つには1人1人の力を結集したチームとしての強さが必要である。
これらの想いから、「部内でこれは自分が一番取り組んでいる、六大学のレベルでもここは通用するという自分なりの武器を部員全員が作ってほしい。その集団のリーダーとして自分は、誰よりも声を出し、練習では全力でプレーし、勝利への姿勢を見せ続ける。」
所信表明でこう宣言し、一年間嘘偽りがないようこの言葉を胸に刻んできました。
一方で、100人を超える大所帯をまとめるにあたって、一筋縄ではいかないことも多々ありました。
一番は、先ほど述べた東大野球部特有の“多様性”です。この“多様性”は、しばしばチーム運営上の障壁や衝突の原因にもなっていました。
東大野球部の存在意義、大学生活のほとんどを捧げてまで一人一人が東大に所属する意味、野球部の活動において何を重視するのか、これらの信念は到底書き表せないほどあまりに個人によって様々かつ複雑なものでした。
リーグ戦での目標決めや自分たちの中から学生コーチを選ぶための学年ミーティングをしたとき、そして幹部として、部内から湧き上がる、部をより良くしようとする強い意志が感じられる意見や少々の批判的な意見に何とか応えようと話し合うとき、その多様性は時として、厄介な存在として重くのしかかってきました。
なにが正解でこのままうまくいくかなんて、決断するその瞬間には分からない。
でも、いろいろな考え方はあれど、チームの勝利こそが、東大野球部員、さらには応援してくださるすべての方々をきっと笑顔に、幸せにしてくれるはず。勝利のため、それが決断の際の自らの指針になっていきました。
特に新チーム発足当初は、練習をしてはその反省やチーム内から寄せられる声に対して、毎日のように部門長会議を開いて何時間も話し合う、その繰り返しでした。
今年のチームがここまで来ることができたのは、各部門長が時間と労力を割き、例年以上に自分の担当する領域に責任とプライドを持って、自分の担当する領域を引っ張ってくれたからです。本当にありがとう。
細部まで何でもやろうとするのではなく、むしろ優秀で同じ想いを持つ仲間を信頼し、出てくる部門ごとの主張をうまく調整する。そしてなにかチームとして一つ解を出す必要に迫られた時、その時は自分が責任を持って決断し、その決定に対しては堂々とふるまう。
前述の各カテゴリーでの経験も踏まえながら、100人を超える大所帯におけるキャプテンとしての自分の役目は、こうあるべきであると考えるようになりました。(とは言いつつも、この一年間を通じて、自分の意見を強く通そうとする反面、決断に迷いを見せてしまう場面も多く、自分の未熟さを痛感させられる日々です。昨年の杉浦さんの毅然とした態度は常々見習いたいと思っています。)
そんなこんなで、あっという間に冬は過ぎていきました。
組織を束ねるものとしての心構えを、ご縁をいただいた多くの方に尋ねてみました。
当初目指していた大きな計画は途中で頓挫してしまいましたが、一誠会のOBの方々のご協力もあり、東大球場の設備面での改良にも着手しました。
力を入れたフィジカル強化の甲斐もあり、個人・チームともにスケールアップや通用している感覚をオープン戦で感じるようにもなりました。
とにかくチームを強くする。キャプテンとしての責務を全うする。春リーグまでは、このことだけを考えていたように思います。
そして、勝ち点獲得を目指した春リーグが開幕。
5月第2週の法政戦、その瞬間は突然訪れました。
第1戦はまつしん(松本慎之介/3年/投手/國學院久我山)の気迫のピッチングに明石(4年/捕手/渋谷幕張)のホームランもありロースコアを制すると、第2戦は一転、三度リードを許しながらもそのたびに打線が追いつき投手陣も粘りのリレーで逃げ切り勝利。
違った勝ち方で、まさにみんながそれぞれの武器を出しきってつかみ取った結果でした。勝ち点の瞬間、チーフ学コとして厳しくチームに接し続けていた川又(4年/学生コーチ/渋谷教育学園渋谷)の姿を見たとたんに自然と涙があふれてきました。
こんな経験ははじめてで、このチームで強さを証明できた喜びと、キャプテンとしてのこれまでの取り組みが間違っていなかったという安堵が混ざったような不思議な感覚だった気がします。
そのあと、勢いそのままに最下位脱出をかけて挑んだ立教戦では大敗を喫しました。
安定して勝ち続けられるチームになるための、大きな壁を感じて、春リーグは幕を下ろしました。
リーグ戦後のオフ期間、溜めていた就活に追われる間に、自分はふと俯瞰的に考えていたことがありました。
一つは、これから先のチームの目標について。勝ち点を獲ってこの先何を目指すのか。
どうしたらチームは一番強くなるのか、みんながより本気になれるのか。
自分の中での答えは、歴史への挑戦でした。
東大野球部、そして六大学野球の歴史に自分たちの名が刻まれる。これほど粋なことはなかなかない。
そう考え、監督・助監督が現役時代に、赤門旋風と称され獲得した勝ち点2を超え、東大史上最高の勝ち点3をとるという新たな目標を打ち出し、学年ミーティングではいろいろな意見も出ましたが、最終的にはここにまとまりました。
もう一つは、一プレーヤーとして。
勝ち点は本当に嬉しかった。個人の調子や波に左右されず、チームを最優先に考える。
たとえ活躍できなくても、プレーヤーとしての自分とキャプテンとしての自分を完全に切り離す。そうやってきた。キャプテンをしている自分も好きだ。
でも、理想の自分を心のどこかで抑圧してないか?そう思いました。
プレーヤーとして神宮で活躍したい。応援してくれる人たちにかっこいい姿を見せたい。
プレーでもチームの先頭に立って引っ張る、そんな理想的なキャプテンになりたい。
小さい頃、そして東大野球部を目指していた頃の自分ならそう思っていたはずだろ。
野球人生のラストシーズンくらいは、自分と正面から向き合って、自分に正直になって終わろう。ご縁があってお会いした、役員を務める偉い方の印象に残っていた「誰よりも熱狂的で貪欲なリーダーがいる組織は強くなる。」というぴったりな言葉を胸に、熱狂的でクレイジーなキャプテンを目指しました。
このことが理由で、リーグ戦オフ明けぐらいから、自分は一見様子のおかしい行動に走ることが増えたと思います。
アップでは奇声をあげ続け、謎に長く走る。ポジションについた時、ベンチに帰って来る時もところかまわず大声で叫ぶ。日常会話も心なしかテンションが高い。
これらの自覚症状以外にも、もしかしたらチームメイトは思うところがあったかもしれません。もちろんチームの雰囲気を良くしたかったのもありますが、狂っていると周りから思われるほど自分を全部さらけ出す、自分自身のためにやっている側面もありました。
ヒットを打つ、アウトにする…これら相手ありきの結果は自分だけではコントロールできないけど、自分を全面に出していくことはいつでもできる。試合中もそう考え、気持ちを高めてできることだけに集中するようになると、徐々に迷いや不安が消え、夏のオープン戦では結果も出るようになっていきました。
夏の合宿では、門田(4年/副将/内野手/松山東)考案「Be Crazy」のスローガンのもと、最後の合宿ということもあり、自分史上最高に野球に打ち込めました。
体はしんどかったけど、それ以上に充実感があってあっという間だった気がします。たくさんバッピしてくれた藤尾(4年/内野手/岡山白陵)、ありがとう。(余談ですが、自分は毎回合宿になると結果が出る傾向にある気がします。とにかく無我夢中に打ち込むこと、絶対的な練習量を確保することは、やはり上達には大事なのかもしれません。)
直後の七大戦も、勝つこと以外の結果を断ち、とにかく熱狂的にプレーすることだけを考えていました。
絶体絶命の場面もありましたが、結果は優勝。個人としても、1番バッターとして打線を引っ張る満足のいく働きができ、大会MVPもいただきました。
グラウンドの主役になったようなあの感覚は、まさに求めていたものでした。
実は、このときも自分の気持ちに素直になろうと「MVP獲りたいわ、いや獲るわ」と誰だかは覚えていませんが、言った記憶があります。
言霊の力を信じて、これからもなりたい姿を宣言していこうと思います。
春のリーグ戦以降、再現性の高い試合をして安定して勝ち星を拾うために、点をとられても最少失点で抑える守備と一人一人が役割を果たして打線としてつなぐ攻撃、試合の中のポイントとなる局面にベンチ含め全員がギアを上げてフォーカスする試合展開をつかむチーム力を常々強調し、磨いてきました。
個人としてもスケールアップし、自分なりの戦い方を確立した状態で、いよいよ最後の秋がはじまりました。
結果は最終カードを残す現時点で、8連敗。勝ち点3はおろか、勝ち切れそうな接戦もなし。個人としても現時点では、出塁して攻撃の起点となり、塁上を掻き回してチームの得点源になるという思い描く役割は果たせていません。
あれをちゃんとやっておけばよかった、そんな明確な心残りはすぐには思い浮かびませんでした。どうすりゃいいんだろ。さすがに堪えそうになる瞬間も正直ありました。
けれど、リーグ戦前に掲げた「過去の結果でも相手でもなく、今目の前のコントロール可能な部分に全集中する。」
今はこれだけを考えて、最後の瞬間まで走り切る。そう決めました。
決して器用でセンスがあるタイプじゃなかったけど、最後の最後まで、理想の姿を追いかけてやろうと思います。
みんな、法政に絶対勝って、これまでの俺らの取り組みを正解にしよう。
ここからは、これまで特にお世話になった方に感謝を伝えようと思います。
市川シニア 宇野監督
監督との約束は僕が東大野球部を目指した一つのきっかけです。
バットありがとうございました。
市川シニア 藤丸コーチ
丸さんには自分たちの代をずっと見てもらいました。丸さんから教わった技術、戦術はずっと自分の野球人生の土台になっています。卒団後もたくさん声をかけてくれて嬉しかったです。
県立船橋高校 日暮先生
たくさんのご指導ありがとうございました。
卒業後も先生とお会いすると、いまだに気が引き締まりもっと頑張らねばと思っていました。東大野球部を本気で目指すきっかけを与えてくださり感謝しています。
県立船橋高校 小林先生
直属の先輩として、練習や試合に来てくださりありがとうございました。
いつも激励いただき力になりました。
エナジャイズ 佐藤さん
佐藤さんとのセッションは、僕たちの道しるべでした。
僕も佐藤さんのような前向きでパワフルな人になります。
高島平総合病院 町田さん
おかげさまで、なんとか最後まで耐え抜くことができました。
施術中の雑談も、リフレッシュになっていて楽しみでした。
高校野球部の同期
大学でも野球を継続したり、それぞれの場所で頑張ったりするみんなに負けていられないという気持ちで頑張れました。応援に来てくれる人もたくさんいて嬉しかった!
また、年末年始集まろうね。
応援部の皆さん
自分が直接プレーすることのない勝負事に、あれほど熱く、真剣に、寄り添ってくれる皆さんを心から尊敬しています。皆さんがかけてくれた励ましの言葉、そして淡青に染まった応援席から聞こえる大迫力の声援は一生の宝物です。本当にありがとうございました。
堀部・藤尾班の後輩へ
横井(3年/内野手/市立向陽)
ずっと面倒見たくなる、かわいい後輩でした。
横井なら大丈夫だから、自信をもってそのバッティングで神宮を沸かせてな。
大寺(2年/内野手/開成)
打撃センス抜群でうらやましい
お前らの代の内野は大寺が引っ張れ!期待してるよ
金山(1年/内野手/安積)
入ってきたときから正直物が違うわと思いました。
守備走塁もめちゃ上達してるから、このまま東大のスター選手になれ!ベストナイン約束な!
筒井(1年/内野手/駒場東邦)
けがも治ってきたからいよいよここから!
周り見えてて野球詳しいのがいいとこだから、焦りすぎず頑張ってな!
藪井(1年/内野手/宇都宮)
めちゃ自主練してるし、絶対結果出るよ
スケール大きく神宮で暴れてくれ!金山に負けるなよ
成瀬(3年/外野手/筑波大駒場)、安田(3年/外野手/名古屋)、今泉(3年/内野手/甲陽学院)
来年以降の東大の走塁は頼んだよ
お前らが神宮をかき回してくれ!
長谷川(2年/外野手/新潟明訓)、村尾(2年/外野手/札幌南)
はせは、センス抜群で、七大戦の1.2番コンビ最高に楽しかった!
村尾の勝負強さと熱い心が東大野球部をさらに強くしてくれると確信してます!
未来の東大の大黒柱として期待してるよ
半谷(2年/学生トレーナー/桜台)
学生トレーナーとして、未知のところに飛び込んできてくれてありがとう!
さらに困難なことも待ってると思うけど、東大野球部の地力は半谷の腕にかかってます。
みんなお前のこと大好きだから、明るく楽しく頑張ってな!
堀端(3年/外野手/向陽)
ほりbコンビとしてたくさんふざけあって楽しかった!
盛岡のBチームキャプテン本当に助かったぜ!
特大アーチ見せてくれ!
康平(松本康平/3年/捕手/栄光学園)、矢田貝(3年/学生トレーナー/日比谷)
いつも明るくチームを盛り上げて、慕ってくれてありがとう。おまえらのそのエネルギーが来年の東大野球部の起爆剤です。幹部を助けて、ぶち上げてくれ!
秋元、樋口(3年/内野手/海城)
打線組んでも、一緒に守っててもほんと落ち着いてて頼りになりました。
来年はWでベストナインとってな!
慶斗(荒井慶斗/3年/外野手/宇都宮)
あれだけ恵まれた体と才能で、それでも謙虚に努力を重ねる姿勢は、先輩ながらに尊敬してました。絶対プロになってくれ!応援行くからな!
大山(3年/捕手/ラ・サール)
俺がキャパった時も、周り見て盛り上げてくれてほんと助かった!
お前なら大丈夫だから、周りにも頼って最強のチーム作ってな
いつでも話聞くよ
後輩たちへ
主体的に運営し、知恵を絞り、ありったけのエネルギーをぶつけて他大学をぶっ倒しに行く、そんな東大野球部は野球好きにとってのまさに楽園です。どう満喫するかは自分次第!これからも強くて魅力的な東大野球部を作っていってくれ!あとは任せたよ
マネージャーのみんなへ
選手が目の前の野球にとことん集中できる。
これはマネージャーのみんなの努力の賜物です。
ここまで頑張ってきてよかった、今度はみんなにそう思ってもらえるように最後は絶対勝ちます!
アナリストのみんなへ
他のどの大学の選手と話をしても、東大って分析すごいよねって必ず言われます。
東大が誇る精鋭部隊として、日本球界全体に勝撃を与えてください!
先輩方へ
入部以来、先輩方が見せてくれた神宮での勝利の光景を後輩たちにも必ず見せる。
学年を超えて引き継がれていく東大野球部の伝統を後ろにつなぐ。
このふたつを心にとめて、チーム運営に取り組んできました。
たとえうまくいかない日でも、神宮を出ると明るく出迎えて励ましてくれる先輩方から元気をもらって、また立ち上がることができました。引退したら、来年は一緒に神宮で応援しましょう!
部門長へ
打撃長・竹山(4年/外野手/修道)
こだわりの三種ローテにアプローチに振り返り、たくさんチームのバッティング考えてくれてありがとう!ほんわかした雰囲気が最高!返事以外ももっとたくさんしゃべってね!
内野手長・小村(4年/内野手/私立武蔵)
入って初めに仲良くなったのが小村で、最初の雰囲気からうまいやつだって分かったよ。
4年間ずっとCBしてくれてありがと。最後はさすがのお前でも球垂れること増えて、きっと小村も大変なんだろうなって勝手に感じてました。プレーで引っ張ってくれて頼もしかったぜ!
外野手長・伊藤(4年/外野手/県立千葉)
1年のころおしゃべりしながら京葉線で帰ったの懐かしいね。
最初は頼りないっていじられてたけど、最近は言うことちゃんと言ってるじゃん。
ラスト頑張ろうな、天才バッター!
走塁長・本岡(4年/学生コーチ/基町)
スプリントの準備から測定、分析の資料作りまで、何から何までやってくれて、おかげでプレー面に集中できました。数えきれないほどのバッピとノックもしてくれて、もっちゃんと野球談議するの最高に楽しかったよ!最後、走塁長として一発かますから見ててね。
投手長・江口(4年/投手/海城)
冬の間にみんな軒並み球速が上がって、Pフィルが劇的にうまくなったのは間違いなく江口の施策のおかげです。江口の鋭い視点とマネジメント力に甘えてピッチャーのことは任せきりでした。いつまでもその子ども心は忘れずいてね!
バッテリー長・明石(4年/捕手/渋谷幕張)
大学から始めたキャッチャーは大変だったと思うけど、それを感じさせない落ち着きと分析でみんなを支えてくれてありがとう。テンションが上がったときのケニーとの絡みは最高やった!
ピッチャー陣とのやりとりくらい、初対面との人とも積極的に話してね!
打撃/分析長・鈴木(4年/外野手/浅野)
天才的なゆうごのバッティングはお手本にしてた。エナジャイズにも途中加入してくれたし、共に頑張った分ほんとは最後まで一緒にプレーしたかったです。俺の雑な絡みも受け止めてくれてありがと!またゲームしようね。
トレ長・近藤(4年/投手/筑波大附) / 大江(大江宣知/4年/学生コーチ/仙台二)
冬のフィジカル改革は、このチーム最大の功績といっても過言ではないと思います。
言葉で、取り組みで、そして何よりその逞しい体で俺らを引っ張ってくれてありがとう!
副将・門田
そのカリスマ性は俺には全く無いもので、うらやましかったぞ
たまに暗くなる会議を、適当な返しで和ませてくれて助かった!
ラスト、クレイジーに暴れるぞ!
副将・横山
勝負事には誰よりも熱く、チームの雰囲気を締めてくれて、自分にとっても同期の中で最も頼りになる男でした。遠軽最終日の深夜にホテルの1階で話した時、お前が副将でよかったと心の底から思いました。接点も多いと思うし、これからもよろしく!
チーフ・川又
チームへの厳しい指摘を言う役を、一手に引き受けてもらう形で背負わせることも多かったと思うけど、その分俺が伸び伸びできてほんとに助かりました。最後勝つぞ!
同期へ
仲良しでまとまりのあるこの代が大好きです。
ぼくじんで感謝を伝えてくれた人もたくさんいて報われた気持ちになったけど、俺は、いっぱい助けて支えてくれたみんなに本当に感謝してます。このチームでキャプテンができて、幸せでした。
個別には書ききれなかったみんなも、法政戦が終わったら直接話に行くね!
両親へ
ずっと支えてくれて、そして大学に入ってからは会うたびに優しくそっと励ましてくれてありがとう。おかげさまで何の不自由もなく白球を追いかけることができた、最高の野球人生でした。
情熱的なところはお母さんが、わりとまじめな性格はお父さんがくれた、最高のプレゼントだと思ってます。これからの道も、全力で歩んでいきます。帰ったら、たくさん話してたくさんお出かけしましょう!本当にありがとう。
照太へ
たまに実家に帰ってしょうたとおしゃべりする時間が一番楽しく気が休まりました。
そっくりなところもあれば、俺にはない器用なところもあるから、しょうたらしくまずは、高校野球悔いなくやり切って!お互い進む場所で、これからも頑張ろな!
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「なんでそんなに野球やってるの?」
「なんでそんなに野球が好きなの?」
ぼくじんを書き終えた今、冒頭のこの問いになんとなくですが、答えられる気がします。
打って、走って、投げて。やっぱりそれ自体が楽しいから。
野球を全力でやっている自分が好きだから。
そしてなにより、野球を通じて出会った仲間と、一緒になって戦うのが自分にとって一番幸せだから。
野球へ 数えきれないほどの心揺れる経験と幸せをありがとう。
チーム2026の「僕の野球人生」はこれにて終了となります。
日頃よりご支援・ご声援いただいているすべての方々に、この場をお借りして感謝申し上げます。ありがとうございました。
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TEAM2026の『僕の野球人生』は本日で終了となります。
お読みいただきありがとうございました。
明日からの最終カードでもご声援のほどよろしくお願いいたします。
主将 


