『僕の野球人生』vol.7 岡林 勇直 外野手
この企画では、ラストシーズンを迎えた4年生に1人ずつ、今までの野球人生を振り返ってもらいます。
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『僕の野球人生』vol.7 岡林 勇直 外野手(4年/土佐)



好きだから。楽しいから。
野球をやる理由なんて、それ以外なかった。
東大野球部のおじいちゃんこと藤尾(4年/内野手/岡山白陵)からバトンを受け取りました、土佐犬の岡林勇直です。残念ながら土佐への愛情はあまりありません。文章を書くことも読むこともほぼなく、かなり稚拙なものとなっておりますので、読む方は覚悟をもって読むことをお勧めいたします。
入学式が終わってすぐサッカー部の見学に行った。近所のお兄ちゃんのユニフォーム姿はかっこよかったが、あまり興味は湧かず、家でゲームをする生活は特に変わらなかった。 ある時から、休日の朝に小さな白いボールを投げ始めていた。このスポーツの何が楽しいかわからなかった。体にボールが当たったら痛いし、バットを振っても全くボールは当たらないし、何よりキャッチボールで相手が暴投した球を取りに行くのは苦痛で仕方がなかった。嫌すぎて監督に「もう帰ります」と言って練習が終わる前に帰ったこともよくあった。甲子園に土佐高校の試合を見に行ってもフランクフルトにしか興味がなかった。面白くもなんともなかった。
小3の夏、先輩たちの最後の大会があった。いつものようにベンチから試合を眺めていたが、そこでの光景は衝撃的だった。早々に点を取られても必死に食らいつき、粘り続けた後終盤に来たワンチャンスをものにして逆転する。そんな試合が何試合も続いた。野球を面白いと思った。こんな高揚感は生まれて初めてだった。
家に土佐高校の甲子園の録画があった。切り抜かれる全力疾走、優勝校相手に最後まで諦めずに戦う姿に心打たれてしまった。その試合は一時期全打者の打席結果が言えるようになるまで見たし、そこから甲子園を見るのが毎年の楽しみになっていた。
先輩がいなくなって深刻な人数不足になったため自分も試合に出るようになった。すでに野球の楽しさは知っていたこと、またチームの雰囲気が自分に合っていたこともありとても楽しい日々を過ごしていた。ただ、実力は全然で自分の打球は内野どころかピッチャー以外に飛ぶことがほぼなかった。
俺もみんなみたいにかっこいいヒット打ちたい!
新チームになって1年近く経っていたある日の第一打席。初球を振り抜くと手には今までに感じたことのない柔らかい感触が広がり、全身を電流がほとばしるような感覚に襲われた。打球はライトの前に飛んでいた。とても言葉では表せない感情だった。まさに野球にハマる瞬間だった。
それ以降も楽しい日々が続いた。アメリカンノックに保護者総動員での半日ノック、岡村さんからのアドバイスの後に打ったセンターライナー、平のお父さんに「そんなへなちょこスイングで打てるか!」と言われた直後に打った左中間ツーベース、4者連続フォアボールからのピッチャーゴロ悪送球で幕を閉じた最初で最後のマウンド、最上級生になってからの大覚醒、辛いこともあったのだろうがそんなことより楽しい思い出の方が多かった。本当に恵まれた環境だった。そしてなぜだか、この時点で学生のうちは野球をすることを決めていた。なぜそんなことを考えていたのかは謎だが奇しくもこれが自分の後の人生の指針になっていた。
中学でも迷わず野球部に入った。愉快なメンバーにも恵まれ楽しい日々を過ごすことは変わりなかった。ただ、同じぐらいの実力の人が何人もいたにも関わらず自分が常にスタメンなことには少し違和感を覚えていた。自分は親の七光だと思い卑屈になっていた。自分の親は土佐中学・高等学校野球界隈での地位が高く、現役時代も甲子園でクリーンナップを打っていたため、自分は過大評価を受けているのだと考えていた。だから、自分のエラーで先輩の最後の試合を壊した時も、33打席連続ノーヒットなのにスタメンだった時も、「お前がスタメンなのに不満なやつもそらおるんやぞ」って言われた時も、俺を使う方が悪いんだとしか思っていなかった。謝罪の1つもできなかった。情けないやつだ。
しかし、当の本人は無神経なため何食わぬ顔で楽しく過ごしていた。盗塁にハマって研究を重ねたこと、バックホームでキャッチャーフライ防球ネットに何度も乗せたこと、バット投げの練習をし過ぎてセカンドゴロでバット投げを披露したこと、打てなくてイライラしながらベンチに帰ったらりんたに「一塁までは走ろうぜ」と言われたこと、なんだかんだで楽しい日々だった。最後の試合でりんたの代打で出たのに凡退したこと以外心残りもなかった。
高校でも迷わず野球部に入った。プライベートでもよく遊んだメンバーはみんな他の部活に行ったが全く迷うことはなかった。野球が好きだった。
ただ、この頃から上手くなりたいという向上心が自分の中からなくなりつつあった。中学で結果が出せなかったこともあり、頑張ることから逃げたい、結果が出ないことに苦しみたくないという思いが無自覚ではあるがあったのだろう。それもあってか、高校の時は試合に出る、出ないで喜怒哀楽が生じることはなかった。試合に出るたびに外野でエラーをして監督に怒られても、悔しさは湧いてこなかった。祥英の代わりに森木大智(現サンディエゴ・パドレス傘下)と対戦したときも、特に嬉しさとかはなく、コンタクトつけてないのミスやなあとか考えていた。調子が良くてレギュラーが取れそうな時に全治半年の大怪我をしても、ネガティブな感情は何一つ湧いてこなかった。遊ぶ時間が増えてラッキーとまで思っていた。高知高校にあと一歩のところでサヨナラ負けしてみんなが号泣しているときも、涙一つ出てこなかった。春季大会でタイブレークの送りバントを失敗するというど戦犯をかまして負けた時も、感情は動かなかった。謝罪の1つもしなかった。大好きだった甲子園の舞台を狙える唯一のチャンスだったのに、野球を頑張る理由にはならなかった。
とはいえやっぱり野球部での日々は楽しかった。冬休みに午前中丸々ノックを受け続けたこと、ロングティーでピッチャーゴロみたいな打球を連発したこと、「下からかちあげる感じで打ってよ」と奥村に言われた直後にフェン直を打ったこと、みうランでカゴを蹴飛ばして直す際にレースの距離を縮めたこと、「レフト暇そうやでえ」とよしあきに言われた直後にレフト前を打ったこと、セフティバントにハマって決めまくったこと、談笑したり競い合ったりしながらランニングをしたこと、バッピが嫌でキャッチャーに志願しまくったこと、やっぱり楽しかったし面白かった。最後の夏が終わったときも何一つ後悔はなかった。
持ち前の運の良さで現役で大学に入れた。迷わず硬式野球部に入った。しかし、大学は中学、高校とは訳が違ってサークルでも部活でも他に野球ができる環境はいくらでもあった。それでもこの部活に入った。もちろん、周りの人にやるならガチなとこだろとか言われたり、名だたる強豪校出身のエリート選手たちと試合ができることに魅力を感じたりした部分があったのは間違いない。でも、結局1番の理由は小学生のときに学生のうちはやると決めた時の自分のイメージが硬式野球部だったからだった。
とはいえ中学高校でレギュラーを取れなかった自分がそう上手くいくとは思っていなかった。予想通りだった。先輩方のバッティング練習は凄まじかったし、同期で見ても千葉県民で盛り上がっている中抜け出して端っこでストレッチをする自分に話しかけに来るというthe主人公の堀部(4年/主将/内野手/県立船橋)、フリーバッティングで5球連続カチ込む門田(4年/副将/内野手/松山東)、走攻守顔全て完璧な小村(4年/内野手/私立武蔵)、外野シートでレーザービームを連発する伊藤(4年/外野手/県立千葉)、センスしかないバッティングを披露する宥悟(鈴木/4年/外野手/浅野)と春山(4年/内野手/昭和学院秀英)、他のメンバーを見ても流石大学野球といったレベルだった。予想通り過ぎて驚きもしなかった。
だが、明確に驚いたことが1つあった。自主練習の多さだった。夜21時を過ぎても球場で誰かが練習している、それを同期に話しても何も驚かれないし、なんならみんな自主練したいと言っている。これには流石に驚いた。4月の最初に門田から「なるべく人がいない今のうちに一緒に練習しない?」と言われたときはドン引きしてしまった。
ここまでガチだなんて。そして、こんなにも野球が好きな人たちがいるなんて。どうやら入る場所を間違えたようだ。
といっても1度入った手前辞めるなんてしないし、幸いそんな環境だから全体練習はさほど長くないし、なんやかんやで楽しんでいた。勉強は嫌いだから授業の代わりに全体練習に出て、終わったら即帰ってアニメやゲーム、友達と通話など他の趣味に没頭する。とても楽しい生活を送っていた。自主練習は同期に誘われた時ぐらいで自発的に練習することはほぼなかった。
入部から4ヶ月ぐらい経った頃、いつものようにアニメを観ていたら画面から「みなさんが普段若さにかまけてドブに捨てている時間をかき集めれば、このぐらい余裕でしょう」という台詞が飛んできた。自分がこうしている間にみんなはバットを振って、筋トレをして、ノックを受けて、練習している。自分としてもかなり好きな作品だっただけに、心にくるダメージは相当なものだった。
それから自主練の量は少しは増えた。といっても好きでやっている=趣味みたいなものとしてやってきた人間が急に変われる訳はなく、まあ少しだった。もちろん元々下手くそだったわけで春のフレッシュのときこそ怪我人が多過ぎてもしかしたらベンチ入るかもとは言われていたが、秋はフレッシュも完全構想外だった。別に気にはならなかった。伊藤や門田、江口(4年/投手/海城)、明石(4年/捕手/渋谷幕張)、周平(山口周平/4年/投手/三重)など同期のみんながフレッシュで活躍するのをTwitter班(現X班)として呟くのは嬉しかったし楽しかった。スポ身で伊藤と石川(4年/内野手/灘)と周平がフレッシュの勝利を祝福される中、自分だけギャラリー側だったのは流石に惨め過ぎて笑ってしまったが、結局楽しい日々を過ごしていた。
秋の途中、Bチームにいた4年生がノックを受ける側ではなく打つ側になっていた。なぜなのか疑問に思っていたが、最終戦を待たずして引退していたということだった。これにも驚愕してしまった。もちろん神宮で勝つために練習しているわけで、生き残るためには結果が必要なことぐらい理解はできたが、試合で活躍するためではなく、野球が好きで、楽しいから練習をしていた自分にとってこの現実はあまりにも残酷に思えてしまった。なぜだか怒りすら覚えていた。
新チームになり、太幹さん(R8卒)に「実力は竹山(4年/外野手/修道)、大坂(4年/外野手/金沢泉丘)と同じくらい」みたいなことを言われた。そんなわけなかった。2人はフレッシュのベンチに入っていた。学生コーチの人は優しいんだなと思った。
特に成長することもなく年明けのシートbtには出場権利すらなかった。しかし、春のオープン戦でたまたまツーベースヒットを打ったことと怪我人が多かったことが重なりスプリングフレッシュなるものに連れて行ってもらった。怪我人が多かったとはいえ過大評価されている気がしてならなかったが、絶好の好機であることは自分でも認識していた。全く活躍できなかった。それも出場した試合は高校生との試合で、レベルの差を言い訳にできるものではなかった。まあ下手なもんは仕方がない。けろっとしていた。「岡林そろそろA上がれるんじゃない?」伊藤はそう言ってくれたのに、そんなわけあるかいとか内心思っていた。
この頃から学生コーチを選ぶミーティングが行われていた。最終的には川又(4年/学生コーチ/渋谷教育学園渋谷)が自分から名乗り出ていた。プレーヤーにしか興味がない自分にとって、川又の決断には衝撃を受けたし、ただただ尊敬しかなかった。
2年生になって、どういうわけかとにかくライトスタンドにぶち込むことだけを考えてフリーバッティングをしていた。当時1番ライト側のレーンはドラ直だったため、とにかく早めにタイミングを取り思い切り振っていた。その結果、ライトスタンドではなく農学部グラウンドに打球は吸い込まれていった。部内、部外各所にご迷惑をお掛けした。それでも当の本人は気にしていなかった。1ヶ月ぐらいカチ込めなくて、大坂にアドバイスをもらった次の日に3本かち込んだ日はめちゃくちゃ興奮した。そこに1プレーヤーとしての向上心はなかった。私生活も乱れに乱れており4時寝12時起きがデフォルトだった。春山に「流石に4年になったらA上がりたくね?」と言われても答えられなかった。午後練が魅力的だった。松原さん(R7卒)に何度も少人数班で体重を気にかけてもらったのに、体に変化はなかった。本当に情けないやつだ。
そんな状態で上手くなるはずもなく、試合では全くと言っていいほどヒットは打てなかった。1年間でも片手に収まるようなごくわずかなヒットのうちの1本が春のフレッシュで出るあたり運の良さは健在だったが、何一つ成長していなかった。秋のフレッシュでもベンチ入りをかけたシートbtで見事に凡退し、2年連続構想外となった。春もチーム方針のおかげで出られたわけだったし、惨めではあったが悔しさは湧いてこなかった。
この年はリーグ戦、フレッシュともにX班としての活動が多かった。先輩や同期、後輩の活躍をこの目に焼き付けて文章にするというのはとても楽しかった。秋リーグのある日、用心棒で「来年もTwitter班やりてえなあ」と話していたら、川又に「なんで3年にもなって試合に出てない前提なんだよ」と笑いながらつっこまれた。川又にこうやってつっこまれたのは少し心に引っかかった。
ある日の午後、置きティをしに球場に行くと本岡(4年/学生コーチ/基町)が練習していた。
俺も今LINEで知ったんだけど
この日、全体LINEには投票で本岡が学生コーチになることが連絡されていた。本岡は今取り組んでいるバッティングについて話していた。
自分で動画を撮って送って、そしたらここがこうだからこうした方がいいって細かく教えてくれて、これがめちゃくちゃ良くてさ。今のスイングとかめっちゃ良くない?
今にも泣きそうで、力のない、哀愁漂う声だった。
フレッシュでホームラン打ったらさ、学生コーチにならんよね?そんな凄い選手学生コーチにするわけないもんね。岡林さ、もしホームラン打ったら、証人じゃないけど一緒に抗議してくれない?
笑ってはいた。気丈に振る舞っているつもりだったのかもしれない。でも、その声は震えていて、変えることのできない現実に対する恐怖のようなものが全身から溢れ出ていた。
このときの記憶はあまりない。一体どんな言葉を返したのだろう。あまりの居た堪れなさにその場から逃げてしまったのだろうか。きっとそうなのだろう。そんな不甲斐ない自分が耐えられなくて、記憶を消してしまったのではないか。
フレッシュ当日、本岡は代打で出場した。他人の打席なのに、ものすごく緊張した。初球の見逃し、バックネット裏へのファール、カウントは2-2だったか。最後は見逃し三振だった。ミットにボールが吸い込まれた瞬間は今でも鮮明に覚えている。
それからグラウンドに行く機会が増えた。オフの日にもグラウンドに行き始めた。年越しの瞬間にベンチプレスを上げ、元日には近藤(4年/投手/筑波大附)とキャッチボールをして左目を紫に染めていた。2月の東京合宿では1日練の後も本岡の協力の下、ひたすらバットを振った。4月からは栗山さんの勧めもあって週3ベンチプレス、週2スクワット、週2デッドリフトの毎日BIG3生活も始まった。体重も1年で10キロほど増えた。スイングが速くなった、打球が変わったと周りからも言われるようになった。
この年は候補者の中で唯一春合宿のメンバーから漏れるといういつも通りの惨めなスタートだった。ただ、この時自分の前を悔しさが一瞬通り過ぎるのを感じた。川又に総合力としては合宿メンバーと変わらないみたいなことを言われた。聞いたことあるような台詞だった。シンプルに自分の実力がないだけなのに、川又に気を使わせてしまい申し訳なかった。3月のop戦ではまぐれで人生初ホームランを打てた。思ったより気持ちよくないなという残念な感想ではあったが、それを評価してもらえたのか怪我人の影響もあってスプリングフレッシュに連れて行ってもらえた。しかし、結果は出せなかった。全体的に見れば大したことない結果だったのに「リーグ戦期間じゃなければAに上げていた」みたいな話を本岡にされた。学生コーチの優しさを再び感じ、そんなことを言わせてしまう自分の不甲斐なさに少し腹が立った。その後、怪我人の多発もあって春リーグ後にAチームに上げってもらった。七大戦まで連れて行ってもらい、札幌ドーム(大和ハウス プレミストドーム)で野球をすることもできた。札幌ドームは広くて、開放感が半端なくて、本当に楽しかった。野球の楽しさを改めて感じられた。とにかく凄かった。
でも、なぜだろう。自分がリーグ戦に出るなどという未来を妄想はしても想像などしていなかった。「秋リーグはワンチャンあるんちゃう?」横山(4年/副将/内野手/新潟)がそう言ってくれた時もそんなわけないなあと内心思っていた。結局、夏の間結果を残すことはできず、すぐにBチームに戻った。自分を上のレベルに送り出してくれた本岡と香川(3年/学生コーチ/開成)への罪悪感こそ大きかったが、納得感が強かった。捷さん(R8卒)に「まだまだリーグ戦に絡むチャンスはあるから」と言われた時も実力不足だからあっても来年だなあとか考えていた。その後のop戦で足首を捻挫して、そもそも選手としての土俵に立つことができなかった。先輩方が引退したとき、「来年マジで期待してる!」と何人もの人たちが言ってくださった。最上級生になって花村(4年/学生コーチ/開成)と大江(大江宣知/4年/学生コーチ/仙台二)が学生コーチになった。やってやるぞと意気込んだ最初の外野シートでミスを連発し、川又に「ユナは論外」と名指しで言われた。このままではダメなのはわかっていた。
年明けだっただろうか。ふと、なんで最近こんなにも練習しているのか気になった。好きだから、楽しいから、これは今も昔も変わらない。練習量として明確に変わったのは本岡の一件の後だった。自分は恵まれた環境で、何不自由なく大好きな野球ができている一方、チーム状況だったり怪我だったりさまざまな事情で、自分よりも野球が好きで、自分よりも練習していたのに野球ができていない人もいる。そして、自分の活躍を楽しみにして、自分に期待してくれている人がたくさんいる。思えばこれまでの野球人生で本当に多くの人の期待を悉く裏切ってきた。最後ぐらい、自分に期待してくれる人たちのために、野球をしたくてもできない人の分まで頑張ろう。実際に言語化してみると改めて責任を感じたし、なにより自分に実力はないからとか卑屈になっていた自分が本当に情けなくなった。期待されているならその期待に応えればいい、仮にそれが過大評価だったとしても、活躍すればそれは真っ当な評価であって過大評価ではなかったことになる。起用した人の見る目があったことになる。つまり、選手として自分は結果を出すよう頑張ればいいだけなのだ。上手くなりたい、そう思って練習しないと上手くならないし、選手である以上そう思わない理由はない。俄然やる気が湧いてきた。
しかし、意識が変われば上手くなるわけではなかった。合宿をかけたシートbtでは悉く凡退し川又に2年連続で謝罪された。川又が謝るとかおかしいのに、悔しさからか頷くことしかできなかった。自分なりではあるが、本気で向き合ったからこそ今までで感じたことのない量の悔しさが心から湧いてきた。竹山と土かきをしながら同じような話を繰り返ししてしまうくらいには頭は回らなかった。でも、落ち込んでいる暇はなかった。諦めなければ必ずできるわけではない。けど、諦めたら何も残らない。青峰の台詞を胸にすぐに練習にとりかかった。体調不良で体重も激減したが、練習しない理由にはならない。治り次第飯も食べて、2月の間は大坂とひたすらバットを振った。
最初のop戦で少し結果が出てAチームに上がった。ここから頑張らないといけない。本気でそう思った。でも、現実はそう簡単に上手くはいかない。上手くなる時は一瞬というが裏を返せば何かを掴まない限りはずっと上手くなれないということだ。全くと言っていいほど結果は出なかった。守備でも外野手のトンネルという大失態を犯した。今でも一部友人には「トンネル王子」と揶揄されている。そして、リーグ戦直前に構想外通告を言い渡された。悔しくてベッドから動けない時間があった。さほど長くはなかったが、相当来るものがあった。でも、立ち止まっている暇はない。過去は変わらないが、未来は変えられる。そのまま球場へトレーニングをしに行った。伊藤には少し変な会話を吹っ掛けた気がする。ごめん。
リーグ戦は見ていて本当に楽しかった。ビデオをしていた時はうるさすぎて少し話題になるほどだった。法政2回戦で勝った時の幸福感は凄まじかったし、帰り道の四ツ谷で見た空の景色は今まで見た空の景色の中で一番輝いていた。チームメイトを本当に誇らしく思った。そして、このメンバーの中に、秋自分がいることを考えるとワクワクが止まらなかった。もちろん、もう自分は選手をやめた方が良いのではと頭によぎりはしたが、それは結局結果を出せないことから逃げるという自分勝手な行為であることはわかっていたし、どの道わがままを通すなら、自分がやりたい、選手として頑張る方が良いことは明確だった。花村も真っ先にこれに共感してくれて嬉しかった。
とはいえ、厳しい現状は明確だった。リーグ戦期間から7月中旬にかけて、平日は朝に自主練して昼間は研究室、夜にバイトか自主練と一日も全体練習に参加できない日々が続いた。練習には出ないのに土日の試合には出場する、なんとも申し訳なかったがチャンスが与えられている以上やるだけだった。6,7月のop戦では竹山、春山、宥悟、藤原(4年/外野手/県立福島)とBチーム4年生野手で多くの出場機会を与えられた。結果が出せなければ引退。今度は完全な戦力外通告。みんな最後の意地を見せるかのようにヒットを打ち、自分もあまり得意ではないガッツポーズが無意識に出るほど、打った時は嬉しかった。
決して素晴らしいといえるような結果ではなかった。だが、合宿のメンバーに選ばれた。藤原、垣田(4年/投手/高卒認定試験)、永島(4年/投手/開成)、平泉(4年/投手/戸山)、藤尾、大坂は引退となった。メンバー発表の日、見たことのない大きさの涙を目に抱えた大坂とすれ違った。やるしかなかった。
乗り込んだ合宿では初日のゲームノックで後逸and宇宙開発をかまし、川又に「岡林みたいなプレーをするのか?」と名指しで怒られた。1年経っても上手くはなっていなかった。その後もひたすら醜態をさらして花村や藤尾にイップスを心配される始末だった。ただただ情けなかった。でも、立ち止まるわけにはいかない。必死に練習した。op戦ではヒットも出て、七大戦での九州大戦、初めてスタメン起用された。おそらく、唯一にして最大のチャンスであることは見た瞬間に分かった。まさにターニングポイントだった。
結果は出なかった。最後の打席で1塁を駆け抜け、代走が告げられたその瞬間、絶望を前に為す術がなくなった時の清涼感が両足を攣った痛みと共に押し寄せてきた。竹山と交代した後、思わず天を仰いだ。悔しくって死にそう、そんな感覚が一瞬垣間見えた。チームは何とか勝利し、翌日も勝って優勝できたのは幸いだった。
東京に帰ると宥悟が引退していた。チャンスは逃したが、まだ自分は引退したわけではない。頑張らない理由などどこにもなかった。
一週間ほどだったか、怪我人の影響からもう一度スタメンで起用された。まさに敗者復活戦だった。失うものはない、いつも通り、やるべきことをやるだけ。
結果は出なかった。試合にも大差で負けた。
悔しい、悔しい、悔しい!
一人になった4年部屋で気づいたら呟いていた。頭が回らなかった。ただただ全身が熱気を帯びるのを感じていた。
その後も結果は残らず、現在に至るまでリーグ戦出場はおろかベンチにも入っていない。チームも4連敗中、それも大差での負けが続いており本当に苦しいシーズンとなっている。
俺は野球が好きだ。野球をしている時間は楽しい。約12年間もの間、野球というスポーツに時間を注ぎこめた理由は間違いなくここにある。辞めたいと思ったことなんて一度もないし、野球をしていることに疑問を抱いたこともない。でも、俺は東京大学運動会硬式野球部に選手として所属している。選手として所属している以上、試合に出場してチームの勝利に貢献するという責務がある。もちろん、試合当日にメンバー外なのであればチームの勝利を信じて応援する。だが、そうでない時間はチームに貢献するために、練習に励まなければならない。ここまで、選手としてチームに貢献できてもいないし、多くの人の期待に応えることもできていない。いつだったか、友人に言われた「頑張っているだけの無能は嫌だ」というセリフそのままのやつになってしまっている。でも、俺が選手であることに変わりはない。いつも相談に乗ってくださる栗山さん、期待していると言ってくださった先輩方、「岡林なら研究も野球も頑張れる!」と言ってくださった研究室の方々、打球監視員トークで盛り上がっていたら「ゆなさんはリーグ戦に出てくださいよ!」と言ってくれた孝太(荒井孝太/3年/内野手/西大和学園)、「この前の試合良かったですね!この調子で頑張ってください!」と言ってくれた竹下(2年/学生コーチ/筑波大駒場)、「次の試合も頑張ってください!」と言ってくれた下本(1年/内野手/麻布)、合宿前「おめでとうございます!ここから頑張ってください!」と言ってくれた森田(1年/外野手/並木中等教育)、「合宿頑張ってきてくださいね!」と言ってくれた塗師(3年/内野手/時習館)、「ほんまに応援してるんで、頑張ってください!」と言ってくれた杉山(2年/投手/西大和学園)、神宮のスタンドでしか絡んだことないのに「岡林さんのヒット、本当に楽しみにしてるんで頑張ってください!」と言ってくれたリーダーの岡田、他にもたくさんの人が俺に期待してくれている。その期待に応えるため、チームの勝利に貢献するため、今日も俺はバットを振り、白球を追う。
小高坂ホワイトウルフ時代の関係者の皆様
このチームでなければ、自分は野球を続けることも、野球を好きになることもなかったと思います。野球の楽しさを教えてくださり本当にありがとうございました。
土佐中・高等学校時代の関係者の皆様
本当に楽しい土佐校ライフでした。ありがとうございました。そして、皆さんの期待に応えることができず申し訳ありませんでした。特に、三木先生にはたくさんのことを教えていただきました。本当にありがとうございました。
大久保監督、石井助監督
監督にはセンターからレフトへ打てとよく言われた気がします。7月のビジター帰りに助監督に「ヒット打ててよかったね」と言われた時はすごく嬉しかったです。ありがとうございました。残りの期間、ご期待に添えるよう精一杯頑張ります。
栗山さん
主に去年から、本当にお世話になりました。とても心強かったです。ありがとうございました。なんとかリーグ戦でヒットを打ちたいと思います。引退したらご飯連れて行ってください。野球以外のこともたくさんお話ししたいです!
荒井さん
お話する機会は多くはありませんでしたが、荒井さんのアドバイスは自分の中にはない感覚で、とても新鮮で楽しかったです。ありがとうございました。
小学校同期
みんなと楽しく野球ができて本当に良かった。敦也と平以外久しく会ってないけど、またどっかで会えたらうれしいな。
土佐中同期
色々あった気もするけどなんだかんだ自分は良い思い出になっています。あんまり会えてない人もいるのでガンガン飲み誘ってください。
土佐高同期
なんかこの文章も見られてそうですが変わらず飲み誘ってください。もっとフッ軽になっていると思います。
東大野球部先輩方
人と関わるのが苦手な自分にも優しく、温かく接して下さりありがとうございました。特に、外野手の方々と吉晃さん(R8卒)には本当にお世話になりました。引退したらたくさんご飯連れて行ってください。
本岡
何回バッピをしてもらったかわかりません。選手を辞めるとき、俺には想像もできないような気持ちを抱えていたはずなのに、学生コーチになったら誰よりも選手のために行動している、そんな本岡は最高にかっこいいです。本当に感謝しています。選手としても、人間としても、今の自分があるのは間違いなく本岡のおかげです。ありがとう。いつも感謝を伝えても「活躍しないと意味がない」と言ってくれるので最後に神宮で活躍する姿を見せたいと思います。
少人数班のみんな
実力も実績もない自分についてきてくれてありがとう。これでも一年間、少人数班の意義というものを考えてやってきたつもりです。長谷川(2年/外野手/新潟明訓)と堀端(3年/外野手/向陽)のホームラン、マジでかっこよかった!森田も意識高く練習に取り組んでいて、体重も着実に増えて嬉しい限りです。来年、岡林班出身の3人がフォーメーション組んでいる神宮が見たいです。頑張ってください。何かあったら飯には連れていけるのでいつでも連絡ください。
大坂
バッピあざっす!神宮で打つんでもう少しお願い!
学生コーチの方
いつも練習メニュー作成から練習補助、選手起用など多岐にわたってチームを支えていただきありがとうございます。上級生なのに基本Bチームにいて香川や土ヶ端(3年/学生コーチ/城北)、竹下には迷惑を掛けました。僕を選手として残すというみなさんの選択が正しかったことを証明します。後1ヶ月よろしくお願いします。
マネージャー、アナリスト、学生トレーナー等スタッフの方
普段大好きな野球を何不自由なく行えているのはスタッフの方々の支えあってだと常々感じています。石田(4年/マネージャー/札幌西)や金澤(2年/アナリスト/大宮)などには練習補助をしてもらった時もあります。本当にありがとうございます。皆さんの支えを無駄にしないよう、結果を残せるよう残りの期間頑張ります。金澤今度ご飯行こうな。
ラブコメ会、ユーフォ会
全然開けてなくてすみません。引退したら余裕出ると思うのでまた語り合いましょう。
片桐(3年/学生コーチ/時習館)、塗師、昼馬(3年/投手/日比谷)、玉置(3年/投手/昭和学院秀英)、田崎(2年/内野手/筑波大附)、長谷川
またご飯行きましょう。これからも頑張って!
東大野球部同期
ありがとうございました。この代でよかったです。フッ軽なのでいつでも飲み誘ってください。
東大野球部後輩たち
自分から言えることなんてないです。みんなが思うように、思う存分頑張ってください!
家族
ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。細かいことは会って直接言わせてください。
その他にもたくさんの方々に支えられて自分の野球人生があります。この場をお借りして感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
次回は選手を含めても一番声が大きい中井一心アナリスト(4年/金沢大附)です。今年初のスタッフ登場ということで今までの選手たちとは一味違う展開が見られるのではないのでしょうか。ぜひ、お楽しみに。
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次回は9/25(金)、中井一心アナリストを予定しております。
主将 


