ラストシーズンに懸ける想い!その40<北殿智一>
こんにちは。
広島国泰寺高校出身、コンディショニングスタッフの北殿智一です。
入部してからの口癖は「もう辞める」。そんなことをなんと4年間も言い続けたのに、辞める度胸を持たぬまま、どうやら「引退」が近づいてきました。特に大学4年間で関わってきた人たちに比べると、取るに足りないものかもしれませんが、私の野球人生は充実感に溢れたものだったと思います。
私の野球との出会いは、父とのキャッチボールでした。平日の仕事で疲弊した父を土日に引きずり出すこともあれば、私が外に出るのが億劫で、嫌だと言いながら引きずり出された記憶もあります。ですがとにかくそれが原点でした。
小学4年生で地域のソフトボールチームに入団しました。監督が怖すぎて土日が来るのが嫌になった時期があり、金曜日になると学校の授業中から嗚咽が止まらなかったことは、今でも笑えません。試合に連れて行くために、ゴールデンウィーク丸ごとコーチの家に軟禁してもらった記憶もあります。年末に当時の仲間と会うときには、いつも決まってネタに昇華されますが、とにかく地獄でした。我ながらよく野球が嫌いにならなかったなと思います。学童のくせに楽しかった良い思い出などほとんどないし、必死の文字が似合うほど、負けたら終わりだと思って試合に挑んでいました。
中学校では、もはや草野球とも言える部活で軟式野球を継続しました。苦しい練習があったことすら一度もなく、野球のことより帰り道に仲間と公園で遊んでいた思い出の方が強いくらいです。そんな中、1人だけ県内の強豪校からスカウトが来るような先輩がいて、「すごい先輩とその仲間たち」みたいなチームでそこそこ勝つことができました。下級生の頃から試合にも出させてもらえて、とても楽しかったです。
高校では野球を辞めました。一生後悔し続けるであろうランキング堂々の第1位です。今でも「やっておけばなぁ」と思うことは多々ありますが、当時の根性ナシ北殿智一には無理だったと思います。そのおかげでほとんどやることもなく惰性で過ごした高校生活でしたが、野球強豪校に進学した中学の親友の「慶應大学で一緒に野球をやろう」という言葉がずっと心のどこかにありました。そんなただの口約束がいつしか夢に変わり、夢を叶えるために塾野球部に入りました。なぜか、親友は別の東京六大学の野球部に入部したので、夢は叶いませんでした。しかし、立場は違えど「神宮で対戦する」という新しい夢ができました。
人知れず、そんな夢を持って入部したは良いものの、下級生の頃は全くチームに貢献できませんでした。青栁光祐(4年・投手・新宿高校)が怪我をしたとき、3ヶ月前から授業中も、グラウンドでも投げてはいけないと制止していたにも関わらず、振り切られてしまったのが最たる例だと思います。「怪我をして良かった」とにやにやしながら不可解な言葉を投げてくるのは今でも理解できませんが、いつも強気なところは流石だなと思います。そんなことがあると決まって、私がこのチームにいて何かプラスになっているのかと「ぼけー」っと悩んでみたりもしました。考えれば考えるほどプラス要素が無い気がしてきて思考放棄を繰り返しました。その度に「もう辞める」と藤井綾乃(4年・マネージャー・清教学園高校)に連呼し、怒られていました。
気付けば3年生。Aチームが鹿児島キャンプに行き、日吉に残るトレーナーの自認は核として、なんとか力になろうと思っていたこのタイミングで、親友が野球部を辞めました。全ての原動力だったこともあり、ショックで即座にマネージャーに辞めると言いに行きました。また綾乃に怒られ、田村早絵さん(2026年卒)や杉山雄剛(4年・マネージャー・慶應義塾高校)、石坂梨紗(4年・マネージャー・慶應女子高校)に引き留められました。他の部活で一緒に頑張ろうと約束した友人にも、たくさん励ましの言葉をもらいました。私のためにはこれ以上は無理かもしれないけど、他の誰かのために頑張ろうと思うようになり、自分なりに試行錯誤をしてみたりしました。この年は、本当だったら同い年が4年生の最終学年ということもあり、どうしても優勝したかったのに、春秋連続5位に終わりました。結局3年生の頃も何もできなかったなと思っています。
最終学年になり、同期からチーフコンディショニングスタッフに推薦されました。荷が重すぎると感じることもありました。就任10分後、これまたいつもにやにやしている別所孝亮(4年・投手・大阪桐蔭高校)に「殿ちゃん決まったからにはやらなあかんで」と本気な顔で言われました。そこで気持ちが切り替わるわけもなく、脳内は「やばい」の一心で頭がぐるぐるしてしまい、その後のミーティングの記憶はほとんどありません。春キャンプに入ったあたりから、少しずつ「やるしかない」という気持ちが生まれ、少しくらい何か貢献できるのではないかと思い、コンディショニングスタッフ皆んなで頑張ってみました。春の長いキャンプが終わり、春季リーグ戦開幕。法政大学戦で春先から一緒にリハビリを頑張ってきた八木陽(3年・内野手・慶應義塾高校)が大活躍しました。初めてチームに貢献できたと思え、4年間で1番嬉しかったです。私が誰かの成功にこれほど喜べる人間だったのかと、びっくりするほどに嬉しかったのを覚えています。
少しだけ振り返ってみると、本当にたくさんの人に支えられ続けたのだとつくづく思います。少しテーピングを巻いて、少しマッサージをしただけで皆んながくれる「ありがとう」。試合に出てもないのに連絡をくれる友人たち。全部が私の支えでした。皆んなありがとう。
辞めると言い続けた野球部も引退まで残り数ヶ月、やり残したことがありすぎてまだまだ引退できそうにありません。玉津優志(4年・捕手・慶應湘南藤沢高校)の神宮初ヒットもまだ見ていません。この間、内藤茉子が「会おうと言わないと会えなくなる」とぼそっと言っていました。すぐには納得できませんでしたが、「確かになぁ」と思うことにします。叶うなら、同期全員が神宮で輝く姿を見たいです。慕ってくれる後輩の頑張りも見なければいけません。引退の時、すっきりして終われるように、日本一を目指してあと少し頑張ってみます。きっと色々困難はあると思います。だけど「多分、なんとかなるじゃろ。」

主将 


