【あなたにとって野球とは―#32】針谷隼和(投手・桐光学園)
4年生38名によるラストシーズンにかける想いを投稿いたします。
32人目は、針谷隼和(投手・桐光学園)
です。
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『夢への一歩』
中学校時代のクラブチームのスローガンであったこの言葉は、私の16年間の野球人生そのものでした。
そこで、これまでの16年間の野球人生を振り返ってみようと思います。
小学1年生の頃から兄、父、祖父の影響で野球を始め、野球を始めた頃はプロ野球選手を本気で目指していました。土日は少年野球、平日は地元の友人と遊んで野球をしたり、夜には仕事で疲れている父が素振りを見てくれたり、平日の1日しかない休みの日もキャッチボールをしてくれました。とにかく野球しかやってこなかった16年間でした。
小学生の頃は一つ上の代に目標となる先輩が2人いて、常にその2人を見ていたからこそ自分はまだまだだと思うことができ、常に追いつき追い越せるよう野球をしていたと思います。小学6年生の頃は、けんしろう(深谷謙志郎・4年)と一緒にベイスターズジュニアにも選ばれて、そこでも自分より遥かに高いレベルの人しかいなく、とても良い経験になりました。
中学のクラブチームでは週6日グラウンドに通って、練習をしていましたが中学の練習が野球をしてきた中で、1番きつかったと思います。
先輩がバスに漫画を持ち込んで連帯責任でグラウンドを走らされたり、年始にはグラウンド50周(10キロ)走から始まったりと、色々なことがありました。
高校では先輩方に比べて、突き抜けた選手が少なく色々と心配されてた代だったと思いますが、きつい冬の練習を乗り越えて春優勝できたときはすごく嬉しかったです。
自分は、高校入学した辺りから周りの先輩や、他の高校の選手と比較した時に「自分ではプロ野球選手になることができないかも」と思い始めるようになってしまっていました。
大学での4年間は、思い通りの結果が出ない苦しい時間の方が長かったと思います。しかし、その悔しさや挫折があったからこそ、結果以上に大切なものに気づくことができました。
今年は「投手リーダー」を任されましたが、プレーでは手本を見せられせんでしたが、これまで上級生がやってこなかった仕事を率先して取り組むことを意識してきました。
その背景には、高校時代の監督から言われ続けてきた「誰の仕事でもない事を率先して取り組みなさい」という教えがあります。
私は、「下級生だから」「先輩だから」という言葉が嫌いです。下級生の頃から自分なりに行動してきたつもりですが、こうした上下関係を言い訳にした古い風習を変えていかなければ、悪い空気が下へ下へと継がれていってしまうと思ったからです。そのような姿勢を続けてきた中で、3年生がこれを見て自発的に動いてくれるようになったときは、本当に嬉しく、やってきてよかったと心から思いました。
法政大学野球部に入ったからこそ、結果を出すことはもちろん大切です。しかしそれ以上に、「社会に出た時に必要とされる人間になること」こそが何よりも大切だと、この4年間を通して改めて痛感しました。
そうした人間的な部分を疎かにしてしまうと、大学野球が終わって振り返った時に「あの頃は良かったのに」と過去の栄光にしがみついてしまう選手になってしまうと思いました。4年生が率先して行動することをこれからの後輩たちにも引き継いでいってほしいと思ってます。
こうして振り返ると、私はこれまでの野球人生の中で出会った仲間に本当に恵まれてきました。今でもオフの日に連絡を取って、実家に帰ると言った時にすぐ会ってくれる地元の野球の仲間がいて、中学のクラブチームの同期も毎年必ず一度集まるし、高校の同期、後輩からも練習試合などで会った時に声を掛けてくれることも本当に嬉しかったです。さらに、中学や高校の当時はあまり関われなかった先輩たちが、練習試合でお会いした時に進路のことを気にかけてくださったときは、本当に嬉しかったです。
同期は本当にこの同期で良かったと思います。ランニングメニューで毎回5本目なのに6本目と本数を増やして言う人、唯一自分のことを下の名前で呼んでくれる人(結構嬉しかった)、一年の頃はずっと一緒にいて高校時代対戦した面白い人、小学生の頃からお互いに対戦したりチームメートになって結構性格が好きだった人、腹斜筋がすごいと言ってた人、コーラばっか飲む人、やる時はやって遊ぶ時は遊ぶ人、22時くらいにトレーニング室に来る人、筋トレやサウナ好きの人、筋トレばっかして学校や神宮に自転車でくる人、家の鍵を常に開けて寝坊ばっかする人、朝から練習をめちゃめちゃする2人、など数えきれないくらい思い出があります。本当にこの同期でよかった。指定校の人たちもみんな面白くて今後も一緒に色々なところ行きたいと思ってるので社会人になっても、サウナとかご飯とか誘ってくれたら嬉しいです。
後輩に関しては結構好きでした。
ざき(山﨑隆之介・3年)は、めちゃめちゃふてこくて、大変だったけど結構性格とか似ててご飯とかサウナとか2人でも行ったし同期くらい仲良くなれたね。
高校時代に対戦して、入ってきた時は絶対仲良くなれないと思ってたけど結構その性格嫌いじゃないかも。やる時はやるし。でも、やりたくない時にどれだけやれるかで今後の野球人生も変わってくると思うから、気分が乗らない時こそ踏ん張って最強のピッチャーになれよ。
しろう(山床志郎・3年)に関しても、性格がいい感じで悪いところがなくていいと思いました。平日の練習にいなかったら、結構つまらなかったです。勉強してる時も自分の部屋にくる人は珍しいのに唯一ちょっかいかけに来てくれて嬉しかったよ。これからは最上級生として投手まとめていってね。
菅井(菅井颯・3年)と、しげ(倉重聡・3年)もあれが一緒でそれがきっかけで結構仲良くなれたね。ちょっかい掛けにきたり、自分の仕草を真似したり、結構嬉しかったよ。
色々考えること多いと思うけど、後一年終わった時にやり切って良かったと思えるように頑張ってね。自分が悩んで後悔したから悩むんじゃなくて常に考えて良い方向に行けるように頑張ってね。悩むことと考えることは全くの別物だと最近学びました。
小森(小森勇凛・3年)もヒップロック一緒にやってくれてありがとね。あの時一緒にやってくれたから結構知識も増えたしもっとやらないとってめちゃ思いました。来年神宮見に行くから小森らしく頑張れよ。
その他の後輩たちも、あまり話したことない指定校の子も会った時に「針さんお疲れ様です!」って言ってくれてめちゃ嬉しかったよ。
就活とかあって色々思うことあると思うけど、法政大学野球部に入部すると決めた時に決めた目標とかあると思うから、それに向かってみんな頑張ってね。就活をしてみて感じたことは指定校のみんなすごいです。就活だけでなく野球と両立できたら他にもない強みになるから最後まで野球も頑張ってほしいです。
家族に対しても、今振り返れば、自分は小学生の頃特に反抗的だったと思います。父とキャッチボールをしている中で指導をしてくれていたのに、反抗的だった自分はわざと暴投を投げて、ボールを取りに行かせてしまっていました。そして草むらに入ってしまった軟式ボールを必死に探していてくれた後ろ姿は今でも忘れません。他にも素振りをしていたり、トスをしてくれている時もいろいろ言ってしまった事今でも覚えています。あと時はごめんね。少年野球や中学の大会なども、父は土日が仕事だったこともあり、あまり見に来ることができなかったと思います。それでも、家に帰ってきた時には「今日は打ったか?」「どうだった?」と毎回気に掛けてくれていました。土日が仕事であることが当たり前になっていましたが、今思えば、やっぱり見に来てほしかったという気持ちも少しあります。
だからこそ、以前に「野球ができないかもしれない」と伝えた時、父がすごく悲しそうな顔をしていたことは、今でも覚えています。
これからは、これまでたくさん尽くしてくれた分、自分が親孝行していくのでこれからもよろしくね。
そしてお母さん。この16年間、自分のやりたいように野球をやらせてくれて本当にありがとう。兄や姉がいる中で、中学や高校生の時は特に大変だったはずなのに、何不自由なくここまで野球を続けさせてくれたことに感謝しています。これからは、たくさん親孝行をして還元していきます!
ここまで野球を続けてきてこれからは第二の人生を歩んでいきます。これまで野球で培ってきたものを活かしてこれからもとあるもので本気で日本一を目指して取り組んでいきます。
ラスト1カード2連勝して笑顔で大学野球を終わろう!
ちなみに、、、7月の誕生日で目標にしていた『宅建取得』ですが18日に受けてきました。結果は34点でした。11月25日に合否となるのでみなさん楽しみにしていてください。
主将 


