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ラストシーズンに懸ける想い!その5<田上遼平>

こんにちは。
慶應湘南藤沢高校出身、投手の田上遼平です。

小学2年生の夏、私は米国カンザス州にいました。

クラスに1人も日本人がいない現地校で、先生の話を全く理解できず、一日中教室の席に座っていた私にとって、野球は自分の存在を示すことができる、心のホームグラウンドでした。

シーズン中だから、という理由でほぼ全ての地元チームから入部を断られた後、あるコーチが「野球が好きな子は皆んな仲間だよ。」と外国人の自分を初めて受け入れ、ジェスチャーを交えて指導してくれました。

楽しくて楽しくて練習に夢中になる私に、「君には才能がある。毎年トライアウトを受けてトップチームに行きなさい」と背中を押してくれた彼との出会いが、私の14年間の野球人生の始まりでした。

日本に帰国後もリトルシニアで素晴らしい監督に出会い、投手の心構えや日本野球の在り方を学び、選手としての基礎を築くことができました。中学全国制覇とU15侍ジャパンの経験は、努力すれば道は拓けるという揺るぎない自信を私に与えてくれました。

しかし、コロナ禍の高校3年間を経て、塾野球部の門を叩いた私の前に立ちはだかったのは、自分が井の中の蛙だという厳しい現実でした。怪我やフォームの崩れ。どれだけ努力してもチームの勝利に貢献できる実力に届きませんでした。

何より苦しかったのは、2年間リーグ戦のベンチに入りながら、一度もマウンドに立てず、グラウンドを見つめ続ける無力感でした。

そこで、それまでピッチングの上達しか気にしていなかった私ですが、当時のチームに足りなかった中継ぎ投手としての役割に向き合うことを決意しました。どんな場面でも目の前の打者を打ち取り、無失点で次に繋ぐことに集中するようになってから、自分のやるべきことが少しだけ見えた気がしました。いつ出番が来るか分からないブルペンで肩を作り続け、ピンチの時にマウンドへ向かうイメージトレーニングをひたすら繰り返しました。

そして3年春リーグ、法政大学戦、一死一二塁の窮地で初めてリーグ戦のマウンドに立つことができた瞬間の気持ちを、私は表現することができません。安定感のない自分を信じてボールを託してくれた監督とチームの期待にただ応えたいと思いました。打者をゲッツーに打ち取り、ベンチに戻るまでの風景は、私が大学野球で初めて、「忘れたくない」と感じた瞬間でした。

この4年間、できる努力は全部したという自負はあります。それでも、大学野球を通じて、今の自分は更に上の世界で通用する選手ではないということを思い知りました。

初めてボールを握ったあの日から抱き続けた「プロ野球選手になる」という夢が破れた今、自分の全てを捧げてきた野球人生最後の1シーズンが、私の目の前にあります。

恩返しをしたい人達がたくさんいます。

毎朝3合の弁当を作り遠征の送り迎えをし、今も投球動画を誰よりも真剣に見てくれる両親。心配をかけた分、神宮の中心で指を突き上げる姿を必ず見せたいです。制球に苦しむ私に何度も同じ指導を根気強く続けてくれた堀井監督を、今度は堀井監督が求める投球を体現して日本一の男にします。小林コーチ、マックさん(上田誠コーチ)、ダッチさん(上田和明コーチ)、はじめ、厳しくも温かく導いてくださった首脳陣と必ず頂点を取りたいです。

そして同期の皆んな。過酷な新人ランの愚痴をこぼし合い、狭い寮風呂の順番を争い、4年生の洗濯物を生乾きで返して怒られながらも、フレッシュトーナメント連覇や4年春リーグの優勝を分かち合ってきた。これほど結束の強い代はないと誇れるからこそ、未だ掴めていない「日本一」を全員で掴み取りましょう。1年生の時に先輩の日本一を見て憧れたあの素晴らしさを、次は私たちが後輩に見せる番です。

大好きなこのチームで、最後の最後まで、自分にできることは何かを考え続け、準備し、シーズンが終わるそのときまで役割を全うしましょう。

チームの信頼を得て、もし一球でも投げることができるのであれば、全力で腕を振り抜きます。

4年間、背中を叩いて励まし合ってきたチームメート、堀井監督、コーチ、スタッフ全員で、神宮にすべてをぶつけて日本一長い秋にし、「一生、忘れたくない!」と思う最高の瞬間を作り出しましょう。

(4年・投手・田上遼平/慶應湘南藤沢高校出身)