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主将 今津 慶介
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ラストシーズンに懸ける想い!その47<今津慶介>(完結)

平素よりお世話になっております。
旭川東高校出身、慶應義塾体育会野球部主将、今津慶介です。
と、こんな真面目な入りになることも、このような素晴らしい肩書きがついているのも入部当初では想像できませんでしたが、僕がこのチームの船長です。
ただ、今回だけはそんなことも忘れて等身大の気持ちと四年間の軌跡を綴ろうと思います。
ぜひ最後まで読んでいってください!

小学2年生、物心ついたときには家に野球道具がありました。大好きな兄がやっていたことに影響を受けて何気なくはじめました。

月日は流れ、、、
高校3年夏、旭川東高校の主将として 53年ぶりの北北海道大会準優勝を果たしました。今でも当時を振り返ると仲間たちと甲子園に行きたかったと強く思います。ただ甲子園に行っていたら大学で野球は続けないつもりでした。決勝で夢破れ終わったと思ったその日が、僕の野球人生を変えてくれた最高の4年間の大学野球のスタートだったことは、知る由もありませんでした。

大学1年春、18年間暮らした北海道から出て、右も左もわからないまま塾野球部の門を叩きました。空港でお見送りしてくれた父と母の涙を見て、覚悟を決めて野球をやろうと思いました。
ただ、入部後は圧倒的な実績を引っさげて入部してきた同期のレベルの高さと人数によるチャンスの少なさに打ちひしがれました。
北海道からのこのこ出てきた野球坊主の自信は簡単にへし折られ、あんなに大好きだった野球さえも熱が入らなかった日もありました。そんな僕を支えてくれたのが大好きな 1つ上の先輩たちと望むフレッシュトーナメントの存在でした。下田寮で毎日のようにギターに合わせて熱唱したり、誰かの誕生日は調味料を持って手荒に祝福したり、男4人で恋愛映画を見て号泣したり、ここでは書けないような馬鹿なことも一緒にやりました。
彼らと一緒に自分もベンチに入って、神宮球場でプレーしたい。
それだけがモチベーションとなり、必死になってベンチ入りを目指しました。 フレッシュ優勝や毛利海大さん(現千葉ロッテマリーンズ)から打ったこと、フレッシュ後に初めて憧れである廣瀬隆太さん(2024年卒・現福岡ソフトバンクホークス)たちがプレーする Aチームに合流できたこと、努力すれば報われるということを少しだけ知った 一年目でした。

大学2年、同期が次々とリーグ戦デビューを果たす中、それをスタンドから見ていました。一番声を出して応援してたつもりでしたが、ヘラヘラした笑顔の奥でいつも悔しい思いをしていました。このままリーグ戦に出られずに4年間終わってしまうんじゃないかと何度も思いました。
現実から目を背けるために、就活のことや将来のことも考えました。
しかし、グラウンドに行くと、リーグ戦で活躍している同期は、自分の何倍も必死に練習していました。慶應の伝統あるグレーのユニフォームを着る資格が今の自分にはないことに気づきました。
それに気づいてからは限界までバットを振り、声を張り、 一日一日を必死に生きました。
北海道にいる母から、僕が傷つかないように絵文字たっぷりで「慶介のデビューはいつかな‼️、早くみたい👀✨」とメッセージが送られてきたのを今でも覚えています。高校時代の同期も何度もメッセージをくれました。
同期の中で硬式野球を続けていたのが自分だけだったこともあったのか、あの時東高グラウンドで白球を追いかけていた仲間がまるで自分のことのように応援してくれました。神宮球場でリーグ戦に出ることはいつしか僕だけの夢ではないことに気づきました。
転機は突然でした。親友の田上遼平(4年・投手・慶應義塾湘南藤沢高校)から部内の紅白戦でホームランを打って、その週の立教戦にベンチ入りしました。当日、今か今かと出番を待ちながらバットを握っていました。堀井監督から「今津、いくぞ」と言われて打席立った時の高揚感は今でも忘れられません。
2点ビハインドの9回一死、足が地につかないふわふわした感覚の中わけもわからず、バットを振り抜きました。
自分のこれまでの野球人生の想いをのせたボテボテのあたりが、ダイビングしたセカンドをかすめてセンターに抜けていきました。
頭がパニックになりながらも、塁上で叫びました。
バックネットを見ると北海道からわざわざ来てくれた家族が立ち上がりカッツポーズをしていました。父が泣いていました。
ベンチに入れなくて悔しいはずなのに、最高の笑顔で称えてくれる苦楽を共にしたBチーム仲間、應援指導部が先頭にたって創り出す地鳴りような声援、一塁ベース上で「これが母校の威信をかけて戦う、伝統ある東京六大学野球なのか」と、「これがKEIOのグレーのユニフォームを着てプレーすることなのか」と、今自分が立っている舞台の素晴らしさををようやく理解しました。
ただ 、一転2年秋はリーグ選出場なし、努力しても努力しても報われない期間が続きました。そして迎えた大好きな先輩とのラストイヤーです。

大学3年生、一ヶ月半の鹿児島キャンプからはじまりました。
思えばこの年に野球人生のターニングポイントが詰まっていました。
ライトの4枚目としてなんとかギリギリで Aキャンプにしがみつく毎日。
ベンチ入りはするが、未出場に終わるオープン戦。このままだと次の関西遠征のメンバーには漏れてしまうなと思いながら必死で打開策を考えました。
代走として出場しピッチャーが投げる前に盗塁したり、2年ぶりに内野に再挑戦したり、試合に出るためにはどんなことだってしました。
スタメンを取れるかどうかの瀬戸際だった時、重要な亜細亜大学とのオープン戦の日、39度の熱が出てしまいました。
流石に休もうかなとその時一緒にスタメンを目指した常松広太郎(2026年卒・現シカゴ・カブス傘下)に相談したよね。
そうしたら、「死んでも来い、今この瞬間に野球人生を賭けろ」と言ってくれたのを鮮明に覚えています。
普通の人だったらゆっくり休めと言ってくれてたと思います。結果は5回にタイムリーを打ち、そのままホームへ生還した後、ベンチ内で嘔吐、寮に帰って救急車で運ばれました。
まさか本当に死にそうになるとは思ってなかったけどあの時、グラウンドに引っ張り出してくれてありがとう。
僕らの狂ったような執念が実を結び常松と一緒に開幕スタメンを掴み取りました。
1試合1試合、打てなきゃ代えられるというプレッシャーの中200人を超える組織の代表として最後まで試合に出続けました。
自分のせいで明治大学に負けてお風呂で泣いた時も、監督から外野守備のことで見たことないくらい鬼の形相で怒られた時も、外丸世代の先輩たちに優しく慰めてもらいました。先輩たちにおんぶにだっこで結果を出させてもらった怖いもの知らずの3年春でした。

3年秋、スタメンに定着し試合に出るものの打率1割台と低迷し、苦しかった記憶ばかりが蘇ります。200人を超える部員たちの代表として出ているのに結果を出せない。
結果の出ない自分を信じて何度も使ってくれる監督を裏切り続ける日々。
打席に立つのが怖いと感じた時もありました。はるばる北海道から来てくれた家族に良いところを見せられず、ごめんとしか言えませんでした。それでも、家族のみんなは暗い顔ひとず慰めてくれました。
母に頬をつねられ「こんにゃろ、そんな顔するな」と言われた時は申し訳なさとありがとうの気持ちで涙がこぼれそうになりました。
この時に周りの支えてくれるみんなのために頑張ろうと思えました。
翌週の立教大学戦の3ランホームランは皆が打たせてくれた一本だったなと本気で思います。打球が打ち上がった瞬間、スタンドからいけ!いけ!の大きな声援、堀井監督のいつも通りの鋭い眼差し、その全てが打球をスタンドまで運んでくれました。母は怖くてその打席は直視できなかったみたいです(笑)
酸いも甘いも経験したそんな3年生でした。

そして最終学年かけがえのない同期と共に歩んだ4年生。といきたいところですが、ラストイヤーを迎える前に忘れもしない、幾度にも何十時間にも渡るキャプテン決めの学年ミーティングがありました。
「俺がキャプテンになったら日本一とれるから、俺にキャプテンやらせて欲しい」
同期の前でそう言いました。
今思えば、どこからその根拠のない自信が湧いていたのか理解不能ですが、この仲間となら日本一をとれるという感覚がなんとなくあったんだと思います。
朝5時から同期に詰められる日々が続きました。その時は心の中ではうるせえと思ってしまったこともありましたが、あそこまで腹を割って本音でぶつかりあえたのははじめてでした。
度重なる議論を経て、それぞれが塾野球部でのラストイヤーにかける並々ならぬ想いがあることを知りました。そんなこんなを経て最終的には満場一致という形でキャプテンを任せてもらいました。
ラストイヤーはいちばん濃くて、いちばん短かったです。

二ヶ月間のキャンプをみんなで励ましあって完走したこと。
どんなにオープン戦で勝ってもリーグ戦で勝てるか不安だったまま開幕を迎えたこと。
リーグ戦を戦う中、自分たちがやってきたことが間違っていなかったと気づき始めたこと。
1勝1敗で苦しい時、チームを励ますために筒井俊介(4年・内野手・県立船橋高校)や渡邊功喜(4年・内野手・湘南学院高校)がLINEグループに送ってきてくれたネタ動画。
日本という国で生まれた誇りを野球を通して再確認したと共に、優勝を阻まれた天覧試合。
歯を食いしばって219人全員で踏ん張ってきた毎日が報われたリーグ戦優勝。
そして、あと一歩のところで涙をのんだ日本選手権。
スタンドを見ると、試合に出た自分たちより悔しがって泣いてくれる應援指導部。
もう悔しい思いは二度としないと誓って覚悟を持って望んだ夏の強化練習。

全てが昨日の事のように思い返されます。
そして、引退ブログを書いている今そんな日々が終わろうとしています。
今になって、木戸脇光(3年・外野手・時習館高校)や寳田裕椰(4年・外野手・三重高校)が必死に盛り上げてくれる毎日の何気ないアップ、みんなで歌いながらお風呂に入る時間、寮で文句を言い合うしょうもない時間、夜のベランダで男臭い夢を語り合う時間も、全て宝物だったことに気づきました。
大好きな同期、可愛い後輩たち、お茶目な監督、コーチ達とのこんなにも暖かく素敵な日々が終わることを考えると今も涙が出てきてしまいます。
人生を変えてくれた塾野球部を愛しています。
高校3年生の夏にはじめて自分の目で見て、恋焦がれ、強く憧れた塾野球部に居られて本当に幸せです。

みんなと1日でも長く野球がしたい。

その一心で目の前の一球に最後の最後まで必死になって食らいつきます。

泣いても笑ってもみんなと戦うラストシーズン、この春の忘れ物を219名全員で死に物狂いで取りに行きます。

さぁ、いこう。

(4年・内野手・今津慶介/旭川東高校出身)