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ラストシーズンに懸ける想い!その32<三瓶遼斗>

こんにちは。
慶應義塾高校出身、学生コーチの三瓶遼斗です。

私が野球を始めたのは小学3年生のときでした。そこから気付けば約13年。小・中学校では投手と野手を兼任し、高校からは投手一本。そして塾野球部に入部してからは、1年生で投手、2年生で野手、3年生の夏から学生コーチと、なかなか一貫性のない野球人生を歩んできました。投手として入部した人間が、最後はノックバットを持って、外野フライを打っているとは、小学3年生の自分も想像していなかったと思います。

学生コーチになってからは、基本的にAチームに帯同し、鹿児島キャンプや北海道キャンプにも参加させてもらいました。選手として神宮の舞台に立つという、入部当初に思い描いていた大学野球とは違う形になりましたが、選手の近くで勝利を目指し、一緒に喜んだり悔しがったりできた時間は、自分にとってかけがえのないものになりました。

そんな大学野球生活を振り返る上で、どうしても外せない出来事が2つあります。

1つ目は、1年生の夏の事故です。これについては、野球部員ならそこそこ知っていると思うので、ここでは詳しく書きません。気になる人は直接聞いてください。多分話します。

そして2つ目が、1年生の冬に父を亡くしたことです。

父は生前、私に「遼斗は打撃の方がいいから、野手をやった方がいい」とよく言っていました。当時の私は投手として勝負したい気持ちが強く、加えてプチ反抗期のようなものもあり、父とはあまり野球の話をしていませんでした。もっと話しておけば良かった。もっと自分の野球を見てもらえば良かった。父を亡くしてから、そう思うことが何度もありました。

だからこそ、2年生で野手に転向したことには、自分の中で特別な意味があります。結果的に父が勧めていた道を選ぶことになりました。「ほら、言っただろ」と、どこかで得意げにしているかもしれません。

父が亡くなってからは、母が女手一つで私を支えてくれました。大学に通いながら野球部で活動し、何不自由なく野球を続けられたのは、決して当たり前のことではありません。私が野球に集中できる環境を作り続けてくれた母には、本当に感謝しています。

振り返れば、事故があり、父との別れがあり、投手から野手、そして学生コーチへと立場も大きく変わりました。思い描いていた通りの野球人生だったかと聞かれれば、間違いなく違います。

それでも、小学3年生から始めた野球を、最後まで塾野球部という場所で続けられたことを誇りに思います。

支えてくれた家族、仲間、指導者、そしてこれまで野球を通じて出会ったすべての方々への感謝を胸に、残された時間も最後まで、自分の役割を全うしたいと思います。

(4年・学生コーチ・三瓶遼斗/慶應義塾高校出身)