『僕の野球人生』vol.30 門田 涼平 副将
この企画では、ラストシーズンを迎えた4年生に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。
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『僕の野球人生』vol.30 門田 涼平 副将(4年/内野手/松山東)



僕の野球人生
最期の秋
早稲田2回戦。
あれほど憧れた神宮のグラウンドを、僕はスタンドから眺めていた。
とうとうベンチを外れた。
ほとんど打席に立たないまま、大学野球最後の秋は折り返しを迎えていた。
胸にぽっかりと穴が空いたような、そんな感覚だった。
去年ベンチを外れたときは、悔しくて悔しくて、もっと自分に怒っていたはずだ。
なぜだろう。
自分が感情の起伏の小さい大人になってしまったのか。それとも、野球への熱が冷めてしまったのか。
ただ、チームがクソみたいな敗戦を繰り返している現状と、そのチームでさえ試合に出られず、何の力にもなれない自分への絶望感だけはあった。
自分は、何のためにここまで野球をやってきたんだろう。
思えば僕は、これまで何度も同じような問いを繰り返してきた。
そして、そのたびに野球に引き戻されてきた。
午前六時二十五分
アラームが鳴る。
僕は目を開ける。世界はまだ始まっていない。窓の外は薄暗く、一誠寮の廊下は静まり返っている。たぶん普通の人間なら、あと十分眠るのだろう。
しかし僕たちは普通の人間ではない。
ハイT(high testosterone)軍団なのだ。
僕はベッドから起き上がり、浴室へ向かう。仲間たちもあとに続く。誰も「おはよう」などとは言わない。
午前六時三十分の僕たちに、言葉は必要ない。
蛇口をひねり、水が出る。
もちろん、お湯ではない。
最初の一滴が肩に触れた瞬間、僕の中の何かが叫ぶ。
冷たい。
当たり前のことだ。コールドシャワーなのだから。
やがて無数の冷水が、針のように皮膚へ突き刺さってくる。そして水は頭から背中を伝い、眠気という眠気を根こそぎ排水口へ流していく。
僕は目を閉じ、なぜ毎朝こんなことをしているのだろう、と一瞬だけ考える。
答えは出ない。
たぶん、答えなんて必要ないのだ。
三十秒ほど経つと、不思議なことに水の冷たさなんてどうでもよくなってくる。
僕は蛇口を閉めた。
鏡を見ると、そこには髪を濡らし、肩で息をする一人の男がいる。
昨日までの僕と、見た目は何も変わらない。
でも僕には、今日も最高のプレーができることがわかっている。
なぜならすでに、自分の意思で冷水を浴びたのだから。
榎本中級メンズコーチ(R8卒)が呟く。
「今日も、始まったな」
「そうですね」
僕は答える。
そして僕たちは浴室を出る。
午前六時四十分。
点呼に集まった、寝ぼけた面をした他の野球部員を見て、勝利を確信する。
このようにして、僕の何気ない、けれども愛おしい野球部での日常は始まる。
御覧の通りハイTな僕だが、もちろん最初からこんな人間だったわけではない。
そもそも、僕が東大野球部を目指した理由は、格好いいものではなかった。
東大野球部との出会い
野球との出会いは、覚えていない。
気づいたときにはバットを振っていた。
でも、東大野球部との出会いは鮮明に覚えている。
高校二年の春、突然、進路指導室に呼び出された。
何かやらかしたっけと思いながら向かうと、そこにいたのは進路課長の玉井先生だった。
「東大野球部、目指してみたらどうや」
そんなことを言われた。
意味が分からなかった。
別に、成績が特別良かったわけでもない。東大なんて、それまで自分の人生に登場したことのない場所だった。
でも、勉強さえ頑張れば、高校野球で圧倒的な実績を残さなくても、神宮という大きな舞台で勝負する権利を手に入れられる。
それは僕にとって、あまりにも魅力的な話だった。
とはいえ、「じゃあ目指します」とその場で言えるほど簡単な話でもなかった。
「一週間、考えさせてください」
そう答えた。
そして、自分の中で一つだけルールを決めた。
この一週間、毎日家に帰ってから二時間机に向かって勉強できたら、東大を目指そう。
それができてしまった。
だから玉井先生のところへ行って、
「目指すことにしました。」
と答えた。
ただ、今振り返ると、あれを純粋な挑戦だったとは思わない。
高校に入った頃、僕はプロ野球選手になりたいと思っていた。
中学では愛媛県選抜で主将を任せてもらった。努力し続ければ、もしかしたら自分にも届くんじゃないかと思っていた。
済美高校に行きたかった。
でも親には、松山東に行けと言われた。
それを振り切ってまで済美に行く勇気は、僕にはなかった。
安定を選んだ。
松山東で野球をして、筑波大学に行く。教員免許を取りながらもっと野球が上手くなって、プロを目指す。
プロになれなかったら、高校野球の指導者になればいい。
そんな未来を、ぼんやりと思い描いていた。
でも、高校に入ってみると、思ったようにはいかなかった。
なかなか上手くならない。
私立の強豪校と試合をすれば、ボコボコにされる。
中学まで抱いていた「俺も頑張ればプロに行けるかもしれない」という根拠のない自信は、完全に打ち砕かれた。
リトルの頃、一緒に野球をしていた仲間たちは、済美や新田に進んでいた。
彼らは朝から晩まで野球をして、厳しい練習に耐え、熾烈な競争を勝ち抜いている。
そんな話を聞くたびに、僕は何をしているんだろうと思った。
もちろん僕なりに練習はしていたし、高校の練習はきつかった。
でも、自分のすべてを野球に懸けていたかと聞かれたら、違った。
自分のぬるさが嫌になっていた。
もっと野球に時間を使えばいい。
でも、できなかった。
そんなときに現れたのが、東大野球部だった。
「東大を目指す」
その言葉は、とても便利だった。
自分のすべてを懸けて野球と向き合うことから逃げても、それを「逃げ」と呼ばなくて済んだ。
家に帰ってからの練習の時間は、勉強の時間に変わった。
もちろん、東大に行きたい気持ちも、神宮で野球がしたい気持ちも本物だった。
だが同時にそれは、僕にとって、都合のいい道でもあった。
そんな僕が高校時代に何をしていたのか、少し紹介したい。
松山東高校野球部
高校野球の冬。
毎日を乗り切るのに必死だった。
たとえば、神社の階段を走る練習があった。
監督さんの定めたタイム設定の中、階段を全速力で上る。
また上る。
それを繰り返す。
やがて一人が頂上で吐く。
少しすると、その隣で誰かが吐く。
神社というのは本来、神様にお願いをする場所である。
しかし僕たちは、神様の目の前で祈祷する前に嘔吐した。
綱登りもあった。
室内練習場の天井から吊るされた綱を、腕の力だけで登っていく。
僕が下で順番を待っていると、上の方で先輩が力尽きた。
「あ」
と思った次の瞬間、上から先輩が降ってきた。
僕たちはそれを避けた。
そして、何事もなかったかのように次の人が登った。
練習とはそういうものだった。
部内には、独自のドレスコードも存在した。
怪我をした者は、赤いソックスを履く。
遠くから見ても、「あいつは怪我人だ」と分かる、非常に合理的なシステムである。
そして何かをやらかした者には、さらに分かりやすい目印が与えられた。
監督さんの娘の赤帽子(体育用の後ろのひらひらつきのやつ)である。
高校球児が、赤帽子を被る。
どれだけ真剣な顔をしてノックを受けても、頭には赤帽子が乗っている。
威厳というものは、帽子一つで簡単に失われるのだった。
そんな三年間で、体力も精神力もずいぶん鍛えられた。
きつくても、とりあえずやる。もう無理だと思ってから、もう少し頑張る。
どれだけ追い込まれても、仲間と笑って次の日またグラウンドに来る。
そんな日常が好きだった。
振り返れば、あの日々が僕の中の「がんばる」の基準を押し上げてくれたのだと思う。おかげで受験期は何時間連続で机に向かい続けてもしんどいとは思わなかったし、大学野球でも練習量を積むことができている。
松山を離れて数年経っても、僕の根っこには、あの頃叩き込まれた東高魂がある。
見習い時代
睡眠時以外常時勉強法が実を結び、奇跡的に東大への逆転合格を果たした。
晴れて東大野球部に入部した僕は、嬉しくて仕方がなかった。
もう勉強しなくていい。これからは野球にすべてを懸けられる。
高校時代、野球にすべてを懸けることから逃げるように東大を目指したが、入学すると、野球だけに打ち込める毎日が待ち遠しかった。
一方で、同期たちの野球への熱量には、少し物足りなさを感じていた。
特に、ガリ勉の前田(4年/投手/熊本)と、顔がパンパンで声がでかい川又(4年/学生コーチ/渋谷教育学園渋谷)。
こいつらとは仲良くなれそうにないと思った。(ちなみに今は、二人とも仲良しである。)
とにかく早くずば抜けたところまで行きたかった。
だから練習した。
春のフレッシュリーグでは毛利(明治大学/R8卒)から神宮初ヒットを放ち、出だしは悪くなかった。
でも、遠軽合宿で全く打てず、Bに落ちた。
ここで初めて、競争の厳しさを思い知った。
どれだけ練習しても、結果を出せなければ意味がない。自分が打てなければ、代わりの選手はいくらでもいる。
高校時代、そこまで厳しい競争にさらされてこなかった僕は、その当たり前のことを分かっていなかった。
結局、一年生の間にリーグ戦の出場機会は訪れなかった。
一方で、小村(4年/内野手/私立武蔵)や堀部(4年/主将/内野手/県立船橋)はリーグ戦に出ていた。
このまま置いていかれるんじゃないかと焦った。
そこからはがむしゃらに結果を求めた。
二年秋、楽しむということ
慶應2回戦
その日、僕は初めてリーグ戦でヒットを打った。
ようやくだった。
それまで何打席立ったのか、正確には覚えていないが、十打席は超えていたと思う。
もしかしたら、一生打てないんじゃないか。
大袈裟ではなく、当時の僕はそれくらい切羽詰まっていた。
その日も二打席、凡退した。
ベンチに戻る。
今日も駄目なのか。
死にたくなりながらバッターボックスに入った三打席目、芯を食った打球がレフトへ抜けていった。
ヒットだった。
一塁ベースに立って顔を上げると、世界が急に明るくなっていた。
神宮って、こんなに明るかったんだ。
それまでの十数打席、僕はいったい何を見ていたのだろう。
歓声も、美しい色の空も、スタンドも、全部そこにあったはずなのに、自分の凡退しか見えていなかった。
その裏、守備についた。
いつものようにボールを回す。
僕のところに来たボールを、ピッチャーの太陽さん(R7卒)へ投げ返した。
太陽さんがそれを受け取る。
笑っていた。
本当に、野球少年みたいな笑顔だった。
次のバッターとの勝負が楽しみで仕方がない。まさにそんな感じだった。
そうか、野球って楽しむためにやってたのか。
その日から、少しだけ野球が変わった。
神宮で野球をするのが楽しくなった。
すると不思議なことに、あれほど遠かったヒットが、嘘みたいに出るようになった。
そして勢いのまま、法政二回戦でサヨナラタイムリーを打った。
仲間たちが飛び出してくる。
歓声が降ってくる。
あのとき見た景色は、たぶん僕が野球をしてきた中で一番美しい景色だと思う。
でも、あそこを僕のピークにはしたくない。
あれより美しい景色を、まだ見たい。
あの日より野球を楽しんでいる自分でいたい。
慶應戦で初めてヒットを打ったあの日、僕が得たものは一本のヒットだけではなかった。それ以上に大切なことを、思い出させてもらった。
僕は、野球を楽しむために、野球をしているのだった。
そう思えた。
ただ、その気持ちをずっと持ち続けられるほど、僕は強い人間ではなかった。
三年春、自分を信じるということ
三年春、僕は開幕戦のスターティングメンバーに名前を連ねた。
去年よりも打ちまくってチームを勝たせる。そんなイメージを頭の中に描いていた。
でも、現実は少し違った。
一カード目の早稲田週、ノーヒット。
二カード目の明治一回戦を終えても、まだ一本も出なかった。
そして凡退するたびに、打席に立つのが少しずつ怖くなっていった。
期待されて試合に出してもらっている。
それなのに、何も返せない。
ベンチに戻るたびに、自分だけがチームから離れているような気がした。
気づけば僕は、ヒットを打つためではなく、失敗しないために打席に立っていた。
バットを振ること、その結果が怖かった。
あのときがたぶん、僕の思い描いていた自分と、現実の自分が、いちばん遠く離れた瞬間だった。
試合後、榎本さんに言われた。
「お前の代わりいると思ってんの?」
自信のなさを見抜かれていた。
考えてみれば、もう失うものなんて何もなかった。
結果なんか知らん。
思い切り自分のスイングで振るだけ。
俺の代わりなんていない。次の日はそんな気持ちで神宮に向かった。
そして、明治2回戦で、ようやく二本のヒットを放った。
昨日まで打てなかった僕と、その日の僕に、技術的な大きな違いがあったとも思わない。
ただ一つ違ったのは、自分のスイングを信じて打席に立てたことだった。
野球は不思議だ。
どれだけ自分を信じても、三振する日はある。どれだけ準備しても、エラーすることはある。
その不確実さこそ野球の魅力なのだと思う。
でも、自信がない奴には何も起こせない。
それに気づかされた。
そして同時に、もう一つ思った。
いつか自分も、誰かが自分を信じられなくなったとき、その人を信じられる人間でありたい。
そんなことを考えながら野球をしていた僕にも、週に一度だけ、野球から離れ、心と体を癒す時間があった。
愛おしいオフ前
月曜日。
野球部にとって、この曜日は一般社会における月曜日とは少し意味が違う。
世間の人々が月曜日に絶望している頃、僕たちは希望に満ちている。
明日、火曜日は、オフなのだ。
その事実は朝から部員たちの心のどこかに存在している。
もちろん、練習中にそんな素振りは見せない。
僕たちは野球部員である。
目の前の一球に集中し、声を出し、白球を追いかける。
しかし、心の奥底では全員が同じことを考えている。
あと少しだ。
最後のメニューはフリーBTだった。
打球音がグラウンドに響く。
いつもと何も変わらない練習風景だ。
しかし、最後の一球を打ち終わった瞬間、グラウンドの空気がわずかに変わる。
みんな散らばったボールを拾い始める。
一球拾う。
明日はオフ。
もう一球拾う。
明日はオフ。
カゴに入れる。
明日はオフ。
まだ気を緩めてはならない。片付けもある。
それでも、僕たちの心はもう半分くらいグラウンドを出ていた。
そんなときだった。
向こうから青貝さん(R8卒)が歩いてきた。
何かを口ずさんでいる。
よく聞く音楽だ。
スマブラのBGMだった。
僕はすべてを理解した。
このあと、戦いが始まる。
青貝さんも僕を見る。
言葉はいらなかった。
寮に帰り、風呂に入り、飯を食う。
そして僕たちはコントローラーを握る。
オフ前には、野球部員としての上下関係は一時的に消滅する。
先輩への敬意というものを、僕は神宮には持っていくが、スマブラには持ち込まないことにしている。
そして僕は、青貝さんをボコボコにした。
何戦目だっただろう。
青貝さんの機嫌がどんどん悪くなり、遂にブチギレた。
僕はそのとき初めて知った。
人はゲームに負け続けると、本当に怒る。
月曜日。
それは世間にとっては一週間の始まりであり、憂鬱な日かもしれない。
ただ、僕たちにとっては、愛おしいオフ前だった。
野球の結果も、練習のことも、その夜だけは少し頭の中の遠くにあった。
こうしたくだらない時間を一緒に過ごす仲間たちが、僕は大好きだった。
それなのに、自分が野球で思うようにいかなくなると、そんな仲間たちの活躍さえ素直に喜べなくなることがあった。
三年秋、僕にない強さ
慶應3回戦。
久しぶりにベンチを外れた。
前日の二回戦、代打で出て凡退した。
そして試合後、翌日のベンチから外れることを告げられた。
悔しかった。とにかく自分に腹が立った。
悔しいという感情をどう片付ければいいのか分からなかった。
誰かと喋れば、余計なことを言ってしまいそうだった。
かといって、いつも通り笑って過ごせるほど大人でもなかった。
だから部屋に籠った。
ベンチを外れたくらいで、世界から切り離されたような気分になっている。
我ながら小さい男だ。
明日になったら、神宮のスタンドに行く。
そのとき僕は、どんな顔をしていればいいのだろう。
グラウンドで輝く仲間を、心の底から応援できるのだろうか。
そんなことをぐるぐる考えているうちに、熱が出た。
人間の身体というのは、妙に正直にできている。
結局、体調不良で翌日の試合を寮でスマホ越しに見ることになった。
いつもなら自分がいるはずのベンチが映る。
僕は寮の部屋でそれを見ていた。
もしかしたら、自分がいないところで勝ち点を取ってしまうんじゃないか。
そんなことまで考えた。
チームが勝つことを願ってここまで野球をやってきたはずなのに、そのチームが自分抜きで勝つことを怖がっている。
そんな自分が嫌になった。
でも、工藤さん(R8卒)が渡辺(慶應義塾大学/4年)から打ったツーベースは、心の底から嬉しかった。3年時まで苦しんだ工藤さんが見せた意地に、勇気づけられた。
試合が終わって、みんなが寮に帰ってきた。
しばらくして、工藤さんが僕の部屋に来た。
何を話したのかは、覚えていない。
励ましてくれたのかもしれない。
くだらないことを言って笑わせてくれたのかもしれない。
話したことは覚えていないが、そのときの温かさは覚えている。
工藤さんは、いつもちょけている。
いつもふざけて、誰かをいじったり、くだらない冗談で笑わせてくる。
でも、その奥には熱いものがある。
勝ちたいと思っている。
そのために準備している。
そして、ここぞという勝負で結果を出す。
普段はそれをわざわざ見せたりしない。
それが格好よかった。
今振り返ると、あの頃の僕は、ろくな準備もできていないくせに、目の前の試合をどう乗り切るかということばかり考えていた。
自分の技術とまともに向き合えず、何も積み上げられていなかった。長期的な自分の成長という視点などゼロに等しかった。
「調子」という言葉がある。
僕はこの言葉を、今はできるだけ使いたくないと思っている。
他人が僕のプレーを評価するために使うのは構わない。でも、自分自身がその言葉で片付けてしまえば、そこで思考が止まってしまう。
なぜ打てないのか。ヘタクソだからだ。自分の身体や動作に、実際に何が起きているのか。そこには必ず向き合うべき課題があるはずなのに、「調子」という曖昧な言葉が、それを見えなくしてしまう。自分の体の状態をコントロールしようとすることも放棄してしまう。
目の前の結果に一喜一憂するのではなく、自分の技術を見つめ、昨日より少しでも上手くなることを目指す。
でも、それは結果から目をそらすことではない。
誰よりもヒットを打ちたい。誰よりも試合に出たい。誰よりもチームを勝たせたい。
結果を誰よりも欲しながら、結果だけに振り回されない。
そのために、日々自分の技術と向き合い続ける。あの頃の僕には、そんな姿勢が足りなかったのだと思う。
淡々と準備を重ね、結果で仲間を奮い立たせる。そして、試合が終われば、ベンチを外れて部屋に籠っている後輩のところへ、何でもない顔でやって来る。
工藤さんには、僕にはない強さがあった。
だからこそ、この男に憧れた。
そして四年生になった。
最後の一年。
自分もそんな強い男になりたかった。
でも、現実はまたしても思い描いていたものとは違った。
四年春、何のために野球をするのか
法政二回戦。
チームは勝ち点を取った。
ずっと欲しかったはずの勝ち点だったが、そこに喜びはなかった。
やはり、試合に出ないと野球は楽しくないらしい。
そんな当たり前で、身勝手なことを思った。
嬉しいより先に、虚しい。悔しい。劣等感。
そんな感情しかなかった。
一回戦に勝った夜、身体がおかしくなった。
全身に蕁麻疹が出て、痒くて、熱くて、眠れなかった。
こんなことは初めてだった。
ほとんど眠らないまま、二回戦を迎えた。
チームは勝ち点を取ったが、自分は何もできなかった。
その輪の中にいることが、苦しかった。
蕁麻疹と発熱で、祝勝会には行かずに済んだ。
正直、ほっとした。
仲間たちが必死になって掴み取った勝ち点なのに、その夜、僕はその喜びから逃げた。
そしてまた、野球をする意味が分からなくなった。
ほんとに成長しない。
空き週のオープン戦。
ここで結果を残さなければという思いが空回りして、ありえないミスをした。
普段温厚な監督からは、
「目を覚ませ」
と言われた。
ミスしたくないと思えば思うほど、守備では足が動かない。
打席では足が震える。
四年になってこの様か。
野球をやる意味を改めて考えさせられた。
エラーしたところで、命を取られるわけではないし、プロ野球選手みたいに生活が懸かっているわけではない。
野球をするために必要なお金は、すべて親が工面してくれている。
僕はとんでもなく恵まれた場所で、ノンリスク、ノンプレッシャーで野球をやらせてもらっている。
それなのに、自分は何を恐れているのか。
自分は、保身のために野球をしているのではない。
ミスのない、最低限の、無難にこなすプレー。
そんなものを求めてここまで野球を続けてきたわけじゃない。
ホームランを打ちたい。
ファインプレーをしたい。
輝きたい。
その瞬間を求めているのだ。
だったら打席で緊張も何もない。
どんな結果が待っているかワクワクしながら打席に入って、バットをぶん回すだけ。
この考えは自己満足なのだろうか。
いや、そうは思わない。
これが結果に結びついたとき、チームの勝ちにつながるのだから。
その代わり、誰よりも入念に準備して、常に最高のプレーができる状態を作ること。
この責任だけは果たそう。
そう決意した。
もう、失敗しないために野球をするのはやめよう。
そう決めて迎えた、最後の秋だった。
最期の秋
あれほど憧れた神宮のグラウンドを、僕はスタンドから眺めていた。
悔しさを噛み締めながらも、スタンドでは声を出した。
ただ、点差はみるみる開いていく。
苦しい展開でも、決して勝ちを諦めない応援部の姿に胸を打たれた。
彼らと同じくらい、俺たちは必死にやっているのだろうか。
彼らの姿を見たら、もうこんな試合はできないだろう。
そして、そんな試合をしているメンバーから外された自分を、どうしても許せないだろう。
結局、自分は何もできないまま、勝ち点3の可能性は消滅した。
ちょうどその日、高校の同期と後輩が四人、試合を見に来てくれていた。
中には、松山から夜行バスで来てくれた奴までいた。
「お前何やその格好! 野球選手ちゃうかったんか!」
そいつは制服姿の俺を見て、遠慮なくバカにしてきた。
本当に、そいつはデリカシーのかけらもないバカだが、流石にちょっと申し訳なかった。
その日は一緒に飯を食って、他愛もない話をした。
高校時代、同じグラウンドで白球を追いかけていた仲間たち。
あの頃は、自分が東大に来て、神宮で野球をすることになるなんて思ってもいなかった。
そして、そんな仲間たちが今も変わらず自分の野球を見に来てくれることが、ありがたかった。
まだ終わっていない。
最後まであがく。何が何でも這い上がる。
六大学一の全力プレーで。
申し遅れました、野球界随一の魔性の女、そして仕事となるととにかく有能らしい堂埜主務(4年/湘南)から引き継ぎました、副将兼寮長(兼密集長)の門田涼平です。
素晴らしき一誠寮の未来は次期寮長の秋元(3年/内野手/市川)に安心して任せていますが、密集の未来はかなり不安視しています。来年もみんなは密集しているのでしょうか。
僕の記憶の断片を辿っただけの、野球人生の走馬灯のようなものを書かせていただきました。ここまで読んでくださった方には感謝申し上げます。これからは野球人生でかかわってくれた方々に感謝を述べていきたいと思います。
クディーさん
クディーさんと野球するのはマジで楽しかったです。苦しい時期に何度も元気もらいました。今も気にかけてくださりありがとうございます。見た目に反して実は一番後輩思いですよね笑。
エニーさん
男とは何か背中で見せてもらいました。東大野球部で結婚するならエニー1択だと思います。練習たくさん付き合ってくれてありがとうございました!
げさん
オフ前は対戦ありがとうございました!引退したら久々にやっちゃいます?
野球でもクレイジーでめちゃくちゃおもろかったです。げさんは野球を楽しむ天才だと思います。げさんがいるとチームが2倍元気になる感じがして最高でした!
天才揉み師の石田くん(4年/マネージャー/札幌西)
いっぱいもんでくれてありがとう。体がきつい時もきつくない時もいつでももんでくれて、君ほどやさしい人は見たことないです。プレーでもっと恩返ししたかった。引退してもしばらくはお世話になりますが、よろしく。
ゆうご(鈴木/4年/外野手/浅野)
最近は練習いっぱい付き合ってくれてありがとう。最後君の分まで一発かまします。
一年の前投げしてた頃は俺もゆうごに刺激もらってました。スイングきれいすぎてジェラシー感じるほどでした。留年の一年仲良く楽しもか。
本岡(4年/学生コーチ/基町)
オフの日に呼んだらいつでも練習手伝ってくれてありがとう。いつでも120パー全力の本岡には元気もらってました。本岡の献身性に報いたいという気持ちで自分も頑張れたし、チームも強くなったと思います。
深見(3年/捕手/サレジオ学院)
前投げ付き合ってくれてありがとう。全然絡みなかったのに遠軽で同部屋になった時は正直殺されるんじゃないかとビビりました。意外とかわいい後輩でよかったです。守備は六大屈指の実力のはずなので、あとは浅香イズムで打ちまくってください。
かでぃ会の後輩、秋元、村尾(2年/外野手/札幌南)
二人とも後輩だけどめっちゃ尊敬しています。野球との向き合い方、結果を出し続ける姿はかっこいいです。来年のチームの顔として二人ともがんばって。お金貯めとくんで、また焼き肉いこう。
小島(2年/外野手/宇都宮)、田崎(2年/内野手/筑波大附)
お前らの応援はまじ力になりました。シートのセンカメで俺が打った時に小島が後ろで大喜びしてるのが映ってて、うれしかった。お前らに漢を見せたくて最後のシーズンは頑張ってきました。最後まで頑張るので君たちも頑張ってデカくなってください。
木村くん(1年/投手/早稲田)
一年生の中では一番頑張ってほしいと思ってます。恋愛と同様、野球でもがつがつ行きましょう。いちよんとは思えないほど失礼な絡みもしてくるけど、君みたいななめた後輩は好きです。終わったら飯でも行こか。
今泉(3年/内野手/甲陽学院)
ラストイヤー頑張って。誰よりも野球を楽しめたら、結果はついてくるはず。神宮でバンバン盗塁してるとこ見せてください。
矢田貝(3年/学生トレーナー/日比谷)
チームのフィジカルは君にかかっています。自分の体だけじゃなく、チーム全員の体をでかくしてください。ボディビルの大会出るときは応援行くので呼んでください。
千慈(阿部/2年/内野手/仙台二)
来年以降、チームの中心となる存在だと思うから、めちゃくちゃ期待してます。まあ、仙台のヤンキーらしく、気負いすぎずアグレッシブにいきましょう。ケガには気を付けて。
玟勳(李/1年/内野手/明秀日立)
まじで玟勳のバッティングは美しすぎて見とれるくらい好きです。スケールでかすぎてどこまでいけるのか、これからはファンとして楽しみにしてます。
甲斐(1年/内野手/桜修館中等教育)
ここから勝負やね!目標はデカく、地道に努力積み重ねてればどこまでもいけるはず。めちゃくちゃ応援してます。
応援部の皆様
素晴らしい応援をありがとうございました!どれだけ劣勢でもあきらめない姿に何度も勇気をもらいました。東大の応援は世界に誇る素晴らしい文化だと思うので、この活気ある華やかな応援席がこれからもずっと続いていくことを期待しています。
浅香さん
野球の技術はもちろん、考え方など様々なことを教えてくださりありがとうございました。浅香さんを超えるデカい男になりたいです。浅香さんのおかげでより野球が楽しくなりました!
松山リトルのみんな
あの頃が一番無敵で勝ちまくれて楽しかったです。リトル終わってからもみんなからたくさん刺激もらって頑張れました。また集まろう。杉野監督には厳しく指導していただきながら、野球の基礎を教えていただいて本当に感謝しています。ありがとうございました。
勝手連のみなさま
足しげく神宮に通ってくれてありがとう。ラストイヤーはあんま試合出てるとこ見せれんくてすみません。年に二回の会合が楽しみで頑張れました。次回の会合も楽しみにしてます。
友近監督
厳しくも愛のある指導をありがとうございました。高校時代の教えが大学でも生きました。そして、何度か愛媛から遥々神宮に来てくださりありがとうございます。引退したら、体の動くうちに練習の手伝いに行きたいと思います。よろしくお願いします。
両親
野球と出会わせてくれてありがとう。やりたいことを好きなだけやらせてくれてありがとう。素晴らしいサポートのおかげで野球を全力でやった時間という最高の宝物ができました。これから少しずつ恩返しできればと思います。ただ、留年するのでまたしばらくはお世話になってしまいます。すみません。
じいちゃんばあちゃん
年末しか帰れてないけど、時々おこづかいくれたり、ラインくれたりいつも気にかけてくれてありがとう。
彩那
リトルとか中学の試合で休みの日はいっぱい付き添いしてくれてありがとう。六大学のチアになれるように勉強頑張って。来年は時間ありそうなのでいくらでも勉強教えます。お金はいただきます。
次回は横山くん(4年/副将/内野手/新潟)です。彼とはドライブでいろんなところに行きました。彼はとても盛り上げ上手で頼りがいのあるいい男であるのに加え、来年からは高給取りになるらしいのでたぶん女性からのアプローチは絶えないこととなるでしょう。下級生時代はピッチャーとして鳴らしていたのにチーム1のスイングスピードが見込まれてラストイヤーでバッターとしてのスター街道を駆け上がった彼の波乱万丈な野球人生に刮目せよ。
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次回は10/22(木)、横山景一副将を予定しております。
主将 


