【あなたにとって野球とは―#38】藤森康淳(主将・外野手・天理)
4年生38名によるラストシーズンにかける想いを投稿いたします。
38人目は、藤森康淳(主将・外野手・天理)
です。
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「もう野球やめたら?」
何回聞いたか。何回、泣かしたか。
中学の頃から、学校で何かやらかすたびに、おかんに別室まで迎えに来てもらってた。
東京に野球をしに来たのに遊んでばっかりで、人に迷惑をかけたり、怒られたり、心配かけたり。それでも当時の俺は、「まあ、なんとかなるやろ」と、何の根拠もない自信で生きていました。
親からずっと言われてきた「自分がやったことは、良くも悪くも全部自分に返ってくる」
今になって、ほんまにその通りやったなと思います。いや、その時も分かっててんけど自分がやっていることを否定するのが怖かったんやと思います。
小中の頃は、おかんに「練習せえ」と言われ、おとんと嫌々、毎朝6時からティーをしていました。悪さをしたら、嫌いなトマトを丸々食べるまで帰れまてんさせられたり、おとんにボールでしばかれたり、逆に俺がおとんに思いっきりケツバットしたり。家出してチャリで暴走してたら、おとんが電動自転車で追いかけてきたこともありました。アホやから電池を入れずにこいでて、全然捕まらんかったり。
なんかめっちゃ話逸れたけど、そんなこんなで藤森家の英才教育のおかげで名門・天理高校へ進学することができました。
「親父を超える!」
そんな気持ちも束の間、さすが天理高校。周りには中学野球で有名やった奴らがずらりと並んでいました。
2年時、同期が甲子園のベンチに入る中、俺だけベンチ外になりました。
初めて、自分の力不足を真正面から突きつけられました。今振り返れば、あれが俺の野球人生の第一の転換期やったと思います。
そこで出会ったのが、「優れるな、異なれ」という言葉でした。
人と同じことをやって一番にならなくてもいい。人にはないものを見つけて、それを自分の武器にすればいい。
そこから自分の武器を作ろうと必死になりました。50m6.5秒くらいやった俺が、どうしたら足を武器にできるのか。試行錯誤を重ね、5.9秒まで伸ばしました。
そのおかげか、高3では春夏の甲子園、そしてご縁があってU18日本代表にも選んでいただきました。俺にとって、これ以上ない一年でした。
でも、その成功が後々の自分を苦しめることにもなりました。
「高校の時はできていた」
「あの時の自分ならもっとできる」
いつの間にか、過去の自分が今の自分を追いかけてくるようになりました。成功した経験は前に進む力になる一方で、過去にしがみつけば自分を縛るものにもなる。今の自分に納得できひん。そんな時間もありました。
それでも、「高校でここまでやれたんやから、大学でもまあなんとかなるやろ」と、また根拠のない自信を持って東京に出てきました。
そもそも俺は、東京六大学野球がこんなにすごいものやとも知りませんでした。東京で野球をする。知らない街で、知らない人と出会う。そんな新しい世界が楽しみやったんです。
ありがたいことに大学1年から試合に出させてもらい、当時部屋長だった4年生の高原さん(高原侑希・R6卒)のポジションを、チャラくて、生半可で、生意気な1年坊主の俺が代わって出ることになりました。
正直、めちゃくちゃ気まずかった。
でも、高原さんは俺が試合で打ったり活躍したりすると、ベンチから誰よりも喜んでくれました。素直に「こんな人になりたい」と思いました。
自分のことだけじゃなく、人の頑張りを心から応援できて、人の喜びを自分のことのように喜べる人に。
あの独特なファッションとキザな言葉が大好きな高原さんの指差しホームランは一生忘れません。一生ついていきます。
そして大学2年の春、打率1割台という大スランプに陥りました。
中途半端に野球と向き合ってきたことが、見事に自分に返ってきました。
そんな時、愛するお姉ちゃんが、大学まで続けてきたソフトボールを怪我で辞める決断をしました。
当たり前のように続けると思っていたし、続けられる身体があると思っていました。それがなんか悔しくて。真面目なお姉ちゃんが怪我をして、不真面目な俺が怪我もせず、中途半端な気持ちで東京に来て野球をしている。
そう考えたら、もう泣けてきて。
そこから、俺がほんまに真剣に野球と向き合うようになったのは大学2年の夏からでした。
自分のためだけじゃなく、誰かのために頑張る。そう思えるようになってから、少しずつ野球も変わっていきました。その冬にはジャパンの合宿にも選んでもらい、充実した2年を終えることができました。
そして2年の終わりに、死ぬほど可愛がってくれた大照さん(鈴木大照・R7卒)と廉さん(武川廉・R7卒)が引退しました。
あんなことやこんなこと、いろいろ俺に教えてくれました。廉さん、冷たいふりしていつも野球を気にしてくれてるの知ってるし、口下手なだけで一番熱い漢ですよ。目のやつはまだ許してないです。
大照さん、人として自分が目指している姿はあなたです。多くは語りません。漢です
そんな先輩っ子の俺も3年になりました。
まっちゃん(松下歩叶・R8卒)がキャプテンになり、昨年試合に出ていたのは自分とまっちゃんの2人だけやったので、なんとか後押しして頑張りたいという気持ちでスタートしました。
4番にまっちゃんがいてくれたことで、気楽に打たせてもらいました。秋には首位打者とベストナインをいただけました。
ほんまに野球を楽しいと感じることなんてほぼなく、嬉しいことなんて今まで1%くらいしかなかったけど、その1%のために毎日やってきて良かったと思えた瞬間でした。たまに味わうこの1%の喜びがやみつきになるんよな、野球って。
ただ、いいことがあったと思ったのも束の間、右ハムの重度な肉離れをしてしまいました。
野球ができることは当たり前じゃない。頭では分かっていたつもりでした。でも、自分が思うようにプレーできなくなって、初めてその意味を身をもって知った気がします。
そして迎えた大学4年。まさか自分がポスターに載ったり、等身大パネルになったりするとは思いもしませんでした。
ほんまは人見知りで、人前に出ることも得意じゃない。陰キャで自己中のB型です。そんな自分をなんとか明るく、ポジティブに持っていこうと必死に過ごしてきました。
そんな俺が、3年間の大学生活を終える頃には、「自分が主将として新しいチームを作りたい」「法政を変えたい」という気持ちを持つようになっていました。
主将になってから、大切にしていた言葉があります。
「ぶるな、らしくあれ。」
天理で教わった言葉です。
主将だからこうでいなければいけない、こうしなければいけない。そんなことにとらわれるんじゃなくて、藤森康淳らしく主将をやろうと決めました。
正解なんてない。自分が進む道を正解にすればいい。そう考えるようになってから、少し気持ちが楽になりました。
とはいえ、そんな簡単にうまくいくわけもなく、主将として何が正解なのか分からなくなることもありました。
自分が思い描いていたチームとのギャップに苦しんだり、ちょっとみんなに言いすぎたかな、押し付けすぎたなと思ったり。試合中にベンチで本気で怒ったこともあったし、試合終わりにみんなに「クソみたいな試合すんな」と言ったこともありました。絶対に言っちゃいけなかったと思います。
ただ、神宮球場に足を運びんでいただいて全力で応援に来てくださる方々がいる。その人たちの前で、手を抜いたプレーをすることだけは絶対に許せませんでした。
ごめんな、みんな。いろんなことを言っちゃって。でも、こんなやばい俺を受け入れてくれたみんなには、本当に頭が上がりません。
主将になってからの春季リーグは散々でした。
リーグ戦前に足に限界が来て、歩けなくなりました。今まで歩けなくなるほど痛くなったことなんてなかったし、リーグ戦も間近。いろんな治療方法を試しても全く良くならず、時間だけが進んでいく。本当に苦しかったです。
でも、応援してくださる方々のためにやるしかない。もう試合に出ないという選択肢は、自分の中にはありませんでした。
試合前に痛み止めの注射を打って、お尻から坐薬を入れて、口からも痛み止めを飲む。それを毎試合前に繰り返していました。
本当にバカでした。目先のことしか考えていないバカでした。
でも、それくらいこのチームに懸けたかったし、法政を変えたかったし、このチームで優勝したかった。このシーズンで自分の身体が動かなくなって野球ができなくなっても後悔はないと思ってやっていました。
たくさんの方々の支えがあり、なんとか試合に出ることができました。
ただ、もっと苦しいことが待ち受けていました。
東大2連敗。
虚無でした。
球場を出るのも怖くて、武蔵小杉を歩くのも怖かった。応援してくださる方々の期待に応えられない悔しさ、今までやってきたことが全部否定されたような気持ちになりました。
主将としてたくさんの方からお言葉をいただき、自分の無力さを身に染みて痛感しました。
自分が主将で本当に良かったのか。
そんなことを自問自答する日々でした。
本当に神様は、たくさんの試練を与えてくれます。人生を楽しくしてくれます。生きている実感が湧きます。確かに、全部うまくいったら何も面白くないし。
と、ポジティブに捉えることは得意なんです。
ほんまに悔しい思いを持って夏を過ごし、秋に挑んだつもりでした。
ただ、そんなにすぐチームが変わると思っていた自分が甘かったんやと思います。人の意識を変えることも、チームを変えることも、そんな簡単なことじゃありませんでした。
それでも、確実にチームは変わっています。
一人ひとりがいい習慣を作っていけば、それがいずれチームの文化になる。誰か一人が頑張るんじゃなくて、一人ひとりが自分にできることを考えて行動する。その積み重ねが、チームを変えていくんやと思います。
法政を変えたいと思って始めたこの一年。思い描いていた通りにいかないことばかりで、主将として何が正解なのか分からなくなることもありました。
それでも、こんな自分についてきてくれた仲間がいました。苦しい時に支えてくれた方々がいました。結果が出ない時も、変わらず応援してくださる方々がいました。
俺一人の力でチームを変えられたわけじゃありません。むしろ、みんなに支えられ、俺自身を変えてもらった一年やったんやと思います。
全力で応援してくださる方々がいて、勝ち負けだけでは語れない価値がある東京六大学野球。そんな舞台で仲間と本気で勝利を目指して過ごした4年間は、俺にとって人生の財産であり、青春でした。
側から見れば、たかが野球かもしれません。
でも、俺にとっては、されど野球でした。
野球があったから出会えた人がいて、経験できたことがあって、今の自分があります。
俺の人生に、野球があって本当に良かった。
「もう野球やめたら?」
何回聞いたか。何回、泣かしたか。
あの頃の自分が、法政大学の主将になるなんて想像もしていなかったと思います。
明治に負け、優勝の可能性がなくなり、スタンドへ挨拶をした時。
「最高の主将やったぞ。」
スタンドから聞こえたその言葉。
球場の外でも、「今年のチームは明るくなって変わったね」「藤森くんがキャプテンになってから雰囲気が良くなったね」「法政に来てくれてありがとう!」と、たくさんの言葉をかけていただきました。
その人たちにとっては、何気ない一言だったのかもしれません。でも、俺にとっては、本当に救われる言葉でした。
主将として何が正解なのか分からず、自分のやってきたことに自信を持てなくなることもありました。自分が主将で良かったのか、何度も考えました。
だからこそ、その言葉を聞いた時、初めて少しだけ報われた気がしました。
ああ、俺は主将になって良かったんやな。
そう思えて、涙が出ました。
最高の主将だったとは言えません。
それでも、藤森康淳らしく、最後まで法政のために戦いたいと思います。
法政おお我が母校、法政おお我が母校。
あ、あとお陰様で一応100安打まであと2本です。このまま達成できずに終わるオチなのか、達成するのか。これもまた人生です。楽しみにしててください。
ほんまに長すぎて日暮れるわって思ってる方々もいると思いますが、日が暮れても伝えたい感謝の気持ちを最後に伝えさせてください。
両親へ
ああ言えばこう言うバカ息子をここまで見捨てずに、好きなことばっかりさせてくれてありがとう。
ほんまに、喜んでる姿より泣かせてしまったことの方が多かったと思います。これからの俺の夢は、藤森家を今よりもっと幸せにすることと、2人に嬉し涙を流してもらうこと!
いつまでも喧嘩の絶えない夫婦でいてね!
おねえちゃんへ
何事にもコツコツ努力できるおねえちゃんは尊敬します。
小さい頃から外で一緒に素振りしてたけど、絶対俺の方が先に家に入って、お姉ちゃんはその後もずっと素振りしてたよね。俺にもそのストイックさが欲しい。
あと何より、支えになったのは、頭ごなしに「頑張りや!」と言うことが一番ストレスになって、プレッシャーになると分かってくれていたこと。
「頑張らんでいいんやで」「自分の好きなようにやればいい」と、頑張れ以外の言葉で伝えてくれたことが嬉しかったよ。ありがとう。
同期へ
新チームが始まった頃に、「選手を辞めてくれ」「練習に出んといてくれ」と、ほんまにキツい言葉をかけちゃったのに、それでもチームのために必要なことを文句一つ言わずにしてくれて、ついてきてくれたこと、ほんまにありがとう。そして、ごめんね。
めっちゃ撫で肩で全力疾走せえへんやつ、めっちゃ禿げてて芸だしえぐいやつ、代打漢、何回もうるさい2人、スタバと山登りが好きな優勝投手、ずっと千葉に行く真っ黒な優勝遊撃手、コブ→ラビュさん、肩強くて終盤ほぼ紫のやつ、ばり節るやつ、めっちゃ宅建頑張るサウナ好きなやつ、西(西凌矢・4年)ってやつ。
めっちゃ身内ネタになっちゃったけど、こんな個性溢れる学年に、真面目な俺がついていくのは大変でしたでも、ほんまに一生の同士ができた!
ファンの皆様へ
法政大学で野球ができて、主将ができて幸せで最高でした。
優勝はできませんでしたが、何か少しでも新しい波を起こせていたら幸いです。
最終節も、皆様に喜んでいただけるよう、最後の一挙手一投足まで心を込めて、丁寧に、全力でプレーします。
これからも法政大学野球部の応援を何卒よろしくお願いします。
来季は後輩たちが必ずいい景色を見せてくれます‼︎
PS.素晴らしいご縁があり福岡ソフトバンクホークスに4位で選んでいただきました。やっとスタートラインです。息の長い野球人生を送れるように日々邁進していきます。
これからも藤森康淳をよろしくお願いします🙇
主将 


