【あなたにとって野球とは―#15】本宮拓朗(内野手・法政)
4年生38名によるラストシーズンにかける想いを投稿いたします。
15人目は、本宮拓朗(内野手・法政)です。
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人生には、時に勝算がなくても賭けなければならない瞬間があります。
私にとって、それは野球でした。
私は小学校から大学までの学生生活を野球に賭けました。
法政高校硬式野球部から法政大学硬式野球部に行くことは、先輩たちや同期にもスポーツ推薦の人がいるため、立場上1番下からスタートになります。目標はバカみたいに「リーグ戦ベンチ入り」と掲げていたのにCチームに配属されスタートしました。両親のため、母校のため、豊田(豊田明平・4年)のためにリーグ戦ベンチ入りを目指し毎日練習を続けてきました。こうして敗北がほぼ確定しているような野球生活の中でも、僅かな魂と祈り、そして根拠のない自信だけを胸に、誰もが驚くような大きな報酬を狙い続けました。冷静に考えれば、勝算のない勝負に賭けてきた4年間。
そう考えると、私の野球人生はまさに、生粋の「ギャンブル」でした。
私は色んな人に支えられながら野球人生を送りました。ここで特に感謝している人たちへ感謝を長々と述べたいと思います。読みたい部分だけ読んでくれれば幸いです。
同期へ
今までありがとう。みんなで練習したり旅行行ったり酒飲んだりする時間が楽しかった。これからもくだらないことで笑い合っていこう。
荒居は高校大学と同じ部活で苦楽を共にしてきたから一番頑張ってほしいと思ってる。荒居の人生だから荒居のやりたいように。結果が出ないときこそ周りに何を言われても頑張り続けてほしい。心の底から応援してる。
菅野さんへ(菅野樹紀・R8年卒)
初めて菅野さんと関わったのはとある紅白戦後でした。初めて先輩から練習に誘っていただきライトでハーフティーをしたのを覚えています。そこから自分のスイングを真夏の炎天下の中、汗水垂らしながら一生懸命指導してくださり時にはしつこいくらい指導してくれました。紅白戦や練習試合で結果を残すと必ず「やっぱお前すごいな」と声をかけてくれました。菅野さんで特に印象に残っているのはやはり等々力球場での練習です。当時2年生の私はケースノックでセカンドを守っていてライトの菅野さんに声をかけた際、彼は地面に向かってなぜか吠えていたのを覚えています。そこで私は菅野さんについて行こう、と決めました。菅野さんからは一生懸命やることの美学を知りました。練習もボケも。今でもサウナや飲みに連れて行ってくれてありがとうございます、社会人になっても力みまくってる菅野さん。
豊田へ
豊田とはあまり仲良くはありません。しかし全く嫌いではないです。感謝しているからです。
豊田は高校から大学まで7年間一緒でした。初めて会った時は豊田の兄が同じ高校のため最初からまだ配られてない高校のバックを背負ってるデカくてイカつくて変な人だと思っていました。一緒に野球をしてても恵まれた体格を武器にプレーしていて羨ましかったです。高校の部室では毎回パンイチで座っていて気味が悪かったです。謎に一個上の代でスタメンから外されたのも自分と豊田で2人でなんでだろう。と話したこともありました。そんな豊田とお互い法政高校から大学野球部で挑戦しようと決めて練習入ってみたらお互いCチームスタートで過酷な日々が続きました。豊田が学生コーチになると言った日、正直なってほしくなかったです。まだ一緒にグラウンドでプレーしたかったし、豊田のヒットを見ていたかったです。でも豊田が決めたことにいちゃもんつける方が失礼なので見守っていました。そしたら豊田は一丁前にチーフになりお互いCチームだった仲間とは思えないほど成り上がっていきました。豊田、チーフとしてチームを動かしてくれてありがとう。豊田は豊田らしく、会社の要となって頑張ってください。どこまでも応援してます。たまには飲もうか。
両親へ
「まぐろ専科もとみや」ていう自慢の店を出してくれてありがとう。これからも体に気をつけて頑張って。
お母さんへ
「お母さんの夢は拓朗の夢。」
お腹を痛めて産んでくれた時から今まで大切に育ててくれて本当にありがとう。小さい頃からずっと拓朗第一で動いてくれたお母さん。どれだけ朝忙しくても朝ごはんを作ってくれた。中学生の時、当時やりたくもない3塁コーチャーをやらされて悔しい思いしたときも頑張ろうと励ましてくれたお母さん。中学の監督との三者面談で昼ごはん中みんなの親子が見ている圧倒的アウェイの中で、監督の推薦した高校に首を振って「この子が志望する六大学に受験させたいんです。」と言ってくれたお母さん。耳が千切れるくらいのでかい声で「無理に決まってんじゃねえか。自分の息子を買い被りすぎだ。」と言われたけど本当に受験に受かって真っ先に仕事中のお母さんに電話して喜び合ったのを鮮明に覚えてる。高校の時、やったこともないカメラマン担当を引き受けて毎回ピンボケした写真を撮ってきたけど今でも大事に保存してある。大学では「頑張れ」と声をかけてくれて自分が神宮でプレーしたいと言ったら私の夢は拓朗が神宮でプレーすること、と夢を追いかけてくれた。一人暮らしを始めてから致死量の応援ラインを送ってくれてありがとう。毎日実家に帰った時に美味しいご飯を出してくれてありがとう。本当に感謝してる。比べるのは良くないけどこんなに息子のことを応援してくれるお母さんは他にはいないと思う。これからはゆっくり自分のやりたいことやって。お父さんと優雅に過ごして。
お父さんへ
「だからお前はダメなんだよ。」ずっと言われてきました。打てなかったときは車でも夜ご飯のときも叱責されホームラン打ったときもなぜか怒られて無茶苦茶でした。中学生の頃までお父さんが怖かったです。毎回お父さんの顔色を伺いながら野球をしていました。お父さんは拓朗の野球のためならと言い設備全てを整えてくれました。幼稚園生の時は新聞紙にガムテープ巻いて店の前で嫌と言うほど打ってポールのすぐそばに立って当てないように振れと。どう考えても無理なのに振れと。屋上にはゲージネットを取り付けスカイツリー目掛けてティーバッティング。毎週野球塾に通わせてくれてお父さんが後ろで座ってみているのでその顔色伺いながら練習をする。これが中学生までの日課でした。拓朗のことを1番に考えてくれてるのは分かってるのに素直になれない自分が悔しかったです。高校に入って自分が結果を残せるようになってから徐々に話すようになり笑顔も出てきてよく話すようになりました。大学野球をしないとは到底言えず大学野球を始め目標に向かって共に走り続けました。大学入ってお父さんは「自分のスイングに自信を持ちなさい。そこらのピッチャーは打てるようにやってきたじゃん。」と言ってくれるようになりました。その言葉がどれだけ嬉しかったか。感謝してもし足りません。
今まで美味しいご飯を作ってくれて、どこまでも練習についてきてくれて、小さい頃ほぼ毎日怒ってくれて、そしてここまで育ててくれて本当にありがとう。目標はお父さんみたいなかっこいい男になることです。
振り返れば、私の野球人生は何度も勝算の薄い勝負に賭けてきました。それでも、最後に一つだけ確実に当たった賭けがあります。それは、この野球人生で最高の仲間たちに出会えたことです。一緒に汗を流し、苦しい時には支え合い、くだらないことで笑い、時には酒を飲み、また次の日には何事もなかったかのようにグラウンドに立つ。そんな仲間たちと過ごした4年間は、どんな報酬にも代えられないものでした。野球では何度も痛い目を見ました。それでも最後にこんなにも最高な仲間たちに出会えたのなら、私の野球人生は決して負けではなかったと思います。
むしろこれは、学生生活を賭けた「ギャンブル」で引き当てた、人生最大の「万馬券」だったのかもしれません。
しかし、私のギャンブルはまだ終わっていません。残された最後のリーグ戦。ここまで賭けてきた4年間のすべてを、この最後の勝負にオールインします。最後の最後まで私はバットを振り続けます。
最後の勝負です。
リーグ優勝、天皇杯奪還に向けてこれからも法政大学硬式野球部の応援の程よろしくお願い致します。ここまで読んでくださりありがとうございました。
主将 


