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『僕の野球人生』vol.11 川又 玄己 学生コーチ

この企画では、ラストシーズンを迎えた4年生に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。

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『僕の野球人生』vol.11 川又 玄己 学生コーチ(4年/渋谷教育学園渋谷)

同期随一のアホ、伊藤滉一郎(4年/外野手/県立千葉)からバトンを受け取りました、川又玄己です。伊藤くんとの思い出といえばやはり鈴木くん(4年/外野手/浅野)と3人で過ごしたモンスターハウスの一年間です。その時から彼は砂糖と塩を間違えて超絶塩辛いオムライスを創造するなど自由奔放な存在でしたが、彼と野球をするのもあと1ヶ月となりました。せっかくの機会をいただいたので、自分の四年間を振り返っていこうと思います。

自分の出身高校である渋谷教育学園渋谷の野球部は都内でも類をみない弱小校で、もちろん自分も初心者レベルの下手くそでした。

そんな下手くそが大学の野球部に入って通用するわけもなく、案の定練習からミスしまくり、たまに試合に出てはエラーとパスボールの連続で、たった数イニングでBチームを大敗へと導く、悪魔のような存在でした。おそらく投手陣にとって相手のどんな強打者よりも自分の方が警戒されていたと思います。チームで一番下手くそなのは入部前から予想していましたが、自分のせいで何人ものランナーを背負い、何点もの失点を重ねる投手には本当に申し訳ないとしか言いようがなかったです。自分が何回も連続でパスボールして失点し、「川又にホームラン打たれた」としゅうへい(山口周平/4年/投手/三重)が呆然としてたのも、今でこそ笑い話ですが当時は一年部屋で隠れて泣くほど落ち込んでいました。

秋ごろになると流石にパスボールも減り、超山なりだった2塁送球も山なりくらいには成長していましたが、一番成長したのは打撃でした。B戦でほぼ毎試合1本はヒットを打つくらいには好調で、明るい気持ちで打席に臨んでいました。ただ、ここでそう簡単に活躍できるほど自分は上手くありません。今まで凡退を続けていたためバレていなかった絶望的な走塁技術が遂に世間の目に触れるようになってしまいました。ライナーバックできない、2outでライナーバックする、牽制死、サインミス、謎の単独スチールからの失敗、せっかくヒットを打ったのに、数え切れない数と種類の走塁死でチームの情緒を不安定にさせていました。

 

 

冬になると試合がなくなり、練習を繰り返すだけの日々となりました。この頃から、少しずつ野球へのモチベが失われていきました。原因は、明石(4年/捕手/渋谷幕張)の存在です。冬季練習はAB合同のため、今までほぼ一緒に活動することのなかった府川さん(R7卒)や杉浦さん(R8卒)とも一緒に守備練習をすることが増えたのですが、その際に先輩方から言われたこと、教わったことを、明石はすぐできる。自分は全くできない。このように比較する場面が多くなりました。明石がいたら、自分はこの先ずっと神宮でプレーできない。何となく抱えていた不安をそのまま突きつけられた日々でした。

そしてこの頃から、2年春に出す学生コーチを誰にするのか、議論が始まりました。秋に行われた最初のミーティングでは頑なに転身を拒んでいた自分の気持ちも、先ほど述べたことが原因で徐々に変化していき、真剣に転身を考えるようになりました。ただ、真剣に考えるにあたって、消極的な理由で転身するのだけはやめようとも思っていました。チームのための学生コーチという存在なのに、自分が選手を諦める逃げ道として転身するのは意味がないと考えたからです。結局、冬の間では決められないまま、春の2回目のミーティングを迎えました。

2回目のミーティングでは、3人の候補者を学年投票で決める、ということだけが決まりました。ミーティングが終わり、投票結果が発表される数日間、当時Bチームにいた同期はかなりビクビクしていましたが、ほぼ確実に選ばれる自分は、その期間も候補に選ばれるかどうかではなく、転身するかどうかで再び悩んでいました。

転身を決めたきっかけも、明石でした。自分は冬ごろから明石に対して劣等感を抱いていたので、明石と素直な気持ちで話すことができませんでした。せっかくの同期で、面白いやつなのに、面と向かって話せないのは嫌だ。学生コーチになれば、明石をはじめ、練習が別であまり話すことのなかったAチームの同期とももっと話せるようになるだろうし、ゆくゆくは同期全員を支えたい。そのように考えるようになりました。

そこからは一瞬でした。本岡(4年/学生コーチ/基町)、藤原(4年/外野手/県立福島)、自分の3人が候補に選ばれ、3人での話し合いをはじめた瞬間に、自分が転身するつもりだと2人に伝えて転身が決定し、学年全員に報告しました。途端に、明石と話しやすくなったのを覚えています。

引退試合のフレッシュのことは今でもたまに思い出します。代打で出た瞬間、転身を知った先輩方がスタンドから応援してくださったこと、緊張しすぎて体に全く力が入らなかったこと、ワンバウンドすると思った慶應の投手の球がアウトローにきて見逃し三振となったこと、緊張のあまり1年ぶりにノーバウンドの球をパスボール(捕球拒否)したこと、自信を持って要求した横山(4年/副将/内野手/新潟)の真っ直ぐがあっさりライトスタンドにかちこまれたこと。自分の弱さと、六大学を相手に戦うことの怖さを全身で感じました。

だからこそ、神宮でプレーする選手のみんなを尊敬しています。積み重ねてきた練習を自信に変え、六大学相手にくらいつくみんなを本当に尊敬しています。どんなに辛いことがあってもそれと向き合い、乗り越え、野球を続けたいと思うみんなを、心の底から尊敬しています。

 

 

学生コーチに転身してからは、数馬さん(R8卒)、太幹さん(R8卒)に、本当に色々なことを教わりました。詳しくはあとで書きますが、本当にお世話になりました。

 

 

そして、3年秋の最終戦の日がきました。相手は法政で、1勝1敗で迎えた3戦目でした。序盤から不運な当たりや球際で粘れない場面が続き、気づいたら大差で負けていました。先輩たちが引退しました。
帰りのバスでぼんやりと考えていました。同期で一番下手だったやつがとうとうチーフになったこと、1個上の代は最強だとか思っていたのに結局勝ち点を取れなかったこと。そして、多分僕らの代は1個上の代よりも弱いこと。
悩んでいる暇もなく、新チーム作りをはじめました。部門長に各部門の1年間の方針をたてさせました。学年ミーティングで目標とスローガンを決めました。横山が部門長会議で接戦を粘り勝つというTEAM2026の戦い方を提示してくれました。諸々進めていくうちに、だんだんとTEAM2026が進むべき方向が分かっていきました。けれど、チーフ学生コーチとしてどうあるべきか、という問いは、消えませんでした。3年生までの自分は、選手の延長線上で学生コーチをやっていました。太幹さんが出すメーリスに従い、頼まれた練習補助をこなし、選手と同じような目線でチームのことを話していました。けれど、チーム運営を主導する立場になった以上、そのままではダメだと思いました。

転機は、オータムフレッシュでした。オータムフレッシュでは、筑波大学相手に酷い試合をしました。試合後の反省ミーティングで、香川(3年/学生コーチ/開成)が選手全員に説教していました。それまでの学生コーチでは考えられないほど厳しい態度で選手に向き合っていました。自分も、こうあるべきだと思いました。チームが勝ち点という高い目標を目指しているなら、チーフ学生コーチである自分が、その基準を素直にチームに求めるべきだと考えました。そこから、目指すべき姿がはっきりしたような気がします。外野シートや投内連携など、1球を使った練習でのミスは厳しく指摘しました。このままではいけない、何となくで練習していては絶対に勝ち点を取れないと選手に伝え続けました。でも、勝ち点をとれるチームがどんなチームなのか、自分にはまだ想像がつきませんでした。

12月の末に、國學院大学に練習参加にいきました。他大学の練習を見るのは初めての経験でした。衝撃を受けたのを覚えています。選手全員が、練習中ずっと声をかけあっていました。普段東大野球部の練習を見ていない人はそんなの当たり前だろ、と思うかもしれませんが、それまでの東大野球部の練習は、驚くほど静かでした。東大野球部の選手は、みんな真面目で、練習中も自分の課題に淡々と向き合っているという特徴があります。それ自体はとても良いことですが、それではいつまでも個の集団であり続けてしまいます。1人で試合の重要局面を打破できるような実力を多くの人が持っていればそれで良いのですが、東大野球部はそうではないですし、横山が提示した「接戦を粘り勝つ」というTEAM2026のスタイルにも合いません。だからこそ自分は、それ以降選手たちに「外へのベクトル」を持つよう伝えるようになりました。簡単にいうと視野を広くして他人に目を向けろということです。接戦を粘り勝つには、守備ではミスを最小限に、打撃ではヒットを打たずとも走者を進める、点を取る力が必要です。特に試合の終盤はチーム全員で1点にこだわるメンタルが求められます。その時に、個の集団のままだと、1人のミスを誰もカバーすることなくどんどん崩れていってしまいます。全員が練習から他人に目を向け、チームとして戦うことを意識すれば、自分がヒットを打つかどうかではなく打線全体で点を取る、どこかでミスが出てもカバーする、次のプレーでミスを取り返して勝ちに繋げるという意識を全員が持つことができます。

勝ち点を取れるチームがどんなチームなのか、分かった気がしました。

チーフとしての姿勢、あるべきチームの姿が見えてからは、ひたすら練習とミーティングを繰り返しました。今年は堀部(4年/主将/内野手/県立船橋)をはじめ部門長も積極的にチーム運営に参加してくれたので、自分や堀部が1人で進めることはなく、どうすればチームがより良くなるのか、部門長会議で議論をしながら、部門長全員でチーム運営を進めることができました。

 

そこから今まで、TEAM2026は色んなことを経験してきました。年明けから目標にしていた開幕戦の勝利を逃しました。法政戦で勝ち点を獲得しました。春リーグが終わり、新たに勝ち点3を目標に据えました。夏のOP戦は苦しい敗北が続きました。一部の4年生が引退しました。遠軽合宿後の七大戦では優勝をすることができました。春リーグ以降目標にしていた秋の開幕戦で慶應に負けました。その後の明治戦も大敗しました。

 

 

全て見てきました。

自分は、OP戦も全て見てきたし、選手の練習も毎日見てきました。本岡、香川と3人でとてつもない数の会議をしました。この1年、TEAM2026のことをずっと見てきました。

だからこそ、自信を持って言えます。

TEAM2026は、この秋勝ち点3を獲得します。慶應明治に負けて、残りは3カード。1カードも落とすことはできません。でも、勝ち点を3つ取ります。

引退まで残り1ヶ月。チーフ学コとしての責務を全うし、勝ち点3を取って、最高の状態でTEAM2027に受け継ぎたいと思います。

 

 

 

 

両親へ
今まで、育ててくれてありがとう。自分は本当に手のかかる息子だったと思います。今でも世話が焼ける息子だと思います。でも、たまに会って、話すと、父さんと母さんどちらとも僕のことを愛してくれているのがとても伝わってきます。ありがとう。
実家を離れてもうすぐ3年が経つけど、あんなに離れたかった実家も、今では帰るのがとても楽しみです。2人と話すのが、とても楽しいです。
リーグ戦もほぼ毎試合見にきてくれてありがとう。春に勝ち点を取った時、2人ともとても喜んでくれて、それが一番嬉しかったです。秋、苦しい試合が続いているけれど、絶対喜ばせるから。まだまだ見にきて欲しいです。
2人の喜ぶ顔が、また見たいです。

 

妹へ
6つも年が離れているから、あまり真剣な会話はないけれど、自分を慕ってくれていること、ふとした瞬間に伝わってきます。いつもはお酒を作れだとか、調味料を台所から取ってこいだとか、雑な扱いをしているけれど、にも関わらず進路相談の時とかは自分を頼ってくれること、とても嬉しいです。まだまだ頼って欲しいです。いつでも、相談に乗ります。
たまにはリーグ戦も見に来てな。

 

岡田さん(R8卒)へ
一番お世話になった先輩です。普段はタメ口だけど、ここでは珍しく敬語を使わせて下さい。選手時代を振り返って一番楽しかった思い出は、岡田さんと明石と3人でポジ別をやっていた時期です。初心者なのにすぐ上手くなる明石と、一応経験者なのにミスしてばっかりの自分は色々気を遣って教えづらかったかもしれませんが、丁寧な指導のおかげでだんだんと上達していったのを覚えています。自分が入部した時から、杉浦さんはAで活躍していて、岡田さんはBで。その差は大きかったはずなのに、それと向き合って努力して杉浦さんに追いつこうとしている姿を見て、本当に尊敬していました。
2人とも学生コーチになってからは、お互い支え合っていた部分もあった気がします。寮の部屋で学コという立場への向き合い方について真剣に相談された時はとても嬉しかったです。自分にとって、あの1年間、岡田さんが大きな心の支えでした。本当にありがとうございました。今度また飯行こうな!!!

 

間島さん(R7卒)へ
たまにかけてきて下さる電話、とても嬉しいです。卒部して2年が経つのに、ゆうごをはじめ、自分の同期を未だに気にかけてくださって本当に嬉しいです。自分の同期が活躍する時、その瞬間を間島さんも見てくださっていたら、本当に嬉しいです。あいつらもとても喜ぶと思います。僕をはじめとした可愛い後輩たちを連れて、またご飯に連れてって下さい。

 

臼井さん(R8卒)へ
うはさんには本当にたくさんのことを教わりました。強豪校で野球をされてきた上に、人生経験も深いうはさんにとって、下手くそな自分は見てられない部分、人としてなっていない部分がたくさんあったかと思いますが、それでも可愛がっていただけたこと、今でも連絡して下さること、とても感謝しています。引退したらあのお店連れてって下さいね!

 

太幹さんへ
直属の先輩として、本当にたくさんのことを教わりました。自分も夏、同期に引退を告げました。少しは太幹さんの苦しみがわかったような気がします。自分は(今の香川と違って)やる気も能力も全く無い3年学コでしたから、本当に迷惑をかけたと思います。それでも、所々で引き継ぎのために色々なことを教えてくださって感謝しかありません。
太幹さんが1年間チームを背負ったように、自分も残りの1ヶ月、頑張りたいと思います。

 

数馬さんへ
自分が2年生の時、一緒にBチームを見ていた時期は本当に楽しかったです。学コになりたてで右も左もわからなかった自分にいろはを教えてくださったのは紛れもなく数馬さんです。数少ない数馬さんと仲の良い後輩の1人になれて、とても嬉しいです!

 

工藤さん(R8卒)へ
今でも頻繁に会いますね。最近は全然行ってないですが、またマックとココス行きましょう!即死するくらい食べますよ。

 

後輩キャッチャーズへ
一緒にポジ別をやった期間は2ヶ月くらいかな?その時から今でもずっと仲良くしてくれてとても嬉しいです。僕らは魂を分け合った仲なので、明石とまた飯に連れて行きます。 

大山(3年/捕手/ラ・サール)
真面目な性格だから、色々考え、悩んでいるのもわかっているつもりです。これからはいよいよ背負うものも大きくなるし不安も危機感も人一倍感じる方だと思います。そんな大山だからこそ、チームを良い方向に導けると思っています。去年の遠軽で僕に相談しながらロンTをしたのが地味に良い思い出です。またいつでも頼ってな。

深見(3年/捕手/サレジオ学院)
一緒に学コとしてベンチ入りしたのがだいぶ懐かしいです。その頃から、尊敬はせずとも変な先輩だなと思いながらついてきてくれているんだろうなと思ってます。けど、選手を辞める時に明石にだけ報告して自分には何も言わなかったのは流石に傷つきました。その顔は非常に魅力的だと思うけど、あまりに魅力的すぎて後輩が怖がっているので、もっと表情を柔らかくしような。

康平(松本康平/3年/捕手/栄光学園)
いつも冗談ばっか言っているけど、実は真面目で、本気で野球に取り組んでいること、流石に周りも気づいてます。必死に食らいついて遠軽にきたと思ったら、七大戦メンバーから漏れて本気で悔しがっている康平を素直に尊敬します。まだまだ頑張れよ!!

矢田貝(3年/学生トレーナー/日比谷)
弟よ!!引退を聞いた時は驚きました。新しい立場でも頑張ってチームを盛り上げてくれ!!

土ヶ端(3年/学生コーチ/城北)
俺のノックが下手なせいで色々背負わせて申し訳ないです。もういくらお前に払ったかわからないけど、引退したらまた飯連れてったる。

 

堀部へ
きっとチーム全員が、堀部こそがキャプテンにふさわしいと心から思っていると思います。堀部がこのTEAM2026のチーム運営を主導してくれて、部門長に働きかけ続けてくれて、だからこそこのチームはずっと良い方向へ進み続けられるんだと思います。キャプテン、ありがとう。これからも頼みます。

 

香川へ
本文にもあった通り、自分は香川から色々なことを学びました。先輩なのに頭が悪くて申し訳ないです。きっと香川は、俺に伝えていること以外にもたくさんのことを普段から考えているんだと思います。でも、自分の代ではないのだからと、遠慮して色々言いすぎないようにしてくれているんだと思います。本当に苦労をかけて申し訳ないです。香川がいたから、俺はチーフでい続けられました。香川がいたから、自分たちの準備、考えに自信と根拠と誇りを持って選手や監督方と接することができました。本当にありがとう。あと1ヶ月、よろしくお願いします。

 

同期へ
まずは、既に選手を引退した同期へ。
みんなの中には、僕のことを悪魔のように思っている人もいると思います。僕も、そうだと思います。自分は、みんなの頑張りを学生コーチとしてずっと見てきました。特に6,7月は、みんなが1回1回の出番に人生をかけた勝負だと思って臨んでいたのがすごく伝わってきたから、それに失礼のないように何度も本岡たちと議論をしました。だからこそ、引退を告げるという選択をしたことに後悔はありません。でもやっぱり、今まで頑張ってきてくれたみんなに、引退を告げるときは本当に胸が痛みました。大坂(4年/外野手/金沢泉丘)が4年部屋で泣いていた時、何も声をかけてあげられないのが、本当に辛かったです。香川が遠軽のBBQで藤尾(4年/内野手/岡山白陵)に感謝を伝えていた時、涙が止まらなかったです。2人とも、引退してすぐなのにチームのために合宿に来てくれて本当にありがとう。他のみんなも、引退してからもチームのために動いてくれて、本当にありがとう。心残りや後悔、様々な気持ちを抱えている人も多いかもしれないけれど、みんながチームの勝利を素直に喜んでくれたらいいなと、自分勝手に思っています。

次に、まだ戦っている同期へ。
本文にも書いた通り、選手を続けるというのは、それだけで苦しく、難しいことだと考えています。僕らの同期には、色々な選手がいます。
ずっとBチームにいながらも、存在感を放ち、最後の最後でリーグ戦への挑戦権を得た選手。
活躍できる才能を持ちながらも、怪我に苦しみ、思うような結果を得られなかった、今も得られていない選手。
新しいポジションに挑戦し、努力を重ねて今ではチームに欠かせない存在になった選手。
怪我に苦しみながらも、有り余る才能と根性を武器に結果を積み重ねている選手。
初期からずっと同期を実力で引っ張り、ひた向きな努力を重ねてチームの顔となった選手。

彼ら全員が、挫折を味わい、それでも折れることなく、逃げることなく、自分やチームと向き合い続けた人たちです。僕は、選手全員を尊敬しています。全体練に出ることもきつかった時期もあると思います。いつもやっている自主練をサボってしまいたくなる瞬間もあったと思います。活躍している同じポジションの人を羨み、その人の活躍を素直に喜べない自分に嫌気がさした時もあったと思います。それでも、なんとか耐えて、苦しい時期を乗り越えて、途中で選手をやめた自分には想像もつかないような苦労をして、選手を続けているんだと思います。本当に、すごいです。
みんななら、勝てると信じています。谷間の世代と言われても団結してチームを引っ張り、春に勝ち点を掴み取ったこの代なら、まだまだやれると思います。みんな、勝って終わろう。

 

最後に、本岡へ
本岡が学コに選ばれる話し合いで、自分はずっと本岡が転身することに反対していました。今でも、あの時の転身が正しかったのか、自分にはわからないです。もちろん、本岡は素晴らしい学生コーチです。とてつもない数の練習補助を頼まれて、それを毎日全部捌き切って。選手全員が本岡に感謝していると思います。東大野球部が強くなるのには欠かせない、とても素晴らしい学生コーチだと思います。けど、これは自分の勝手な憶測でしかないけれど、もしかしたら本岡は、転身する直前まで、なんなら転身してからも、選手としてプレーすることへの未練があったのではないかと思ってしまいます。今年の3月、Aの内野に怪我人が多く出て、本岡が選手に復帰し、学生コーチと兼任するかもしれない時期がありました。自分は、一度選手を辞める決断をしてくれたにも関わらず、中途半端な形で復帰させてしまうことに申し訳なさとやるせなさを感じていました。復帰が仮決定した数日間、自分が見た本岡はとても楽しそうに体のケアをしていました。かなり苦しい立場ではあるけれど、本岡が楽しそうにやれているのなら問題はないのかなとも思っていました。けれど、学年ミーティングを経て、監督方と本岡が直接話し、結局兼任はせず、元の通り学生コーチを専任すると決まった時、本岡は泣き崩れていました。自分は話し合いの場にはいなかったので、何の涙なのかはわかりません。単純に選手復帰の話が無くなったから泣いている、というわけではなかったと思います。けれど、岡林(4年/外野手/土佐)のぼくじんを読んでも、本岡にとって選手としてプレーするということはとても大きな意味を持つことなんだなと思いました。その時に、本岡が学生コーチをやっていることは、決して必然ではないんだなと感じました。自分の決断には、本文にも書いた通り、選手を続けるという選択肢から逃げた部分もあるのが事実です。けれど、本岡にとって、学生コーチになるという決断は、自分のそれよりも遥かに重く、決心の必要なものだったんだなと思います。そして、だからこそ、今本岡が隣にいてくれて、週に何回も香川と3人で会議をして、リーグ戦では一緒にベンチ入りして、試合開始前にはグータッチをできていることを、とても幸せに感じています。

もっちゃん、ずっとバッピを僕ら2人でしてきましたね。今は2人とも投げ過ぎの満身創痍で、他の人たちにも助けてもらっているけれど、長崎日大の室内で5時間ずっと2人で投げ続けたのは、とても良い思い出です。
いつもありがとう。今までありがとう。これからも、よろしく。

 

次回は江口直希投手(4年/海城)です。僕は捕手時代、彼の球が速過ぎて捕れずに勝手に気まずくなっていました。虫と釣りが好きで少年のような一面を持ちながらも、投手長として投手陣を引っ張り、リーグ戦でも快速球を披露しています。そんな江口のぼくじんに期待は高まるばかりです!

 

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次回は9/29(火)、江口直希投手を予定しております。