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『僕の野球人生』vol.5 小村 旺輔 内野手

この企画では、ラストシーズンを迎えた4年生に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。
※リーグ戦日程の変更により、投稿予定を変更しております。

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『僕の野球人生』vol.5 小村 旺輔 内野手(4年/私立武蔵)

 東大野球部料理長こと山口周平くん(4年/投手/三重)からバトンを受けました小村旺輔です。
山口くんがチームで一番イケメンかどうかのご判断は読者の皆様にお任せしますが、何はともあれ、この秋は彼がリーグ戦のマウンドで他大学の猛者たちを料理するところが見たいですね。

 

 

引退が1ヶ月後に迫り、受験生から大学4年、
『僕の野球人生』も読む側から書く側となりました。

「僕はなぜここまで野球を続けてきたのだろうか?」

そんなことを考えながら今までの僕の野球人生を振り返ってみました。
最後までお付き合いいただけたら幸いです。

 

 野球と出会ったのは3歳の時でした。父の転勤で兵庫県西宮市(阪神タイガースの熱狂的な地元)に引っ越した僕はすべからく熱狂的な阪神ファンとなり、野球中継を観ながらメガホンを叩いて阪神を応援する日々を過ごしました。初めて買ってもらったグラブは久保田スラッガーで、同じメーカーを使用する鳥谷敬選手の守備に憧れ、壁当てをしてはファインプレーの練習を繰り返していました。平日の放課後は公園で友達と野球をし、週末は父に野球の相手をしてもらう根っからの野球小僧でした。ただ、ビビりがちな性格は昔からで、チームに入るのはなんとなく怖いなと思っており、地元の甲武ライオンズに入団したのは小2の秋でした。甲武ライオンズの練習は一日中ありハードだった記憶ですが、田尾本コーチをはじめとする方々から僕は野球の楽しさを目いっぱいに教わりました。

 甲武ライオンズに在籍して半年ほどたった小三の春、東京に引っ越すことになり、杉一野球クラブに入団しました。通っていた学校とは別の小学校のチームに加入するような逆張りキッズでしたが、そんな僕を温かく迎え入れてくれたチームメイト、保護者の方々、監督、コーチには今でも感謝しています。低学年の頃初めて行った練習試合ではピッチャーゴロがランニングホームランになってしまったり、公式戦でストライクが入らず1個上のエースがマウンド上で泣き出してしまったりと、決して強いチームではありませんでした。そんなこんなで4年生になると高学年の試合にも出していただく機会が増えました。英監督から教わる野球は初めて聞く内容ばかりで、自分が上達していくことを実感し、ワクワクが止まりませんでした。チームとしても少しずつ勝てるようになっていき、極寒だった上部大会で2勝できたことは良い思い出です。

 

 

 

 ただ、東京に引っ越してから、周囲に野球をやる友人も少なければ野球ができる公園も家の近くに無く、兵庫にいた頃よりも野球に対する熱量が落ちたことに、自分でも薄々気づき始めていました。登校前に小一時間隣に住む祖父と練習する日々を過ごしつつも、同じ区にも自分より上手い選手が何人かいて、子供ながらに「自分は野球で生きていくわけではないんだな」と感じていました。中学受験の塾が楽しかったこともあり、6年生の途中で少年野球は一旦休部し、受験に専念しました。

 中学受験を経て私立武蔵中学に入学し、そのまま学校の野球部に入部しました。中学硬式のチームの体験にも行きましたがここでもビビりがちな性格は健在で、硬式でやっていく自信がなかったので入りませんでした。武蔵中野球部は平日の練習は週2日、土日の活動はないこともしばしばというなんとも中高一貫校の中学野球部らしい緩い部活でした。当時から体の小さかった僕は打席に立ってもポップフライの連続で全くと言っていいほど打てず、あまり野球に対して熱量を持っていませんでした。中学時代は学校で飼育しているやぎの世話をする『やぎの研究』という団体に所属しており、ボールと戯れた時間よりやぎと戯れていた時間のほうが長かったのではないかと思います。

そんな中学時代でも、OBのコーチの方が授けてくださったギャンブルgoやワンバック、ブルドッグ牽制といった中学軟式にしてはませた作戦を武器に区民大会で優勝し、私学大会でもベスト4という成績を残せたことは良い思い出です。(※僕は夏に腰を疲労骨折し三塁コーチャーをしていただけでしたが)

 中高一貫校なのでそのまま武蔵高校に進学し、中学時代の最後に怪我をして満足にプレーできなかった悔しさを晴らそうとコロナによる休校期間も自主練習に励みました。その甲斐あってか、1年夏からセカンドのレギュラーとして使っていただき、秋からはショートで起用していただきました。

当時は緊急事態宣言が発出されて部活動が停止されることもしばしばでした。「もっと野球がしたい」そんな漠然とした不完全燃焼感を抱えながら過ごしていた中で、転機が訪れたのは1年の冬でした。ひょんなことから早稲田大学の中川卓也さん(R5卒)にお会いする機会に恵まれました。といってもその時は有名な方に会えて嬉しいくらいにしか思っていませんでしたが、2021年春季リーグ戦 東大対早大 2回戦 配信で観た神宮のマウンドには、中川さんや蛭間さん(早稲田大学/R5卒)擁する早稲田打線を手玉に取る高校OBの小宗さん(R4卒)の姿がありました。

僕はその日、「高校時代には自分が足元にも及ばなかったような野球エリートたちと神宮という舞台で対等に渡り合える」という東大野球部の最大の魅力を知りました。その魅力に取り憑かれた僕にとって「東大入試」は “東京大学に入学するための試験” ではなく “東大野球部に入るための試験” になりました。高校の監督に「東大で野球がしたい」という思いを伝えると、

「ただ行って試合に出るだけじゃダメだ、東大を勝たせる選手になれ」

という言葉をいただきました。

バッティングや内野守備の技術指導、ウエイトなどこの時武蔵で教わった野球が今の自分の野球の基礎になっています。2年の夏からはピッチャーもやるようになり、自分たちの代になってからは先発も務めるようになりました。と言うと責任感が芽生え始めた頃のように思えますが、僕は自分勝手な性格なので、登板しているときに野手がエラーすると思うままにブチギレていたし、部活と勉強の両立に悩む同期の相談には特に興味がなくキャプテンに丸投げしていました。高校野球部の同期と後輩のみんなには申し訳なく思っています。
それでも、自分たちの代はそこそこ強い方で(※武蔵比)、数十年ぶりに秋大の本戦に出場したり、2年連続で夏大で勝ったり、ある程度充実感のある高校野球生活でした。最後の試合も2本の二塁打を含む3安打を放ち、満足感を抱きながら高校野球を引退しました。
部活を引退した後は受験勉強に切り替え、学校をサボって神宮に秋の開幕戦を見に行ったり、配信でリーグ戦を観たりしてモチベーションを維持しながら受験勉強に励みました。

 

 晴れて現役で東大に合格し、野球部に入部しました。まだ全体練習が始まる前、サーオリで野球部のブースに行くと、目がキマった堀部くん(4年/主将/内野手/県立船橋)という青年と出会いました。堀部くんとはその後2時間くらい東大野球部への想いを駒場のベンチで語り合いました。「こんなにアツい奴がいるんだ」と嬉しくなりましたが、よくよく思い返してみれば9:1で堀部が話しており、「語り合った」というより「語りかけられた」という方が正しいかもしれません。この学年で最初に堀部の話の長さに気づいたのはおそらく僕です。
開幕戦の日のメンバー外BTで「ボール回収は喋って適当に時間潰しとけば良いんだよ〜」と言っていた先輩が翌日の2回戦で勝ち越しタイムリーかというセンターへの大飛球を放っていました。「この先輩あまり上手くなさそうだな」と思いながら前日話していたので、びっくりした記憶があります。大原さん(R8卒)ごめんなさい。
そんな熱い思いを持つ同期や圧倒的な技量を持つ先輩方と一緒に練習する日々は充実したもので、毎日がとても楽しく、あっという間に過ぎていったような気がします。高校時代から少し自信を持っていた守備は東大野球部でもある程度通用し、1年春のフレッシュから守備固め要員としてベンチに入れていただきました。結局そのフレッシュでは出場機会はなかったものの、春リーグ戦のオフ明けにAチームに昇格しました。そこから遠軽合宿、七大戦を経て、秋リーグの開幕戦で初めてのベンチ入りを果たしました。
一年前、自分が受験生として観に来ていた開幕戦のベンチに入っている、現実味のない不思議な気分でした。

 

明治2回戦、セカンドの守備固めでリーグ戦デビュー。最初のバッターは上田希由翔さん(明治大学/R6卒)で「終わった、マジで飛んでくるな」とか思っていたらライトライナーで、ホッとしたのも束の間、次のバッターで初めての打球が飛んできました。ガチガチに緊張しながらもなんとか捌きました。9回には打席にも立ちました。初めての打席では『不死鳥の如く』が流れていました。応援の太鼓に合わせて自分の心臓まで揺れるように感じた高揚感のなか無我夢中で振り抜いたバットに当たった打球はライナー性でサードのグラブに綺麗に吸い込まれました。

 そんな僕には忘れられない試合があります。2年春の早稲田1回戦です。
内野に怪我人が続出する中、空き週のOP戦でヒットを放ってアピールに成功した僕は9番ショートで初のスタメン出場を果たします。

2回表2死1,2塁で三遊間に飛んできた打球をスライディングキャッチ、
3塁に送球するも引っ掛けて悪送球、先制点を献上。
5回表2死2塁で二遊間に飛んだ打球を1塁の遥か彼方に暴投。

 

その後は覚えていません。
 
延々とコンバットマーチが鳴り響き、帰りのバスのミーティングでは監督に「授業料だ」という慰めの言葉を頂戴する始末でした。苦しいチーム事情の中で起用に応えられず、また先発だった平田さん(R7卒)をはじめとする先輩方に迷惑をかけてしまい申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
2個目のエラーで自分の送球が一塁側のスタンドのネットに突き刺さった時の光景は脳裏に焼き付いていて、直後のスタンドからの溜め息は今でも鼓膜にこびりついています。

 

ただ、監督の言葉通りこの「授業料」から大きな学びを得たことも確かでした。
どうすればあのリーグ戦の雰囲気の中でいつも通りのパフォーマンスを発揮できるのか、もう二度とあんな悔しく、惨めな思いをせずに済むのかを考えて夏の間ひたすら練習しました。

 

そうして迎えた2年秋のシーズンでは明治戦からスタメンで使っていただき、初ヒットを放つことができ、守備でも安定したパフォーマンスを発揮することができました。特に勝利した慶應2回戦では自分が出場して勝った試合が初めてで嬉しかったのはさることながら、淡青色に染まった観客席から降り注ぐ拍手に心から感動したのを覚えています。結局、このシーズンでチームは2勝を挙げ、来年こそは自分が勝ち点獲得に貢献するぞと意気込んでオフシーズンに突入します。この時はまだ3年生のシーズンで長く苦しい暗闇が待っているとは知る由もありませんでした。

 

 冬の間、ずっと大原さんと一緒に自主練をしました。ただ、向う見ずに量だけをこなすことが目的化した自主練によって前のシーズンのリーグ戦で全く通用しなかった僕のバッティングに本質的な改善がなされることはなく、春のオープン戦では全くヒットが出ませんでした。また、守備でも神宮の舞台で守ったという自信は一冬を超えて慢心へと変わり、オープン戦の開幕から2試合連続でのタイムリーエラーを犯しました(佐伯(4年/投手/渋谷幕張)ごめん)。そんな打てない、守れない選手に神宮の舞台に立つ25人に選ばれる資格はなく、春のリーグ戦ではベンチを外れることもしばしばでした。

 

  そうして春リーグを終え、危機感を抱いた僕は自分の取り組みを見直します。

体の機能面から見つめ直し、毎朝全体の集合よりも早く球場に行き、ストレッチなど練習に向けた準備をしました。午前練後も球場に行き、佑太郎さん(R4卒)に教えていただいたドリルに取り組み、石井さん(R8卒)に際限なくバッピをしていただき、際限なくノックを打っていただきました。一年を通して自主練に付き合っていただいた石井さんには頭が上がりません。こうした取り組みもあり、3年生の夏はそれまでで一番好調なシーズンでした。

 

確かな手応えを感じつつ迎えた秋の開幕戦、スタメンに僕の名前はありませんでした。

 
未熟な僕はチームに不満を抱き、それを隠そうとしませんでした。

 

当時の4年生、特にずっと練習に付き合ってくださった石井さんには本当に申し訳なく思っています。このシーズン、チームは2勝を挙げましたが、自分は出場しませんでした。
 

勝ち試合で自分が出られなかったことが悔しくてたまりませんでした。
そこにチームが勝ったことへの喜びはほとんどありませんでした。

 

試合が終わり、神宮を出発する時、バスを囲む人々の祝福はチームの勝利を素直に喜べない自分に向けられたものではないような気がして、バスのカーテンを閉めました。




そんな中、府川さん(R7卒)がご飯に連れて行ってくださいました。出場機会が少ないことに不満を漏らす僕に府川さんはこう言いました。

「リーグ戦に出ることが目的化していないか?出て活躍しないと意味がない」と。

ハッとしました。それまでの僕はチーム内の競争を勝ち抜き、リーグ戦にスタメンで出ることしか考えられていませんでした。神宮で他大学の選手相手にどう渡り合うかといったビジョンを何一つ持ち合わせていませんでした。
 
「ただ行って試合に出るだけじゃダメだ、東大を勝たせる選手になれ」
 
高校時代の指導者の方がおっしゃっていたこの言葉を忘れ、目の前の競争で一杯一杯になっていました。自分が使われなかったのは偏に自分の実力不足でした。そんなことも分からず、子供じみた狭い視野でチームに不満を抱いていた自分の未熟さを恥じました。
 
 結局3年秋は2試合の出場に留まりました。

「東大を勝たせる選手になれ」

 

この言葉を胸に、自分のプレーが神宮で通用するかだけを基準に日々の練習に取り組みました。
年末に就活は辞め、全てをラストイヤーに賭けました。

 

4年春、勝ち点獲得。ベストナイン。

 もがき続けた暗闇の先には、未だ嘗てない歓喜とそれまでの努力に報いるに相応しい至高の勲章が待ち受けていました。

 特に、法政戦での勝ち点獲得は「東大を勝たせる選手」に自分が少しだけ近づけた気がして嬉しかったと同時に、途轍もなく大きな達成感を味わいました。

 春のリーグ戦が終わり、チームは秋季リーグ戦での勝ち点3を目指して再び走り出しました。雨の多い夏が過ぎ、秋季リーグ戦では3試合を終えましたが、チームとして苦しい試合が続いており、自分自身も全く結果を残すことができていません。ですが、残された試合で僕はチームのために文字通り全力を尽くす所存です。

 

 この一年は「結果がすべて」だと思ってやってきました。

 

この3試合全く結果を残せていないやつが何を言っているんだという話ですが、個人として良い成績を残せなければそれは不正解だし、チームとしても結果を残せなければ意味がないと思っていました。だからこそ春に勝ち点を取れたことは心の底から嬉しかったです。たとえ1エラー、1凡退だとしてもそれについて周囲から何か言われたり、思われたりするようなことがあれば全て自分が悪い。そう思われないようにするには自分が結果を残し続けるしかないし、そのために自分の中で最善の準備を尽くしてきたつもりです。(もちろん自分の中では最善の準備であっても、周りから見ればそうではないこともあったかもしれませんが、)

 

ただその一方で、「結果は自分ではコントロールできない」こともまた事実です。
だから、気にしてもしょうがないと思うようにもなりました。

 

「結果がすべて」と言っておきながらそれを気にしてもしょうがないというのはなんだか矛盾している気がしていますが、結果に拘りがないわけではありません。もちろんプレー中は最善の結果を求めてプレーします。
ですが、「結果は自分ではコントロールできない」ものなので「上手くいかなかったらどうしよう」と考えてビクビクすることや、ミスを犯したことに関してクヨクヨすることはプレーに悪影響をもたらすし、時間の無駄でしかないということです。

 

あくまで自分がコントロールできるのは「結果」ではなく、「それまでの準備」であり、準備の段階でどれだけ自分がいい結果を残せる確率を高められるか、どれだけ自分の実力をリーグ戦で通用するレベルに近づけられるかということに尽きると考えるようになりました。

 

これに気づいてから以前よりも落ち着いて試合に向かうことができるようになった気がします。もちろん緊張しないというわけではなく、今でもリーグ戦の第二試合の前にはご飯を無理やり喉の奥に押し込むくらいには緊張します。ですが、結局のところ結果は自分の実力を映す鏡なので上手くいけば準備が良かった、そうでなければ自分の実力不足、練習して自分の実力を高め、また次に向けてしっかり準備するのみです。

 

この考え方にもう少し早く気付けたら良かったなとは思いますが、今まで散々遠回りしてきたからこそ気付けたのかなとも思いますし、引退が近づいてきて良い意味で開き直っている部分があるからかもしれません。

 

 だから僕は今日、明日の明治戦のために最善の準備をします。最高の準備をして神宮に向かい、チームのために全力でプレーする、僕にできるのはそれだけです。

  

  

 僕は「野球中毒」です。

 
それが、僕が今日まで野球を続けてきた理由です。

 

小学生の頃、毎日のように公園でボールを追いかけていた頃から、引退を目前に控えた今まで、野球を続けてきた僕の根底にあるのは「もっと野球がしたい」、「もっと上手くなりたい」というシンプルな感情だった気がします。そこには義務感も責任感もなければ、好きも嫌いもない、感情の向こう側にある衝動じみた何かがあるように思います。

 

僕は野球が下手くそなので、結果が出ず、思うようにならない時があります。上手くいかないとイライラするし、結果が出ないと悔しくて堪らないです。リーグ戦前には緊張で押し潰されそうになる時もあります。

 

それでも試合でヒットを打った時、ファインプレーをした時の球場全体がドッと湧く感じ、
あの高揚感がたまらなくて、
あの何物にも変え難い快感をもっともっと、もっと味わいたくて野球を続けてきました。
そのような意味で僕はやはり野球に中毒的に取り憑かれてしまっているのかもしれません。

 

僕をいつの日からかここまで重度の「野球中毒者」に育ててくださった
僕の野球人生に関わってくださったすべての指導者の方々に、
この場をお借りして感謝申し上げます。

 

そして、今までの人生でどんな時も僕のそばにいてくれた
「野球」というスポーツに、
「ありがとう」と伝えたいです。

 

最近まだまだ野球が上手くなれそうだと思うようになってきました。
自分でも理由はよくわかりませんが、引退が間近に迫ってきたからかもしれません。
でも一旦野球とはお別れしようと思います。またどこかで逢えることを願って。

 

お世話になった方々へ

 

甲武ライオンズ 田尾本コーチへ
 僕に野球の楽しさを教えてくださりありがとうございました。甲武の野球が僕の原点です。引退したらご挨拶に伺わせてください。

 

杉一野球クラブ 英さん、池田さんをはじめとするコーチの方々
 杉一では多くのコーチの方々にお世話になりました。ありがとうございました。
英さんに野球を教えてもらうのが毎週楽しみで仕方なかったです。リーグ戦にも足を運んでくださりありがとうございます。池田さんには時々泣かされながら練習した記憶がありますが、今では良い思い出です。(現在は筑駒で監督をされていて怒っているところを見たことがないという話を慎士郎(中根/2年/投手/筑波大駒場)から聞いて驚きました笑)

 

武蔵中学野球部 高野橋先生、大橋さん
 高野橋先生にリーグ戦でのプレーを褒めていただいた時とても嬉しかったです。大橋さんに教えていただいた秘策が試合で決まった時は気持ちよかったです。大橋さんのもとでやる野球は楽しかったです。ありがとうございました。

 

武蔵高校野球部 小池さん、石井さん、米澤さん、石渡さん、石橋さん、板橋さん
 自分に高校野球を教えてくださりありがとうございました。武蔵で教わった野球が今の自分の礎になっています。残りのシーズン、「東大を勝たせる選手」になれるように頑張ります。

 

応援部のみなさん
 どんな状況でも応援してくれて本当にありがとうございます。打席に入る前に応援が聞こえると、武者震いするし、「自分一人じゃないんだ、みんながいる」と感じられて心強いです。チア曲に乗りながら守る5回の守備はめちゃくちゃ楽しいし、応援を聞くだけで緊張がほぐれます。また勝ち点とって祝勝会しよう。

 

大久保監督、石井助監督
 下級生の頃から起用していただきありがとうございました。監督助監督のご期待に応えられたことの方が少なかったとは思いますが、残る試合も全力を尽くします。

 

荒井さん、栗山さん
 荒井さんにはたくさんトスをあげていいただき、特打もしていただきました。打球と荒井さんは僕の師匠です。ありがとうございました。Discordで栗山さんにスイングを褒めていただけると嬉しかったです。ありがとうございました。

 

府川さん
 あの時、自分を叱ってくださりありがとうございました。府川さんが自分の未熟さを気付かせてくださったからこそ今の自分があります。引退したらまた暴飲暴食連れていってください。

 

杉浦さん(R8卒)
 自分が4年生になってやっと「似たもの同士」の意味がわかった気がします。朝、誰よりも早く球場に来て黙々と練習に向けて準備をし、リーグ戦の前には誰よりもビデオを観て対戦相手の特徴を徹底的に頭に叩き込む。そして神宮の舞台ではチームの先頭に立って戦い、結果を残してチームを引っ張る。徹底した準備と結果に貪欲に拘る姿勢を杉浦さんの背中から学びました。ありがとうございました。去年の秋、骨折した杉浦さんとリーグ戦期間中なのにバカみたいに筋トレしたおかげで強くなれました。ありがとうございました。

 

大原さん
 たくさん可愛がってくださり、一緒に練習してくださりありがとうございました。春のリーグ戦期間中、一緒に授業を受けている時がいい息抜きの時間でした。Aセメも同じ授業取りましょう笑

 

石井さん
 自分が3年生の頃どんな時も一緒に練習してくださりありがとうございました。去年の一年間が自分の中での土台になっています。チームを良くしようと尽力されていた石井さんに自分の不満をぶつけてしまい申し訳ありませんでした。来月のmiletのライブ楽しみにしています。

 

同期のみんな
 4年間ありがとう。扱いづらいやつでたくさん迷惑をかけたこともあったと思います。申し訳ないです。普段はそれぞれバラバラな感じなのにいざとなったら意外と(?)まとまりのあるこの代で良かったと思っています。4年生になってからはチームを引っ張っていくみんなに助けられてばかりでした。ありがとう。

 

堀部へ
 4年間試合前にキャッチボールしてくれてありがとう。特に4年生の時はキャプテンとして調子が良い時もそうでない時も常にチームのことを考えて明るく振る舞って引っ張ってくれてありがとう。べさんがキャプテンでよかったです。

 

本岡(4年/学生コーチ/基町)
 いっぱいバッピしてくれてノックも打ってくれてありがとう。春にベストナイン取れたのはもっちゃんのおかげです。春先に俺が怪我したせいで迷惑かけてごめん。特守で下級生内野手の守備も見てもらってもっちゃんには助けられてばかりです。本当にありがとう。

 このほかにも僕たち選手が練習やOP戦をしたり、リーグ戦を戦うにあたって様々な面でサポートしてくれた学生コーチ、マネージャー、アナリスト、学生トレーナーのみんな本当にありがとう。

 

慶斗(荒井慶斗/3年/外野手/宇都宮)
 恵まれた体で身体能力も高くて羨ましい限りです。慶斗が誰よりも練習していることをみんな知っているので気負わなくて大丈夫。来年も自分の道を突き進んでください。
早く怪我治して試合前に秋元(3年/内野手/市川)と3人でグータッチしようね。

 

秋元、樋口(3年/内野手/海城)
 リーグ戦で守っている時に隣にいる君たちは頼もしい限りです。この一年は内野手長としても君たちにいろいろ相談して助けてもらいました。ありがとう。来年はもっと良い内野陣が目指せると思うので頑張ってね。

 

直人(高橋直人/3年/投手/日比谷)
 慶應2回戦のサードフライはごめん。怪我で苦しい時間が長かったと思うけど、今季は元気に投げていて嬉しいです。来年はTakeの広告塔として更なる活躍期待しています。

 

佑太郎さんへ
 2年生の頃から本当にお世話になりました。佑太郎さんのご指導がなければ僕は間違いなくここまで来ることはできませんでした。本当にありがとうございました。後輩たちをよろしくお願いします。

 

REAL FORMの竹内さんへ
 あの時、中川さんに会わせてくださってありがとうございました。あの出会いがなければ僕は大学で野球を続けていなかったかもしれません。CAWSのグラブのおかげで捕れた打球ばかりです。ありがとうございました。

 

櫻井さん、マリントリートメント菊地さん
 お二人の施術のおかげでリーグ戦を戦うことができています。引退まで引き続きよろしくお願いします。櫻井さん、引退したら櫻井さんのご飯食べさせてください!

 

ファンの皆さんへ
 どんな時も温かい声援を送ってくださりありがとうございます。これだけ多くの人に応援していただける自分は幸せ者です。今季も、そして来年も再来年もその先も東大野球部の応援よろしくお願いします。

 

家族へ
父へ
 小さい頃、せっかくの週末なのに「野球しよう」とせびり続ける息子で申し訳なかったです。でもお父さん(とおじいちゃん)とのキャッチボールが今の僕のスローイングを形作っていると思います。たくさん練習に付き合ってくれてありがとう。大学まで何不自由なく野球をさせてくれて、就留を許してくれてありがとう。残る試合も応援よろしくお願いします。

母へ
 少年野球の当番、お弁当、洗濯等をはじめたくさん負担をかけたと思います。サポートしてくれてありがとう。大学の途中からはリーグ戦だけでなくOP戦までほぼ全て観に来てくれてありがとう。オフ前に実家に帰って家のご飯を食べるのが一番落ち着きます。

妹へ
 小さい頃から我儘な兄のせいで色々振り回されてしまったと思う。申し訳ないです。高校野球のマネージャーをやると聞いた時は驚いたのと少し申し訳ないのと嬉しいのでよくわからない感情でした。でも最後の夏大の試合を見せてもらって、チームの一員として戦っていて兄として嬉しかったのと誇らしい気持ちになりました。これからもよろしく。

家族にはここでは書ききれないほど支えてもらったので、引退したらまた改めて感謝を直接伝えさせてください。一生かかっても返しきれないほどの恩があるような気がしますが、これから恩返しします。

 

 ここまでお付き合いくださりありがとうございました。
次回はおっとりした雰囲気から繰り出される豪快スイングが魅力、「おじい」の愛称で後輩からも慕われている藤尾俊輔くん(4年/内野手/岡山白陵)です。含蓄に富んだ文章に乞うご期待。

 

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次回は9/23(水)、藤尾俊輔内野手を予定しております。