ラストシーズンに懸ける想い!その23<寳田裕椰>
一生のうちに一冊は書籍を出版したいと考えている、三重高校出身、内野手の寳田裕椰です。拙い文章ですがご一読いただけますと幸いです。
野球人生を通して、私は「人」に恵まれました。
それは小学生の頃からです。周囲の友人は皆んなサッカークラブに入っており、野球チームに入ったのは私1人でした。他チームとの合同で活動するのが通常の流れだと思いますが、先輩、後輩、指導者の方々は私と野球をすることを選んでくれました。白球を追う楽しさを知り、声を張り上げて戦う根性を培った日々は、確実に私の野球人生の土台となりました。
中学では一転、部員80名に迫る大所帯、大阪交野ボーイズに入部し、3年生ではキャプテンを務めました。小学生の頃には当たり前に掲げていた「プロ野球選手になる」という夢。同世代のハイレベルな選手たちを目にし、この時期には口にすることが少なくなっていきました。それでも、負けるものかと必死にノックを受け、タッパー弁当と戦いました。厳しく、期待をかけて接してくださった指導者の方々と、支えてくれた仲間のおかげでキャプテンをやり遂げることができました。身につけた精神力と、3年間で芽生えた「組織」の在り方や統率に対して考える習慣は、今にも通じる武器となりました。
18歳までの人生の目標は専ら、「甲子園」にでることであった私は、親元を離れ、三重高校の門を叩きました。幸運にも1年秋からセカンドのレギュラーを掴み、3年夏には夢の甲子園で5本のヒットを打つことができました。最も印象に残っているのは夏の県大会決勝、津田学園戦。5-6、1点リードの9回2死2.3塁の守備。目の前でイレギュラーしグラブを弾いた打球を処理し優勝。弾いてからスローモーションになったあの景色を今でも鮮明に覚えています。部員111名の中で、サポートに回ってくれた仲間が優勝の瞬間に涙しているのを見て、野球をやっていて良かった、三重高校に来て良かったと心から思いました。
次の目標として決めたのは、東京六大学、「慶應」のユニフォームを着て神宮球場で活躍すること。一浪を経ての入学となりました。この時の心情は、合格体験記をご覧いただけますと幸いです。
2年次にはフレッシュリーグにてゲームキャプテンを務め、春秋優勝を達成した後、4年生になるタイミングで行われた学年ミーティングを経て、副将に就任しました。選手以外の道もある中で選んだ副将というポジション。覚悟を決めて組織作りと個人のレベルアップに励みました。確かな手応えを感じていましたが、結果は全日本選手権準優勝、個人ではプレイヤーとして貢献することができませんでした。副将という立場でありながら、チームの流れに乗っていけないもどかしさ、情けなさ、悔しさ。様々な感情を経験しました。「能ある鷹は爪を隠す」と言いますが、今のところ爪を隠し続けている3年半です。特にラストイヤーは壁にぶつかり、自分には本当に能があるのかと考えることも多々ありました。しかし、同期から任された副将という立場から逃げたことはありません。次第に、自分に能があるのかないのかは、思っているほど価値の無い事がらである、ということに気がつきました。それ以上に何を積み上げたか、今何が表現できるかが大切であると考えていますし、こうした考え方の変化こそが、大学野球生活での最大の成長だと感じています。
残すはラストシーズン。原動力はやはり「人」です。家族や友人や先輩、スタッフや指導者の方々、慕ってくれる後輩達、應援指導部や慶應ファンの皆様、そして同期へ、結果で恩返しをします。

主将 


