【あなたにとって野球とは―#20】小畑泰輝(内野手・安田学園)
4年生38名によるラストシーズンにかける想いを投稿いたします。
20人目は、小畑泰輝(内野手・安田学園)です。
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投稿の一枚目に書いてある「大器晩成 小畑泰輝」という字を見て、本当に大学生の字かと思ったことでしょう。自分でもそう思います。もともと文章や漢字を書くのは苦手意識があり、小学校の通知表の「字を丁寧に書く」の欄には、いつも「頑張りましょう」と書いてありました。そんな私が野球人生を振り返って最後の文章を書きたいと思います。拙い文章になるとは思いますが、読んでいただけたら幸いです。
なぜ、私にとって野球人生を表す言葉が「大器晩成」なのか。その理由を話すために、少し昔の話から始めたいと思います。
私は小畑家の年の離れた3男として産まれました。長男雄輝(ゆうき)は10歳上、次男の拓輝(ひろき)は7歳上です。兄二人が小学生のころから野球をしていたため、私が物心ついたころには野球道具が家中に転がっており、気づけば私も小学校3年生の頃には本格的に野球を始めていました。
私にとって兄二人は自慢の存在でした。運動神経抜群で小中学校では二人ともリレーの選手。高校ではそれぞれ別の県の強豪校に進み、甲子園出場を目指して3年間をささげていました。残念ながら甲子園出場には届きませんでしたが、二人の兄の背中はどんなプロ野球選手よりもかっこよく映っていました。
そんな二人の背中を見ていた私は、自分にもすごい野球のセンスが宿っていて、将来はきっと、兄のようなすごい野球選手になるのだと思っていました。
ただ、私の野球人生はそんなに甘いものではありませんでした。
いつまでたっても足は速くならず、力も強くならない。守備ではボールを取ることよりエラーをする回数のほうが多く、小中学校の頃はチームの足を引っ張ってばかりで、監督やコーチにいつも叱られていました。
少し具体的な話をすると、小学校の千葉県大会の準決勝では投手を務め、1アウトも取れずに5失点で交代。中学校の頃は新チーム最初の大会でエースを務めるも、一回戦の初回で降板、その結果チームは創設10年目にして初の初戦敗退。高校時代では公式戦12打数連続ノーヒットを記録。大学でも16打席凡退から始まり、8打数6三振も経験しました。
本当に、失敗だらけの野球人生でした。
それでも、失敗するたびに思い出す言葉がありました。
それは、私の母が教えてくれた、「泰輝」という名前の由来です。「たいき」と名付けたのは「大器晩成」という言葉からとったそうです。大器晩成とは、「大きな人物や真の実力者は、世に出て大成するまでに長い時間を必要とする」という意味です。
だから、たとえ今すぐに結果が出なくても大きくなったら必ず良い結果を残せる、とずっと教えてこられました。
その言葉があったおかげで、どんなに結果が出なくても、野球で挑戦することを諦めませんでした。
そして、私の人生最大の挑戦が、この法政大学野球部でした。
周りには小学校からエースで四番、甲子園でも活躍している選手が同期や先輩後輩がたくさんいました。それに加えて、私は唯一の理系学生であり、人よりも課題の数が多く、この環境でやっていけるのかと入部当初は不安でいっぱいでした。
それでも多くの人の支えがあったから練習を続け、大学2年次には一つの目標としていた「高校野球を引退した神宮球場で、もう一度試合をする」目標を達成することができました。
しかし、大学3年生になり、私は野球人生で初めて、これまでとは違う壁にぶつかりました。
私は昔から、目標を立て、そこから逆算して日々の練習に取り組むことを大切にしてきました。だからこそ、どれだけ結果が出なくても、目標があったから努力を続けることができたのだと思います。
ただ、大学3年生になってAチームの練習に参加したときに、改めての法政大学のレベルの高さを実感しました。
それまで目標を掲げて練習してきた私でしたが、「日本一を目指すチームに、選手として貢献する」という目標に対して、自分自身がどう貢献するのかを具体的にイメージできず、どうしても目標として掲げることができませんでした。
野球は嫌いになったわけではありません。野球は大好きだったし、何より、この仲間たちと最後まで野球を続けたいという気持ちもありました。
ただ、これまでどんなに結果が出なくても、目標に向かって本気で努力してきた自分が、最後の最後に目標を見失ったまま野球を続けることは、できませんでした。
だからこそ、自分自身で「3年生の鴨川キャンプでAチームに残れなかったら、選手を引退する」と決めました。
結果として、そのキャンプで選手生活に区切りを付けましたが、最後まで目標に向かって努力できた野球人生に悔いはありません。
そしてなにより、そんな野球人生を最後まで続けてこられたのは、支えてくれた人たちの存在が本当に大きかったと思います。
そんなお世話になった人たちに感謝の言葉を伝えたいと思います。
【両親、家族へ】
今まで支えてくれて本当にありがとう。
ここでは多くは書かずに、これからの人生で少しずつ感謝を伝えて恩返ししていこうと思います。
【同期へ】
このチームで頑張れたのも今の同期の存在があったからこそです。
一緒に自主練習をしたり、飯や銭湯、旅行にも行ったり。エラーしたときや打てなかったことをいじってくれたおかげで心が楽になったこともありました。
ただ、黒須(黒須堅心・4年)がつくった俺の三振集の動画は流石にやりすぎだと、今でも思います。
俺の自分勝手な性格のせいで、たくさんの喧嘩もした記憶もありますが、それでも仲良くしてくれるみんなには本当に感謝しています。引退しても、これからもよろしくね
【学生コーチへ】
自分がこのチームで頑張れたのは、いつも自分を信じてくれた学生コーチの存在のおかげです。
結果が出ない自分に対して「結果は後からついてくるから求めすぎるな」と助言をくれた平尾さん(平尾聡一郎・R8卒)。
一番つらかった3年生の頃に、声をかけ続けてくれた鶴丸さん(鶴丸紘・R8卒)、川島さん(川島大誉・R8卒)。鶴丸さんには自分の意見を強く言い過ぎたこともあったけど、それでも納得のいくまで相談に乗ってくれて感謝しています。
川島さんもエラーばっかりする自分を特守に連れ出してくれて、ひたすら基礎から教えていただきました。守備は最後まで得意にはなれませんでしたが、諦めずに教えていただいたのがうれしかったです。
そして、学生コーチではないですが、作山さん(作山大輔・R7卒)にも本当に感謝しています。下級生でCチームにいるときからずっと自分のことを褒めてくださりました。あの頃、どんな状況でも後輩に明るい声をかける先輩の姿を見て、自分もそんな先輩になりたいと思いました。
また、ご飯誘ってください!谷田さん(谷田直隆・R8卒)もね。
【後輩たちへ】
いつまでもファーストフライの落球をいじってくる後輩や、顔を見ると飯に連れていけしか言わない後輩、2個下の後輩にもかかわらず、自分が先輩だと勘違いしている生意気な後輩ばかりでしたが、おかげで本当に楽しかったです。
今後は進路について本気で考える時期だと思います。
社会人でも野球を続けるか一般就職か。大学で選手を続けるか、そうでないのか。
どんな選択であろうと、最後まで本気で頑張ってほしいです。
就活に専念することも、野球の道を目指し専念することも、それぞれ大切な選択だと思います。ただ、選手を続けると決めたのであれば、最後まで自分の目標を見失わず、本気で野球に向き合ってほしいです。
俺自身も、目標を達成できたわけではありませんが、自分で決めたことに全力で挑戦できたからこそ、後悔はありません。
自分が決めた道を最後まで信じて頑張ってください!
最後になりますが、「大器晩成」という名前をもらった私の野球人生は、器が大きすぎたせいで大きな成功は収められませんでした。
ただ、私の人生はまだ20年ちょっとしかたっていません。
いつか振り返った時に、「野球があったから、法政野球部での仲間と切磋琢磨した時間があったから、今の自分がある」と、胸を張って言えるような挑戦を続けていきたいと思います。
長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました!
一人でも多くの同期が神宮球場で活躍して、最後は東大戦2連勝して笑って終わろう!
主将 


