ラストシーズンに懸ける想い!その36<山口瑛士>
こんにちは。
奈良県立郡山高校出身、学生コーチの山口瑛士です。
ここまでの人生は野球というスポーツに育ててもらいました。そんな私の野球人生をこのブログで振り返れたらと思います。
三兄弟の末っ子の私は物心ついた時から野球に触れており、本格的に始めたのは小学2年生の時でした。最初のポジションはキャッチャーで他の人より防具をいっぱいつけることがかっこいいと思っていました。小学6年生の時には主将を務め、勝ちたいという気持ちが全面に出るようになりました。試合に負けたら毎回泣いていました。西大寺ドリームズで野球が出来た事こそ、ここまで野球を続けている最大の要因だと思います。
そして、中学では勉強と野球を両立することの難しさを感じていました。兄二人が奈良県立郡山高校に進学しており、私自身も同じ高校に進学したいと考えておりました。ただ、頭が悪く試験の点数が合格点になかなか乗りませんでした。必死に勉強しながら、野球のスキルを向上させる事の難しさを感じておりました。生駒中央ボーイズでの1番の思い出は父が入院しており、試合前日のお見舞いで「明日ホームラン打ってホームランボール持ってくるな」と伝え、逆転満塁ホームランを打ったことです。私と父は二人で号泣しました。生駒中央ボーイズでも主将の経験ができたことはとても貴重だったと感じています。
そして、奈良県立郡山高校にギリギリで合格し、入学することができました。入学からの目標は甲子園に出場することだけでした。高校では野球の事を真剣に考え、勝つには何をすればいいかを考え続けていた自覚があります。高校での経験が野球の深みを知るきっかけになりました。
高校2年生の時、塾野球部で野球をされている高校の先輩にお話を伺い、慶應義塾大学に進学したいと考えました。引退してから必死に勉強を始め、ほぼビリギャルの状態でした。現役の時には届きませんでしたが、熱量を変えず勉強し続けた結果、一浪で慶應義塾大学商学部に合格することができました。この期間を乗り越えられたのは慶應への憧れと野球への愛があったからだと思います。
そして塾野球部に入部し、目標を立てました。「日本一に貢献する選手になること」でした。 慶應の野球を近くで見た時、スキルをつけないと絶対に出られないと確信しました。そこから毎日野球に向き合い、努力してきました。そして大学2年生の春にフレッシュトーナメントで神宮に立ち、初打席でセンター前ヒットを打てた時の興奮は今まで感じたことの無いものでした。そこから数々の名門校出身のピッチャーと対戦し、着実にレベルアップしていた実感がありました。
大学3年生の春に初めて関西遠征メンバーに選ばれました。鹿児島キャンプから代打の1打席を大切にし続けた結果だと思います。監督が伝えてくれていたのは「その一打席で野球人生が決まる」という言葉です。この時期にこの言葉の意味が分かりました。関西遠征での日本生命とのOP戦でスタメン発表の時、代打が自分の役割だと考えていた私の名前が、9番DHで呼ばれました。この時驚きすぎてしっかり返事が出来なかったことを覚えています。A戦でのスタメンはこの試合が初めてで緊張していましたが、3打数1安打2打点で少しは活躍できた事を覚えています。準備し続けることの大切さとチャンスの掴み方を学ぶことができた時期だったと思います。
そしてリーグ戦2週間前の社会人対抗戦にベンチ入りすることができました。そこで代打の機会をもらいましたがボテボテのセカンドゴロでとても悔しかった事を覚えています。野球人生において重要な1打席だったと思います。リーグ戦前日の背番号授与式では初めて44番という背番号をいただきました。この瞬間も貴重な思い出となっています。しかし、一度もリーグ戦のベンチに入ることは出来ず、リーグ戦メンバーになるということは近そうで遠いものでした。そこから北海道キャンプを経て、秋の背番号もいただきましたがリーグ戦のベンチに入ることはできませんでした。あと一歩に苦しんでいました。
そして4年生が引退し、自分の代になった時には「必ずリーグ戦で活躍する」と心に決めていました。そこから幹部を決めるミーティングが始まると、私はチーフ学生コーチに推薦されました。推薦してくれると考えていなかったので驚きました。そこから色々な方に相談し、自分が後悔しないように熟考しました。最終的な判断基準として「自分自身にとってどちらが幸せか」というものでした。この抽象的な言葉から噛み砕いていくと、自分の代で日本一になる事が一番の幸せだと考えました。日本一になるために、大好きな同期が私をチーフ学生コーチに推薦してくれたならそこにやる価値はあると考えました。今でも最高の決断をしたと考えております。200人を越える部員をまとめるという貴重な経験をしており、リーダーシップを磨くことができていると思います。心から同期に感謝しています。本当にありがとう。そしてチーフ学生コーチになってから意識しているのはリーダーとして1番熱い存在であり続けることです。選手にモチベーションの波があることを理解しているからこそ熱い存在が大切だと考えました。言い方ひとつでチームが変わるので大きな責任があることを理解して行動しています。同期がついてきてくれているおかげで思い切って指示を出すことができ、最高のチームを作ることができています。
そして迎えた春のリーグ戦は一戦一戦がタフなものでした。毎試合後は声が出なくなっており、のど飴ばかりを舐めていました。早慶戦三回戦で優勝を決めた時は涙が止まらず、マウンド付近で号泣していました。嬉しい気持ちとこれまでやってきたことは正しかったんだという安堵の気持ちがありました。あの瞬間は人生で一番幸せな時でした。しかし全日本大学野球選手権大会の準優勝は人生で一番悔しい瞬間でした。もう二度とこのような経験をしたくないと心の底から思いました。その経験からここまで必死に練習し、春以上に最高のチームが出来上がっているという自信があります。
泣いても笑っても最後のリーグ戦です。
4年生へ
この1年間一緒に戦ってきてくれてありがとう。一緒に野球ができるのもあと2ヶ月ちょっとと考えると悲しい思いでいっぱいです。だからこそ1日を大切に、野球に対して真剣に取り組み続けよう。そして一人一人の力を掛け合わせて絶対に日本一取ろう!日本一取って今津慶介(4年・内野手・旭川東高校)を胴上げしよう!

主将 


